「ふあああ、ねむ」
大きな欠伸をして、まだ眠気が覚めないタカは目を擦りながら呟いた。
まだ完全に覚醒していないがもう一度寝る気にもならない。
とりあえず腹の虫は鳴りかけているので、着替えてから食堂に向かう。
其の間にも何回も欠伸をしながら、食堂に着くと用意されているご飯を取る。
そしていざ食事をしようとした瞬間、
「誰かそれを捕まえてくださいー!」
朝っぱらから叫ぶような台詞が聞こえた。
その声にタカは朝から五月蝿いなと思い不機嫌になるが、何なのか気になるため振り向いた。
その時タカの顔面に何かが貼り付いた。
「……?」
その感触に数瞬の間思考停止したタカは、何も考えずに右手で貼り付いた物体を取ろうとした。
だが右手は物体を触れる事無く空振りした。
次の瞬間、その物体はタカの全身を信じられない速度で這いずり回った。
全身をまるで百足かゴキブリが何匹も同時に素早く動き回った様な感触。
その感触はタカの眠気を一気に飛ばし、おぞましい感触に対する嫌悪が出る。
そして、
「ひぎゃああああああ!」
拒絶反応と恐怖を吐き出すための大声が出た。
大声を出したタカは今も自分の体を這いずり回る物体を、神速の勢いで今度こそ捕まえた。
捕まえた物体をタカは憎しみと怒りと恐怖と嫌悪を込めて、全力で壁に叩きつけるため思いっきり投げた。
しかしタカの全力投球は実る事は無かった。
なんと物体は投げた瞬間に直径が広がり、まるで生き物のように進路方向を変えた。
しかもその速度は今のタカでさえギリギリ目が追えるかどうかの速度。
物体はそのまま飛びながら食堂を出て行った。
タカは投げた姿勢のまま、それが出て行った後も呆然としていた。
「な、なんやったんや今の」
それがタカの率直な感想だった。
そこにナナスが息を乱しながら現れた。
「タカさん、あの虫が今出て行きましたね!?」
酷く焦り尚且つ普段より二割増の声量で話しかけてくるナナス。
「虫? まさかさっきの?」
「はい、通称すばやい変な虫と言って、持っていると持ち主の動きを素早く出来る不思議生物です」
「さっきのがそれかい」
「そうです。発見される事も捕獲する事も困難な生物なんです」
(あ! アリスソフト便利アイテムの一つか)
タカがプレイしてきたゲームでも大変お世話になったアイテムである。
時に回避に先制に役立ち、戦国ランスにおいてはお町に装着すれば反則な攻撃を発揮するアイテム。
わいどにょでは回避ランク×でも装着すれば回避ランクSにしてくれるアイテムと記憶している。ちなみにタカは豪や遠距離キャラに装備させて使用していた。
「虫かごに入れていたんですが、そこから抜け出したんです」
「了解。とにかく捕まえるの手伝ったらええんやな」
タカはナナスの言いたい事を即座に理解して、追い駆ける前に一口だけ食事しておく。
「お願いします。僕は他の人達にも手伝ってもらえるよう要請します」
「判った。後ナナス君はママトト内から虫が出て行かんように、扉閉めといて」
「ええ、それは既に実行しています。後は捕獲するだけなんですが」
「確かにあの素早さは難儀するな。とにかく追っかけてなんとかしてみるわ」
「頼みます。戦線の指揮もあるので僕は指揮部屋に行きます」
それぞれの役割を理解しあい、二人は即座に行動を開始する。
タカも食堂から出て行った虫を追い駆ける為に、まずは出て行った方向に走り出す。
「しかし、虫追い駆けるなんて久しぶりや」
タカはガキの頃に、飛蝗・蟷螂・蜻蛉を虫網持って追い駆けていた事を思い出しながら呟いた。
だが思い出している間にも、タカは虫が移動したと思われる方向に走り出す。
甲虫以上の大きさであるし、外皮も金色である為、すぐに発見は出来る。
それに城の中で動き回れば、目立つ為なんとかなるとタカは考える。
「うわー!」
曲がり角から驚いた声が聞こえる。
その声にタカはすぐに向かい、虫を発見した。
「虫、待たんかい!」
体全体でブレーキをかけながら、タカは横に顔を向けながら言った。
そのまま右足に力を込めて、虫に向かって駆ける。
しかし、さすがに通称素早い変な虫。
タカに捕捉されたと思ったのだろう、先ほど同様信じられない速度で飛びはじめる。
だがタカとてママトトに着てから、日々闘いに明け暮れて戦闘技術を鍛えてきた。
そして普通ではありえないLV上げを実際に行われ、既に身体能力は常人を遥かに超えている。
その為、ママトトに来る前と比べれば動体視力も比べ物にならないほど上昇している。
それでも虫はギリギリ視認できるほどの速度で移動している。
このことにタカは驚きながらも、さすがアリスソフト便利アイテムの一角と再認識する。
逃げる虫をタカは全速力で追い駆け、どうすれば捕まえれるか考える。
虫網を用意しても、この状態では確実に捕獲するのも難しい。
ならば待ち伏せと考えるが、虫ならば方向転換は人間など比較にならないほど一瞬で行う。
いっそのこと粘着性のある取り餅を使えばいいかもしれないが、用意する時間が要る。
今すぐ簡単に思いつく手段が最適と思えないタカ。
その想像力に心の中で舌打ちしながら、タカは必死に虫を追い駆ける。
T路地では、虫が右に曲がればインアウトインというコーナーの曲がり方の基本で追い駆ける。
突き当りでは反復横とびの要領で、体重移動と力で慣性の法則を抑え込み、極力減速せずに追跡。
急な方向転換をされれば、三角飛びの様に壁を蹴り、時には壁を3、4歩走りながら追い駆ける。
それでも虫を中々捕まえられないタカ。むしろ捕捉し続けるだけでも精一杯に近い。
時折、すれ違うメンバーと衝突しそうになるが、その時も無理矢理体を捻って回避した。
今のタカは虫以外に意識を向けるのも厳しい。
ナナスが放送してから、何人かが協力しているが虫を傷つけるわけにもいかない。
結果、虫を捕まえる経験の無いメンバーなどは、むしろ慌てるばかりでタカの邪魔になっていた。
「くっそー、そろそろ体力がきつい」
いくら身体能力が上がろうとも、限界はある。
20分以上全力で追い駆けているタカも、先程から息が荒れてきた。
いっその事持久戦にして、虫が動かなくなってから捕獲するのも手だが、戦線では今も戦闘が行われているため、このままではそちらに支障が出てしまう。
だから一刻も早く虫を捕獲し、出撃していないメンバーを落ち着かせねばならない。
ナナスも戦線を維持できるように指揮しているため、中々こちらのフォローが出来ない。
タカは何回か空き部屋に追い込んで閉じ込めようとするが、それを看破されているかのように閉じ込める前に脱出されてしまう。
まるでタカをあざ笑うかのように、虫は素早く移動を繰り返しながら逃げ回る。
だんだん腹が立ってくるタカ。
しかし傷つけるわけにはいかないと自制する。
「捕獲やなかったら絶対プチっと潰したるのにー」
歯軋りしながらタカは呟く。
ついでに投げ出せれるなら投げ出したくなる心境になってくる。
「あーもう!」
悪態をつけながらも、追い駆けるタカ。
しかし、
「げ! このままやと風呂場」
虫が逃げる方向は女風呂への道程。
タカがこのまま追い駆ければ、事情があろうとも間違いなく顰蹙を買う。
舌打ちしながらタカは傍にいたメンバーにナナスに連絡を取ってもらう事にする。
内容は風呂場にいる女性に注意を促し、虫を閉じ込める事が出来るようにと。
メンバーの一人が了承し、近くにある指揮部屋連絡のパイプを掴む。
それを確認しながらタカは追い駆ける。
そして次の曲がり角が風呂場への最後の道の処で、
「風呂場の皆さん、今すぐ着替えをしてください!」
ナナスの放送の言葉と共に、タカはめりこむほどの威力で壁に激突した。
「のがああああ」
意味不明なのた打ち回る声を上げながら、タカは顔全体を蹲りながら抑えた。
ナナスのこの台詞に、戦線のメンバーも出撃控えていたメンバーもずっこけたらしいというのは、騒ぎが終わった後にタカが耳にすることになるのは後のこと。
「って、違います! 僕は何を言ってるんだー!」
「自分でボケ突っ込み咬ますなー!」
タカすかさず指揮部屋があるほうに突っ込み。
聞こえていないとは判っていても、言ってしまうのは壁に激突したせいかもしれない。
「虫が風呂場に逃げたので、今風呂に入ってる人は虫を捕獲してください。尚追跡メンバーが追い駆けているため、女性陣は今すぐ服を着てください」
とにもかくにも言い直したナナスに、タカは後で追求する事を決めておく。
痛みが少し引いてからタカはそのまま風呂場に急ぐ。
タカはこれで何とか閉じ込める事は出来ると思った。
だが、その予想は甘かった。
既に風呂場では虫が飛び回り、ナナスの放送を聞いてから虫を捕獲しようとした風呂場のメンバーがてんやわんやで追い駆ける。
中には虫が背中に取り付き、一瞬で体中をタカと同様に這いずり回られ悲鳴を上げる者。
または飛んでいる虫を捕まえようとして、ダイビングした結果で同様にダイビングしたメンバーと衝突という結果まである始末。
結果、風呂場は混乱の渦と化してしまう。
「……俺ら一応勇者やんな?」
そんな光景を見るタカは、物凄く情けない気持ちになるのも無理からぬかもしれない。
だが、タカは何とか気持ちを切り替えて虫捕獲をしようとするが、
「いやー!」
先程虫に這いずり回られた女性が錯乱し、そこかしこにある物を虫に向かって投げまくった。
「おわー! 落ち着けー! 俺らまで当たる」
剃刀に櫛に瓶に団扇に桶。
これらが凄い勢いで空中を舞う。
しかし虫は掠ることもなく動き回る。その上女性が投げた物体の一つが扉に当たってしまい、それにより扉が湾曲し隙間が開いてしまった。
それを好機と見たのか、少しの隙間があった出口からすかざず虫が逃げていった。
「んが、せっかく閉じ込めたのに」
タカは唇を噛みながら、すぐに身を翻して風呂場を出る。
「ええ加減、観念しろー! このゴキブリもどきー」
半分やけくそぎみに叫びながら、タカは必死に追い駆ける。
最早、たかが一匹の虫の為にママトト内部が大騒ぎとなり、どんどん混沌となっていく。
追い掛け回すタカも、最早まともに思考がまとまらずに、ただ虫を追跡する。
既に息は乱れ、走るスピードも鈍くなっている。
だが、とにかく捕獲せねば騒ぎが収まる事はない。
そのせいで本格的にタカの堪忍袋の尾が切れ掛かっていく。
タカはそれを自覚しながらも、激昂を抑えろ抑えろと自分で蓋をしようとするが、
「冷静に平静に平常心で……狩れ!」
やっぱり切れてるかもしれないタカ。
その後、一時間ほどかかって捕獲騒ぎを繰り返し、疲労して動けなくなってしまったと思われる虫を捕獲する事に成功した。
そして指揮部屋で、
「はあはあ、ナナス君。虫捕まえたで」
精も根も尽き果て、フルマラソンを走り終えた後の様な声で、タカはナナスに虫を渡した。
「本当にありがとうございますタカさん。今後は絶対逃がさないようにするのでゆっくり休んでください」
「そうしてくれ、もう二度とやりたくない」
全身汗だくでタカは言った。
今も肩を上下させ、息を荒くさせながら捕獲した虫を見るタカ。
少し休んで体力が回復したのだろう、虫は籠の中で元気よく動き回る。
「……潰してやりたい」
「気持ちはわかりますが抑えてください」
「今回騒ぎに巻き込まれたメンバー全員の気持ちや」
「この虫、物凄く貴重なんですよ?」
「ナナス君。いっぺん体中這いずり回られてみるか?」
「全力でお断りします」
ある意味、漫才をやりながらタカは額の汗を拭う。
「とりあえず休憩するわ。ごめんやけど出撃は待ってくれ」
「ええ、今日のところは現状維持に努めます。他の人達にも通達するつもりです」
「そうしてくれ、疲れた」
タカはそう言いながら指揮部屋から出て行く。
だが部屋を出ようとした瞬間、
「うわ!」
タカの右横を羽ばたきの音が鳴りながら、風が頬を撫でた。
「って、まさか!」
タカが前方を見たら、虫が飛んでいた。
「うだー! ナナス君」
「ごめんなさい、移し変えようとして」
「もういやじゃー」
タカはもう泣きそうになりながら虫を追い駆けようとした時、
「むー」
まるで寝ているところを起こされ、私不機嫌ですと主張するような声がすると共に枕が飛んでいく。
そして枕はまるで虫に吸い込まれるかのように飛んでいく。
「へ?」
タカが呆気に取られた声を出した時、枕は虫に命中した。
あまり威力があるように感じなかったが、枕に当たった虫はポトッと地面に落ちた。
それを見た瞬間、タカははっとして即座に虫を捕獲。
そのまま虫かごに入れて、出てこないようにしっかりテープで出入り口を閉めた。
「ふう、よかった」
ナナスがホッとした声をするが、何となくむかついたタカはとりあえずナナスの両頬を抓っておく。
「ひたいひたいタカひゃん」
「俺らの苦労、無にするとこやったんやで? ナナス君、これくらい当たり前や」
そして、その苦労を味わずに済んだことに貢献した者の方にタカは振り向く。
「助かったわ、はぐれ枕投げちゃん」
「かぷ」
可愛らしく目を擦りながら、枕投げは頷いた。
そして、そのまま去っていく。
だが、其の後姿に感謝しながらもタカはもう一つの感情があった。
「俺らの苦労って何やったんや」
一時間以上追い掛け回して、ようやく捕獲した虫。
しかし枕投げはたった一投で虫を捕獲する切っ掛けを作ったのだ。
其の事にタカは不甲斐なさを感じた。
この後、休憩後に出撃したタカが五割増で大暴れしたのは、八つ当たりが主目的であり、同様に虫を捕獲しようとしたメンバーも攻撃力が上がった。
結果、いつもよりママトトは前進できる事となった。
塞翁が馬、結果よければ全てよし、災い転じて福と為すという言葉が今日の一日の締めの言葉であった。