変装をしたシェリルと共に天城屋旅館を出る。
玄関に向かう途中、何人かの従業員がいたが、その従業員達は揃って俺に……より正確には、俺の腕を抱いているシェリルに視線を向けていた。
その様子から、既にシェリルについての情報は共有されているのだろう。
それでも訝しげな様子なのは、実際にシェリルを見たのは1人だけというのもあるし、今のシェリルが変装をしているからというのもある。
もっともこうして変装をしている時点で何か訳ありだというのは予想出来るので、それがシェリルと結びつくかどうかは……その人次第だろう。
有名人や著名人といった面々が多く泊まるこの天城屋旅館でも、さすがにシェリル級の世界的な有名人とは会う機会がないので、変装している姿を見たところで本物かどうかは分からないといったところか。
そんな従業員達の視線をスルーして旅館の外に出てしまえば、俺の腕を抱いている女がシェリルだと見抜ける者はいないだろう。
変装をしているという点で、久慈川だと思われるかもしれないが……久慈川は160cmない程度の小柄なのに対し、シェリルは170cm近く、女としては長身だ。
また、身体付きも高校生の平均くらいといった久慈川と違い、シェリルは大人の女と呼ぶのに相応しい。
……実はシェリルは時の指輪を嵌めているから、年齢的には久慈川とそこまで離れてなかったりするんだが。
久慈川が高校1年という事は、15歳か16歳。
それに対して、シェリルは17歳の筈だ。
あ、つまり雪子達と同い年なのか。
うーん……人生経験の違いか、とてもではないが同い年には思えないな。
久慈川がどういう理由で芸能人として休養するつもりになったのかは、俺には分からない。
ただ、それでもシェリルの経験と比較すると……いや、こういうのはそもそも比較する方がおかしいのか。
「何だか長閑な場所ね」
シェリルが周囲の様子を見ながらそう言う。
その言葉は、実際にそう間違ってはいない。
稲羽市は田舎だし、しかも過疎化が進んでいる。
どうしても長閑な場所になってしまうのだろう。
「今は久慈川の件があるから、それなりに騒がしいけどな」
「それ以外にも山野真由美の件があるんでしょう?」
「そうだな、それもある」
市議会議員の秘書と浮気をしていたアナウンサー、山野真由美の殺人事件。
足立が起こしたこの事件については、TVの中に入る能力とか、そういうのを公に出来る筈もなく、それ以外にも2階建ての家のTVのアンテナに死体がぶら下がっていた事もあり、TVによって全国放送されてしまった。
いやまぁ、不倫の時点で全国ニュースに放映されていたが。
普通なら山野真由美と生田目の不倫の件は全国ニュースで放送されるようなものではない。
だが、生田目にとって不幸だったのは、妻の柊みすずが演歌界の若きプリンセスと呼ばれるような有名人だった事だろう。
その為に、生田目は市議機会議員の秘書を首になるという結果になった。
結婚相手が悪かったな。
ともあれ、その離婚の件や山野真由美の殺人事件の件もあってマスコミが相応に稲羽市に集まっている。
……あ、でも山野真由美の件から特に事件に進展がないまま2ヶ月近く経っているのを考えると、既に他の事件の取材とかに行ってるのかもしれないな。
ただ、そのマスコミも久慈川の件で戻ってきそうだけど。
そして俺が丸久豆腐店に行った時に見た、久慈川のファン達。
そう考えると、何だかんだと稲羽市に来る者達はそれなりに増えているという事になる。
嫌な街おこしだな。
取りあえず俺はそういう街おこしがあっても、そういう街に行きたいとは思わない。
そんな風に考えている間にも俺とシェリルは歩き続け、やがて商店街に入る。
商店街に入ると、丸久豆腐店が近くなってきたという事もあってか、大分人の姿が多くなってきた……なってきたのだが……
何でこっちにいる?
久慈川に会いに来たのだから、丸久豆腐店の周辺にいるのが普通だろう。
実際、俺が久慈川に会いに行った時は丸久豆腐店の周囲に結構な人数が集まっていた。
多くの者達は丸久豆腐店の中に入ろうとしたのだろうが、稲羽署から派遣されていた警察官がそれを止めていた。
俺が警察官と話している時に店の中から出て来た女のように、普通に買い物に来た相手は通していたらしいが。
そして俺はその女のお陰で店の中に入る事が出来た。
……とにかくそんな状況であった以上、丸久豆腐店の周辺に多くの者が集まっているのはともかく、商店街全体に久慈川のファンであったり、マスコミがいたりするのは疑問だ。
「アクセル、どうしたの?」
「いや、目的地の丸久豆腐店ではなく、こうして商店街全体に多くの者がいるのが疑問でな。……一体何がどうなってこういう状況になっていたのか、ちょっと考えていたところだ」
「そうなの? 普段からこれくらいの人はいるのかと思ってた」
「稲羽市の住人の数を考えると、昼間からこの人数はないな。……夕方くらいになれば、少しは話が違ってくるかもしれないけど。ともあれ、丸久豆腐店に行ってみるぞ。そうすれば何か分かるだろうし」
「ええ、じゃあ行きましょうか。……でも、視線を集めてるわよ?」
シェリルの言葉に周囲の様子を見ていると、それは間違っていないように思える。
実際、結構な人数が俺とシェリルに視線を向けていた。
これ、もしかしてシェリルの正体が……?
そう疑問に思ったものの、すぐにそれを否定する。
もし俺の隣にいるのがシェリルだと知れば、それこそこうしてただ見ているだけではなく、多くの者が殺到するだろう。
だとすれば、何か怪しいとは思っているものの、シェリルだとは認識してないという事か?
……考えてみれば、そうおかしな話でもないか。
久慈川の一件があった場所、こうして帽子にサングラスというあからさまな変装をしているのだ。
実際にはカツラも被っているのだが、それについては不自然に見えてはいないらしい。
ともあれ、そのような怪しい人物がいる以上、シェリルではないと思いつつも、何か怪しいと考えても不思議はない。
とはいえ、6月ですでに初夏という事を考えれば、美容に気を使う者なら帽子やサングラスくらいをしていてもおかしくはない。
その辺の疑問もあって、実際には手を出してきたりはしないのだろう。
そんな視線を浴びつつ、丸久豆腐店に向かう。
丸久豆腐店に近付くにつれて、人の数が少なくなっている。
完全に予想外の事だったが、それに疑問を覚えつつも足を進め……
「ああ、なるほど」
丸久豆腐店が見えてきたところで、この現象についての状況を理解する。
今日俺が丸久豆腐店に来た時は、警察官が1人だけしかいなかった。
だが、今は5人……それも見るからに鍛えていると思しき者達がそこにいた。
それが誰なのかは、考えるまでもなく明らかだ。
美鶴が呼んだ、桐条グループの警備部の者達だろう。
それにしては随分と来るのが早いような気がしないでもないが。
とはいえ、現在この稲羽市で起きているマヨナカテレビ……というかシャドウの一件を思えば、桐条グループに使える手があるのなら美鶴は容赦なく使うだろう。
ただでさえ、この稲羽市で起きているマヨナカテレビの一件以外にも、他の場所でシャドウの結構大きな案件が起きているのだ。
それを思えば、どちらかを出来るだけ早く解決し、戦力の集中投入をしたいだろうし。
桐条グループの警備部を動かすくらいは全く問題がないのだろう。
「どうするの?」
「このまま行く。桐条グループの警備部の人間なら、俺達の事は十分に知ってるだろうし」
シェリルの言葉にそう言い、丸久豆腐店に近付いていく。
それにしても、警備員とかなら普通は青っぽい制服とかを着ているというイメージがあったんだが、丸久豆腐店の前にいる者達はそういうのじゃなくてスーツ姿だな。
警備部の人間というよりは、SPとかそっち系の人間に思える。
まぁ、それについては丸久豆腐店に入ろうとする者達に威圧感を与えるという意味では間違ってないのだが……丸久豆腐店で純粋に買い物をしようとする者に対しても、威圧感を与えるのではないかと心配する。
とはいえ、人当たりの良い人物なら丸久豆腐店の中に入ろうとする久慈川のファンを止めるのは難しいだろうし。
その辺りの事を考えると、こういう威圧感を与える者達がここに来たのは正解なのだろう。
実際、俺がさっき来た時は丸久豆腐店の前に集まっていた者達は誰もいなくなってるし。
……寧ろ、丸久豆腐店の前からはいなくなったが、それでも商店街にまだいるというのは、ファン達を褒めるべきなのかもしれないな。
そんな風に考えながら、俺は丸久豆腐店の前にいる警備員達に声を掛ける。
「中に入りたいんだが、構わないか?」
「はい。アクセルさんの事はお嬢様から聞いています。どうぞ」
警備員達は素直に俺とシェリルを中に通す。
そんな俺に驚愕の視線が向けられるが……その視線の主は、丸久豆腐店から大分離れた場所にある建物の陰。
恐らくあの辺りに隠れてこっちの様子を窺っている者がいるのだろう。
この警備員達を前に、それでもまだ諦めていないのは素直に凄いと思う。
考えられる可能性としては、ただの野次馬ではなく久慈川の熱心なファンといったところか。
とはいえ、結局見ているだけではどうしようもないが。
……あ、もしかして俺の事がネットで晒されたりするか?
そうなったらそうなったで、桐条グループの優秀な弁護士に対処して貰えばいいだろう。
そんな風に思いつつ、俺はシェリルと丸久豆腐店の中に入る。
「いらっしゃい……なんだ、あんたか。どうしたの? また豆腐を買いに来たとか?」
店の中に入ると、久慈川がそう言う。
相変わらず、とてもではないがアイドル……それとも、元アイドルか? そんな風には見えないな。
本人のやる気とか、そういうのも関係してるんだろうけど。
「ちょっと違うな。今度は久慈川に紹介したい奴がいたから連れて来た」
「……一体何を言ってるの? 私は別にそんな事を頼んだりはしてないでしょ」
「だろうな。けど、お前が何かを悩んでいるのなら、それなりに相談には乗ってくれると思うぞ」
「だから……誰かそんな事を頼んだっていうのよ!」
苛立ちと共に叫ぶ久慈川。
実際、俺がやってるのはお節介以外のなにものでもない。
そういう意味では、久慈川が苛立つのも理解は出来る。
出来るのだが……だからといって、そのままにするつもりもない。
それは別に久慈川がりせちーというアイドルだからとかそういう理由ではなく、純粋に今回の事件に巻き込まれる可能性が高いからだ。
足立がこれまで狙ってきた相手の件を考えると……そして何より、人気絶頂だったアイドルとなると、久慈川が狙われる可能性は原作的にも非常に高い。
これで、実は原作にも関わってこないとか、そういう流れは……まずないだろう。
有り得ないという事は有り得ないとか、そんなのはよく聞く話なので、その辺も絶対とは言えないが。
「久慈川には悪いが、こっちの都合だ。……頼む」
シェリルに視線を向けてそう言うと、そのシェリルは少し困った様子を見せる。
芸能人……それも最高峰の芸能人として活動してきただけに、恐らくシェリルにも久慈川の気持ちは何となく理解出来るのだろう。
とはいえ、だからといってそれでシェリルと会わせないとかそんな事になったら、わざわざシェリルをここまで連れて来た意味がない。
シェリルにしてみれば、稲羽市を歩いて回るだけでそれなりに楽しかったのだろうが。
「分かったわ。……じゃあ、こっちに来て。ここで変装を解いてもいいけど、外から見えるかもしれないしね」
「え? ちょ……」
シェリルが久慈川を引っ張って、店の奥というか端というか、とにかく外から見えない場所に移動する。
ちなみに窓は当然だが、扉もガラスで透けて見えるようになっているので、外から覗いている者がいないとも限らないとシェリルは判断したのだろう。
実際、ここにシェリルがいると知られたら、間違いなく騒動になるだろうし。
そうならない為には、やはりシェリルがシェリルであると見破られないようにするのが最善なのは間違いなかった。
俺だけがこうしているのもどうかと思うので、俺もシェリルと久慈川の側に行く。
「全く……何なのよ。どうするつもりなの?」
店の端に移動した久慈川は、こうなってはもうこっちの用事が終わるまでは解放されないと判断したのだろう。
不承不承といった様子でそう言う。
そんな久慈川を見て、シェリルは帽子を脱ぐ。
続けてカツラを外し、サングラスを取り……そうなると、そこにいるのはストロベリーブロンドという特徴的な髪を持つ人物になる。
それを見た久慈川は、一瞬自分の目の前にいるのが誰なのか分からず、戸惑った様子を見せる。
それでもまさかこの場所にいる筈がないという思いではなく、目の前の人物を正しく認識出来たのは芸能界にいた経験からか。
「シェリル……ノーム……?」
小さくそう呟くのだった。