「じゃ、じゃあ……行ってきます」
珍しく鳴上が緊張した様子で、空中にある映像スクリーンに入っていく。
それに続くように、花村、巽、堂島……そしてシェリルが中に入る。
ちなみに一応という事でシェリルの手は堂島が握っている。
シェリルはペルソナ使いではないし、まだTVの中の世界に入るのは初めてだ。
その時は、基本的にペルソナ使いであったり、一度中に入った事がある者であったりと接触していないと入る事が出来ない。
そんな訳で、誰かがシェリルと触れながらTVの中の世界に入る必要があったのだが……鳴上や花村にしてみれば、世界的な有名人のシェリルと触れられる機会だけに、自分がやりたいと立候補した。
ぶっちゃけ、花村がそれを羨ましく思うというのは予想出来ていたいたものの、鳴上までそこに立候補するとは思わなかった。
鳴上はそういうのにあまり興味がないと思っていたんだが……まぁ、鳴上も高校生だ。
そういうのに興味があってもおかしくはない。
巽は……興味はあったようだったが、それを表情に出すのが恥ずかしいと思ったのか、自分は関係ないといった様子を見せていたが。
ともあれそんな面々の中で、結局シェリルの手を握る事になったのは堂島だった。
この辺は、堂島がシェリルの事をそこまで詳しくは知らず、シェリルにそこまで興味がないからだろう。
そんな訳で一行は空中に浮かぶ映像スクリーンの中に入っていくのだった。
「はわぁ……お父さん、シェリルと手を繋いでたよ」
「そうね。……そうね」
菜々子の言葉に早紀がそう言う。
大事な事なので2回言いました的な?
ゆかりじゃないんだから。
ともあれ、早紀の気持ちも分からないではない。
何しろ早紀は堂島に恋をしている。
そんな恋する相手が自分以外の女の手を掴んで、TVの中の世界に向かったのだ。
あるいはこれが、雪子や里中といった見知った相手であれば、早紀もそこまで気にする事はなかっただろう。
だが、堂島が手を握った相手は世界的な歌手として有名な……それ以外にも美貌で有名なシェリルだ。
シェリルが俺の恋人だと断言していても、早紀の立場としては堂島がシェリルの手を握ったのは気になるところだろう。
とはいえ、今の早紀に何かを言ったりすれば、爆発する可能性がある。
それこそ地雷的な感じで、今は放っておいた方がいいのは間違いなかった。
あるいは菜々子に任せておいた方がいいか。
……そう言えば、今更の話だが菜々子は堂島がTVの中の世界に行くのを知ってるんだな。
以前は堂島もその辺については教えてなかったと思うんだが。
俺がいない2ヶ月程の間に、その辺で何かあったという事なのだろう。
だからといって、その件で俺が何かを言ったりはするつもりがないが。
堂島にしてみれば、全てを承知の上で菜々子に教えたんだろうし。
とはいえ、菜々子はまだ小学生だ。
堂島が幾らTVの中の世界の件について他の人に言ったりしては駄目だと言い聞かせても、小学生の菜々子にしてみれば何らかのうっかりでその件についてつい漏らしてしまう可能性も否定は出来なかった。
場合によっては、その件で菜々子が嘘つき呼ばわりされて苛めの対象になるかもしれない。
その辺の諸々を考えれば、やはり菜々子にTVの中の世界の件については秘密にしておくのが最善だと思うんだが。
まぁ、堂島が自分で決めた事だ。
父親がそれでいいと判断している以上、知人でしかない俺がどうこう言っても意味がないか。
「ほら、そろそろ真面目に仕事をするように」
美鶴の言葉に、シャドウワーカーの面々は浮かれた様子のままだったが、それでも仕事に戻る。
早紀は取りあえず菜々子に任せておくとするか。
「美鶴、シェリルが泊まるというのは、旅館の方に言ったのか?」
その言葉に、美鶴は当然といった様子で頷く。
「シェリルが来た以上、そのような事になるのは予想出来ていた。既に旅館の方に話はしてある。……もっとも、増えた人物がシェリルだとは言っていないが」
「けど、シェリルを見た従業員がいる以上、その辺の情報は既に知られていると思うけどな」
「それくらいなら構わないだろう。この老舗旅館で客の情報を迂闊に漏らす者がいるとは思えん」
「けど、温泉はどうするんだ? 温泉に入るには、変装とか出来ないぞ。そうなると、貸し切りにするとか、そういう風にする必要があるけど」
「その辺も多少無理を言って頼んである。普通ならそう簡単に引き受けないのだろうが、幸い今はシーズン前で旅館に泊まっている客も多くはない」
「それなら貸し切りに出来るか」
「ああ。私達はお得意さんだしな」
普通なら、このような老舗旅館に何ヶ月も泊まるというのはそう簡単に出来る事ではない。
もし普通の……それこそ特に有名人でも何でもない人物が同じような事をしようとすれば、それこそ数日泊まったところで一度清算されるように言われるだろう。
だが、ここに俺達は……というか、シャドウワーカーは桐条グループの所属だ。
最近では日本だけではなく世界にも進出している桐条グループだけに、老舗旅館に長期間泊まっても宿泊料金が貰えないということはないと判断しており、そして宿泊料金が貰えるのなら、長期間の滞在はお得意様以外のなにものでもないだろう。
そんなお得意様からの頼み、それも夏休み前でまだ客がそこまで多くはない以上、温泉を一定時間貸し切りにするのは出来る筈だ。
「そうか。なら、シェリルも喜ぶな。……実際、天城屋旅館の温泉はかなり気持ちいいし」
ホワイトスターにある、魔力泉によるスパも悪くはない。
だが、本物の温泉というのは、魔力泉によるスパと同じくらい……あるいはそれ以上に気持ちの良いものだ。
「うむ。シェリルも喜ぶだろう」
とはいえ、世の中には温泉とかそういうのに入る時は薄い服……いわゆる、湯着を着たりする者も多く、日本で言う裸の付き合いには拒否感のある者もいる。
ただ、シェリル……というか、俺の恋人達の場合は夜に行う全員の行為であったり、翌日に全員で風呂に入ったりという事があるので、その辺に抵抗はない。
いや、勿論混浴で誰とも知らない男と一緒の風呂に入るとか、そういう事になれば拒否感はあるだろうが。
もっとも、今回は貸し切りにするので、そういう心配はいらないと思うが。
「さて、そうなると……シェリル達が戻ってくるまで、特にやるべき事はないな。まさかこれからまた街中に行くのもどうかと思うし」
丸久豆腐店に顔を出してくるか?
そうも思ったが、そろそろ夕方近くになり、夕食に使う豆腐を買いに来る客も多くなるだろう。
久慈川も忙しいだろうから、そこに俺が顔を出すのはどうかと思う。
それにシェリルの件もあって、俺が丸久豆腐店に行けば色々と聞かれるだろうし。
あるいは久慈川のファンが何か妙な行動を……いや、それはないか。
もし何かをしようとしても、美鶴の派遣した桐条グループの警備員が対処するだろうし。
問題なのは、警備員が久慈川のファンだと思えない相手がいた場合、どうなるのかという事だろう。
一見すると久慈川のファンには見えず、普通に丸久豆腐店で買い物をしようとしている客のように見える。
だが実際には久慈川を相手に何か妙な事を考える……そんな者がいないとも限らないのだ。
もっとも、警備員もプロだ。
それこそ桐条グループの警備員は、その辺にいる……仕事がなくて警備員になったというような者ではなく、厳しい訓練を受けた警備員だ。
場合によっては重要人物の護衛……いわゆるSPも出来ると聞いた事がある。
だとすれば、自分は久慈川のファンではありませんとか、そんな風に装っている奴がいても、対処出来るだろう。
「アクセル、もし暇なら温泉にでも行ってきたらどうだ?」
「ん? まぁ、そうだな。特に何かやるべきことがある訳でもないし、それもいいか」
美鶴の言葉に頷き、俺は温泉に行く事にする。
雪子や里中の様子を見に行こうかとも思ったが、それはそれで面倒な事になりそうだしな。
シェリルの事が実は嫌いだったとか?
それはそれで分からないでもない。
世の中に何にでも好む者がいると同時に、嫌う者もいる。
シェリルの歌が生理的に駄目、容姿が気にくわない。そんな者がいてもおかしくはない。
あるいは単純に、シェリルの歌が売れているのが我慢出来ないと思うとか。
それでもシェリルは基本的にメディアに出ないので、嫌う者はそこまで多くはないと思う。
もしシェリルがメディアに出ていたら、その強気の性格から気にくわないという者はもっと多かっただろうし。
勿論、そういう……いわゆるアンチ以上に、シェリルの歌を好み、外見に憧れ、その存在を素晴らしいと思うファンは多いのだろうが。
でなければ、マクロス世界で銀河の歌姫と呼ばれるような事はなかっただろうし。
そんな風に考えつつ、一度部屋に戻って温泉に入る準備をする。
とはいえ、持っていくのは着替えやタオル、後は風呂で使う諸々だけだが。
夕方のこの時間、温泉に入っている者達はどれくらいいるんだろうな。
そんな風に思いながら温泉に向かうと……数人がいた。
しかも全員が見覚えのない顔だという事は、シャドウワーカーの関係者ではなく、普通の宿泊客だろう。
夏前でシーズンからは少し外れているんだが……あるいは少しシーズンから外れて、客の数が少ないだろうと予想して今この天城屋旅館に泊まってるのかもしれないな。
向こうが軽く頭を下げてきたので、俺もそれに軽く返してから軽く身体を洗い温泉に入る。
ふぅ……気持ちいい。
風呂は命の洗濯だってのは、一体何の台詞だったか。
そんな風に考えながら、ゆっくりとした時間を楽しむ。
そうしていると、1人、また1人と風呂から上がっていく。
俺が入ってくるタイミングがちょうと他の面々の上がる頃合いだったのか、それとも俺に何かを感じて風呂から上がったのか。
その辺は少し分からなかったが、その辺についてはそこまで詳しく考える必要はないだろう。
……あ、そうだ。風呂に俺1人だけになったし、ちょっと試してみるか。
他に客がいた場合は、ちょっと出来ない……というか、少し目立ってしまうのでやらなかったのだが。
今は俺1人なのでちょうどいい。
湯に浸かっている腕を、ゆっくりと……決してお湯を蒸発させないような、それでいてお湯で消えないようにしながら温度調整をしながら白炎にする。
「っと」
少し白炎の温度調整をミスったか、温泉のお湯が一瞬にしてかなり上がる。
沸騰までいかなかったのは、白炎を上手くコントロールしたお陰だろう。
かなり熱めの湯になったのを確認しつつ、温泉を楽しむ。
俺の場合、それこそマグマに浸かっていても、それが魔力とか気とかそういうのが関係なければ、全く問題ない。
沸騰もしていないお湯に浸かるのは、それこそ快適ですらある。
ましてや、今の温泉は普段より少し……実はそれなりに熱くなってるだけなので、それこそ俺が出てから誰かが入っても、少し熱いと思うかもしれないが、入れない程じゃない。
江戸っ子とかは温泉とか銭湯は熱いお湯がいいらしいから、多分大丈夫だろう。
……ここは東京でも江戸でもないから、ちょっと厳しいかもしれないが。
そんな風に思ってると、誰かが風呂に入ってくる。
「む。……アクセルか」
そう言ってきたのは、筋骨隆々……そして強面で、その身体には多数の傷がついている男、ムラタ。
天城屋旅館はどうか分からないが、入れ墨とかがあると銭湯とか温泉とかには入れないって話を聞いた事があるけど、ムラタのように身体に傷のある男はどうなんだろうな。
それも見るからに斬り傷とか、銃で撃たれた傷とか、そんな傷があった場合とか。
「そう言えば、ムラタは今日はTVの中の世界に行ってなかったな。修行でもしてきたのか?」
「そうだ。……どうせ今日はシェリルが一緒に行ったのだろう? であれば、わざわざ俺が一緒に行く必要はない」
「それはそうだが」
ただ、俺の知る限りだとムラタがTVの中の世界に行くのは、あくまでも自分の訓練の為だった筈だ。
鳴上達の護衛というか、お守りというか、そういうのじゃなかったと思うんだが。
あるいはペルソナ世界で訓練をしているうちに、鳴上達にある程度の情が移ったのかもしれないな。
……ムラタの性格を考えると、それはないか?
その辺については俺が余計な事を考えるより、気にしないようにしておいた方がいいか。
そんな風に考えながら、俺は温泉に浸かっていたのだが……
「む……今日はいつもより少し熱いな」
温泉に入ったムラタは、そんな風に言う。
どうやら普通に温泉に入っていても分かるくらいには熱くなっていたらしい。
もっとも、そんな風に温泉を熱くしたのが俺だとは気が付かなかったようだが。
ただ、言ったのはそれだけでムラタはゆっくりと温泉を楽しむのだった。