雪子の口から出た、自分は独占欲が強いので、複数の恋人がいる俺と付き合えない。
それは日本で……しかも老舗旅館を経営する母親から教育を受けてきた事を想えば、無理もないことなのだろう。
「そうか。……それが雪子の選択なら、仕方ないな」
何と言うか、別に俺からは告白してないのに、フラれたかのような思いがある、
とはいえ、俺が雪子を憎からず思っていたのも、事実。
多分だが、もし雪子が俺に愛の告白をしてきた場合、俺はそれを受け入れただろう。
だが……それも、今はもうない。
「ええ。自分でも馬鹿だとは思ってます。けど、今以上にアクセルさんを好きになる前に、こうして自分の気持ちを口にして、はっきりとさせておきたかったので」
そう言う雪子は、複雑な……本当に複雑そうな表情でそう言う。
雪子の中にどのような複雑な感情があるのかは、俺にも分からない。
だが、雪子の様子を見ればそれがどういうものなのかは大体想像出来るのも事実。
「分かった。なら……」
そろそろ戻ろう。
そう言おうとしたところで、それを遮るように雪子が1歩前に出る。
「最後に1つ、お願いがあります」
「何だ?」
「私の初めてのキス……アクセルさんが貰ってくれませんか?」
「……いいのか?」
雪子の想いの全てを俺が分かる訳ではない。
だが、それでも雪子が決して俺を嫌っている訳ではないということは理解出来る。
ある意味、主義の違いといったところか。
それだけに、雪子が自分の初めてのキス……いわゆるファーストキスを俺にして欲しいというのは、雪子の中にある想いと矛盾しているように思えた。
「はい。……アクセルさんとの最後の思い出に。そしてこれから私が生きていく上で、初めての唇をアクセルさんに捧げた事は、私にとって決して忘れず、いつまでも色褪せない思い出になるので」
そう言い、俺に向かって顔を上げ、目を瞑る雪子。
ここで雪子の頼みを断るような事はさすがに出来ない。
俺は雪子の肩と腰を抱き寄せ、そっと雪子の唇に自分に唇を重ねる。
夜の行為で行うような、舌を絡ませるようなキスではなく、唇と唇を重ねるだけの、そんなキス。
そうして唇を重ねたまま、1分程が経過し……俺と雪子の唇は離れる。
「……ふふっ、初めてのキスがこんなに幸せなキスなのって……喜んでいいのかしら」
つう、と。
嬉しそうな笑みを浮かべつつも、雪子の目からは一筋の涙が流れる。
だが、雪子はその涙の存在を理解していても、拭うことはない。
涙を流したまま、笑みを浮かべて口を開く。
「じゃあ……私は先に旅館に戻ります。手伝いをしないといけないので。……さようなら、アクセルさん。大好きでした」
そう言い、雪子は俺の前から立ち去るのだった。
「そう、か。……どうも今日は様子がおかしいと思っていたが……」
夜、既にシャドウワーカーのとしての仕事も終えた美鶴は、俺の隣に座って体重を預けながら雪子との一件についてそう言う。
実際、今日の雪子はTVの中の世界で行われた訓練でも、かなり動きが鈍かったらしい。
美鶴もそれを疑問に思い、その理由について聞かれたので、俺は神社での雪子の告白について話したのだ。
「俺は泊まる場所を移した方がいいと思うか?」
ふと気になり、美鶴に尋ねる。
雪子本人としては、神社の一件で自分の気持ちにけりを付けたつもりなのかもしれない。
だが、そのけりを付けた筈の相手が天城屋旅館に泊まり続けるとなると……それは雪子にとって、決して好ましいことではない筈だ。
それこそ誤解を承知の上で言えば、俺は雪子と同じ屋根の下で眠っているようなものなのだから。
雪子が俺を見て色々と思うところがあり、それによってTVの中の世界での戦いで十分に実力を発揮出来ないとすれば、俺は天城屋旅館にいない方がいいのではないか。
そう思って尋ねたのだが、美鶴は即座に首を横に振る。
「それは逆効果だ。この状況でアクセルが天城屋旅館からいなくなった場合、雪子は強いショックを受けるだろう。それこそ、今日よりも大きなミスをする可能性は十分にある」
「そういうものか? けど……何と言うか、自分がフッた相手が近くにいるのは、雪子にとってもあまり好ましいことじゃないと思うけど」
「そうかもしれん。その辺りは私が言う事でもないが、人によって違うだろうしな。私やゆかりは、アクセルのことを全て承知の上で恋人となった。雪子はそれが無理だった。……端的に言えばそれだけなのだが、それでも雪子にとって今ここでアクセルがいなくなるのだけは絶対に駄目だ。アクセルの恋人ではなく、1人の女としてそう断言させて貰う」
そう言う美鶴の表情は、決して冗談を言ってるようには思えない。
本気で今のようなことを言ってるのだろう。
だとすれば、やはり俺がここにいた方がいいのかもしれないが……
「けど、俺がこのまま天城屋旅館に泊まっていれば、雪子にとってて気まずいままだぞ? それこそ調子の悪さがずっと続く可能性もある」
「しかし、ここでアクセルがいなくなったら、その時に彼女が抱く不安は今の比ではない筈だ」
美鶴の言葉が正しいのかどうかは分からない。
だが、こうして断言している以上は、そのように思う根拠があるのだろう。
……もっとも、その根拠が何だと聞いても、恐らく返ってくるのは女としての勘とか、そんな感じなのだろうけど。
そして俺が知る限り、こういう時の美鶴の勘……というか、俺の恋人達の女の勘が外れるような事はまずない。
つまり、俺が天城屋旅館から出た場合、それは余計に雪子を傷つけるだけという事になるのだろう。
「分かった。美鶴がそこまで言うのなら、俺も天城屋旅館からいなくなったりはしない。……とはいえ、雪子が戦力として期待出来なくなるというのはちょっと痛いと思うぞ?」
雪子のペルソナは、アギ系を得意としている。
他にも回復魔法をある程度使える。
……回復魔法については、花村のペルソナでも多少は使えるのでフォロー出来るが、アギ系は雪子のペルソナか……あるいは、複数のペルソナを使える鳴上のペルソナに頼るしかない。
TVの中の世界で出てくるシャドウの中には、アギ系だけが弱点とか、そういうのもいる。
そういうシャドウと戦う時、雪子が不調なのはちょっと厳しいだろう。
「その辺はこちらでフォローしよう。五飛かムラタが一緒に行けばフォローは可能な筈だ」
五飛もムラタも、アギ系……というか、火系の攻撃方法はない。
だが、それでも気を使った攻撃が可能なのは大きいだろう。
特にムラタの場合は神鳴流が使えるのはかなり大きい。
だからこそ、アギ系の弱点を完全にではないにしろ補う事が出来る。
……ちなみに美鶴もここで俺の名前を出さないのは、雪子の事を考えてなんだろうな。
もしここで俺が雪子と一緒に行動するという事になったら、それこそ雪子の調子が悪いままになるだろうし。
「分かった。その辺は美鶴に任せる。俺がTVの中の世界に行く時は、堂島と一緒に行動した方がいいみたいだな。あるいは俺だけで行くか」
「そうしてくれ。……もう1つのシャドウの方が無事に解決出来れば、こちらに戦力を集める事も出来るのだがな」
「そうなってくれるのがこっちとしても楽なのは間違いないけど、それはまだ難しいんだろう?」
そう尋ねると、やはりと言うべきか美鶴は頷く。
実際、もう1つの方……月光館学園組が来てくれれば、かなりの戦力になる。
月光館学園組というのは、もう正しくないか?
もう殆どが月光館学園を卒業してるんだし。
とはいえ、そうなると別の呼称がある訳でもない。
原作主人公的な意味で、有里組とか?
「分かっている。私もそれについては心配しているのだが、今のところはこちらにある戦力でやるしかないだろう。……もっとも、純粋に戦力として考えれば十分なのは間違いないが」
そんな風に言いつつ、俺と美鶴は恋人同士でありながら、決して甘くはない夜をすごすのだった。
「アクセルさん!」
雪子の件があってから数日、俺が街中を歩いていると、不意にそんな声が聞こえてくる。
今はもう午後で、学校も終わっている時間だ。
その為、周囲には学生も多いのだが……その声の聞こえてきた方向に視線を向けると、そこには久慈川の姿があった。
ただし、丸久豆腐店を手伝っていたような割烹着の類ではなく、TVの中の世界にいた時の私服でもなく、八十神高校の制服を着て。
「久慈川?」
「ちょっと、私の声を忘れたっていうんですか?」
拗ねた様子を見せる久慈川だったが、俺はそれに頷く。
「以前は俺を呼び捨てにしていたのに、何で急にさんづけなんかするようになったんだ?」
「えー、だって。アクセルさんは私を助けてくれた人だし。あの人の恋人のアクセルさんを呼び捨てになんか出来ないわよ」
その言葉に、久慈川が誰の事を言ってるのかを理解する。
やはりシェリルを久慈川に会わせた事は、大きな意味があったらしい。
……もっとも、その名前を出すと色々と危険だというのを理解しているのか、直接その名前を呼ぶような事はなかったが。
「それにしても、随分と吹っ切れたみたいだな」
シェリルについての話題はしない方がいいだろうと判断し、そう話題を移す。
だが実際、俺が最初に会った時、そして丸久豆腐店の中で会った時の久慈川に比べると、間違いなく明るくなっている。
いや、これは明るくなっているというよりも……りせちー度が増していると表現した方がいいのか?
TVの中の世界で自分のシャドウを受け入れたのが、こうした感じになった大きな理由なのだろうが。
「うん。色々と……本当に色々とあったけど、今はこれが私。アクセルさんにも感謝してるわ」
そう言い、笑みを浮かべる久慈川の表情に暗いところはない。
見せ掛けだけではなく、本気で吹っ切れたといった感じだ。
「そうか。なら、いい。……そろそろTVの中の世界に行く事になるんだったよな?」
「うん。ペルソナ使いになったことが関係してか、ちょっと体調を崩していたけど、今は、もう大丈夫だから」
そんな風に久慈川と会話をしていると……
「おい、あれりせちーだろ? 話してるのは誰だ?」
「くそっ、学校では声を掛けるのが無理だったから、学校が終わってからならと期待していたのに」
「あ、ちょっと待て。俺知ってるぞ。最近はちょっと見なかったけど、少し前に天城越えを達成した奴だ」
「うげ、マジか? あの天城越えを……? って、ちょっと待て。じゃあ、何だ。あいつは天城とりせちーという、八十神高校の2大美人を独り占めしてるってのか!?」
「いや、りせちーは美人じゃなくて可愛いだろ。将来的には分からないけど」
「ああ? てめえ、やる気か?」
そんな会話が聞こえてくる。
雪子との件、まだ覚えてる奴がいたんだな。
とはいえ、雪子にはしっかりとフラれている。
……いや、あれはフラれているって表現でいいのか?
その辺はどう表現すればいいのか分からないが、とにかく面倒な事にならないといいんだが。
「アクセルさん……天城先輩と何かあったの?」
さすが元芸能人と言うべきか。
あるいは単純に俺の顔に出やすいだけなのか。
とにかく、久慈川は聞こえてきた会話の内容と俺の様子から、俺と雪子の間に何かがあったのだろうと予想したらしい。
「ちょっとな」
「天城屋旅館に行くまでちょっと時間があるし、話を聞いてもいいけど?」
「いや、止めておくよ」
雪子との一件は、そう簡単に人に話せる事ではない。
美鶴には話したが、美鶴の場合は俺の恋人でもあるという事で、関係者の1人だし。
そんな美鶴と違い、久慈川はこの件には全く関係がない。
……いや、全く関係がないという訳ではないのか。
久慈川もこれから鳴上と一緒に行動するようになれば、当然ながら雪子とも一緒に行動するようになる。
他にも天城屋旅館にある大広間を拠点として使う以上、美鶴と接する事も多いだろう。
特に雪子との関係は、一緒に戦闘をする事になるのだから大きい。
ただ……そちら関係については、やはりそう簡単に言える事ではなかった。
「ふーん、そう。そうなんだ……」
「久慈川?」
「何でもないですよーだ」
何故か拗ねてしまう久慈川。
これは一体どうすればいいんだ?
少し迷ったが、聞いておかないといけない事もあった。
「そう言えば、久慈川のペルソナはどういう能力を持つんだ?」
「え? うーん、そうね。……戦闘能力という意味ではあまり期待出来ないと思う」
「……それは……」
「ごめんね、役に立たないようで」
そう言う久慈川だったが、俺はそれに対して首を横に振る。
「いや、違う。それはもしかして、バックアップに特化したペルソナじゃないか? だとすれば、こっちにとってはかなりありがたい事だぞ」
「え?」
俺の言葉に、久慈川は意表を突かれたように声を上げるのだった。