「ほ……本当にくまがいる……」
花村が唖然とした様子で呟く。
どうやら学校が終わって家に行ったところで、俺が頼んだ伝言を聞いたらしく、全速力で天城屋旅館までやって来たらしい。
そして大広間で美鶴を含めたシャドウワーカーの面々に話を聞かれていたくまを見て、思わずといった様子で呟いたのだ。
「陽介、助けてくま……」
そのくまは、花村に助けを求める視線を向ける。
まぁ、分からないではない。
美鶴とシャドウワーカーの面々から、次々に質問されていたのだから。
美鶴にしろ、シャドウワーカーにしろ、TVの中の世界についての情報は、少しでも多く欲しいのだろう。
これがタルタロスとTVの中の世界が同じなら、そこまで熱心に話を聞いたりはしていない。
だが、TVの中の世界とタルタロスは、似ているようで違う。
その結果として、美鶴とシャドウワーカーの面々は少しでも多くの情報を集めようとしていたのだろう。
とはいえ、鳴上達から話は聞いてるだろうし、美鶴もそれなりにTVの中の世界には入っている筈だ。
だが……それでも、くまのようにTVの中の世界で暮らしている訳ではない以上、分からない事も多いのだろう。
ただし、美鶴もTVの中の世界に入れる以上は、くまに会ったりもしていた筈だ。
その辺の状況を考えると、何故今ここでこうして必死になってくまに事情を聞いてるのかは分からなかったが。
あるいはくまが現実世界に出て来たという事で、今までは分からなかった何かを知る事が出来るかもしれないとでも思ったのか。
ともあれ、現在のくまはかなり急がしい事になっていたのは間違いない。
「あー……うん。悪い。俺、ちょっと家の手伝いがあるから戻るよ」
「ちょっ、見捨てるくまかっ!?」
花村の言葉に、くまが必死に叫ぶ。
このままだと本当に見捨てられると、そのように思ったのだろう。
実際、それは間違っていないように思えたし。
俺が花村の立場でも、多分見捨てていたな。
「花村、くまの件はともかくとして……今日はTVの中の世界に行かないのか? 家の手伝いをするとなると、そんな時間はないと思うけど」
「え? あ、そうですね。出来ればある程度は行きたいところですけど……シャドウと戦って、レベル上げしたいですし」
「レベルって……あのねぇ、ゲームじゃないんだから。花村はちょっと勘違いしてない?」
花村にそう言いながら姿を現したのは、里中。
俺を見て一瞬申し訳なさそうな表情を浮かべる。
……ん? 申し訳なさそうな表情?
最近の里中は、俺が雪子を傷つけたという事で敵視……とまではいかないが、それでも決して友好的な感じではなかった。
だが、今こうして俺を相手にそんな表情を浮かべているのは……もしかして、雪子から事情を聞いたのか?
それを聞いて、自分が今まで俺に向けてきてた感情は理不尽なものだと理解し、それでこうした表情を浮かべるようになったとか。
……可能性はあるが、だからといってそうなのか? と俺から聞く訳にもいかないし。
もしここで聞いたら、俺であってもデリカシーがないというのが分かる。
里中にとっても、絶対にここで聞かれたいような事ではないだろう。
「里中、お前……あれを見ても驚かないのか!?」
「いや、驚くよ? 驚くけど……花村がもの凄い驚いているのを見たら、何だか私が驚くのはどうかと思うようになって」
「何だよ、それ」
花村が不満そうな様子で言うが、その話を聞いていたシャドウワーカーの中の何人かは、分かるといったように頷いている。
実際、俺もその里中の言葉は分からないでもない。
本来なら驚くべき状況において、自分よりも早く、そして大きく驚いている者がいた場合、何だといったように思ってしまうのは仕方がない事なのだから。
「いや、だから驚いてるわよ? 本当に驚いているんだってば」
「千枝ちゃん……じゃあ、くまを逆ナンして欲しいくま!」
「……美鶴さん。そのくま、処刑してもいいですよ」
「ちょっ、千枝ちゃん!?」
くまの言葉に里中が冷たい視線でそう告げる。
里中も処刑というのは分かっていたんだな。
これも多分、俺の知らないところで美鶴と里中の交流があったからなのかもしれないが。
それにしても、まさかくまが逆ナンネタを雪子ではなく里中に使うとは思っていなかった。
里中は自分が女だというのは理解しているだろうが、恋愛とかそういうのにはあまり興味がないように思える。
その為、逆ナンといわれて過剰に反応したというところか?
里中の言葉に美鶴が笑みを浮かべてくまを見る。
そんな美鶴の様子に、くまは危険を感じたのか、次の瞬間……
「……は?」
それを見ていた俺の口から、自分でも分かるような間の抜けた声が出る。
声を発したのは俺だけではなく、他の者達も同様だ。
いや、声を発する事が出来たのはまだいい方だろう。
何しろ、声すら発することが出来ない者達もそこにはいたのだから。
一体何が起きたのか。
それは、くまの身体……首の辺りか? その辺りのジッパーが開き、1人の男が姿を現したのだ。
俺が以前聞いた話によると、くまの中身はいなかった筈だ。
言わば、着ぐるみがそのまま意思を持って行動しているといったような、そんな感じ。
だというのに、一体何故中身が出来ているのか。
「お……お前……一体……何で、何で、何で、中身があるんだよ!」
叫ぶ花村。
その隣では、里中も唖然とした様子でくまの中身を見ていた。
俺も驚きつつ、くまの中身を確認する。
顔立ちは整っており、年齢的には花村や里中と同じか、少し年下といったくらいか?
それこそくまがよく言う、逆ナンされてもおかしくはない外見をしている。
……もっとも、それはあくまでも外見だけだ。
性格がくまと同じなら、最初は逆ナンをする者もいるかもしれないが、途中で投げ出す者も多いだろう。
あるいは外見が良ければどうでもいいといったような者の場合は、くまを受け入れる可能性もあるが。
「今のうちに逃げるくま!」
そう言い、こっちが唖然としている間に美鶴から逃げようとする。
なるほど。何故いきなりそんな事をしたのかと思ったが、こっちの意表を突いて逃げ出す為か。
とはいえ……こんな不思議な現象を起こしたくまを、あっさりと見逃す訳にはいかない。
くまにとって不幸だったのは、俺の前でこんな不可思議な光景を見せた事だろう。
これがもし何か別の手段……俺が興味を抱かない方法で逃げたのなら、捕らえるつもりにはならなかっただろうし。
それに何より、今のくまは着ぐるみを脱いだ状態……素っ裸だ。
素っ裸のくまが天城屋旅館の中を爆走するような事になったら、間違いなく注意されることになる。
最悪、猥褻物陳列罪で稲羽署に連絡をされる可能性すらあった
そんな訳で、俺はパチンと指を鳴らす。
同時に俺の影から影槍……というよりは紐に近い細さの影が伸びて逃げ出そうとするくまを捕らえる。
「く……くまぁ……」
影槍だから感触とかそういうのはないけど、素っ裸の男をこうして捕らえているというのは、絵面的にちょっと問題があるな。
「誰か、服を」
細い影槍に縛られたくまを見た美鶴が、すぐにそう言う。
シャドウワーカーの中でも女の何人かは、縛られるくまに目を奪われていたが、美鶴の言葉で我に返る。
……我に返るのだが、それでもじっと見ていたり、手で目を覆いつつも指の隙間から覗いていたりする。
そして男のシャドウワーカーが、少し離れた場所に置いてある自分の荷物から着替えを持ってくると、縛られているくまの前に置く。
「アクセル」
美鶴の言葉に指を鳴らして影槍――既に槍ではなくロープとかそういう系だが――を解除する。
「くま、まずはその服を着ろ。……私の前のその粗末なものを早く隠せ。でなければ……」
そこまで言うと、美鶴は問答無用で召喚器の銃口を自分の頭部に向ける。
それが何を意味するのかは明らかだ。
実際、シャドウワーカーの中には恐怖か、もしくは処刑の時の寒さを思い出したのか、振るえている者すらいた。
「わ、分かったくま!」
脳天気なくまも、現在の自分の状況をすぐに理解したのだろう。
自由になると、慌てて自分の前に置かれた服を着る。
「これでいいくま? その物騒な物を外すくまよ」
物騒……物騒か。
そういう言葉が出るという事は、くまは拳銃を知ってるのか?
TVの中の世界でどうやって拳銃について知った?
一瞬そう思ったが、考えてみればそもそもTVの中の世界でどうやってメガネを作っているのかという事にもなる。
多分その辺はご都合主義というか、俺には分からないような何かがあるんだろうけど。
「ふむ、いいだろう。しかしくまがこのまま逃げるようなことがあれば、私はペルソナを使う事を厭わない。それを理解した上での言葉と考えてもいいな?」
「く……くま……」
美鶴の言葉にくまが口に出来るのは、それだけだった。
「え? くまをうちでですか? それ……マジで言ってます?」
大広間で尋問されているくまを見ながら、花村は困った様子でそう言ってくる。
花村にしてみれば、俺の提案はそれだけ予想外というか、受け入れられるものではなかったのだろう。
「そのつもりだ。くまが出て来たのは、ジュネスの家電売り場にあるTVだ。あのTVから行く、TV局のセットのような場所がくまの住居だろう。なら、いつでもそこに行けるように、ジュネスの近くにくまがいた方がいいと思う」
「でも……だからって、俺の家でくまの面倒をみれってのは……そもそも両親が納得しませんよ」
困った様子の花村。
とはいえ、実際その言葉は間違っていない。
普通に考えて、いきなり人を1人居候させろというのが無理難題なのだから。
だが、くまが住んでいたという事で、あのTV局のセットのような場所に何かがあるのは間違いないと思う。
そう考えると、くまは出来れば花村に匿って欲しい。
「えっと、アクセルさん。一応聞きたいんですけど、TVの中の世界ってTVの位置とかそういうのじゃなくて、そのTVによってどこに繋がるか決まってるんですよね?」
「ん? まぁ、そうだな、今のところはそういう感じだ」
「なら、その……アクセルさん達というか、シャドウワーカーであのTVを買うのはどうです? あのTVがここにあれば、くまも別に俺が引き取る理由はないですし」
花村の提案は俺が考えたことでもあったりする。
実際、このマヨナカテレビの事件のことを考えれば、間違いなくそうした方がいいのも事実だし。
だが……同時に、不安要素もある。
「知っての通り……というか、これはまだ確定してる訳じゃないが、とにかく足立があのTVを使って現実世界に戻ってきている可能性もないとは限らない。そうなると、最悪の場合は足立がこの大広間に出てくる可能性もある訳だ。……その時、もしかしたら上手い具合に捕らえられるかもしれないと思えば、悪くない話でもあるのは間違いないが」
「えっと、それは不安要素なんでしょうか?」
「正確には、不安要素でもあるだな。美鶴を始めとしたシャドウワーカーの面々はそれなりに鍛えているけど、足立に不意打ちを食らったりしたら対処するのは難しい。それに……足立の性格を考えると、俺達じゃなくて他の相手、具体的には天城屋旅館の従業員や客を襲うという事も考えられる」
足立は仮にも刑事だった男だ。
シャドウワーカーとしてそれなりに鍛えており、足立の存在を知っている者達であれば、何かあっても対処は出来るだろう。
だが、天城屋旅館の従業員や客は、特に鍛えている訳でもなければ、足立の件についても殆ど知らない。
……まぁ、天城屋旅館は老舗旅館だけに、政治家とか会社の会長とか、地位のある人物が泊まる事も多い。
そういう者の中には護衛を連れている者もいるかもしれないから、そう考えれば絶対に足立に対処出来ないという訳でもないんだろうが。
とはいえ、温泉とかに入ったりしている時に宿泊客と接する機会はあるものの、ボディーガードとかSPとか、そういうのを伴っている者を見た事はない。
天城屋旅館が老舗旅館で、社会的地位のある者が泊まるというのは間違いないんだろうが、それでも日本で最高という訳ではない。
本当に偉い人、それこそ日常的にボディーガードやSPを側に置いている者は天城屋旅館よりももっと格上の旅館に泊まっているのだろう。
そういう意味でも、足立に対処出来る客がいるとは思えなかった。
「それは……まぁ、そうですけど。でも、それならジュネスに置いておくのも危険じゃないですか?」
「今までのところは大丈夫だっただろう? それにジュネスなら夜中には刑事とかが見回りをしてるから、足立も迂闊な行動は出来ないし」
足立がジュネスだけではなく、他の場所でも盗みを働くようになったのは、それが原因でもあるのだろう。
もっともそのお陰で、ジュネス以外にも見回りを派遣する必要が出来て、結果としてジュネスを見回す刑事の数は少なくなったのだが。
「それに……お前達はフードコートを溜まり場にしてるだろう? TVを天城屋旅館に持ってくれば、そういうのも出来なくなるんじゃないか?」
その言葉に、花村は意表を突かれた表情を浮かべるのだった。