「うわぁ……結構いいじゃない」
ゆかりの嬉しそうな声が周囲に響く。
とはいえ、そこまで大きな声ではないし、他の皆も興奮したり周囲の状況に目を奪われているのか、ゆかりに視線が集まったりはしない。
もっとも、今日のゆかりは浴衣姿だ。
そういう意味では色々と視線を集めてもおかしくはないのだが。
周囲からは、どこからか笛の音であったり、太鼓音が聞こえてくる。
あるいは食欲を刺激するような香りも漂っていた。
そう、現在俺達は祭りに来ていた。
今日は8月20日。
ゆかりが稲羽市に来てから、何だかんだと既に1ヶ月近くが経っており、そろそろ東京に帰らないとという事で、稲羽市におけるこの夏最後の大きなイベントという事で、祭りに来たのだ。
「確かに結構凄いな」
俺もゆかりの言葉に同意するように、周囲の様子を見て呟く。
正直なところ、祭りと言ってもそんなに大きな祭りではないだろうと、あまり期待はしていなかったのだが。
だが、そんな俺の予想を裏切るかのように、結構な量の夜店が出ていて、参加している人の数も多い。
「ね、アクセル。まずはどこから回る?」
「うーん、焼きそば、お好み焼き、たこ焼き、イカ焼き……どれも美味そうだな」
食欲を刺激する暴力的な香り。
ソースや醤油が焦げる香りというのは、どうしてこうも食欲を刺激するんだろうな。
実際にはこういう祭りの屋台で出ている料理というのは、決して美味い訳ではない。
焼きそばでも麺とキャベツは多いが、肉は本当に少し。
お好み焼きもキャベツがかさ増しされているし、たこ焼きにいたっては場合によってはたこが入っていないたこ焼きだったりする。
イカ焼きは……誤魔化しようがないから、そういう意味ではお勧めなのか?
とはいえ、祭りの屋台で食べる料理というのは味ではなく雰囲気を楽しむものだ。
くじ引きの類だって、紐を引っ張るくじでは高価な商品には繋がっていなかったり、射的でも商品は何らかの方法で固定されていたり、型抜きもどんなに綺麗に型抜きをして店主が駄目と言えば駄目といったように。
こうして考えると……いや、うん。祭りというのは雰囲気を楽しむものだしな。
「イカ焼きを食おう」
それでも一番誤魔化しの効かないイカ焼きを選んだのは、妙な事を考えたからだろう。
「いいわね、それ。……あ、でも折角アクセルと2人だけのデートなんだし、浴衣が汚れるのはちょっと」
そう、この祭りに来ているのは俺とゆかりの2人だけだ。
正確には他の面々も祭りには来ているんだが、俺とは別口となる。
これは美鶴の気遣いだ。
もう数日もすれば、ゆかりは東京に戻る。
夏休みが終わるまでは、まだそれなりに時間はある。
ただ、夏休みが終わる前に色々と準備をする必要もある以上、東京に戻ってからもある程度の時間が必要となる。
その為、ゆかりはそのある程度の時間の余裕を考えてもう数日程で東京に戻るのだ。
もっとも、戻るのは俺の影のゲートを使ってだが。
何しろ稲羽市から東京まで行くとなると、電車か車が必要になる。
どちらにしろ、数時間もの時間が必要だった。
特に電車は途中で何度か乗り換える必要もあり……その時間を考えると、移動時間は無意味な時間に思えてしまう。
これがあるいは俺も一緒に東京に行くのなら、その数時間も話をしたりして時間を潰せるのだが、残念ながら俺はこっちに残るし。
それならわざわざ数時間も使って電車や車で移動するのではなく、俺が影のゲートで転移させてしまった方が手っ取り早いだろう。
「なら、取りあえず俺の分だけでも買ってくる。ゆかりは……かき氷とかどうだ?」
「あ、それはいいわね。夜なのにまだ暑いし」
俺は混沌精霊なので、暑さや寒さは特に気にならない。
……何しろ生身で宇宙空間に出られるのだから、暑さや寒さなど関係ある筈もなかった。
「じゃあ、かき氷も買うか」
そう言い、まずイカ焼きを買う。
醤油の焦げる香りが食欲を刺激し、その欲求に促されるままにイカを囓る。
最初に口の中一杯に醤油の香りが広がり、次に香ばしく焼かれたイカの表面の食感が、そして最後に中央の柔らかな部分の食感が楽しめる。
「美味い」
決して高級店では出て来ないチープな味付けだが、それが今は最高に美味い。
「アクセル、一口ちょうだい」
浴衣が汚れるかもしれないと言っていたゆかりだったが、俺が食べているのを見て自分も食べたいと思ったらしく、そう言ってくる。
「ほら」
イカ焼きをゆかりの方に差し出すと、それを囓るゆかり。
……何だか数人の男から嫉妬の視線を向けられたが、これはいつもの事だ。
いや、デートで一緒にいるのがゆかりだけなのを考えると、まだ嫉妬の視線は少ない方か?
これが美鶴も一緒だったり、あるいは他の恋人達とも一緒だったりした場合、俺に向けられる視線はより鋭いものになるのだから。
そうした視線を浴びながら、次はゆかりが食べるかき氷を買う。
夏の祭りという事もあってか、かき氷を売ってる店は結構多い。
ちょっと変わったところでは、トルコアイスを売ってる店もある。
あの伸びるアイスはちょっと興味があるものの、今はかき氷の方が優先だ。
「ブルーハワイ1つ」
「あいよ、お姉ちゃん浴衣が似合ってるねぇ。少しおまけだよ」
店主はそう言い、少し多めに氷を器に盛る。
ゆかりはいきなり浴衣姿を褒められた事で、嬉しそうにこちらに視線を向けてくる。
いや、何でそこで俺に視線を向けてくる?
そう疑問に思いつつ、支払いを終えて屋台の前から移動する。
「そう言えば、知ってた? 結構有名な話なんだけど、かき氷のシロップって基本的に味は同じで色だけが違うんだって」
「何かで聞いた事があるような……」
有名なところでは、イチゴ、ブルーハワイ、メロンといったところか。
それらの違いは、色の違いだけだとか何とか。
けど、人は見た目でも味を判別する……というか、半ば思い込みなのか? とにかくそんな感じなので、赤いシロップでイチゴ味だと言われれば、素直にその言葉に同意する。
それはメロンやブルーハワイとかでも同じなのだろう。
「まぁ、味は同じでもこうしてアクセルと一緒に食べていればきちんと幸せだから問題ないんだけどね」
「そう言って貰えると、俺も嬉しいよ」
そうして俺とゆかりは色々な屋台に寄っては買い食いをしていく。
フェザーマンとかいうののお面を買ったりもした。
こうしてお面を被る……被る? 何だか表現がちょっと違う気がするが、とにかく側頭部に被っていると、いかにも祭りという感じがするな。
「やっぱり夏と言えばお祭りよね」
「けど、大学にも学園祭とかあるだろ? それは秋になるんじゃないか」
今こうして夏休みである以上、大学の学園祭とかをやるとなると、当然ながらそれは夏休みが終わってから……となると、秋になるのか。
9月、10月辺りか?
まぁ、秋の祭りも悪くはないと思うけど。
寧ろ東京の場合、真夏の暑さがとんでもない事になったりするから、そういう意味では秋の方がいいかもしれないけど。
ただ、9月も今では普通にまだ夏に近い気温で真夏日や猛暑日は多いんだよな。
そんな中で学園祭をやったりしたら、熱中症になる者も結構いそうだ。
ただでさえ大学の学園祭というのは、中学や高校よりも派手だ。
それこそ芸能人とかを呼んだりするし。
もっとも芸能人を呼ぶとかだけなら、実は高校でもあったりする。
だが、割合として考えるとやっぱり高校よりも大学の方が芸能人を呼んだりする割合は高い。
ゆかりの通ってる大学の学園祭で芸能人を呼んだりするのかは分からないが。
「そうね。うちの大学の学園祭は秋だし、結構大きな学園祭よ」
「……それで、何で微妙に嫌そうな表情を浮かべるんだ?」
学園祭について説明するゆかりの表情は、決して喜ばしいものではない。
それこそ自分の大学の学園祭について説明しているとは思えない程に。
「ちょっとね」
そう言い、話を打ち切るゆかり。
だが、ゆかりの性格を俺は知っている。
こういう仕草をした時は、これ以上話を聞いて欲しくない……と思わせておいて、実はしっかりと話を聞いて欲しいと思っているのだ。
「不満を抱いていても、1人で抱え込んでいたらどうにもならないぞ。人に話すだけでも、気分転換にはなる筈だ。それに俺はゆかりの恋人だろ? 愚痴を吐く相手としては悪くないんじゃないか?」
「それは……そうだけど」
シャクシャクシャクとかき氷をストローとスプーンが合わさったような奴で掻き混ぜていたゆかりは、しかし俺の言葉でその気になったのか口を開く。
「実はうちの大学の学園祭って、ミスコンやるのよ」
「まぁ、よくある話だな」
ミスコン、あるいはミスターコンテスト、ちょっと珍しいところでは女装コンテストや男装コンテストといったのがあるが、それでもやはり一番メジャーなのはミスコンだろう。
「そう、よくある話よね。私もそれには特に異論はないわ。……ただ、そのミスコンに出て欲しいという要請が来なければ」
「あー……うん。なるほど」
ゆかりは元々ファンがいるくらいの美貌だった。
だが、俺と関わる……具体的には俺に抱かれる事によって女性ホルモンの分泌が活発化したのか、あるいは混沌精霊という俺に抱かれたのが影響したのか、その美貌は間違いなく初めて会った時よりも勝っている。
そんなゆかりだけに、恐らく学年どころかその大学の中でもトップクラスの美貌を持っているのは間違いない。
……ちなみに全く関係のない話だけど、高校3年と大学1年だと高校3年の方が大人っぽい印象があるのは俺だけだろうか?
ともあれ、そんなゆかりだけにミスコンを開催する者達にしてみれば、優勝候補……あるいはそこまでいかなくても、有力選手――という表現が正しいのかどうかは分からないが――として、ミスコンに参加して欲しいと思うのは当然だろう。
「ちなみに、ミスコンに出る気はないのか?」
「ある訳ないじゃない。ミスコンに参加したら、ただでさえ鬱陶しい誘いが更に増えるわ」
鬱陶しい誘いというのは、それこそナンパとかサークルとかだろう。
特に軽い感じのサークルにしてみれば、ゆかりのような美人は出来れば確保したいと思うだろうし、美鶴程ではないにしろ、十分に男好きのする身体を持つゆかりは男の欲望を刺激するのは間違いない。
そんな実感があるだけに、ゆかりにしてみればミスコンに参加してこれ以上言い寄られるのはたまったものではないのだろう。
「そうか。残念だけど、それは仕方がないな」
「……残念?」
「ああ。ミスコンで優勝しているゆかりとか、見てみたいと思ったんだよ。けど、ゆかりが嫌なら、この件は無理強い出来るような事じゃないし」
「え……うーん……アクセルがそう言うのなら……」
そこまでゆかりが言った時、どん、という音と共に夜空に花火が上がる。
「わぁ……」
ゆかりは一瞬前までの不機嫌さを一瞬にして忘れたかのように、嬉しそうな声を上げる。
実際、祭りに来ていた者達の多くも足を止めて、あるいは歩きながらも空を見上げていた。
どこの世界でも、日本の花火というのはその世界で最高峰の技術を持っているが、それがしみじみと理解出来る光景だった。
「綺麗……ね」
そう言いつつ、ゆかりは俺の手を握ってくる。
いわゆる、恋人繋ぎという奴だ。
俺もその手を握り返しながら花火を眺める。
本来ならもっと人のいない場所……屋台の明かりのようなのがない、周囲が真っ暗な場所で花火を見るのが一番いいのだろうが、それでも今の状況でも十分に花火を楽しめる。
そうして2人で暫く花火を見ていると……不意にゆかりが小さくだが、しっかりと俺に聞こえるように口を開く。
「ねぇ、アクセル。もしアクセルが私がミスコンに出るのを見たいのなら……ミスコン、出てもいいわよ? その代わり、しっかりとアクセルが見に来て、私の恋人だと堂々と示してね。そうすれば、言い寄ってくる変な男の数も減るでしょうし」
「そうだな。俺もゆかりがミスコンで優勝する光景は見たいけど、他の男に言い寄られている光景は見たくないしな。ゆかりがそれを希望するのなら、そうさせてもらうよ」
「……ありがと」
嬉しそうな笑みを浮かべるゆかり。
ゆかりにとっても、今の俺の言葉は満足出来るものだったのだろう。
欲望を抱いた男達が襲ってきても、ゆかりの能力ならその程度の相手は容易に対処出来る。
……それこそ、薬の類を使われても対処は可能だろう。
もっとも、その辺は薬の強さにもよるだろうが。
最悪の可能性を考えれば、それこそ強力な睡眠薬の類を食事や飲み物に混ぜられたりして、気が付いた時にはもう事後だったという最悪の展開もある。
そういう意味では、ゆかりが強いからといって完全に安心出来る訳でもないので、何かがある前にしっかりと防衛の準備をしておくのは悪い話ではないだろう。
そんな風に思いつつ、俺はゆかりと稲羽市ですごす最後の夜を楽しむのだった。