アグニカ・カイエル?
俺を見てそんな呟きを漏らした男の言葉に疑問を抱くも、今はまず三日月を止めるのが先決だ。
このままだと、本当に三日月はあの紫の髪の男を殺してしまいかねないのだから。
「三日月、落ち着け。その男は別にこの2人を轢いた訳じゃない。恐らく、轢きそうになったのを回避したんだ」
「そうだよ、いい加減にしないか」
丁度俺が三日月に声を発したタイミングで、桜も姿を現し、三日月の頭を軽く叩いてそう告げる。
その衝撃で我に返ったのか、三日月の目から怒りと殺気が消える。
喉を鷲掴みにしていた手も放し、次の瞬間紫の髪の男は車に寄りかかるようにして、激しく咳き込む。
桜はそんな三日月を呆れたような目で見て、双子は自分達が飛び出したのを、車が避けたと事情を説明する。
それで三日月もようやく自分の行為に気が付いたのだろう。
「あ……その、すいませんでした」
そんな三日月の言葉で我に返ったのか、俺をアグニカ・カイエルと呼んだ金髪の男も我に返ったように三日月達に話し掛けようとした瞬間……
「何がすいませんでしただ、このっ!」
紫の髪の男が、怒りと共に三日月を殴ろうとする。
紫の髪の男にしてみれば、自分が何とか双子を轢かないように頑張ったのに、それをいきなり首を鷲掴みにされて殺されそうになったのだ。
怒るなという方が無理だろう。
もっとも、三日月はそんな男の一撃をあっさりと回避するが。
紫の男はそれなりに鍛えている動きをしている。
しかし、鍛えている三日月にしてみればどうという事もない程度だったのだろう。
振るわれる拳を怖がったりしないのは、ハエダ達の普段からの行動によるものか。
紫の髪の男は自分の一撃を回避されたのが面白くなかったのか、何度も続けて三日月を殴ろうとするものの、それも全て回避する。
三日月が紫の髪の男に反撃せず、回避に専念しているのは自分の勘違いで男を殺しそうになってしまったからだろう。
そんなやり取りを見ていると、ふと車に描かれた紋章に気が付く。
あれは、ギャラルホルンの紋章?
だとすれば、この2人はギャラルホルンの所属か?
これはちょっと不味いな。
今の俺達はギャラルホルンと正面から敵対している身だ。
そうである以上、このまま騒動が大きくなると少し不味いことになる。
「すまない、少しいいだろうか?」
この後、どう対応するべきか。
そう考えている俺に声を掛けてきたのは、金髪の男。
先程、俺に向かってアグニカ・カイエルと呼び掛けてきた男だ。
この男の知り合いに、俺と同じような外見の奴がいるのかもしれないな。
「ああ、何だ? ……というか、あっちを止めなくてもいいのか?」
「ガエリオは少し身体を動かして苛立ちを解消させた方がいいからね」
そうして男が話すと、遠くからビスケットが、そして後ろからクーデリアとフミタンがやって来るのが見えた。
クーデリア……ではなく、フミタンに目配せをする。
フミタンはすぐに俺の言いたいことを理解したのか、クーデリアと共にまだ刈り取っていないトウモロコシ畑の中に身を隠す。
「うん? 彼は君の知り合いかい?」
俺の様子に、視線を追った男はこちらに向かって走ってくるビスケットの姿を見てそう言う。
どうやらクーデリアとフミタンは見つからなかったようだな。
「ああ、あいつはこの農場の跡取り息子だ」
実際には違うのだが、取りあえずそう言っておく。
ビスケットが鉄華団の所属だと知られると、絶対に不味い事になるしな。
場合によっては、この農場に迷惑を掛ける事になるかもしれない。
……もっとも、ビスケットが桜の孫であるというのは間違いのない事実でもある。
そういう意味では、俺は嘘を吐いている訳ではない……という事にしておこう。
俺と金髪の男の会話が聞こえたのか、ビスケットも帽子で顔が見えないように注意しながら頭を下げる。
「すいません、どうやら妹が迷惑を掛けたみたいで」
「いや、気にしないでくれ。それより……ガエリオ、その辺にしておけ」
そう言いつつ、金髪の男の視線はガエリオではなく三日月に、特に首の後ろから背中に掛けて飛び出ている阿頼耶識に向けられている。
これは、不味いか?
普通に農場で働いている分には、当然ながら阿頼耶識というのは必要ない。
そうなると、何とか誤魔化す……誤魔化す……
「アグニカというのは誰だ?」
三日月の阿頼耶識を誤魔化すべくそう口にしたのは、金髪の男が俺を見て呟いた名前だった。
もしかしたら名前ではなく、もっと別の何かという可能性もあったが、俺を見て口にしたのだから、恐らく人の名前で間違いないと思う。
「それは……いや、ここで話すような事ではない。まずガエリオを止めてからにしないか?」
取りあえず誤魔化せた……か?
そう思ったのだが、殴っては回避されるという事を繰り返していたガエリオだったが、その行動の中で三日月の阿頼耶識に気が付いたらしい。
殴ろうとする手を止め、不思議そうに……そして気持ち悪そうな様子で口を開く。
「おい、貴様……その背中のは何だ?」
金髪の男について誤魔化せるかと思ったが、ガエリオの方はそれに気が付いてしまったらしい。
間近で見ているのだから、阿頼耶識に気が付くのは当然の事なのかもしれないが。
「阿頼耶識システム」
「あらや……?」
「人の身体に埋め込むタイプの、有機デバイスシステムだったな。……未だに使われていると聞いたことはあったが」
ガエリオの質問に答えたのは、金髪の男だった。
これはもう、隠しようがないな。
「身体に異物を埋め込むだと……? うっぷ」
金髪の男の言葉は、ガエリオにとってよほど衝撃的……というか、気持ち悪さを感じさせたのだろう。
口を押さえながら俺達からは見えない場所まで移動し、吐く。
ギャラルホルンによって、このオルフェンズ世界においては阿頼耶識や義手、義足といった物も嫌悪されていると聞いてはいたが、ここまで露骨に気持ち悪がる奴は初めて見たな。
ブルワーズやCGSにおいても、阿頼耶識を気持ち悪がっている……忌むべき存在と認識している者はいた。
そんな者達と比べると、ガエリオの反応は一際激しい。
一体何があってこういう感じに……いや、もしかしたら、ガエリオはギャラルホルンの中でもかなり上に位置する奴だったりするのか?
だからこそ、ギャラルホルンが広めた価値観も当然のものと理解しており、阿頼耶識を見ただけであそこまで吐き出すようになってしまったのかもしれない。
だとすれば、そのガエリオと同格のような態度のこの男も、ギャラルホルンのお偉いさんだとか?
「怖い思いをさせて、悪かったね。こんな物しかないが、受け取って貰えないだろうか?」
双子やアトラに向かい、そう言って袋に入った……飴か? チョコか? とにかく何らかのお菓子を渡している男を見る。
そんな様子を見ていると、双子と更に一言二言言葉を交わし……何故か俺の方に近付いてくる。
「すまなかったね。色々と迷惑を掛けてしまった」
「それはこっちも同様だし、そこまで気にしなくてもいい。お互い様という事にしておく。そっちも面倒はごめんだろう?」
「ふふっ、そうだな。……ああ、そうそう。自己紹介がまだだった。私はマクギリス・ファリドという。よろしく頼むよ」
ちっ、こうして堂々と自己紹介をされると、こっちとしてもそれを無視する事は出来ないか。
とはいえ、俺の名前はもう当然調べているだろうし……仕方がないか。
「イザーク・ジュールだ」
え? と。
俺とマクギリスの話を聞いていたビスケットが驚きの表情を浮かべる。
幸い、他の面々は自分のやるべき事をやっていて、俺の話を聞いている様子はなかったが。
「ほう」
だが……そんなビスケットの様子は、マクギリスにしっかりと確認されてしまう。
これは不味いか?
そう思ったが、マクギリスは明らかに俺が偽名を名乗ったのには気が付いただろうに、それを責める様子はない。
「そうか、イザーク。君のような人とここで会えるとは、思わなかったよ」
何だ? マクギリスの俺に対する妙に好意的な態度。
アグニカという人物と俺を見間違えたのと、何か理由があるのか?
というか、そもそもアグニカというのは誰だ?
マクギリスが見間違えたという事は、俺に似てるのか?
アクセル・アルマーの顔に?
一体何がどうなっているのか分からない。
あるいは……本当にあるいはの話だが、どこかのマフィアやギャングでは、殺すと決めた相手には非常に友好的に接するらしい。
それを考えれば、マクギリスの態度もそれなのか。
「そう言って貰えると嬉しいが、お前は見たところギャラルホルンのお偉いさんだろう? そんな奴が、どうしてここに来ているんだ?」
「いや、何。この近くで戦闘があったという話を聞いてね。そして……ここには阿頼耶識を持ってる者がいる。さて、これはどういう事だろう?」
こいつ、気が付いているのか?
いや、この言い方からして、気が付いているのはほぼ間違いない。
となると、いっそここで始末をした方がいいのかどうか。
「時に……」
「うん?」
殺した方がいいのかどうかを考えていると、マクギリスは話題を変える。
何だ? 今のこの状況で話題を変える必要がどこにある?
あるいは、俺の様子からこのままだと危険だと判断したのか。
別に殺気の類は漏らしていないし、何よりこの世界の人間に殺気を感じられるかどうかは微妙なところだろう。
「君に……君だけに、少し聞きたい事がある」
「俺にか? 一体何だ?」
この状況で、三日月やビスケット、もしくはアトラや桜といった面々に対してではなく、俺に聞きたい事があるという。
それは一体何についてだ?
「成したい事……いや、何としても成すべき事がある時、それを成す為には何を捨ててでも行うべきと考えるかな?」
「は? 何だいきなり?」
マクギリスがいきなり口にしたその内容は、俺にとっては意味不明のものだった。
いや、実際に何を言ってるのかは分かる。
分かるが、何故この場でいきなりそのようなことを口にするのかが分からない。
「いや、イザークに聞いてみたいと思っただけだよ。それでどうかな? 何、別にこれで君をどうこうしようとは思わない。君がイザークであるというのを私が忘れる代価と思って貰えればいい」
ビスケットの反応で、俺の名乗ったイザーク・ジュールというのが偽名なのはマクギリスには分かっている。
だが、それを黙っている、もしくは忘れる代わりに、今の質問の答えを聞きたいという事だろう。
とはいえ、問題なのは何故そのような質問を俺にしてくるのかという事だろう。
質問に答えるのはいいが、それを理由にして何か妙な行動を起こされたりするのは困る。
他に考えられる可能性としては……ああ、もしかしたら俺をアグニカと呼んだのが何らかの意味があるのかもしれないな。
正直なところ、そのアグニカというのが誰なのかは分からないが……ギャラルホルンに所属し、しかも恐らく相応のお偉いさんであるマクギリスが口にしたとすると、クランク辺りに聞いてみれば分かるかもしれないな。
「分かった。……いや、正確にはお前が何を言ってるのかは分からないが、とにかくせっかく質問してきたのだから、俺もそれに答えるくらいの事はしよう。何かを成す時、何を捨ててでも行うべきかどうかだったよな?」
「ああ、そうだ。君はどう思う?」
笑みを浮かべて尋ねるマクギリスだったが、その目は決して笑っていない。
そこまで真剣なのはどのような意味があるのか。
そのように思いながら、俺は考えを纏め……口を開く。
「その成すべき事というのが具体的に何なのかは分からないから、これはあくまでも俺がそう思っての事だぞ?」
「ああ」
「何かを成す時……その何かというのが本当に捨ててもいいものかどうかを考えてからやるべきだな。一度それを捨ててしまえば、後でどれだけ後悔しても意味はない。だからこそ、捨てなくてもいいのなら、捨てない方がいい」
答えた時、俺の脳裏に浮かんでいたのはヴィンデルの姿だった。
ヴィンデル・マウザー。
国ではなく、組織としてのシャドウミラーを作った人物。
最終的には友人……親友であった俺に裏切られて、組織を乗っ取られた人物。
やった事に後悔はない。
後悔はないが、それでももしかしたら他の道があったのではないか。
そう思えるのも事実。
もし今の俺が過去に戻ったら、ヴィンデルを説得して……いや、無理だな。
何だかんだと、ヴィンデルは自分の意思を貫く人物だ。
考えを曲げたりといった事はまずないだろう。
だからこそ、もし過去に戻っても結果は同じだろう。
もしくは、俺が負けてシャドウミラーがヴィンデルの考えたような組織になるか。
「捨てない方がいいか。……なるほど、イザークの意見は理解出来た」
俺の言葉に納得した様子を見せるマクギリス。
こいつが何を思って今のよう事を聞いたのかは分からないが、こういう事を聞いてきたんだから、多分何かがあるのだろう。
そう思いながら、俺は笑みを浮かべるマクギリスに視線を向けるのだった。