「ねえ、俺が本当に行く必要があるの?」
小舟の中で三日月が不満そうな様子でそう言う。
そんな三日月の頭をオルガが乱暴に撫でる。
「そう言うなって、ミカ。マクマードって人に会えば、それだけでバルバトスの整備や改修をして貰えるんだぜ? なら、会っておいた方がいいだろ」
「オルガがそう言うのなら……」
本来なら、オルガがマクマードと会うのについてくる予定はなかった。
なかったのだが、三日月だけだと心配だと思ったのか、あるいは三日月が所属する鉄華団を率いているという自負からか、とにかくオルガも一緒に来る事になったのだ。
そんな訳で、現在この小舟に乗っているのは俺、クーデリア、三日月、オルガ、名瀬の5人になる。
「それにしても、まさかこういう船で移動するとは思わなかったな」
水上を走る小舟。
まぁ、小舟と表現してはいるが、この人数が乗っていても全く問題ない程度の広さはあるが。
「親父の立場を考えると、こういう場所にいる必要があるんだよ」
名瀬の言葉に、だろうなと思う。
いわゆるコングロマリット……複合企業体とでも呼ぶべきテイワズだが、その実体はギャングやマフィアといった感じだ。
そんな組織のトップである以上、暗殺の対象となるのはおかしな話ではない。
テイワズと敵対してる組織、もしくはテイワズ内部で自分がマクマードに成り代わりたいと思っている奴。
そんな者達がマクマードを狙うのはおかしな話ではない。
「色々と大変そうだな」
「……テイワズ程じゃないが、アクセルだって組織のトップなんだ。それも、ギャラルホルンと敵対している組織のトップだ。そう考えれば、喫緊で危険なのは親父よりもアクセルだと思うがな」
呆れたような名瀬の言葉。
普通に考えれば、俺が気楽すぎると思っているらしい。
もっとも、俺の場合は物理攻撃が通用しない混沌精霊であるというのがある。
魔力や気が知られていないこのオルフェンズ世界においては、俺を殺す事はまず出来ない。
物理攻撃は無効だしな。
それ以外にも、気配の察知や殺気を感知出来る能力といったことを考えると、このオルフェンズ世界で俺の安全は確定している。
「俺を狙う奴がいたら、その時は後悔する事になるだろうな」
「だろうな。それは重々承知しているよ」
しみじみと呟くのは、実際に自分が経験したからだろう。
そうして話をしてると、やがて屋敷のすぐ側で小舟が停まる。
小舟から降りると、正門の前には数人の黒服の男達がいた。
いかにもといった様子のその外見は、同じ黒服であってもノブリスの部下よりも格上なのは間違いない。
その黒服の男達は、名瀬と……そして名瀬が連れてきた俺達を見てから、リーダー格なのだろう男が口を開く。
「お久しぶりです、タービン様。失礼ですが、本日の御用件は?」
「親父に会いに来た。話は通っている筈だと思うが?」
名瀬の言葉にリーダー格の男が頷く。
これで実は話が通ってないとか言われたら、それはそれで面白い事になりそうだが、生憎とそういう感じではないらしい。
男が合図をすると、扉が開いていく。
「んじゃ、行くか」
気楽な様子でそう言う名瀬。
名瀬にしてみれば、今回の一件はそこまで気楽な感じで話せるような事ではないと思うんだが。
何しろ、こうして俺達がマクマードに会いに来たのは、言ってみれば名瀬の尻拭いの為なのだから。
それでも名瀬がこうして気楽な様子なのは、それだけマクマードを信じているからという事か。
屋敷の中に入ると、そのまま進む。
外から見た時もそうだったが、和風というか……何だか微妙に洋風っぽい感じの……ちょっと違うが、ヌーベル・シノワっぽい感じか?
ちなみにヌーベル・シノワというのは、洋風の中華料理。あるいは中華料理っぽい洋風料理……そんな感じの料理の種類だ。
何で見たのかはちょっと忘れたが。
ともあれ、この和風の屋敷は洋風の人間が和風の屋敷を作ってみましたといった感じで、そういう意味ではヌーベル・シノワに似ているように思える。
とはいえ、このオルフェンズ世界においては厄祭戦の影響によって古い文化が結構廃れているらしい。
そうなると、独自に和風の文化を発展させてきた結果、こんな風になっているのはそうおかしな話ではないのかもしれないな。
「おい、ミカ。ここで火星ヤシを食ってどうするんだよ」
「そう? 別に悪くないと思うけど」
「ったく、お前は……こぼすなよ」
廊下を歩いていると、オルガと三日月のそんな声が聞こえてくる。
クーデリアですらある程度は緊張してるのに、三日月は全く緊張している様子がない。
この辺は三日月の凄いところだよな。
あるいは単純に、これもいわゆる主人公補正とか、そういうのかもしれないけど。
「おいおい、これから親父に会うってのに……まぁ、これがそいつらの自然なところだと思えば、それも仕方がないか」
名瀬はそう言い、笑みを浮かべながら俺達を案内する。
そうして廊下を歩き続け……やがて、門の前にいた男達よりも明らかに腕が上なのだろう男が立っている部屋の前に到着した。
恐らくマクマードに何かあった時、こいつが最後の盾といったところなのだろう。
つまり、忠誠心も高いのか。
「タービンズ様、マクマード様がお待ちです」
「おう。こいつらが親父に会う連中だ」
その言葉に、男は俺達に視線を向ける。
ただ、俺達を見たからといって特に何かをするでもなく、小さく頷くだけだ。
そして扉を開く。
「どうぞ」
男の言葉に、俺達は部屋の中に入る。
クーデリアが男の存在感に少し怯えた様子を見せていたが、それだけだ。
そうして部屋の中に入ると、そこには1人の男がいた。
部屋に飾ってある盆栽を弄っているので後ろ姿しか見えないが……なるほど、雰囲気があるな。
テイワズという巨大な組織を率いるだけの人物ではあるらしい。
「親父」
「おう、ちょっと待っててくれ。……よし」
盆栽用のハサミを使って盆栽の枝を少し切る。
正直なところ、俺には盆栽とかそういうのは詳しくないので、この盆栽がいい物なのかどうかは分からない。
分からないが、それでも多分テイワズを率いる男の部屋にあるのだから、悪くはない物なのだろう。
そうして振り向いた男……マクマードは、一見すると名瀬が言うような圏外圏一怖い男とは思えない。
好々爺といった感じの男だ。
だが……それはあくまでも外見だけの話。
マクマードの身体からは、テイワズを率いる人物としての威厳とでも呼ぶべきものが発散されていた。
……あるいは、盆栽用のハサミを持っているのも男の発する威厳に一役買ってるのかもしれないが。
実際、クーデリアはマクマードを見て小さく息を呑んでいる。
「おお、来たか名瀬」
そうしてマクマードは真っ先に俺に視線を向けてきた。
事情を知っている以上、それは当然の事か。
「お前が、アクセルか」
「そうだ。そしてお前がマクマードだな?」
「ちょっ……」
俺がマクマードの名前を呼び捨てにしたのが予想外だったのか、名瀬が慌てた様子を見せる。
普段飄々としている名瀬がこういう姿を見せるのは、ちょっと珍しいな。
「ほう、俺にそんな口を利くとはな。自分の立場が分かっているのか?」
「それは寧ろ俺がお前に聞きたいな。お前こそ自分の立場が……いや、己の分というものを理解してるのか?」
そう言うと、マクマードは俺を睨み付けてくる。
先程までの好々爺といった様子は消え、テイワズというマフィアを率いる人物としての威圧感を滲ませて。
確かに、マクマードは一角の人物ではあるのだろう。
それは認める。
だが……俺はこれまで多くの世界を旅してきた。
そんな世界の多くには、マクマードよりも強い威圧感を発する者が大勢いた。
そして俺はその全てを……とまではいかないが、その多くを殺してきた。
だからこそ、マクマードの発する威圧感は一般人なら腰を抜かしてもおかしくはないが、俺にしてみればそよ風に等しい。
そのそよ風の返礼に、こちらもじわりと殺気を滲ませる。
無秩序に殺気を放つと、オルガや三日月、名瀬はともかく、荒事に慣れていないクーデリアに悪影響がある。
その為、マクマードだけにピンポイントで殺気を向けたのだが……俺にしてみれば、その殺気は本当にじんわりとしたものでしかない。
それこそ全力の殺気と比べると、一割にも届かない程度の殺気だったのだが……
(あれ? これはちょっとやりすぎたか?)
俺の殺気を浴びたマクマードの額には、大粒の汗が滲み出す。
それに反して顔は強ばり、顔色は青白いを通り越して土気色になってすらいた。
「ぐ……」
「親父?」
マクマードが呻いたのを見て、俺は殺気を止める。
そんなマクマードの異常に気が付いたのか、名瀬が慌てたように言う。
だが、俺の殺気が影響しての異常だったのだから、俺が殺気を発するのを止めるとマクマードも楽になったらしい。
「はぁ、はぁ、はぁ……何でもねえ。気にするな」
「けど……もしかして、何かの病気だったり……」
「違う。……そうだな?」
心配する名瀬に、マクマードがそう言う。
ちなみにそうだな? と聞いてきたのは、名瀬ではなく俺に対してだ。
マクマードも、殺意かどうかは分かっていないようだったが、俺の仕業だというのは理解していたのだろう。
「正直なところ、この程度でそこまで厳しくなるとは思ってなかったけどな」
「アクセル! 何をした!?」
俺の言葉に名瀬がそう叫ぶ。
名瀬にしてみれば、俺がマクマードに対して何かをしたと、今の会話でそう判断したのだろう。
そして実際、それは間違っていない。
「何をと言われてもな。少し殺気を飛ばしただけだ」
「殺気? 殺気って……それは、あれか? よく物語の中とかに出て来るような……」
「そんな感じだな」
そう言うと、名瀬は信じられないといった表情を浮かべていた。
もっとも、クーデリア、オルガ、三日月の3人は特に驚いた様子はないが。
俺が魔法を使えるというのを知ってる以上、殺気というのがあってもおかしくはないと、そのように思っているのだろう。
……三日月だけは、特に何も考えていない可能性もあったが。
「……名瀬、いい」
大分落ち着いた様子のマクマードの言葉に、名瀬もそれ以上は何も言わない。
そんな中、マクマードは呆れの視線を俺に向けてくる。
「ったく……こんな老人を相手なんだ。もう少し手加減をしてくれてもいいと思うんだがな」
「そう言われてもな。元々俺はテイワズに対して、好印象を持っていない。そんな中で俺を圧迫しようとしたんだ。そのくらいの躾は当然だろう? お互いの力の差というのは、知っておいた方がいい」
「くくっ……はははは! 躾、躾ときたか! 俺を相手に、そんな事を言う奴は、随分と久しぶりだな!」
「親父!?」
まさか、マクマードがここまで愉快に笑うとは思っていなかったのか、名瀬が戸惑う。
その気持ちは分からないでもない。
普通に考えれば、テイワズの頂点に立つ人物……圏外圏で一番怖いと名瀬が断言する人物が、俺にこんな態度を取られて、怒るどころか喜んですらいるのだから。
正直なところ、俺にとってもこの展開は予想外だった。
「意外だな」
「……そうか?」
思っていたのと違う反応に、俺はそんな声を出す。
マクマードがどういう性格をしてるのかというのは、生憎と俺にも分からない。
分からないが、だからといってこうして俺の行動を受け入れるのは予想外だったのだ。
「ああ。お前は仮にも……いや、この表現は少し違うか。ともかく、テイワズのトップだ。そしてテイワズというのは、この世界においてギャラルホルンに次ぐ勢力を持つ組織だろう?」
「……1番と2番の間には、どうしようもない程の差がある組織だけどな」
俺の言葉にマクマードは髭を撫でながらそう言う。
実際、その言葉は正しい。
テイワズが2番目の組織なのは間違いないが、同時に1番目と2番目の間にはどうしようもない程の力の差があるのも事実。
だからこそ、テイワズは地球でも活動しているものの、そこでは数ある組織の1つという程度に留めているのだろう。
「それでも2番目は2番目だ。その組織を率いる男が、俺にいいようにやられて、それでも怒り狂わないというのは、意外でしかない」
「そうだな。アクセルだったな? お前にそこまでの力がなければ、そういう未来もあっただろう。名瀬から聞いた話によると、1人でテイワズを滅ぼす事も出来るとか言っていたらしいな?」
「ああ」
それは事実だけに、特に躊躇することなく頷く。
それを見たマクマードは、笑み……いや、苦笑を浮かべて言葉を続ける。
「正直なところ、最初にその話を聞いた時はハッタリもいい加減にしろと思った。だが、名瀬がわざわざそんな事を言ってくるとは思えないし、何より……こうしてその力を見せられれば、信じねえ訳にはいかねえよ。……なぁ、名瀬?」
「……そうですね。それで、親父。俺はアクセルと兄弟分の杯を交わしたいと思っている」
いきなりの名瀬の言葉に、俺は完全に意表を突かれるのだった。