「うーん……何か慣れないな」
いつもの服装と違うので、和服というか着物というか……とにかく、こういう服にはあまり慣れない。
とはいえ、これが杯を交わす儀式の正装だと言われれば、この服を着る必要があるのも事実なのだが。
「そうか? 見た感じ、着慣れてるように見えるけど」
そう言う名瀬も、いつもの洋服ではなく和服に着替えている。
俺と違って着慣れているように見えるのは、テイワズに所属してからそれなりにこういう機会があった為だろう。
「慣れてるように見えるか?」
名瀬は俺が着慣れてるように見えると言ったが、アクセルとして生まれてからこういう和服を着る機会は……どうだったか。殆どなかったと思う。
あったとしても、数回程度だろう。
そんな訳で、自分ではこういう服を着慣れてるとは思えないんだが。
名瀬が着慣れてるように見えると言ったのは、おべっかなのか本当なのか。
そんな風に思いつつ、俺は着替えの部屋を出て他の面々と共に待機部屋に向かおうとうするが……
「アクセル」
不意に名瀬がそう声を掛けてくる。
「何だ?」
「向こうを見てくれ。あれがジャスレイだ」
現在俺達がいるのは、何と表現すればいいのか……休憩ホール的な? そんな感じの場所だ。
そこにはシャドウミラーや鉄華団の面々、それ以外にもテイワズに所属している多くの者達が集まっていた。
そんな中……丁度俺達がここに来たタイミングで、休憩ホールに入ってきた者達の姿があった。
姿を現したのは、コート姿の男。
額が広く、右の額に少しだけ伸ばした髪がある、そんな男だ。
他にも何人もを引き連れているその姿は、なるほどテイワズのNo.2と言われるだけの事はある。
ただ……小細工をするというのを前もって聞いていた為か、何となく小物のように見えなくもない。
ちなみにジャスレイの取り巻きの1人には、以前テイワズの格納庫で会った男の姿もあった。
ノブリスの仲介で行われた取引に出て来た奴ではなく、そいつの兄貴分の方だ。
すると向こうもこっちの姿に気が付いたのだろう。
その兄貴分が俺を見た後でジャスレイに何かを言うと、そのジャスレイはこちらに視線を向けてくる。
口元に浮かんでいるのは笑み。
ただし、それが嘲笑ではなく余裕の笑みなのは……ジャスレイにとって昨日の件は小手調べといったところだったのだろう。
そして、笑みを浮かべながらこっちに向かってくる。
無理もないか。
ジャスレイにしてみれば、今日の主役である俺や名瀬、オルガがいる場所に来たのだから。
ジャスレイを中心にした集団は、俺達の前で足を止める。
そして、ジャスレイは笑みを浮かべながら俺に向かって声を掛けてくる。
「よう、お前さんがアクセル・アルマーか。……この前の模擬戦は凄かったな」
「喜んで貰えて何よりだが、そうするよりも謝罪が先じゃないか?」
ヒクリ、と頬をヒクつかせるジャスレイ。
一瞬前まで浮かべていた笑み……余裕を浮かべているという仮面は一瞬にして剥がれてしまう。
本人の商才はともかく、こういう駆け引きは得意ではないらしい。
「何の事だ?」
「今回の諸々の原因……その全ては、俺との取引でJPTトラストから派遣されてきた奴の態度が原因だったって事だよ。それが理由で百錬のシングルナンバーを俺に渡す事になったとはいえ、まだ正式に謝罪はされてなかったと思うんだが?」
「……その件については、それこそ百錬を渡した事でケジメはついてる筈だ」
まぁ、俺が聞いているジャスレイの性格なら、そういう風に言うだろうな。
それは分かっていたが、それでもこうしてここでジャスレイと会ったのは悪い事じゃない。
向こうも俺を前にして立場的に会話をしないで逃げるといった事は出来ない為、こうして近付いて来たんだろうが……ここでお互いの格付けをしっかりと決めておくのは悪くはない。
「そうか? それでも謝るのが筋っていうものだと思うんだが……違うか?」
「っ!?」
ジワリ、と殺気を放つ。
少し驚いたのは、ほんの少しの殺気しか発していないのにジャスレイが反応した事だろう。
殺気を察知するのは、それこそマクマードよりも早かったのではないかと思えてしまう。
多分、危険を察知する能力が高いんだろうな。
それもまた、上に行く為の力であるのは間違いない。
間違いないんだが……この場合、ジャスレイにとっては最悪に近い能力なのは間違いなかった。
現在の俺はジャスレイだけに向けて殺気を放っている。
つまり、現在ここにいる者達には何が起きているのか分からない訳だ。
……三日月辺りなら、殺気を感じていてもおかしくはないが。
ともあれ、微かに放たれた殺気にジャスレイは反応してしまった。
ただ、まだ自分が殺気を感じたという認識はないようだったが。
身体が殺気に反応した……と言えば間違ってはいないか。
「どうした?」
「……いや、何でもない。とにかく、あの件のケジメはもうついている以上、それ以上の事をするつもりはねえ」
「へぇ……改めて聞くぞ? 本当に俺に謝るつもりはないと?」
殺気を放つ。
ジャスレイの周囲にいる取り巻き達は、ジャスレイが謝るつもりはないと言ってから即座に俺がこうして聞いた事に疑問の表情を浮かべている。
これが例えばもう少し話した後でならともかく、即座にだから疑問に思うのは当然だろう。
だが、そんな取り巻き達とは違い、ジャスレイの額には薄らと汗が……冷や汗が滲んでいる。
「で? どうだ?」
そう聞きつつ、また少しだけだが殺気を濃くする。
「叔父貴?」
取り巻きの1人が俺とジャスレイのやり取りを見て疑問に思ったのか、そうジャスレイに聞く。
兄貴と呼んでる奴もいれば、叔父貴と呼んでる奴もいるのか。
この辺りはジャスレイと取り巻きの関係性によるものである以上、俺からは何も言えないな。
「何を……した?」
ようやくといった様子でジャスレイは何とかそう声を絞り出す。
ジャスレイにしてみれば、自分が何らかの攻撃……攻撃か? まぁ、ジャスレイにとっては攻撃と認識されてもおかしくはないような、そんな事をされてるのだ。
しかも、実際にどうやってそのようなことをされているのか、本人は全く分からないまま。
だからこそ、俺に向かって脅威の……もしくは恐怖の視線を向けてくる。
未知というのは人の好奇心を刺激するものではあるが、それが自分に害を与えるとなると、好奇心から恐怖に一変する。
今のジャスレイを襲っているのは、そういうものだった。
「さて、何だろうな。ただ、お前が俺にきちんと謝罪をすればマシになるかもしれないが……このままだと、どうなるかは分からないぞ?」
実際には、俺から離れれば殺気の影響からは逃れられる。
だが、それは殺気というものを発している俺だからこそ分かる事であって、ジャスレイは自分が何をされているのか全く分からない。
だからこそ、殺気について理解出来ず、俺の言葉がどこまで真実なのか分からないのだ。
これがもっと自分で修羅場を潜り抜けているような者であれば、殺気が何なのかは理解出来ずとも、俺から離れなければならないといったことを本能的に察知も出来ただろう。
だが、生憎と……俺にとっては幸運にもか? とにかく、ジャスレイは俺から逃げ出すような事もなく、ただ俺の前にいた。
いやまぁ、殺気云々以外にも面子とかそういうのがあって逃げられないのかもしれないが。
もしジャスレイがここで逃げ出したりしたら、取り巻き達にどう思われるのか。
それを考えれば、逃げるに逃げられないのだろう。
表現を変えれば、ジャスレイはまだその辺について考えるような余裕はあるという事を意味していた。
もう少しこの状況を楽しんでもいいのだが、儀式を行うまでの時間はあまりない。
そうなるとここで時間を潰すのもどうかと思うので……そろそろ終わらせるか。
そう判断すると、俺は前に出る。
ただし、放つ殺気をより強く……そしてジャスレイだけではなく、ジャスレイの取り巻き達にも浴びせる形で。
自分達も殺気を浴びせられ、これによって初めてジャスレイと同じ状況になった。
……いやまぁ、実際にはちょっと違うか。
最初はそこまで強くなかった殺気から、少しずつ強化されていった殺気と違い、ジャスレイの取り巻き達はいきなりそこそこの強さの殺気を浴びせられたのだ。
中には腰を抜かして床に座っている者……いや、その状況で股間を濡らしている者すらいた。
そこまでいかなくても、先程までのジャスレイと同じく額に冷や汗をびっしりと掻いている者もいた。
そんな中、俺はジャスレイのすぐ前に立つ。
「どうした? そろそろ謝る気になったのか?」
そう言い、ジャスレイの頬を軽く叩く。
パンというよりはポンという音。
だが、ジャスレイは自分がそのように叩かれているのにも気が付いていないかのように、動きを止めていた。
それを確認してから、俺は少しだけ強くジャスレイの頬を叩く。
ポンではなく、パンという音。
その音により、ホールにいた者達の視線がこちらに集まる。
元々ジャスレイやその取り巻きと俺が向き合っていたので、それによってそれなりに注目は集めていた。
だが、迂闊にこちらを見れば、それによってどのような面倒に巻き込まれるかもしれないと考えた者も多く、気にしてはいたものの、直接見てはいなかった。
もっとも、テイワズの者達である以上はそれなりに度胸のある者もいて、そういうのは関係なくこちらを見ている者もいたが。
そんな中での、俺がジャスレイの頬を叩く……もしくは張る音だ。
注目を浴びるなという方が無理だった。
それでも……いや、あるいはこの状況だからこそ、テイワズの面々に俺とジャスレイの力関係を見せつける必要があった。
「おい、俺は謝る気がないのかと、聞いてるんだが? 言っておくが、謝るまではこの状況のままだぞ?」
パン、と再度ジャスレイの頬を張り、そう言う。
その衝撃と俺の言葉でようやく我に返ったのか、ジャスレイは恐る恐るといった様子でこっちを見てくる。
そして俺と視線が合うと……
「すまなかった」
そう口に出す。
それはジャスレイの心からの謝罪……といった訳ではなく、この状況から逃げる為の言葉だろう。
それは分かっていたが、ジャスレイが謝ったというのは変わらない。
最後に再び……今までよりも少しだけ強くジャスレイの頬を張る。
「次からは気を付けろよ」
パンではなく、パァンッという甲高い音が周囲に響く。
それでも威力はそこまで強くないので、ジャスレイの頭部はしっかりとある。
肉片となって頭部が砕けたりはしていないし、首が一回転して骨が折れたりもしていなければ、頬の骨や奥歯が折れたりもしていない筈だ。
この手加減、自分でも素晴らしい一撃だったと思う。
そんな風に思いながら、俺は名瀬に視線を向ける。
俺の視線を受けた名瀬は、困ったような、面白がるような、そんな光を目に浮かべ……しかし特に何も言わず、俺を含めた他の面々を控え室まで案内する。
ホールから十分に離れたところで、ようやく名瀬が口を開く。
「やりすぎじゃないか、アクセル」
その言葉を皮切りに、他の面々もそれぞれ先程の出来事を口にし始めた。
「そうか? けど、ここでお互いの格付けをしっかりとしておいた方が、後々面倒はないと思うんだが。それに……大量の刺客を送ってきた奴に対する報復としては、寧ろ甘いと思うけどな」
「……え? アクセルさん、刺客が?」
オルガにはどうやら情報が届いていなかったらしく、驚いた様子でそう言ってくる。
「ああ。もっとも、ジャスレイ……さっきの奴までは辿れなかったらしいが」
それはつまり、あの刺客はジャスレイの放った者達ではないという可能性も否定出来ないという事になる。
実際にはほぼ間違いないのだが、その証拠がないのだから。
もっとも、マフィアやギャング風に言えば疑わしきは罰す……いや、疑わしきは報復と言うべきか?
とにかくそんな感じなので、俺の行動も決して間違っている訳ではないと思う。
「ともあれ、だ。さっきのは格付けをするという意味では良かったかもしれないが、向こうのプライドを傷つけたのは間違いない。これから面倒な事になると思うから、注意してくれ」
「そう言う割には、嬉しそうだな」
「……それは否定しない」
いつものように帽子を手にしようとするが、今は和服で当然ながら帽子はない。
少し困った様子で頭を掻き……そして言葉を続ける。
「俺にはアミダを始めとして、妻が何人もいるだろう? 向こうはそれが気に食わないのさ。その為、今まで何度も嫌がらせを受けてきた」
そう言う名瀬の表情は色々な感情が交ざった複雑な表情だった。
ジャスレイにそれだけ色々と思うところがあったのだろう。
もっとも、ジャスレイは仮にもテイワズのNo.2だ。
そうである以上、逆らう事は出来なかった。
そこに俺があんな感じで動いたのだから……うん。まぁ、名瀬にとっては悪くない出来事だったのだろう。