オルガに厳しい視線を向けられた蒔苗だったが、年の功と言うべきか、その視線に気圧された様子はない。
いやまぁ、180歳の蒔苗にしてみればオルガは子供どころか赤ん坊といった認識しかなくてもおかしくはない。
もっとも、その赤ん坊は実際にはいざとなれば十分に蒔苗を害する事が出来る力を持ってはいるのだが。
蒔苗もそれを理解はしているのだろうが、恐怖心を表情に出すような事はない。
これは、駄目だな。
蒔苗とオルガでは器……じゃない。経験の差が大きすぎる。
このままだと蒔苗にいいように動かされそうなので、俺はオルガを止めるべく口を開く。
「オルガ、落ち着け」
「けど、兄貴……」
「何をするにも、とにかく最後まで話を聞いてからだ」
そう言うと、オルガも不承不承といった様子だったが、落ち着く。
「分かりました」
完全に納得してはいなかった様子だったが、それでも座ったオルガを見ながら、蒔苗は平然と言葉を続ける。
「この状況から逆転する目はまだある。先程も言ったように、儂が再度アーブラウの代表となれば、火星のハーフメタルの件についてはそちらの要望通りになるだろう」
「具体的にはどうすればいい?」
俺にしてみれば、既に蒔苗の要望は受け入れるという事になっている。
そうしなければクーデリアの要望が通らないのだから、それはやるしかない。
つまりそれは、蒔苗をアーブラウの代表に戻す報酬として、火星のハーフメタルについてこちらの要望を聞くという事でもある。
アンリとかいうイズナリオの傀儡がアーブラウの代表になるというのだけは、こちらとしても阻止したいし。
「話が早いのう。……元代表だった儂が亡命をした事で、現在アーブラウの代表はいない。しかしそれでは困るので、近いうちに全体会議を行い、そこでアーブラウの代表指名選挙が行われる」
「まぁ……だろうな」
今のアーブラウは、ようは国の代表がいないという状況だ。
それでも国が回っているのは、誰かが代表代理とかそんな感じで仕事をしてるからだろう。
だが、それはあくまでも代理であり、国として色々と不味い。
……それ以外にも、アンリを代表にしたいイズナリオがギャラルホルンとして圧力を掛けたりとかしているのだろうが。
「なので、それまでにその会議の場に連れて行って欲しい。それが儂からの要望じゃ」
「……1つ聞きたい。お前はアーブラウから亡命してきた。言ってみれば、権力争いに負けて逃亡してきたんだろう? なのに、この状況で再度アーブラウに戻って代表指名選挙に立候補したとして……勝ち目はあるのか?」
そう、それが唯一にして最大の問題だった。
いやまぁ、それはつまりアーブラウの全体会議を行う場所まで蒔苗を連れていくのは問題ではないのかという事でもあるのだが……ぶっちゃけ、これについては何の問題もなかったりする。
何しろ俺には影のゲートという転移魔法があるのだから。
それを使えば、それこそ今からでも一瞬にして蒔苗をアーブラウまで連れていける。
……問題があるとすれば、蒔苗に俺が魔法を使えるのを知られてしまう事か。
鉄華団やタービンズの面々には、既に魔法については教えているしな。
蒔苗の狡猾さを考えれば、俺が魔法を使えるというのを知ったらどういう手段に出るのかが分からない。
まぁ、それでも魔法を使える俺を敵に回すといった事はしないと思うが。
もしそのようなことをしたら、それこそいつ俺に狙われるのかも分からない状況となるのだから。
もっとも、蒔苗の老練さを考えれば、そんな諸々について理解しつつ、それでも俺に何らかの取引を持ち掛けてきたりしてもおかしくはないのだが。
そんな風に思っていると、俺の言葉……一度追放されたのに、代表指名選挙で勝ち目があるのかという言葉に蒔苗は頷く。
「ああ、勿論勝ち目があるからこそ、こうして言っている。儂を慕ってくれる者が現在アーブラウで動いてくれている。その者の話では、感触はかなりいいらしい。……何しろ、アンリはイズナリオ・ファリドが後ろ盾であるのをいい事に、派手に動いているらしいのでな」
なるほど。それを気に食わないと思う者は多いのだろう。
元々ギャラルホルンはあくまでも平和を守る組織であって、国の運営には関わってこなかった。
勿論それは表向きの話で、イズナリオ程ではないにしろ色々と癒着とかはあったのだろうが。
しかし今回の一件は、まさにイズナリオがアンリという傀儡を使ってアーブラウを支配しようというものだ。
それが許せない者は多いのだろう。
勿論、それと同様にアンリに擦り寄る……つまり、ギャラルホルンの後ろ盾を用いて美味しい思いをしようとする者もいる筈だ。
その辺の駆け引きは、それこそ自分の欲望か、あるいはアーブラウという国の自主性を守るかといった個人の思惑に左右されるだろう。
そして蒔苗の様子を見る限り、自分の欲望よりも国としての自主性を重視する者の方が多いという事らしい。
……もっとも、蒔苗の老練さを考えれば、実は現在点でも五分五分……いや、四分六分や三分七分といったように不利な状況であっても、それを表情に出すような事はしないだろうが。
それでも勝ち目があるのは間違いない……と思いたい。
それこそ最悪の場合、指名選挙に参加する者の中でアンリ派閥の奴を俺が殺すなり、そこまでいかなくても誘拐して棄権させるなりしてもいいし。
「なるほど、話は分かった。それなら勝算は十分にあるな。俺は蒔苗の依頼を受けてもいいと思うが、どうだ?」
「え? ちょ……兄貴?」
まさかこうもあっさりと俺が依頼を受けるとは思っていなかったのだろう。
オルガは驚きの表情をこちらに向けてくる。
クーデリアは……ああ、なるほど。こっちも少し驚いてはいるが、実際に影のゲートを使った事があるので、すぐに俺が何をしたいのかは分かったらしい。
「オルガ、忘れたのか? アーブラウの全体会議を行う場所に蒔苗を連れていくというだけなら、こっちには幾らでも手段がある」
「あ……」
オルガは俺の言葉にそんな声を出す。
蒔苗の説明に色々と思うところがあり、俺の魔法についてはすっかり忘れていたのだろう。
「なるほど、兄貴なら……」
「どういう事か聞いても構わんかな? 正直なところ、アーブラウの全体会議を行う場所まで移動するのにはかなり苦労をすると思っていたのじゃが」
「だろうな。……あくまでも普通に移動するのならだが」
イズナリオにとっても、代表指名選挙は決して譲れるものではない。
自分の手駒を何としてでもアーブラウの代表にしたいのだから。
だからこそ、普通の手段……具体的には普通にMSとかMWとかそういうので全体会議をやる場所の近くまで移動し、そこから車に乗るなりなんなりして議事堂に向かおうとすれば、ギャラルホルンの戦力を出して妨害してくる筈だ。
そうなれば、蒔苗を会場に届けるには力で敵を……防衛線を築いているだろうギャラルホルンを突破する必要がある。
勿論、こっちの戦力は精鋭が多いので、やろうと思えば出来るだろう。
ただし、そうなるとこっちにも大きな被害が出るが。
シャドウミラーを率いる者として、別の手段があるのならそれをやらないという手段はない。
「俺の場合は、普通じゃない手段がある。……こんな風にな」
パチンと指を鳴らすと、俺の指は白炎となって猫の炎獣を生み出す。
「な……」
目の前の光景には老練な蒔苗であっても、驚いたのだろう。
炎獣を見て、目を大きく見開いている。
「これは……」
「世の中には表に出ない事柄も多い。そんな中の1つに魔法がある。そして俺は魔法使いな訳だ」
その言葉に、蒔苗は信じられないといった様子で猫の炎獣から視線を逸らし、こちらを見る。
180年を生きる蒔苗だが、それでも魔法というのを実際にその目で見るのは初めてなのだろう。
いやまぁ、このオルフェンズ世界に本当に魔法があるのかどうかは、生憎と俺にも分からないが。
ただ、俺が魔法を使えるのを誤魔化すには、そうしておいた方がいいと思っただけだ。
再度蒔苗の視線が猫の炎獣に向けられる。
自分の見ている光景が、何らかのトリックか何かではないかと疑っているのだろう。
だが、俺達がこの部屋……というか、屋敷に来たのは初めてだ。
腕利きの手品師なら、それでも自分の持っている手品の種で同じような事は出来るかもしれないが。
ただ……これは生憎と手品でも何でもない。
種も仕掛けもありませんというのは手品師が口にすることが多い言葉だが、そういう者達はそう言いながらも実際には種も仕掛けもあるのに対し、俺は正真正銘種も仕掛けも存在しない。
「触ってもいいかの?」
「ああ、構わない」
俺が頷くと、蒔苗は猫の炎獣にそっと手を伸ばす。
白炎は本来なら十分な攻撃力を持つのだが、この猫の炎獣はそういうタイプではない。
言うなれば、愛玩タイプだ。
また、そっと手を伸ばす蒔苗にも敵意や悪意の類がないのを察してか、猫の炎獣は黙って撫でられる。
「本物か」
「当然だろう?」
「……で、この猫を使ってどうやって儂を全体会議の場に連れていくつもりじゃ?」
ん? ああ、なるほど。勘違いしてるのか。
パチンと指を鳴らし、猫の炎獣を消す。
「あ……」
クーデリアの口から何か声が漏れたような気もするが、取りあえずそれは気のせいという事にしておく。
「この炎獣以外にも、俺は幾つも魔法を使える。その中の1つに、転移魔法というのがある」
「なん……じゃと?」
転移魔法という名称から、それがどのような魔法なのかは理解出来たのだろう。
猫の炎獣を見た時とはまた違う……より一層驚いた様子を見せる。
蒔苗にしてみれば、まさかという思いだったのだろう。
「その様子を見ると説明しなくてもいいようだが……それでも一応は説明しておくか。転移魔法というのはその名の通り転移する魔法だ。それを使えば、それこそ今すぐにでも蒔苗を全体会議の行われる街に転移させられるだろう」
「……」
俺の言葉に無言になる蒔苗。
そして何故かそんな蒔苗を同情の視線で見るオルガ。
おい、お前はさっき蒔苗の言葉に怒ってなかったか?
そう思うも、ここで俺が何かを言えば、オルガがどう言い返してくるのかは何となく分かるので、それについては気にしないでおく。
「さて、そんな訳で蒔苗を全体会議の行われる場所に連れていくというのは問題なく出来る。これで蒔苗がまたアーブラウの代表になったら、火星の一件は任せていいんだな? ……ちなみに、適当に誤魔化すようなら、寝ている時に毎晩ベッドに包丁が突き刺さって、それが日ごとに頭部に近付いていくかもしれないな」
それは一種の脅し。
転移魔法を使えるという俺の言葉を信じれば、蒔苗もそんなホラー染みた事が出来ると信じるしかないだろう。
本人にとって、それが許容出来るかどうかはまた別の話だったが。
「そう脅さんでも、もし儂が代表になったら約束はきっちりと守るわい。……ただ、そうじゃな。先程の猫はともかく、転移魔法が本当に使えるかどうかというのは試させて貰ってもいいかの? さすがに一度も体験しない状態でお主の言葉を全て信じるというとは難しいのでの」
それもそうか。
炎獣と転移魔法では、全く違う。
そうである以上、蒔苗が一度試してみたいと言うのはそうおかしな話ではない。
そしてここで蒔苗の提案を断れば、俺の言葉を大人しく信じることは出来なくなるといったところか。
とはいえ……それはつまり、一度体験して転移魔法が本当に存在すると知れば、俺の言葉を全面的に信じるという事でもある。
まして、俺にしてみれば転移魔法を使うのに必要なのは魔力だけだ。
その魔力も現状莫大な魔力となっており、魔力の回復速度を考えると全く問題はない。
なので、蒔苗の言葉にはあっさりと頷く。
「別に構わないぞ。俺にとっても、そのくらいの事はやっても特に問題はないし」
「ほう」
蒔苗にしてみれば、まさか俺がこうもあっさりと自分の要望を受け入れるとは思っていなかったのか、少しだけ驚いた様子を見せていた。
「それで、どこに転移したい? どこでもいいぞ? いやまぁ、俺の転移魔法はあくまでも影を使った転移魔法である以上、影の繋がった場所でないと出来ないが。具体的には、地球上にある場所でなければ転移出来ない」
もし宇宙空間でも転移が出来るのなら、火星から直接地球まで転移するといった事も出来ただろう。
もっともその場合、さすがに魔力が持つかどうかは分からないが。
「それで、どこに転移する? 俺はいつでもいいぞ。それこそ、今からでも構わないが」
転移は一瞬だ。
それこそどこにでも行こうと思えば即時に移動出来る。
つまり、これからどこかに転移して戻ってきても所要時間は向こうに滞在する時間だけとなる。
そういう意味では、移動にこれ以上ない程に適していると言ってもいいだろう。
「ふむ。向こうに連絡をするから今すぐにとは言わん。じゃが……アラスカのアンカレッジに転移を頼みたい」
そう蒔苗は言うのだった。