俺と鷹村のスパーについては、鴨川ジムにも情報が伝わった。
これについては鷹村や一歩がいた以上、仕方がないことだろう。
そして当然ながら、鴨川ジムは大騒ぎになったらしい。
無理もないか。
伊達から聞いた話によれば、鴨川ジムで名実共に最高の実力者なのが、鷹村だったらしい。
日本においては、どうしても重量級は少ない。
また、鷹村本人も鴨川ジムの会長がスカウトしてきた逸材らしい。
そんな訳で、鷹村の敗北……それも一撃での敗北というのは、鴨川ジムにとっては大きな事だったのだろう。
とはいえ……鴨川会長にとっては驚きではあったものの、実はそこまで俺に対して怒ったりはしていないらしい。
正確には鷹村には怒っているとか。
そして鷹村は鷹村で、俺に対するリベンジの為に今まで以上に熱心に練習をしてるとか。
そういう意味では、寧ろ鴨川会長は俺に感謝しているらしい。
それはともかく……
「速水龍一? それって、確か藤井が言っていた新人戦の優勝候補って奴だよな?」
「そうだ。その速水から試合の申し込みがあった。……どうする?」
鷹村とのスパーをやった日から少し時間が経った。
それでそろそろ俺のデビュー戦を……という話になっていたのだが、そこで音羽ジムからの申し出があったらしい。
「何でまた?」
藤井の話を聞く限り、速水というのは実力派エリートといった感じだ。
そんな速水が、何故試合の相手として俺を指名してきたのか。
当然ながら、俺と速水の間に繋がりは一切ない。
であれば、考えられるとすれば……
「鷹村とのスパーの一件をどうにかして知ったんだろうな」
おやっさんの言葉に俺も賛成だった。
何の繋がりも因縁もない、そんな俺と試合をするとなると、何らかの理由があった筈だ。
そして1990年代においては、情報についてはそこまで厳重に管理してはいない。
あの時にジムにいた誰かが、うっかりと何らかの拍子……それこそ酔っ払った拍子とかにその件を話して、それが音羽ジムに伝わったという可能性もある。
あるのだが……
「とはいえ、鷹村はボクシングの世界では強者なんだろう? そんな鷹村に試合じゃなくてスパーであっても勝った俺に試合を申し込むってのは……どうなんだ?」
速水の売りというのは、全戦全勝で無敗だろう。
後は伊達からちょっと聞いた話によると、美形で女のファンも多いらしいし、いわゆるビッグマウスだとか。
いわゆる、あれだ。
試合前に1RでKOするとか、お前は俺の踏み台でしかないとか……そんな感じの奴。
「多分だが、何かの偶然でアクセルが勝ったと思ったんだろうな。……もっとも、その考えはそんなにおかしくはない。実際、もし俺がアクセルについて何も知らないのなら、そういう風に思うだろう。プロテストに合格したばかりのボクサーと、ミドル級のランカーとの間には、それだけの大きな実力差があるんだから」
「……けど、もし俺と鷹村のスパーについて話したのなら、俺が伊達とスパーをしてるというのも向こうに伝わってないとおかしくはないか?」
俺と伊達のスパーは、仲代ジムにおいては珍しいものではない。
それだけ頻繁にやっているのだから。
……一度も俺が負けた事はないが。
ともあれ、鷹村とのスパーの話が伝わったのなら、伊達とのスパーの件が伝わってもおかしくはなかった筈だ。
なのに、俺に試合を申し込む?
「まぁ、向こうがどう考えてるのかは俺にも分からない。ただ、この件はアクセルにとって……そしてうちにとっても、悪い話じゃない。良くも悪くも速水はこの業界では注目の的だしな」
おやっさんの様子を見ると、どうやら十分にやる気らしい。
なら、俺が別に断る必要はないか。
「分かった、じゃあ試合を受けよう」
「いいのか? ……まぁ、アクセルなら安心して見ている事が出来るから、アクセルが受けるのならそれはそれで構わないが。本来なら……もしアクセルが普通の選手なら、絶対に引き受けないんだけどな。向こうにしてみれば、噛ませ犬との戦いと思っているのかもしれないが、それが間違いだったと教えてやれ」
おやっさんの言葉に俺は笑みを浮かべるのだった。
速水との試合が決まり、時間は流れ……試合前日の計量日となる。
ちなみにボクサーというのは減量が厳しいというイメージがあるものの、俺の場合は混沌精霊なのでその辺は全く問題ない。
自分の意思でその辺を変えられる。
勿論、あまりにも外見からは想像出来ない体重とかになると怪しまれたりするかもしれないが、今の俺の身長からするとそういう問題はない。
そんな訳で、俺はおやっさんと……そして何故か付き添いできた伊達と一緒に、計量をする部屋に入る。
部屋に入った瞬間ざわついたのは、やはりフェザー級の王者である伊達が一緒だからだろう。
……これはつまり、伊達が俺に目を掛けていると、そのように思えるのだろう。
おやっさん的には、話題を大きくして速水との試合を盛り上げようという魂胆なのだろう。
後は、俺と伊達のスパーについて音羽ジム側が何も知らないのかどうかを調査するという意味もあるのだろう。
そうしていると、やがて速水も姿を現す。
ちなみに以前は俺も速水の顔を知らなかったが、試合が決まってからしっかりと過去の試合は見ている。
ショットガンという必殺技……必殺技? まぁ、とにかくそれが代名詞的な存在の男。
計量室に入ってくると、俺を見て笑みを浮かべ……だが、俺の隣にいる伊達の姿を見ると、目を見開いて驚きを露わにする。
やはり伊達が付き添いとしているのは、向こうにとっても予想外だったのだろう。
「やあ、アクセル。こうして会うのは初めてだな。速水龍一だ」
「そうだな。そんな相手から試合の申し込みがあって驚いたが……アクセル・アルマーだ」
そうして短く言葉を交わす。
てっきりもっと何かこう……煽るような事を言ってくると思っていたが、そういう様子もない。
伊達がいるからか?
まぁ、速水にしてみれば伊達は階級的にも年齢的にも……そして恐らく実力的にも、目上の存在だ。
そんな前で煽るような事を言うのは、色々と不味いと思ったのだろう。
……もっとも、煽るような事を言いはしないものの、速水の俺を見る目には明らかに格下を見るような色がある。
無理もないか。
速水はアマでもプロでも全戦全勝という、戦歴だけ見れば化け物クラスの男だ。
そんな速水に対して、俺はアマでの活動実績はないまま、プロでいきなり出て来た存在だ。
……そう、それこそもし俺の過去を調べようとする者がいても、その俺が仲代ジムに世話になる前の事を調べるのはまず不可能だろう。
寧ろそれを調べる事が出来たら、シャドウミラーにどんな好待遇でもいいからスカウトしたいくらいだ。
ともあれ、そんな訳で速水にしてみれば俺は自分の踏み台となる噛ませ犬でしかないのだろう。
あるいは、この世界がもっと進んだ時代……ネットとかが発展していて、携帯とかで気楽に動画を撮れるのなら、俺と伊達のスパーを見たり、あるいは鷹村とのスパーを自分の目で確認出来たりもしたかもしれないが。
「アクセルも速水も、色々と言いたい事はあるだろうが……まずは計量を終えたらどうだ?」
俺と速水の様子を見ていた伊達が、そう告げる。
その言葉は間違いないのだ、一旦矛を下ろして計量を行う事にする。
ざわり、と。
速水が服を脱ぐと、部屋の中にいた者達……記者や関係者達からざわめきが漏れる。
そのざわめきを聞いて視線を向けると……なるほど、ざわめきの理由に納得する。
速水は俺を格下の噛ませ犬と思っているのは間違いない。
間違いないが、だからといって試合に向けてしっかりと身体を作ってはいるのだろう。
それが分かるだけの、引き締まった身体付きをしていた。
とはいえ、俺もそれに負けじと服を脱ぐと……こちらもまた周囲がざわめく。
自分で言うのもなんだが、俺の身体もしっかりと引き締まっている。
……まぁ、その辺は混沌精霊の力もあるのだが。
こっちを見る速水の目が少しだけ変わる。
どうやら俺の身体を見て、多少なりとも認識を変えたらしい。
もっとも、それでもまだそこには侮りの色があるが。
これは自信なのか慢心なのか……ちょっと疑問ではあるな。
ともあれ、部屋の中にいる者達を驚かせつつ計量を終えると、双方共に無事OKが出る。
そうして次に行われるのは、記者達のインタビュー。
ただし……当然の話だが、多くの記者達は俺ではなく速水に対して質問する。
知名度の差を考えれば仕方がないのだろう。
「それにしても、アクセル選手はプロ試験に合格したばかりと聞きますが、速水選手のような強敵を相手によく試合を受けましたね」
そう俺に聞いてきたのは、藤井。
藤井にしてみれば俺と鷹村のスパーを見ていただけに、半ば俺の勝利を確信しているのだろう。
それでも俺にこうして聞いてきたのは、自分は俺の秘密について何も知りませんよと、他の記者達に示す為か。
「勝利を譲ってくれるんだから、それを断る理由はないだろう?」
ざわり、と。
俺の言葉に記者達がざわめく。
無理もないか。
連戦連勝で一度の負けもない速水を相手に、俺は自分が勝利すると断言したようなものだ。
……記者の中には、現実を理解していないといった視線を向けてくる者もいる。
だが、この質問から他の記者達も俺に質問をしてくるようになる。
「アクセル選手は何故そこまで自信があるのですか? 速水選手の戦歴は知ってるんですよね?」
「知ってるけど、それでも勝てると思ったからな」
「へぇ……それはまた。自分で言うのもなんだけど、俺の戦績は伊達や酔狂じゃないんだけどな」
俺の言葉が面白くなかったのか、それとも何か考えがあるのか、速水が俺に向かってそう言ってくる。
でも、そうだな。速水はビッグマウスが売りだった筈だ。
なら、俺もそれに乗せて貰うとしよう。
「確かに速水の戦績は凄いと思う。けど……それは今まで俺と戦っていなかったから無敗なんだと思うぞ」
その言葉に速水は意表を突かれたように数秒沈黙し、笑みを浮かべて口を開く。
「そこまで自信たっぷりだと、明日の試合が楽しみだな。ここまで言ったんだから、1ラウンドでKOされるような事にはならないでくれよ?」
「その言葉はそっくりそのまま返すよ。明日で無敗伝説が終わるんだ。速水は復帰戦が大変だとは思うけど、頑張ってくれ。いや、無敗じゃなくなったんだから、復帰戦の相手はそれなりに多いのか?」
そんなやり取りをしつつ、計量とインタビューは終わるのだった。
「おい、アクセル。お前に言うまでもないと思うけど、明日は試合なんだ。ドガ食いだけはやめておけよ」
ステーキ店で食事をする前に伊達がそう言ってくる。
計量とインタビューが終わった後、俺と伊達がやって来たのは伊達の行きつけ……という程ではないが、前に何度か来た事のあるというステーキ店……いや、鉄板焼き店か? とにかく、そんな店だった。
「そうだな、注意するよ」
そう伊達に返すが、そもそも減量とかは全くしていなかったし、減量からの解放によって美味い料理を食べるといったような楽しみはないんだよな。
いや、普通に美味い料理は好きだが。
それにもしドカ食いしても、俺の場合は体内に食べ物が入れば即座に分解されて魔力として身体に吸収されるので、食べすぎで腹を壊すといった事はない。
とはいえ、その辺の事情について説明している訳でもないので、伊達が心配するのは分からないでもなかったが。
伊達の注意を聞きつつ、ステーキの中でも脂身の少ないヒレの部分を注文する。
個人的にはロースとかそういうのが好きなんだが。
後は、珍しく牛タンのステーキとかもあったので、それも。
他には海鮮も適当に。
ドカ食いと呼べる程の注文ではないのだが、何故か伊達は呆れの表情をこちらに見せてくる。
ちなみにこれは伊達……というか、おやっさんの奢りだ。
俺の強さを知ってるおやっさんにしてみれば、明日の試合が終わった後の事を考えると、このくらいの奢りは問題ないと判断したのだろう。
何しろ無敗の速水がプロテストに合格したばかりの新人に負けるのだ。
もしこれでボクシングがこの世界ではブームとなっているスポーツなら、それこそニュース速報とかが流れてもおかしくはない。
もっとも、今のこの世界のボクシング人気を考えると、専門雑誌とスポーツ新聞、後はニュースのスポーツコーナーとかでの事になる……か?
「アクセルには言うまでもないと思うけど、速水のショットガンには気をつけろよ。あのショットガンって奴は、俺から見ても一級品だ」
食事をしながら伊達がアドバイスをしてくる。
「ショットガンか。……それを使った時が、速水にとっては無敗伝説の終了になりそうだな」
「……何をするつもりだ?」
「それは見てのお楽しみだよ。きっと驚いてくれるとは思うけどな」
「鷹村に勝ったお前のことだ。何をやっても驚かねえよ」
そう言いつつも、伊達は面白そうな笑みを浮かべるのだった。