「うーん……これ、いいのか?」
「俺に聞くな。伊達さんがやると言ったんだから、いいんだろ」
俺の言葉に沖田がそう言う。
そんな俺達……というか、仲代ジムにいる全員の視線は現在リングに向けられていた。
そこにいるのは、伊達と千堂。
千堂が家に帰る金がないと焦っている時、ロードワークを終えた伊達がちょうど帰ってきたのだ。
そして伊達は事情を聞くと爆笑した。
どうやら千堂の行動は伊達にとってそれだけ面白かったのだろう。
そんな訳で千堂を気に入った伊達は、千堂に提案した。
自分とスパーをやれば、その報酬として電車代を渡すと。
当然ながら、千堂はそれに乗る。
千堂にとってボクシングというのは、力と力のぶつけ合いといったものらしいが、それとはまた別に自分の階級のチャンピオンである伊達とスパー出来るチャンスは見逃したくないと思ったのだろう。
そんな訳で、現在リングでは伊達と千堂のスパーが行われてる訳だが……
「子供扱いだな」
「それはそうだ。伊達さんだぞ? 千堂が西日本新人王で優勝したからって、格が違うよ」
沖田の言葉に、そうだろうなと納得する。
実際、日本チャンピオンというのはそれだけの強さを持っているのだろう。
ましてや、伊達は世界チャンピオンにも挑戦した実力の持ち主で、フェザー級という階級ではカリスマ的な存在だ。
俺にとっては、面倒見のいい男という印象しかないが。
そんな風に思っていると、伊達は千堂のパンチを悉く回避し、あるいは自分のパンチで叩き落とす。
同時に相手の動きの癖を読み、一気に前に出る。
千堂はまさかこの短時間で自分の動きを読まれるとは思っていなかったらしく一瞬動揺するが、即座に牽制のジャブを打つ。
この辺り、気の強さが表れているよな。
そんな風に思っていると……千堂が伊達とのやり取りの中、右拳で妙な構えをする。
右ストレートでも、ボディでもアッパーでもない……そんな中途半端な、フックとアッパーの中間的な構え。
「何だ?」
沖田もそんな千堂の様子に疑問を抱いた様子だったが……
「スマッシュ!?」
次の瞬間、千堂の打ったパンチを見た沖田が叫ぶ。
「スマッシュ? 何だそれは?」
「あのパンチの名前だよ」
俺の言葉にそう答える沖田。
なお、リングの上ではそんな千堂のパンチ……スマッシュだったか? それを伊達は素早く後ろに跳んで回避していた。
千堂にとって、今のスマッシュというパンチは余程に自信のあるものだったのだろう。
だが、そのパンチを伊達は容易に回避してみせた。
それが千堂にとっては信じられず……一瞬の動揺を突いて間合いを詰めた伊達の右ストレートをまともに食らってダウンするのだった。
「うわぁ……さすがチャンピオンやな。まさかワイのスマッシュをこうも簡単に対処されるとは思えへんかったわ」
スパー終了後、千堂は伊達に向かってそう言う。
その表情には悔しそうな色はあるが、それは決してマイナスの意味ではない。
俺の目には、寧ろ将来的に戦うだろう相手の実力を知れて面白いといったようにすら思えた。
少し話しただけで、千堂の性格は分かる。
いずれチャンピオンと戦う時の事を想定しての行動なのは間違いないだろう。
「にしても、ワイの秘密兵器やったスマッシュ……秘密兵器……あ……」
伊達と話していた千堂は、話の途中で言葉を止め、こちらに視線を向けてくる。
うん、千堂が口にした秘密兵器というのは、間違いなく俺に対する秘密兵器だったのだろう。
だが、伊達とのスパーでムキになった千堂は、その事を完全に忘れて使ってしまったらしい。
実際、スパーでは千堂はどう見ても不利な状況だった。
パンチ力が自慢の千堂だったが、そのパンチも当たらなければ意味はない。
……当たらなければどうという事はないとか、何かで聞いた覚えがあるが、まさにそんな感じだ。
そんな風に考えていると、不意に千堂が俺に向かって近付いてくる。
「アクセル、お前……ワイの秘密兵器を知る為に仕組んだんやな!」
「おい」
思わずそう突っ込みたくなった俺は、決して悪くはない。
そもそもの話、千堂が伊達とスパーをやる事になったのは大阪に帰る電車賃がなかった為だ。
だからこそ、伊達がスパーの相手をしてくれれば、バイト代を出すと提案したのだ。
そこに俺がどうこうと言われても困る。
「せやけど、ワイのスマッシュは奥の手やったんやで? それを見たんやから……」
「あー……分かった分かった。なら、お前にも俺の奥の手を見せてやるよ」
このまま千堂に好き勝手に喚かれると面倒だし、実際これからやるのは奥の手だと知っていても対処するのは難しい。
なので、見せても構わないだろうと判断する。
「おいおい」
そんな俺に対し、呆れた様子の伊達。
まぁ、伊達は俺が何をやろうとしているのか十分に理解しているのだから、そういう態度をとっても仕方がない。
「ホンマか?」
「ああ。とはいえ、さすがに直接千堂に使ってみせたりは出来ないから……サンドバッグだな。ちょっと来い」
そう言い、俺は千堂を……そして伊達と沖田を引き連れて複数あるサンドバッグの1つに近付く。
「悪いが、ちょっと貸してくれ」
「あ、はい」
俺の言葉に、練習生が場所を譲る。
仲代ジムはボクシングジムの中でもかなりの大手だ。
それだけにサンドバッグの数もかなりあるのだが、同時に大手だけに練習生も多い。
俺と親しいプロは伊達と……最近は沖田だけだが、他にもプロは結構な数がいる。
そんな訳でサンドバッグが複数あっても、空いている時というのはそんなに多くない訳だ。
もっとも、東日本新人王になった俺に頼まれると、練習生は喜んで譲ってくれたが。
……それどころか、期待を込めた目で俺を見ている。
多分、俺と千堂の会話が聞こえていたんだろうな。
そして間近で俺の奥の手を見られるのが、それだけ嬉しいのだろう。
ちなみに期待を込めた視線をこちらに向けているのは、千堂も同様だ。
いや、明らかに千堂の方が期待が大きい。
「いいか? 千堂が見せたスマッシュは1発だったから、俺が見せるのも1度だけだ」
「構わへん。早う見せてや」
千堂の言葉に俺は構える。
そして右ストレートを放つ。
ただし、その右ストレートはただの右ストレートではなく、伊達の得意とするパンチ……コークスクリューだ。
これ、本当に威力が高くて、実はここにあるサンドバッグの1つを破いて壊してしまったんだよな。
なので、力の加減をしっかりとして、サンドバッグが壊れないようにしての一撃だ。
ズドン、と。
他にサンドバッグを叩いている者達までもがその音を聞いてこちらに視線を向けるような、そんな音が周囲に響く。
サンドバッグは俺の考え通りに破れず……くの字になって、上に跳ね上がる。
コークスクリューでもこうなるんだな。
そんな風に思いながら、片手で暴れているサンドバッグを止め、千堂に視線を向ける。
「これが俺の奥の手だ」
「……えげつない破壊力やな。コークスクリューブローは使える者はそう多くない筈なんやけど」
どうやら千堂はコークスクリューブローと呼ぶらしい。
いやまぁ、そっちの方が正確な名称なのは間違いないのだが。
コークスクリューというのは省略した名前だし。
「うちには、コークスクリューの名手がいるしな」
「……アクセルに言われてもなぁ……」
伊達に視線を向けると、そんな風に言ってくる。
とはいえ、俺にコークスクリューを仕込んだのは伊達だ。
それに、俺のコークスクリューはまだ使えるだけで、使いこなせている訳ではない。
そういう意味では、まだ不完全な代物ではある。
とはいえ、自分で言うのもなんだが俺の戦闘センスというのは非常に高い。
今はまだ完全ではないにしろ、実際に千堂と試合をする時までにはしっかりと仕上げるつもりだ。
それに……今の一撃を見ただけでは、俺のコークスクリューがまだ完成している訳ではないというのは分からないだろう。
そういう意味で、ここでコークスクリューを見せたのは決して悪い話ではなかった。
「おう、アクセル。スパーやろうぜ、スパー!」
千堂が帰ってから数日、今日の仲代ジムは千堂の代わりに鷹村の姿があった。
「いや、お前は鴨川ジムの所属だろう。何でここにいるんだ?」
「俺のスパーリング相手がいないからだよ」
「それはお前の都合であって、俺には関係ないと思うんだがな」
そう言いつつも、鷹村の気持ちは分からないでもなかった。
日本人でミドル級の選手となると、どうしても数が少なくなる。
だからこそ、鷹村は俺をスパーの相手に選んだのだろう。
……常識的に考えれば、ミドル級の選手、それもランカーが東日本新人王とはいえ、フェザー級の選手でしかない俺とスパーをするのは、馬鹿げている。
とはいえ、その馬鹿げている行動を成り立たせるのが俺な訳で……
「アクセル、悪いが頼めるか? 鴨川会長から頭を下げられたら、断るに断れん」
おやっさんがそう言ってくる。
鴨川会長は、ジムの規模としては決して大きくはない。
だが、その手腕はやり手として知られており、おやっさんも以前何度か世話になった事があるらしい。
まぁ、そういう事ならいいか。
「それに……千堂はハードパンチャーとして有名だ。アクセルなら心配する事はないと思うが、その対策として考えれば悪くないだろ」
「……それはちょっとどうかと思うけど」
千堂は間違いなく能力の高いボクサーだ。
それは間違いない。
だが同時に、鷹村もまた高い能力を持つ……それこそ世界を狙えると言われるだけの力を持つボクサーだ。
お互いの実力を考えると、圧倒的に鷹村の方が上だろう。
ボクシングスタイルが違うので、単純に比較は出来ないが。
「おい、アクセル。早くスパーをやるぞ!」
おやっさんとの話をしていると、鷹村からそんな風に呼ばれる。
仕方がないか。
実際、鷹村とのスパーは俺にとっても決して悪くないのだから。
俺は準備を整えるとリングの上に立つ。
「一応言っておくが、俺もそれなりに攻撃をするからな」
コークスクリューを使いこなすようにするには、鷹村は悪くない相手だ。
ミドル級という事で身体も大きいし、耐久力もフェザー級の一般的なボクサーより上なのは間違いないだろう。
だからこそ、俺にとっては丁度いい相手でもある。
自分で言うのもなんだけど、コークスクリューの威力は高い。
そうである以上、伊達や沖田との模擬戦で迂闊に使う訳にはいかないしな。
カンとゴングが鳴ると同時に、鷹村は一気に間合いを詰めてくる。
へぇ……速度が少しだが確実に上がっている。
夏にやった合宿の成果が出ているのか?
左ジャブが連続して放たれる。
ジャブの速度は速水のショットガンには及ばないものの、それでも十分な速度のジャブだったが……
俺はその左ジャブを全て回避し、右のジャブも改めて放たれ始めるが、それも回避し続ける。
「っと」
ジャブだけでは埒が明かないとでも思ったのだろう。
鷹村はジャブに混ぜつつボディを狙い始めた。
ジャブでこちらの意識を上に集めておいて、その隙を突こうとしたのだろうが……
素早く右に跳び、ボディの一撃を回避する。
まぁ、ボディに一撃くらいは食らっても構わないんだが、わざわざ鷹村をいい気分にさせる必要もないだろう。
そうして回避すると……
「そろそろ、こっちも行くぞ?」
鷹村に聞こえるように呟き、前に出る。
それを見た鷹村は、手を自分の身体の前で交差される。
クロスアームブロックか。
非常に高い防御力を持つ構えで有名な防御方法だったが……ある意味、俺にとっては丁度いい。
「死ぬなよ」
その声が聞こえたのかどうかは分からないが、コークスクリューを放つ。
クロスアームブロックのちょうど真ん中……一番高い防御力を有する場所に命中し……
「うおっ!」
その一撃に耐えられず、鷹村は吹き飛ばされ、ロープに身体をぶつけることでようやくその動きが止まる。
鷹村はすぐに構えようとするが……
「そこまでだ!」
おやっさんの声が響く。
無理もないか。鷹村は今の一撃で両手が上がらなくなっており、だらんとしているし。
殴った時の感触からして、折れてはいないと思うが。
「大丈夫か?」
「……なんてパンチ使いやがる。そこの親父の仕業か?」
鷹村はリングサイドにいる伊達に視線を向ける。
その伊達は、してやったりといった様子で笑みを浮かべていた。
鷹村と伊達は親しいんだから、伊達がコークスクリューを使うのは当然ながら知っている。
そして俺が今まで使っていなかったコークスクリューを使ったのだから、誰がそれを仕込んだのか、伊達には容易に想像出来たのだろう。
「ったく……まだ腕が痺れて持ち上がらねえ……コークスクリューをあの速度で放つってのは反則だろ。使える奴が少ないってのに。てっきりショットガンシェルを使ってくるかと思ったよ」
「残念だったな。俺もそれなりに……いや、待て。ショットガンシェル……コークスクリュー……なるほど、これはちょっと面白いかもしれないな」
鷹村の言葉に、俺は笑みを浮かべるのだった。