「おう、よく来たな。この日が来るのを楽しみに待っとったで」
リングの上で、千堂が面白そうに俺に向かってそう言ってくる。
千堂にしてみれば、思う存分戦える相手がいるという事で、その言葉通り俺との試合が待ち遠しかったのだろう。
その目に浮かぶ光には、獰猛な色の他に遠足前の前日の子供のような、待ち遠しいといった光もある。
「そうか。俺に全日本新人王の座をくれるのを楽しみにしていたというのは、ありがたいな」
「はっ、抜かせ」
軽い挑発をするも、それが効いた様子はない。
それどころか、寧ろより戦うのが楽しみになったといった様子ですらある。
うーん……普通ならこういう千堂を前にしたら怖がるのかもしれないが、こうして俺と戦うのをそこまで楽しみにしていたとなると、悪くない気分ではある。
「俺に勝つ算段は整ったのか?」
「こっちの手の内を話すと思うんか?」
「千堂の事だから、話の流れで言うかと思っていたんだが……」
そうして言葉を交わしていると、もう前置きは十分だと判断したのかレフェリーが会話に割って入る。
「双方、その辺にしておけ」
そうしてレフェリーからの諸注意がされ……俺と千堂が少し離れたところでゴングが鳴り、試合が開始される。
いつものように右グローブを伸ばすと、千堂も右グローブを伸ばし、グローブとグローブがぶつかった瞬間、千堂は一気に前に出る。
そして独特な構えから放たれるのは……スマッシュ。
ぶん、と。
そのスマッシュは一瞬前まで俺のいた場所を貫く。
俺の姿は、既に先程の場所から後ろに跳んで千堂と距離をとっていた。
そんな俺に向かい、千堂は一気に前に出る。
試合開始でいきなりの秘密兵器の投入というのは少し驚いたが、千堂にしてみれば仲代ジムに来た時に既に俺にスマッシュを見せている。
そうである以上、わざわざ隠しておく必要はないと考えたのだろう。
とはいえ、さすがにジャブもなしにスマッシュを打ったのは最初だけで、それからはジャブを中心に攻撃をしてくるが……甘い。
そのジャブの全てを回避し……よし、試してみるか。
10秒程ジャブの連射を回避し続けていたが、そこでこちらも奥の手を出す。
向こうが奥の手を最初に使ったのだから、こっちだけが隠しておく必要もないだろう。
千堂のジャブに対し、回避しつつジャブのカウンターを放つ。
ただし、そのジャブはただのジャブではない。コークスクリューのジャブだ。
普通、コークスクリューというのはストレートで使われる。
それは腕の負担を考えてというのが大きい。
だが……混沌精霊である俺にしてみれば、そんな負担は気にしなくてもいい。
ジャブ1発ですら、コークスクリューで使えるのだ。
そうして離れたジャブのコークスクリューは、千堂の顔にヒットし……
「うぐっ!」
その一撃は十分な威力があったらしく、ひたすら前に出て攻撃をしていた動きが止まる。
そんな千堂の姿に、観客席からは驚きの声が聞こえてきた。
どうやら観客達にしてみれば、千堂がこうもあっさりと押し負けるとは思っていなかったのだろう。
「おんどれぇ……」
ジャブ1発で吹き飛んだ千堂は、口では悔しそうにしながらも、そこには闘志溢れる光がある。
「さて、行くぞ? すぐに終わったりはするな……よ」
その言葉と共に俺はその場から移動する。
既に俺の十八番となった、相手の瞬きに合わせての移動だ。
瞬きというのは一瞬のものではあるが、その一瞬を見極めるのは俺にとっては難しくはないし、そしてその一瞬で移動するのも俺にとっては難しくはない。
一瞬にして千堂の真横に移動した俺は、そのままショットガンシェルを放つ。
「ぐうぅっ!」
だが、驚くべきは千堂の本能だろう。
最初の数発はショットガンシェルを食らったものの、半ば本能による行動でガードしながら距離を取る。
とはいえ、こちらもそんな千堂の動きを見逃す筈もなく……右ストレート、それもコークスクリューによる一撃を放つ。
ごん、と。
とてもではないが人の顔を殴ったとは思えないような、そんな音と感触が手に残り、千堂が吹き飛んだ。
あ、これちょっと危険な吹き飛び方では?
そう思いつつ、レフェリーの指示に従ってコーナーに戻る。
俺のコークスクリューは、ある程度力を入れるとサンドバッグを破壊するだけの威力がある。
今の千堂に対する一撃はそこまでの威力を込めてはいなかったが、それでも相応の……人を吹き飛ばすだけの威力はあった。
「6……7……」
レフェリーのカウントが進むが、歓声が響く。
千堂が立ち上がったのだ。
これはまた……ちょっと予想外だったな。
いや、そうでもないのか?
今までにも俺の攻撃を食らってダウンしつつも、立ち上がってきた者はいる。
ましてや、千堂は元不良……つまり、喧嘩慣れをしている。
であれば、俺のパンチを食らってもまだ戦えてもおかしくはない。
……とはいえ、それでもダメージが大きいのは明白だ。
レフェリーにまだやれると口にし、実際に構えているが、その目は朦朧……とまではいかないが、明らかに先程の攻撃によるダメージは残っている。
ここは一気に畳みかけるべきだな。
「ファイッ!」
千堂がまだやれると判断したのだろう。
なら、レフェリーの判断に従い、俺もまた試合を続ける。
レフェリーの声と共に動いたのは、千堂……そして俺。
同時に前に出て、それでいながら明らかに千堂のいた場所の近くで向き合う。
これは、加速力の差だ。
そして同時に放たれる拳。
ただし、千堂は自信のあるスマッシュによる一撃で俺の顎を狙うのが分かった。
千堂にしてみれば、まともに正面からやりあって俺に勝利出来るとは思っていないのだろう。
なので、顔面に渾身の一撃を放ち、俺を気絶させて勝利しようと思ったのだろうが……残念だったな。
スマッシュは伊達に使ったのを1度見ているし、この試合でも最初に俺に使ってきたのを見た。
そしてこれが3度目だ。
そうである以上、俺にとって既に脅威ではない。
あるいはスマッシュ以外にも何らかの奥の手を用意していれば話は別だったかもしれないが、ここに来ても再びスマッシュを打つということは、他に奥の手を用意出来なかったのだろう。
……もっとも、千堂が仲代ジムに来てから今日までそんなに時間があった訳ではない。
もしその短時間でスマッシュ以外の奥の手を用意しようとしても、それは付け焼き刃の中途半端な武器にしかならなかっただろう。
そういう意味では、スマッシュを磨いた千堂の選択は悪くなかった。
そんな風に考えながら、俺はコークスクリューの右ストレートを放つ。
俺と千堂の間にはそれなりの身長差があるが、スマッシュを打つ為に微かに身を屈めている千堂との間では、丁度その身長差がなくなる。
そしてスマッシュの一撃を踏み込みながら顔を傾けて回避し、カウンター……クロスカウンターによる一撃を千堂の顔面に叩き込む。
ゴギャッ、という……まるで肉の塊をハンマーか何かで叩いたかのような音が周囲に響き、そのまま千堂は吹き飛ぶ。
それこそ冗談のように千堂は縦に一回転、二回転し、一番上に張られたロープにぶつかったかと思うと、その反動によって客席に飛んでいった。
しん、と。
あまりの光景にだろう。客席どころか、レフェリーすらも沈黙し、試合会場は沈黙に包まれる。
「レフェリー」
「っ!?」
固まっていたレフェリーに声を掛けると、その声ですぐにレフェリーは反応し……10カウントを最後まで数えることなく、TKOを宣言するのだった。
「千堂は無事だそうだ」
控え室に戻ってきてインタビューに答えていると、部屋の外で誰かと話をしていた沖田がそう言ってくる。
どうやら運営スタッフと話をしていたらしい。
最後は完全に気絶し、担架で運ばれていったので少し心配していたんだが。
「そうか。……よかった」
しみじみとそう思う。
正直なところ、最後のコークスクリューはちょっと手加減をミスった。
しかもクロスカウンターでの一撃だったことを思えば、千堂の受けたダメージはかなり大きいだろう。
それこそ最悪死んだりしてもおかしくなかっただけに、沖田の言葉には安堵した。
……というか、千堂も大概頑丈だな。
「それで、千堂からメッセージだ。今日は負けを認めておくらしい」
「今日は、か。千堂らしい負けず嫌いが出てるな」
記録だけを見れば、俺の1RでのKOだ。
とはいえ、千堂は実際にかなり強かったのは間違いない。
まさか俺の一撃を食らって立ち上がるとは思わなかったし。
……多分だけど、一歩のライバルとして活躍するという流れだったんだろうな。
「それで、アクセル選手。今日見せたコークスクリューですが……あれはやはり伊達選手から?」
千堂の事は取りあえず一段落したと判断して質問をしてきたボクシング記者の言葉に頷きを返す。
「そうだ。まだ完全に使いこなせているとは思えないが、それでも俺のパンチの威力が一段と上がった事は間違いない」
「……アクセル選手の一撃の威力が上がるとなると、対戦相手にとっては悪夢ですね」
今日の千堂の最後を思い出せば、その記者の言い分も分かる。
そんな風に考えていると、別の記者が口を開く。
「今の質問にも関わってきますが、アクセル選手のパンチ力はもうフェザー級でどうこうと言えるものではありません。それこそもっと上の階級でも通用するのでは?」
「どうだろうな。とはいえ、体重を安易に増やすのは、それはそれで問題だろうし」
実際には混沌精霊の力で体重とかは自由に変えられる。
例えば、今の俺の外見で100kgとかにするのも簡単ではあるのだ。
「今日の試合を見る限り、体重を増やさなくても十分に上の階級で戦えるのでないかと思えるのですが」
「……え?」
その言葉は、俺にとってもちょっと予想外だった。
あれ? ボクシングの階級って体重で決まってるんじゃないのか?
俺の体重からして、フェザー級でデビューしたが……もしかして体重はある程度無視出来たりするのか?
勿論、体重というのはボクシングの中で大きな意味を持つ。
そう考えると、下の階級は無理でも上の階級は問題ないとか、そんな感じか?
……ボクシングについての知識が浅いのが俺の欠点だな。
「アクセル選手?」
「あ、いや。何でもない。そうなったらそうなったで面白そうだと……」
その言葉の途中で部屋の中に誰かが入ってくる。
誰なのかと視線を向けると、そこにはクミコの姿があった。
そして俺の視線を追った他の記者達も、クミコの姿を見て驚き、同時に納得の表情を浮かべる。
まぁ……あのインタビューでの一件があるしな。
「悪いが、インタビューはこの辺で終わりにしてくれ」
そう言うと、記者達も大人しく引き下がる。
中には不満そうな記者もいたが、インタビューの時間は結構あったのだから、満足して欲しい。
あるいは俺とクミコのやり取りを少しでも聞いて、それを記事に載せたいとか考えているのかもしれないが。
とはいえ、そんな記者も集団圧力の前には引き下がるしかなく、他の記者達と一緒に部屋を出ていく。
そしてチラリと見えたのだが、部屋の前にはクミコのボディーガードが立っている。
無理もないか。
俺とクミコの会話を記者に聞かれて雑誌に載ったりしたら、その内容によってはクミコにも……所属事務所にも被害があるのだから。
そういうのを避ける為に、扉の前で護衛をしてくれているのだろう。
今この部屋にいるのは、俺とおやっさん、トレーナー、沖田、そしてクミコだ。
「えっと、その……俺達はちょっと用事があるから部屋から出ているな」
おやっさんがそう言い、他の面々を引き連れて部屋から出ていく。
そして残ったのは、俺とクミコの二人だけ。
「おめでとう、アクセル。……まさか、あんなに凄い光景を見られるとは思っていなかったわ」
「千堂が縦に二回転したしな。ロープの件も入れると三回転か」
とはいえ、一歩もプロテストで相手を縦に一回転させていた。
そう考えれば、今回の件はそこまで珍しくはない……のか?
「大丈夫だったの?」
「ピンピンしてるらしい。今日は負けたって伝言まで貰ったよ」
「ふふっ、それ随分と負けず嫌いなのね」
クミコは笑みを浮かべてそう言う。
結構凄惨な場面だったと思うんだが……まぁ、その件で責められるよりは、俺としてもやりやすいけど。
「さて、取りあえずこれであのインタビューで約束したように俺は全日本新人王になった訳だが……」
「そうね。あの時に話を聞いた時は驚いたけど……全ての試合を1Rで勝ってるんですもの。それだけの実力があれば、ああいう風に大きな事を言えるのも納得よね」
「そう言って貰えると助かるよ。それで……あのインタビューにあったように、食事でもするか? 今更のような気もするけど」
酔った勢いとはいえ、肉体関係を結んだのだ。
それから食事というのは……いやまぁ、その事実を公表出来ない以上、食事はした方がいいだろうけど。
そんな風に思いつつ、俺はクミコと話すのだった。