「えっと……何で冴木がここにいるんだ?」
とある日、俺が仲代ジムに顔を出すと、何故かそこには数日前に雑誌で見た顔があった。
スピード・スターの異名を持つ、冴木卓麻だ。
その冴木は、俺を見つけると笑みを浮かべて近付いてくる。
「よう。アクセル・アルマーだよな」
「かのスピード・スターに名前を覚えられているとは思わなかったな」
「はっはっは。絶望の大魔王なんて大層な異名を付けられている奴を知らない方がおかしいだろ。今度一緒にA級トーナメントに出るんだし」
「そう、それだ、今度同じ大会に出るというのに、何だって同じ出場者のいる仲代ジムに顔を出したんだ?」
「同じ大会だが、当たるとしたら決勝だろう? なら、別に来てもおかしくはないと思うけど」
そう言われればそうなのか?
1回戦で当たる相手のいるジムに行くのは色々と問題があるかもしれないが、次の試合の相手となると、おかしくはない……かも?
とはいえ、フェザー級は4人だけだしな。
おやっさんに視線を向けると、おやっさんは無言で頷く。
それはつまり、冴木の一件は問題ないと判断しているのだろう。
なら、別に俺が何かを言うつもりはない。
会長のおやっさんが認めている以上、俺が何かを言う必要はないだろうし。
「分かった、冴木がここにいるのは分かった。けど、一体何をしに仲代ジムに来たんだ?」
そう、それが疑問だった。
決勝で戦うかもしれない相手に自分の情報を与えるというのは、半ば自殺行為だろう。
ましてや……自分で言うのも何だが、絶望の大魔王なんて異名を持っている俺を相手に。
普通なら……それこそ俺の強さを知ってるのなら、わざわざ自分の情報を知られるような事はしない筈だ。
だというのに、冴木は何をしにこの仲代ジムに来たのか。
「いや、実は伊達さんとスパーをやりたいと思ったんだけど……そうしたら、伊達さんがアクセルとスパーをやった方がいいって言うから」
「……伊達?」
「アクセルの相手はアマの元チャンピオンのヴォルグだろう? なら、同じ元アマのそいつとスパーをやるのは悪くない。そして冴木も、1回戦の相手の幕之内を倒したアクセルとスパーをするのは悪くない」
ああ、なるほど。一応伊達なりに気を遣ったのか。
とはいえ、同じアマ出身であってもヴォルグと冴木では……こう言ってはなんだが、格が違う。
元チャンピオンと、国の代表とはいえ実績――世界でのという意味で――のない冴木では、どうしても同格と見る事は出来ない。
とはいえ、それでもアマというのは……こう言ってはなんだが、細かい技術という点ではプロよりも上だと聞く。
そういう意味では、冴木とのスパーで得るものはあるだろう。
それに、一歩とは試合をしたが、冴木とは実際に会うのはこれが初めてだ。
であれば、冴木がどういうボクシングをするのか、実際に見ておくのも悪くはない。
……原作では、この辺どうなっていたんだろうな。
もっとも俺が介入してる以上、今の時点で既に原作とは色々と違う状況になっているのは間違いないが。
「なるほど。……じゃあ、どうする? スパーをやるか?」
「勿論、そうさせて貰うよ。噂の絶望の大魔王の力、見せて貰おうか」
そう言い、冴木は好戦的な笑みを浮かべるのだった。
「で、力を見せた訳だが……どうする? まだ続けるか」
俺はリングに片膝を突いている冴木に尋ねる。
冴木とのスパーは……こう言ってはなんだが、俺の圧勝だった。
というか、宮田との試合の時もそうだったが、アウトボクシングの選手というのは、俺との相性が悪い。
それもちょっとやそっとではなく、致命的なまでに。
何しろアウトボクサーというのは、基本的に足を使った速度が自慢だ。
素早く相手に近付いて一撃を入れ、即座に離脱。
端的に言えば、こんな感じの戦闘スタイルだ。
そして俺の身体能力は、そんなアウトボクサーの速度を上回る。
その時点でアウトボクサーは自分の得意な分野で俺に上回られてしまう。
勿論、速度以外にも武器があれば話は違ってくる。
具体的には、宮田のカウンターのように。
しかし、冴木は速度こそ宮田よりも上だったし、独特の……普通のボクサーとは違うリズムなので、最初に相手をする時は戸惑うかもしれないが、言ってみればそれだけだ。
速度に全振りしたのが冴木である以上、その速度で上をいく俺と戦えば……それが、今の光景を示していた。
「……まだ、やらせて貰おう」
膝を突いた状態から立ち上がり、再び構える。
この構えも一般的なボクサーとは違う。
これがアマ流なのか、それとも冴木独自のものなのかは分からないが。
普通のボクサーは基本的に前後の移動をしやすいような構えだが、それと比べると冴木の構えは前後左右に動きやすい構えとなっている。
勿論、そうなると前後だけの動きだけは普通の構えの方が上なのだが、冴木の速度を十分に活かすには今の構えの方がいいと判断したのだろう。
「分かった。じゃあ、ゴングを頼む」
その言葉に、いつの間にかリングの側にやってきていた沖田がゴングを鳴らす。
カン、という音と共にキュキュキュという冴木のボクシングシューズがリングの上で音を立て始めた。
それを見ながら、俺もまた同様に足を使い始める。
そして冴木が動き始めようとした瞬間、その機先を制するような形で動く。
冴木もそんな俺の行動に負けないように動くものの、既にその時は俺は冴木の近くにいる。
そんな俺を近づけさせまいと、冴木はジャブの連打を放つ。
しかし、キュキュっという音と共に冴木のジャブを回避する。
そしてジャブに対するカウンターを放つ。
力を入れてはいないので、威力そのものは強くないものの、それでもカウンターとして命中しただけに相応の威力はある。
しかし、冴木はスパーという事もあってかアドレナリンが出ているのか、カウンターが命中した痛みを全く気にした様子もなく、反撃の一撃を放ってくる。
しかし、そのパンチが届いた時、既にそこに俺の姿はない。
俺のいた空間を貫くパンチ。
この空振りというのは、何気にボクサーの体力を削る。
もっとも、それが効果を持つのは1Rだけではなく、もっと後の話だ。
それでも動きに影響してくるのは間違いない。
冴木のパンチを次々と回避していく。
スピード・スターの異名を持つ冴木だが、その速度という点でも俺の方が勝っている。
とはいえ、冴木もオリンピックに内定していただけの実力はある。
1発のパンチを放つ際にも細かいフェイントを入れたりして、俺に攻撃を命中させるように工夫をしていた。
そのフェイントはかなり慣れたものだが……これもまた、相性が悪いとしか言いようがない。
これまで、限りない程の命のやり取りをしてきた俺にしてみれば、この程度のフェイントは容易に見抜ける。
結果として、冴木は大小様々なフェイントを入れるが、その全てを俺は見抜く。
……あるいは見抜けなくても、俺の身体能力があればフェイントだと判断してから即座に対処するのも難しくはないのだが。
ただ、このフェイントの技術は俺にとっても勉強になるのは間違いない。
伊達や沖田とスパーをやる時も、当然ながらフェイントの類は使われる。
だが、フェイントの多彩さという意味では、間違いなく冴木は沖田は勿論、伊達よりも上手い。
そういう意味では冴木の技術が一級品なのは間違いなかった。
そうしてフェイントの仕方を理解すると、そのフェイントを使っていく。
すると冴木は素早いフットワークでリングの上を動きながらも、驚愕の表情を浮かべる。
自分の使ったフェイントがそっくりそのまま自分に使われているのだから、驚くなという方が無理だろう。
そうして驚いた瞬間、冴木は自分でも気が付かないうちに一瞬の隙を見せる。
そうして隙を見せた瞬間、そして冴木が瞬きをした瞬間に俺は一気に移動し、冴木の真横まで移動する。
この、瞬きをした瞬間に動くというのは、ショットガンシェルやコークスクリューと同じく俺の代名詞となっている。
戦っている方にしてみれば、一瞬にして姿を消しているのだから、対応するのは難しい。
……そして俺にとっては幸運な事に、未だにこの瞬きの隙を突いて行う移動の種は割れていなかった。
いやまぁ、もしかしたら詳細に研究をしている者なら気が付いているのかもしれないが、大々的に公表していない以上は問題ない。
そうして冴木の真横に移動すると、ショットガンシェルを放つ。
ガガガガ、という音と共に冴木の顔面に命中し……そして冴木は倒れ込むのだった。
「手加減しただろ?」
気絶していた冴木が起きあがり、呆然とした様子で椅子に座って休んでいるのを見ていると、いつの間にかやって来たのか藤井がそう聞いてくる。
「そこまで手加減をした訳じゃないけどな。それは冴木の様子を見れば明らかだろう? それに、これはあくまでも試合じゃなくてスパーだし」
藤井は俺の言葉に、困った様子で頭を掻く。
「困ったな。ヴォルグが来る前は冴木がA級トーナメント優勝の最有力候補だったんだぜ? そんな冴木を、こうもあっさり倒すってのは……」
「一歩が俺と同じ事を出来るとは思えないけどな」
一歩は純粋なファイター……インファイトの専門家だ。
俺のように冴木を上回る動きをするというのは不可能だ。
……もっとも、この世界の原作の主人公らしく、俺とは別の手段で冴木と戦うのだろうが。
「あー……その事だけど、幕之内は多分A級トーナメントに出るのは難しい」
「……何があった?」
藤井の口から出たのは、俺にとって完全に予想外の言葉だった。
原作的な流れを考えても、ここで一歩がA級トーナメントに出ないという選択肢はないと思うんだが。
一体何があった?
そんな俺の疑問に、藤井は言いにくそうにしながらもやがて口を開く。
「実は、幕之内のお袋さんが倒れてな。幕之内の家は釣り船屋をやってるんだ。それも母子家庭でな」
「それは……また……」
ボクシング選手というのは、決して儲かる仕事ではない。
それこそ純粋にボクシングだけで食べていけるのなんて……一体どれくらいいるのやら。
これで速水や宮田、冴木のように美形であれば、CMに出たりするチャンスがあるかもしれないが、一歩はそういうのは無理だしな。
そんな中で家計を支えていた母親が倒れたとなると、確かに一歩にしてみればA級トーナメントに出るよりも、母親の看病や家の事を重視するだろう。
これで父親がいればまた話も違ったのかもしれないが、母子家庭である以上そういうのはなさそうだし。
「冴木はそれを知って……はいないだろうな。もし知ってれば、俺のスパーをやりに来たりはしないだろうし。……いや、もしくはだからこそ決勝を考えてスパーをしにきたのか?」
決勝で自分の戦う相手が俺がヴォルグかは分からないが、絶望の大魔王なんて異名がついているくらいだ。
俺と戦う可能性が高いと思って、あるいはその辺を考えなくても2分の1の確率である以上、俺の力を知っておきたいと思ったからか。
「さて、その辺は俺にも分からないよ。ただ、今のスパーは金を取っても問題ないだけの内容だった。それだけは事実だと思うけど。なぁ?」
藤井が視線を向けて聞いたのは、藤井の相棒とも呼べるカメラマン。
その顔は俺も知っている。
今まで話した事は殆どなかったが、藤井と一緒に何度も仲代ジムに来てるし。
「えっと、そう聞かれても……」
藤井の言葉に、男は困ったように言う。
それでも藤井の視線に負けたのが、渋々といった様子で口を開く。
「そうですね。多分多くのボクシング選手が金を払ってでもみたいと思うような内容だったのは間違いないと思います」
その言葉は藤井が無理矢理言わせたようにしか俺には思えなかったのだが、別に俺がその件について何か言う必要はないだろうと黙っておく。
俺のスパーを金を払っても見たいと言うのなら、それはそれで俺としても構わない。……いや、嬉しいことなのは間違いないのだから。
「な?」
カメラマンの言葉にそう言ってくる藤井。
いや、それで俺にどう反応しろと?
「まぁ、冴木がスパーをしにやってきた件はともかくとして……ヴォルグとの試合については俺も楽しみにしてるよ。同じアマでも、向こうは冴木と違ってアマの王者らしいし」
「そうしてくれ。やっぱり日本ボクシングの王者は日本人であって欲しいし」
俺の言葉にそう返す藤井だったが、戸籍とかはともかく、俺の外見は明確に西洋人のものなんだが。
そんな俺が日本人という風に藤井に扱われているのは……喜べばいいのか?
取りあえず残念がるような必要がない事なのは間違いないだろう。
藤井が俺に好意的なのは間違いない。
まぁ、藤井に……というか、ボクシング雑誌の記者としては、絶望の大魔王なんて異名を持つ選手との関係を良好にしておくのは当然なのかもしれないが。
そんな風に思いつつ、俺は藤井と色々と話をするのだった。