一歩の拳が一瞬前まで俺のいた空間を殴る。
それは既に数度繰り返された行動。
だが、一歩の殴るタイミングは1発ごとに増していた。
それはつまり、俺の行動を先読みしているということを意味している。
既に1Rも2分は経過した。
これ以上一歩の学習能力に付き合う必要もないだろうと判断し、決めるべき動きに出る。
今までのジャブは、全て顔を狙って打ってきた。
それは一歩の視界を狭めるという意味があったが、それ以上にボディから意識を外させるというのも大きな目的だった。
再び一歩に近づき、横を通り抜ける振りをし……キュッ、と音を立てて俺の足が止まる。
そして俺の前方を一歩のジャブが通りすぎる。
もしあのまま移動していれば、タイミングは合っていたか……それとも間一髪外れたか。
そんな微妙なタイミングでの一撃。
「え?」
思わずと言った様子で出た一歩の言葉。
まさかここで俺が足を止めるとは、一歩には思いも寄らなかったのだろう。
しかも一歩にとって運が悪かったのは、俺を前にして左ジャブを打ったという事。
別に一歩の左ジャブがどうこうという訳ではない。
肝心なのは、俺の前で左ジャブを外したという事だ。
それはつまり、パンチを打った一歩の左脇腹が空いており、人体の構造上パンチを打ったことによって筋肉が緩んでいるという事であり……
ボグ、と。
筋肉が緩んだ一歩の脇腹に俺のボディブローが命中する。
「ぐ……」
いわゆる、リバーブロー。
肝臓を狙った一撃に、一歩の口からマウスピースが半ば吐き出される。
そうして動きが止まったところで、ショットガンシェルを放つ。
勿論それは普通のショットガンシェルではなく、全ての一撃がコークスクリューとなっているショットガンシェルだ。
ストレート程の威力はないものの、それを数で補うショットガンシェル。
その一撃が一歩の頭部に当たり……2発、3発、4発……そして10発以上が命中したところで、最後の……って、何だ?
ショットガンシェルを打たれながらも俺の方に振り向いた一歩が、がくりと腰を落とす。
そのままリングに尻餅をつくのか。
そう思ったが、半ばほど腰を落としたところで突き上げるような……アッパーとフックの中間のようなパンチを放つ。
スマッシュ?
一瞬そう思ったが、既に俺の身体は動き始めている。
そのパンチは圧倒的な迫力をもって放たれたが……俺は身体の重心を一瞬だけ意図的にずらすことでその一撃を回避しつつ、コークスクリューを放つ。
先程のショットガンシェルの時のような、数と速度を重視したような一撃ではなく、一撃の威力を重視した一撃。
重心がずれたことで身体のバランスが崩れ、一歩の放ったパンチは空中を貫く。
同時に俺の放ったコークスクリューは一歩の頭部に命中し……
がくん、と一歩はその場で倒れるのだった。
しん、と。静まり返る会場。
レフェリーもまた、一瞬どうしていいのか分からないような、そんな試合の幕切れ。
しかし、それでもレフェリーはすぐに我に返ると一歩に近づき、カウントを省略して俺の勝利を告げるのだった。
「おめでとう、アクセル」
一歩が担架に乗って運ばれていくと、A級トーナメントの優勝者にして、伊達が引退したことによって自動的にチャンピオンとなった俺にボクシング協会の役員だという人物からベルトが渡される。
そのベルトを腰に回し、俺はリングの上を歩く。
応援に来た観客達に見せるように。
そんな俺に対して、多くの声援が上がる。
その中にはクミコの姿もあり、満面の笑みを浮かべて拍手をしていた。
拍手をするクミコにグローブを突き出す。
すると……あれ? 何だかクミコの顔が急に赤くなった。
何でこういうところで?
まぁ、取りあえず悪い気分ではないようなので、問題はないか。
クミコの周囲にた他の観客達が何やら黄色い悲鳴を上げていたようだったが、それはスルーし、リングの上を一周するとコーナーに……おやっさんや伊達、トレーナーのいる場所に戻る。
「よくやったな」
そう言い、拳を突き出してくる伊達。
俺はその伊達の拳にグローブを軽くぶつける。
伊達にしてみれば、自分の後継者……という表現はどうかと思うが、とにかく自分の後のチャンピオンに仲代ジムの選手がなったのが嬉しかったのだろう。
世界に挑戦する為にベルトを返上したものの、伊達にしてみればフェザー級のチャンピオンという座には色々と思い出もあるのだろうし。
「そうだな。取りあえずベルトは取り戻した。……この場合、取り戻したという表現が正しいかどうかは微妙なところだが」
「いや、嬉しいよ。アクセルがうちのジムに所属してくれて本当に助かった」
おやっさんがそう言い、満面の笑みを浮かべる。
そうして諸々が終わると……その場でインタビューが始まる。
もっとも、そのインタビューはいつもの藤井達を始めとした雑誌記者とかそういうのではなく、TVのアナウンサーだったが。
……それが美人なのは、やはりこういう場を任されるからこそなのだろう。
「おめでとうございます、アクセル選手。凄い試合でしたね」
「ありがとう。一歩は決して油断出来る相手じゃなかったな」
「ですが、幕之内選手には以前一度勝ってますよね?」
「勝ってるのは間違いないが、今日の試合も余裕があった訳じゃない。間違いなく以前よりも強くなっていたしな」
これは事実だ。
東日本新人王の時も俺の一撃に耐えたりしたものの、今日はそれにも増して俺のパンチに耐えた。
耐久力、タフネスぶりという意味では間違いなく以前よりも増している。
何しろショットガンシェル……それもただのショットガンシェルではなく、全てがコークスクリューのショットガンシェルを食らいながらも、反撃をしようとしてきたのだ。
あのパンチ……そう言えば、あれは一体どんなパンチだったんだろうな。
鴨川ジムには一歩の先輩に蛙跳びを使う選手がいたが、あのパンチは蛙跳びとは明らかに違う。
そうなると、何かもっと別のパンチ……敢えて似ているとなると……千堂のスマッシュか?
いや、でも細かいところで色々と違ったように見えた。
そんな風に考えつつも、インタビューは進む。
とはいえ、この手のインタビューは質問内容は決まっている。
誰にこの結果を伝えたいか、チャンピオンになった後でどうするのか、どのような挑戦者を待つのか……そんな諸々の質問。
俺はそんなインタビューに答えていき……
「あ、それでは最後に……あちらに、森田クミコさんがいらっしゃいます。アクセル選手と仲が良いと聞いていますから、是非ともリングにどうぞ」
インタビュアーの女が突然そんな事を口にする。
これが最初から決まっていた事なのか、それともサプライズなのか。生憎とそれは俺にも分からない。
分からないが、名指しされたクミコはその有名さ故に断る事も出来ずリングに上がってきた。
「では、森田クミコさん。アクセル選手に一言、どうぞ」
渡されるマイク。
それを受け取ったクミコは、しかし全く焦る様子もなく口を開く。
「おめでとう、アクセル。今日の試合も凄かったわ。そんなアクセルがチャンピオンになるところを見れて、嬉しいわ」
その言葉は、アイドルとしての言葉ではない。
……何しろクミコのアイドルとしての姿は、ぶりっこというか、そういう演技をしてのものなのだから。
それもあって、観客達の中にはTVで見るクミコと違うので、驚いている者すらいた。
そんな驚きの視線を気にせず、クミコは俺に近付き……
チュッと、頬にキスをするのだった。
「アクセル選手、森田さんとの関係について一言貰えますか? 祝福のキスでしたが」
リングでのインタビューが終わって控え室に戻ってくると、またインタビューが始まる。
とはいえ、今度はボクシングの内容について……かと思っていたら、インタビューの内容はクミコとの件だった。
あー……多分、この男はそういう系統の雑誌の記者なんだろうな。
いわゆる、ゴシップ誌。
まぁ、そういうゴシップ誌にもスポーツ関係の話は載ったりするので、そういう意味ではそういう雑誌の記者がここにいてもおかしくはない。
おかしくはないが……だからといって、チャンピオンになった俺に最初に聞いてくる内容がそれなのはどうなんだ?
そう思ったのは俺だけだった訳ではないらしく、見覚えのある記者……ボクシング雑誌の記者が、そのインタビューを遮るように割り込んでくる。
「幕之内選手の最後の一撃、話によるとガゼルパンチというパンチらしいですが、アクセル選手はそれを知った上でカウンターを放ったんですか?」
「え? ガゼルパンチ?」
詳しく話を聞くと、どうやらあの最後に一歩が打ったパンチ。
あれがガゼルパンチという名称だったしい。
蛙跳びとは違うと思っていたが、やっぱり違ったんだな。
「えっと、知らなかったのに対応出来たんですか?」
「ああ。あの時は反射的に対応した。……なるほど、ガゼルパンチか」
実際、あのパンチはもう少しで命中するところだった。
俺が反射的に動かなければ、一歩の拳は俺に命中していただろう。
正真正銘、あれが一歩の切り札だった訳だ。
……その切り札を使えたのが最後の最後だったというのは、今日の試合では俺がアウトボクシングに徹したからというのが大きい。
もしインファイトに付き合っていれば、もっとガゼルパンチを打つ機会はあっただろう。
そういう意味では、一歩にとっては運が悪かった。
「それにしても今日のボクシングは、これぞアウトボクシングといった感じのボクシングでしたね。いつもはアウトボクシングをしながらもインファイトをしたりすると思うのですが」
また別の記者の質問。
最初に俺にクミコの事を聞いてきた記者は悔しそうな様子を見せているものの、話題がボクシングの話になると門外漢だからか割り込む事は出来ないらしい。
俺にしてみれば、助かるのだが。
あるいはその辺を阿吽の呼吸でボクシングに詳しい記者達がしているのかもしれないな。
「俺は元々アウトボクサーだしな。インファイトも出来ない訳じゃないが、一歩を相手にインファイトをやるのはこっちも相応のリスクがある。そう考えれば、今日の試合の進め方は悪くなかったと思う。もっとも、一歩は純粋なインファイターだ。そうなると、アウトボクサーとの戦い方にも自然と慣れるとは思うけど」
一歩と戦う上で、アウトボクサーというのはかなり有利だ。
それは間違いない。
間違いないが、だからこそ一歩はそういう相手をするのに慣れてもおかしくはない筈だった。
これから一歩と戦うボクサーの中でもアウトボクサーはかなり苦労しそうだな。
……実際、アウトボクサーの典型とも言うべき冴木を相手に勝利を収めているし。
そう考えれば、アウトボクサーは今度一歩と試合をするの避けたりするか?
一歩の場合、一撃の威力があるから、アウトボクサーが幾ら足を使って動き回っても、一撃を当てればそれで試合が終わるしな。
そういう意味では、一歩との試合はかなり厳しい。
その一歩に勝利した俺が言うのはどうかと思うが。
「少し早いですが、世界に挑戦する予定はありますか?」
「世界に対する挑戦は、俺よりも伊達が先だしな。いつになるのかは分からないが、挑戦したいとは思う」
「おいおい、あまりプレッシャーを掛けてくれるなよ」
俺の言葉に伊達が困った様子でそう言う。
伊達にしてみれば、せっつかれているように思えるのだろう。
別にそういうつもりはないんだがな。
そんな風に思いながらインタビューに答えていくと……
「それにしても、幕之内選手は弱すぎましたね。アクセル選手にとっては手応えがなくて楽勝だったのでは?」
不意に聞こえてきたそんな言葉。
その声の聞こえてきた方に視線を向けると……そこにいたのは、最初に俺にクミコとの関係について聞いてきた男だった。
なるほど、クミコとの関係を聞けなかったから、俺を怒らせて何か記事になりそうな言葉を引き出そうという訳か。
ゴシップ誌の記者らしいやり方だな。
「一歩は強いと思うけどな。もし弱いと思うのなら、一度鴨川ジムに行ってスパーでもさせて貰えばどうだ? 一歩の強さを理解出来るぞ?」
「いや、私は記者でボクサーではないので、そう言われても困りますね」
「そうか? 記者だからこそボクサーとして実際に経験をしてみないとそういうのは分からないと思うぞ?」
「はっはっは、笑えない冗談を言わないで下さい。そういうのはやりたい人がやればいいんですよ。私はあくまでも記者ですから」
その記者の言葉に、周囲にいる他の記者が不愉快そうな様子を見せる。
ボクシングが好きだからこそ、ボクシング記者をしてるのだ。
そんな中でボクシングを馬鹿にするような事を言ったのだから、そのように思われるのは当然の事だった。
取りあえず、このままにしておくのは不味いだろうし……
「あ……」
殺気を放った瞬間、その記者の男は意識を失うのだった。