ボグ、という音と共にカウンターの一撃が入り、沖田が吹き飛ぶ。
そのままリングに倒れ……
「そこまで!」
おやっさんの声が周囲に響く。
「ぐ……ぐぐ……」
呻きながらも、沖田が上半身を起こすと、俺に不満そうな表情を向けてくる。
そして次におやっさんに視線を向けると、抗議するように口を開く。
「おやっさん、やっぱり慣れないサウスポーでスパーは無理ですよ。アクセル以外の相手ならともかく、アクセルを相手には絶対に無理です!」
力一杯言う沖田。
とはいえ、沖田にしてみてもサウスポーで戦うというのはいい経験になるのだろうが。
「ふむ。……アクセルはどう思った?」
「やりやすいかどうかと言えば、幾らかやりにくいのは間違いないな」
実際にボクシングをやる上でサウスポーというのはやりにくい。
……とはいえ、それでもどうしようもないという訳ではない。
俺にとってはそういうものだと理解すれば、対処は出来るのも事実。
「けど、アクセルにわざわざ挑戦してくるような奴なんだろう? そうなると、サウスポー以外にも何らかの奥の手があると考えた方がいいんじゃないか?」
俺とおやっさんの話を聞いていた沖田が、そう聞いてくる。
その言葉には一理ある。
俺は色々な意味で特殊な存在だ。
全ての試合を1R、しかもKOで勝利してきたという経歴を持つ。
異名が絶望の大魔王。
そんな俺に挑戦するのに、サウスポーだけを頼りに試合をするというのは疑問ではある。
確かに俺は今までサウスポーと試合をした事はないが、仲代ジムの中にサウスポーの選手がいる可能性は否定出来ないだろう。
「とはいえ、アクセルに対する奥の手と言ってもなぁ……伊達、お前ならアクセルと試合をするとして、どういう奥の手を考える?」
「はぁっ、はぁっ、はぁ……アクセルと? はぁ、はぁ……無茶を言わないでくれよ、おやっさん」
ちょうどロードワークから帰ってきたタイミングの伊達におやっさんが聞くが、ろくな返事ではない。
いやまぁ、走ってきて疲れている中でいきなりそういう事を言われても、何を言えばいいのか分からないというのは俺にも納得は出来るが。
とはいえ、ベテランというのは思った以上に色々な事を知っている。
ボクシングだけに限らず……例えば、そう。人型機動兵器に乗っての戦闘であっても、腕は立つがそれはシミュレータでの訓練をした者と、訓練をする時の数値的な意味では負けているが、多くの実戦を経験してきたベテラン。
どちらを部下にしたいかと言われれば、俺は迷わず後者を選ぶだろう。
また、どちらと戦いたくないかと言えば、こちらも迷わず後者を選ぶ。
それだけ経験というのは大きいのだ。
そして伊達は、年齢的な意味でも実績的な意味でも、間違いなくベテランと呼ぶに相応しい。
それでいながら世界に挑戦するという意思もあり……俺が言うのもなんだが、間違いなくフェザー級の名チャンピオンとして名前を残すことになる筈だ。
そんな風に考えていると、汗を拭いて少し落ち着いた伊達が口を開く。
「けど、そうだな。アクセルの速度を考えると、自分から攻撃をして命中させるのは難しいだろう」
「だろうな。アクセルの速度は冴木をも上回っている。映像を見る限りだと、茂田はそういうタイプじゃない。いやまぁ、だからといって幕之内みたいなゴリゴリのインファイターという訳でもないが」
おやっさんの言うように、茂田は極端にアウトとインのどちらかしか出来ないというよりは、どちらもそれなりに高い技術で出来るといった印象だ。
それにプラスして、サウスポーというのも大きな意味を持つ。
ビデオで試合を見た感じだだと、サウスポーだからという訳でもないと思うが、左ジャブが妙に強力なんだよな。
対戦相手は、それこそ相手も西日本新人王で優勝した選手であるにも関わらず、その強力なジャブによってかなりのダメージを受けていた。
「となると、やっぱりカウンターが一番じゃないか? ハートブレイクショット辺りを命中させられれば、アクセルも動きが止まる。そうなれば、向こうにもチャンスがある」
「伊達さん……ハートブレイクショットなんて使えるのは、伊達さんだけですよ」
沖田が呆れたように言う。
とはいえ、実際にはハートブレイクショットは別にコークスクリューを使わないと駄目だという訳でもない。
パンチの威力があり、的確に心臓を狙う技術があれば、十分にその効果を発揮する。
例えば、ハードパンチャーである一歩や千堂なら、普通のパンチでハートブレイクショットを使えるだろう。
ただ、使えるからといってそれを使うのかは微妙なところだ。
ハートブレイクショットにはパンチの威力も必要だが、威力が強すぎると今度は心臓を一時的に止めるのではなく、永遠に止める……つまり、殺してしまってもおかしくはない。
そうならないようにする為には、やはりそこを狙わないのが一番確実なのだ。
千堂あたりならやれるかもしれないが、一歩は性格的に難しい筈だ。
伊達の場合は、コークスクリューを使ってパンチの威力を上げつつ、相手を殺さないように絶妙な手加減もしている訳だ。
……俺がもしハートブレイクショットを使ったら、それこそ問答無用で心臓が止まってしまいかねないので、絶対に使おうとは思わないが。
そういう意味では、ソーラー・プレキサス・ブローは鳩尾を狙うという意味でも悪くないんだよな。
勿論、肋骨が折れたり、その折れた肋骨が肺に刺さったりとかして、致命傷になる可能性は十分にあるので、それなりに注意は必要だ。
「ハートブレイクショットの話は置いておくとして……やっぱりアクセルに勝つ為に攻撃を命中させるには、カウンターが一番だと思う。それ以外の攻撃だと、まず当てるのが難しいだろうし」
「けど、伊達さん。そもそもアクセルにカウンターを使っても……」
「沖田が何を言いたいのかは分かる。実際、アクセルにカウンターを当てるのがどれだけ難しいのかは、今まで何度もスパーをやっている俺が実感してるしな。それはお前もだろう?」
「はい」
伊達の言葉に、沖田が素直に頷く。
なるほど、一時期伊達も沖田も俺にカウンターを使おうとしていたのは、その辺が理由なのか。
結果として、そのカウンターが命中したのかは……伊達と沖田の様子を見れば明らかだったが。
とはいえ、そのお陰で伊達も沖田もカウンターの技術をそれなりに身に付けたのだが。
そういう意味では、俺とのスパーも決して無駄ではなかったのだろう。
「だが、それはあくまでも俺達が何度もアクセルとスパーをしてるからだ。アクセルの試合をビデオでしか見た事がない奴には、カウンターを使えば勝てると考えてもおかしくはない。それにアクセルの場合は1Rで勝負を決めてしまうしな。つまり、ビデオであってもそれだけアクセルの試合を見る機会は少ない」
「つまり、俺の狙い通りって訳だな。……いや、偶然だが」
伊達の言葉にそう告げる。
実際、俺が全ての試合を1Rで勝利しているのは、別に狙ってやった訳ではない。
いやまぁ、それが俺の売りになってきたのは間違いなく、そういう意味ではそれなりに狙ってやっている一面があるのも事実だが。
何しろ1RでKO勝利というのは、俺の強さを見せつける……そして俺に、ボクシングに注目を集めるには大きな意味を持つのだから。
そう考えれば、やはり俺にとって1RでのKO勝利というのは大きな意味を持つのだ。
「まぁ、その辺はいいとしてだ。とにかくビデオでしかアクセルの試合を見ていない奴なら、カウンターを使って一撃で倒すといった事を考えても不思議ではない」
伊達の言葉に、話を聞いていた他の面々も頷く。
それは俺も同じだ。
とはいえ、カウンターか。
伊達や沖田が試したように、カウンターというのはそう簡単に命中させる事が出来るものではない。それに……
「カウンターという事なら、東日本新人王の決勝のビデオを見れば分かるんじゃないか?」
俺が東日本新人王の決勝で戦った宮田は、カウンターの名手だ。
それこそフェザー級の中では最高峰のカウンターの技術を持っている。
そんな宮田であっても、俺にカウンターを当てる事は出来なかったのだ。
ましてや、茂田の試合を見る限りではカウンターを得意としているという訳ではない。
それこそ付け焼き刃のカウンターで俺と勝負になると思っているのか?
とはいえ、俺の事をよく知らないのなら、実際にそうするしかないと思って、カウンターの練習をしている可能性は十分にあった。
俺にしてみれば、それは決して悪くはない。
そう思いながら、取りあえず相手はカウンターを使うのだろうと思い込んで練習を続けるのだった。
「アクセル選手、OKです!」
防衛戦前日、いつものように計量を行い、OKを貰う。
今日俺と一緒に来たのは、沖田。
勿論、おやっさんもいるが、伊達はいない。
仮想茂田として、慣れないサウスポーを使って俺の練習相手になったのは、伊達ではなく沖田だった為だ。
俺としては沖田ではなく伊達でもよかったのだが、伊達の世界戦を考えると……と、沖田が自分から立候補してくれた形となる。
個人的には明日の試合ならまだしも、別に計量にまでついてくる必要はないと思ったのだが。
「茂田選手、OKです」
俺に続いて茂田が計量をパスする。
するとその茂田は、笑みを浮かべつつ俺に近付いてきた。
「チャンピオン、明日はよろしくお願いしますよ。いい試合にしましょう」
笑みを浮かべているだけなら、明日の試合を楽しみにしているといったように思うだけだろう。
だが、茂田の浮かべている笑みは、俺に絶対に勝てると……俺を対戦相手ではなく、獲物だとみなしているような、そんな笑みだ。
……自分で言うのもなんだが、俺の力はフェザー級において突出している。
それは全試合1RでKO勝利というのが物語っている筈だ。
だというのに、この余裕は一体なんだ?
もしかして、本当に俺をどうにか出来るだけの奥の手を持っているのか?
そうなると、それは何なのか……少し気になるな。
こうして自信満々の奴は、少し突かれると反応してくれるので、少し挑発してみるか。
幸いなことに、計量室にはいつも以上に多くの記者がいるし。
……記者の数が多いのは、今回が俺の初めての防衛戦だからというのがあるのだろう。
チャンピオンになって初めての防衛戦というのは、ポカをやらかしやすいらしいし。
伊達も初防衛戦の時には緊張して普段はやらないようなミスをしたって言ってたしな。
「そうだな。楽しい試合になるといい。わざわざ俺に挑戦してきたんだ。負けるにしても、2Rくらいにはなって欲しいとは思うけど」
「おや、俺に2Rで勝利を譲ってくれると?」
「どこをどう聞けばそういう事になるんだろうな。負けるのはお前だよ、茂田」
「おやおや、初めての防衛戦で気負っているのは分かりますが、現実くらいは見ましょうよ」
うーん、少し突けば怒り出すかと思ったんだが、そんな感じじゃないな。
それなりに自分をコントロール出来ているのは、俺に挑戦するだけの事はある……のか?
「俺が気負ってるように見えるのなら、眼科に行くんだな。相手が一歩とかならともかく、お前程度じゃ……気負ったりするような事はまずないよ」
ピクリと、茂田が反応する。
どうやら今の言葉は茂田にとって面白くなかったらしい。
「幕之内選手ですか。……チャンピオンに2回も負けてるんですよね? そんな相手を怖がってるなんて……」
そこで呆れたように首を横に振る茂田。
茂田にしてみれば、一歩は自分が倒すべき敵とすら思っていないのだろう。
「……お前がどう思おうが、俺はお前と一歩なら一歩の方が強敵という認識だけどな」
「全日本新人王どころか、東日本新人王にもなれなかった選手ですよね?」
「俺がいたからな」
いや、これは実際そう思う。
この世界の原作については俺も知らないが、恐らく原作では一歩が東日本新人王になって、西日本新人王の千堂と戦っていた筈だと思うし。
だが、この世界には俺という異物が紛れ込んだ。
その結果として、一歩は東日本新人王の準決勝で負けるという事になった訳だ。
「ふーん。……まぁ、アクセルさんがチャンピオンでいられるのも、明日までだ。俺に負けてから、幕之内選手と試合をやったらいいんじゃないですか?」
「残念ながら、明日勝つのは俺だから、そういう未来はないな。茂田こそ、俺に負けたら一歩と戦ってみてもいいんじゃないか?」
そんなやり取りを、記者達は興味深そうに見守っている。
記者達にしてみれば、記事になるようなやり取りは幾らでも歓迎ってところか。
……出来ればこの辺りのやり取りをまたゴールデンタイムで使って欲しいんだが、そもそもカメラが入ってないしな。
俺もかなり名前が売れてるんだし、そろそろゴールデンタイムにボクシングの試合を放送しても……あー、でも1Rで終わる試合となると、尺の問題が出て来るか。
そんな風に思いつつ、俺は茂田とのやり取りを終えると、記者達の質問に答えるのだった。