「あら……じゃあ、本当にリカルド・マルチネスと試合を?」
夜、行為を終えた後の気怠い時間、俺の右手を枕代わりにしている真理が驚きながら言う。
真理の象徴とも言える眼鏡は当然ながら外しているのだが、それはそれでいつもと違う真理を見る事が出来て嬉しい。
「そうなるな。それが終わったら、次はスーパーフェザー級チャンピオンとの試合をする予定だ」
「……スーパーフェザー級って、フェザー級と違うの?」
こちらは左手を枕代わりにしているクミコの言葉。
2人の美人をこうして侍らせているというのは、ある意味で男の夢だろう。
……もっとも、実際にこういうのをやると、手が痺れてしまうのだが。
地味に混沌精霊としての便利さが発揮されてるな。
「フェザー級の1つ上の階級よ」
「……フェザー級の世界チャンピオンになったのに、またすぐ上の階級の世界チャンピオンに挑戦するの?」
真理の説明を聞いたクミコの言葉に、俺は頷く。
「ああ。日本でボクシングをメジャーなスポーツにするには、フェザー級からヘビー級まで、全ての階級のチャンピオンになるくらいはしないといけないしな」
「……ちょっと、アクセル。スーパーフェザー級だけじゃなくて、ヘビー級までって……本気?」
「本気だな。真理が心配してるのは分かるが、実際日本のボクシング界を盛り上げるには、そのくらいはやる必要があるだろうし」
「アクセルがそこまでやる必要があるの? アクセルなら知ってると思うけど、ヘビー級のチャンピオンというのは、ボクシングの頂点に立つ存在なのよ?」
「勿論知ってるさ。けど、俺ならそういう相手を前にしても勝利出来るのは間違いない。……そう思わないか?」
「それは……」
「ちょっと、真理。今の話を聞く限り、アクセルは危険な試合に挑むの?」
今までは左手を枕代わりにしていたクミコだったが、真理の言葉を聞くと俺の上半身に身体を乗せて真理に尋ねる。
……真理に勝るとも劣らずといった柔らかな双丘が俺の胸板で押し潰されるその光景は、圧巻だった。
もっとも、クミコはそういうのに気が付いた様子もなく真理と話をしていたが。
真理の言葉を聞いて反対に回ったクミコだったが、俺はそんな2人を寝技で説得するのだった。
「メキシコか」
世界戦数日前、おやっさんとメキシコに到着すると、おやっさんの口からそんな声が漏れる。
本来なら、試合をする俺と、ジムの会長のおやっさん、あとはトレーナーが数人に、軽くスパー相手として1人か2人といったところなのだろうが、今回に限っては30人近い人数となる。
おやっさんが必死になって掛け合ってくれた、スポンサー候補達だ。
勿論、全員が全員スポンサー候補という訳ではなく、スポンサー候補の秘書や護衛とか、そういう者達も集まっている。
そう考えると、総勢30人というのはそんなに多くはないのかもしれないな。
もっとも、この面々のお陰で、俺は次のスーパーフェザー級チャンピオンに挑戦し、それを始めとして次々と上の階級に挑んでいけるかもしれないのだから、喜ぶべきことなのだろうが。
何をするにしても、最初が一番難しい。
リカルドを相手に勝利し、次にスーパーフェザー級チャンピオンに挑戦する。
それについて最初の1歩を実際に踏み出す事が出来れば、それに乗り遅れるなと他のスポンサー候補も資金を提供してくれるだろう。
実際にヘビー級のチャンピオンに挑戦するといった事になった場合、一体どれだけスポンサーがつくのやら。
ヘビー級のチャンピオンの試合ともなれば、当然かなりの金額が必要になるのは間違いないだろうし。
そんな未来に向かう為に、今はまずリカルドとの試合だな。
そんな風に思いつつ、俺はメキシコの様子を眺めるのだった。
「アクセル・アルマー選手……OKです」
計量では、当然のように俺はクリアした。
正直なところ、メキシコ……つまりリカルドのホームでの試合である以上、俺に対する何らかの妨害があるかもしれないと思っていたが、幸いな事にそういうのはなかった。
これはメキシコのボクシングファンにしてみれば、そういう事をしなくてもリカルドが勝利をすると信じているのかもしれないな。
それは俺にとって妙な邪魔がないので、助かるのだが。
そんな風に思っていると、リカルドが姿を現して計量を始める。
「……さすがだな」
おやっさんの呟く声が聞こえてくる。
それが何に対する言葉なのかは、考えるまでもなく明らかだ。
リカルドの身体、試合に向けてしっかりと仕上げてきたと一目で分かるものだった。
そして当然ながら、リカルドも計量で問題はない。
計量が終わると、リカルドは俺の前までやって来る。
「君との試合は楽しみだった」
「そう言って貰えると俺も嬉しいよ。俺にチャンピオンベルトを譲ってくれるんだから、感謝をしている」
「ふふっ、生憎とそのようなつもりはない。私は君のような強者を倒し、より強くなる」
そうして短く言葉を交わし、計量は終わる。
計量が終わって一休みすれば、次は記者会見だ。
日本と違い、メキシコにおいてボクシングというのはかなりメジャーなスポーツだ。
記者会見に集まってきた記者達も、日本とは明らかに違う。
……真理やクミコにスーツを見繕っておいて貰ってよかったなとしみじみと思う。
一応空間倉庫の中にそれっぽい服は入っていたりするのだが、それでもやっぱり世界が違い、時代も違う。
俺的には問題ないだろうと思っているスーツであっても、芸能界の第一線にいるトップアイドルのクミコや、留学していたから国外の事に詳しい真理に勧められ、スーツを買ったのだ。
いや、正確には買って貰ったか。
クミコと真理の2人からのプレゼントとなっている。
オーダーメイドのスーツなので当然相応の値段はしたとは思うけど、トップアイドルのクミコは当然ながら金持ちだし、真理も家はかなり裕福らしいのでという事になった。
ただ、後でクミコがこっそり教えてくれたのだが、真理の分の金は家の金ではなく自分の給料から出したのだとか。
今はまだマイナーなスポーツであるボクシング雑誌の記者なんて、そんなに給料は高くないだろうに。
そんな風に考えている間に、記者会見が始める。
俺にとって有利……とまではいかないが、とにかく悪くないのは、俺はこのメキシコで使われているスペイン語を普通に喋れるという事だろう。
質問とかも、通訳を通さずに答える事が出来る。
とはいえ……
「日本からやって来たアクセル選手に質問です。初めての世界戦が今回の試合という事ですが、どのくらい持ち堪えられますか?」
俺が負けるのを前提とした質問は、当然面白くない訳で。
「生憎と負けるつもりで試合をしに来てはいない。チャンピオンベルトを持ち帰るつもりでここに来ている」
そう言う俺の言葉に、記者達が笑う。
嘲笑とまではいかないが、世間知らずの相手に向けるような、そんな笑い。
さて、どう返すか。
そう思ったところで俺の視線は離れた場所で待機している伊達に向けられる。
スパーリングのパートナーであったり、色々と詳しいという理由でやって来た伊達。
……ちなみに伊達が独立して新たなジムを作るというのは、結局なくなってしまったらしい。
現在は普通に仲代ジムでトレーナーとして働いている。
聞いた話によると、俺がどこまで行くのか見てみたいからトレーナーとして残る事にしたらしい。
そんな伊達だが、今は有効活用させて貰うとしよう。
「あそこにいる人物……誰か分かるか?」
そう言い、俺は伊達に視線を向ける。
伊達とリカルドの試合は日本でやった。
もしかしたらメキシコでの放映はされていないかと思ったのだが……
「エイジ・ダテ……?」
どうやらその心配はいらなかったらしい。
まぁ、メキシコが誇るチャンピオンの試合だ。
どうにかしてメキシコでもTVで放映されたのだろう。
そして伊達の名前が出ると、他の記者達もざわめく。
リカルドと試合をした時とは大分印象が違うから、記者達も最初は気が付かなかったのだろう。
とはいえ、気が付いたのなら話は早い。
「そうだ。リカルドとの試合で判定までもつれ込んだ、伊達だ。……そして俺はその伊達よりも強い。スパーで1度も負けた事はないくらいにな。それがどういう意味か分かって貰えると思うが?」
正確には伊達から1発もパンチを貰っていないのだが、そこまで言うと事実であっても大袈裟だと思われかねない。
「……そうなると、チャンピオンともいい試合になるでしょうね」
結局記者はそれだけを言って黙り込む。
そうして他の記者達からも色々な質問をされるが……当然ながら、その質問は俺だけではなくリカルドにも向けられる。
「この試合はチャンピオンからの指名で決まったという事ですか、チャンピオンはアクセル選手のどこに注目したのでしょう。勿論、全ての試合を1RでKO勝利してるのは凄いと思いますが、それでも日本での話です。そんな中で、アクセル選手を指名した理由をお聞かせ下さい」
どうやらこの記者は俺についてそれなりに調べているらしい。
ネットとかそういうのがないこの時代、同じ国ならともかく、外国の選手を調べるのはかなり難しいと思うんだが。
それこそ、実際日本に人を派遣して、俺がどういう選手なのかの情報を集めるとかしないと、詳しい情報収集は難しいだろう。
つまり、あの記者は……より正確にはあの記者の所属する会社は、それをやったのだろう。
あるいは日本に知り合いがいて、そこから情報を入手したのかもしれないが。
「ふむ、簡単な事だ。彼は強い。それこそ、彼が言ったようにエイジ・ダテよりも強いのは間違いない。だからこそ、私が戦うべき相手として相応しいと思った。それだけの事だ」
その言葉に、記者は驚きの視線を俺に向ける。
多分、リカルドが俺をそこまで評価してるとは思わなかったんだろうな。
とはいえ、伊達との世界戦の時の記者会見が終わった時、リカルドが俺を見て強者だと口にしたのを思えば、これはリップサービスの類ではなく、本気で言ってる事だろう。
だが、それを知ってるのは俺とリカルド、後は一緒にいた沖田だけだ。
……沖田辺りが誰かに話していれば、少し話は違ったかもしれないが。
ただ、伊達の信者である沖田にしてみれば、俺が伊達よりも強いというリカルドの言葉を嬉々として話したりはしない筈だ。
つまり、この記者達はそれを知らない。
知らないからこそ、リカルドの口から出た言葉に驚き、俺を見る目が変わる。
敗北が決まっている哀れな挑戦者から、もしかしたら……本当にもしかしたら、リカルドを倒すかもしれないという、そんな視線に。
そうなると俺にされる質問も色々と変わってくる。
「アクセル選手は今まで全ての試合を1Rで勝利しています。そうなると、チャンピオンとの試合でもそれを狙うのでしょうか?」
そう質問してきたのは、女の記者……というか、真理だ。
いやまぁ、真理がメキシコにいるのはそうおかしな話ではない。
真理はボクシング雑誌の記者なのだから。
ボクシングはマイナーなスポーツではあるが、それでも雑誌は1種類といった訳ではない、幾つもある。
あるいはボクシングの専門誌ではなく、格闘技の専門誌ということで取材に来たりもする。
そんな中で、真理の月刊ボクシングファンという雑誌は、ボクシング雑誌の中ではトップの売り上げだ。
……というか、そういう雑誌だからこそ真理は月刊ボクシングファンの記者になりたいと思ったのだろうが。
けど、メキシコの治安は決して良くはない。
そんな場所に女1人となると……そう思ったが、何故か見覚えのあるボディーガードが目に入る。
あの連中、確か真理じゃなくてクミコのボディーガードだったと思うんだが。
クミコが真理の事を思って貸したのか?
そう思いながら、俺は真理の言葉に頷く。
「ああ、勿論。チャンピオン……リカルドは俺から見ても間違いなく強者だ。伊達に勝ってるんだしな。けど、さっきも言ったが俺は伊達よりも強い。そうである以上、俺がリカルドに勝つ可能性はある。それも今までと同じような感じでな」
そんな俺の言葉を聞いた記者達は、ざわめく。
中には怒りで顔を真っ赤に染めている者もいる。
自分達の誇りであるリカルドを、1RでKOすると口にしたのだ。
それに対して、不満に思ってもおかしくはない。
……少し、いや、大分違うか、ブライアンと鷹村の記者会見の時のような感じか。
ここで真理に今夜俺の部屋に来いとか言えば、普通に来そうだが。
まぁ、それはともあれ。
「チャンピオン、今の一言を聞いて、どう思いますか?」
顔を赤く染めた記者がリカルドに聞く。
そんな記者に、リカルドは笑みを浮かべ……
「彼が強いのは知っている。ただ、だからといって私も負ける気はない」
そう言う。
うーん、これは……ぶっちゃけ、俺がリカルドに突っ掛かっているようにしか見えないのでは?
そんな風に思いながら、俺は記者会見を続けるのだった。