ニーズヘッグの尾は菱形になっている。
そこにはT-LINKシステムを使って念動力の刃を作る事も出来るが、同時に菱形の部位が展開して花のようになると、その中央部分から糸が伸びる。
正確にはただの糸ではなく、ハッキングツールとして使える糸なのだが。
その糸がMAに接触したその瞬間、MAは今まで……本当に数秒前までは激しく動いていたものの、その動きを一瞬にして止める。
MAの尾が伸びて、グレイズの身体を切断する瞬間だったというのに、その尾もピタリと止まったのだ。
……あのグレイズに乗っていたパイロット、命拾いしたな。
MAは動きを止め……そして現在、ウルドの糸を通し、ルリとラピスによるハッキングに抵抗しているのだと思われる。
あるいはこのような攻撃手段は全く想像もしていなかったのか、今度はMAが一方的に蹂躙されているのかもしれないが。
ともあれ、ハッキングを開始してからMAが動かなくなったのは間違いない。
さて、そうなるとこの状況からどうするかだ。
いや、俺は別に何も問題はない。
見た感じでは、ルリとラピスのハッキングは今のところ上手くいってるので、それが終わるのをただ待てばいい。
問題なのは、クジャン家のMS隊だ。
既にイオクは――恐らくだが――逃げて、ここに残っているのはMAにイオクを追わせない為、自ら望んで殿になった者達。
MSの戦い方を見る限り、イオクから命令されて強制的に殿にされたという者はいない……と思う。
これは絶対という訳ではないが。
ただ、強制されて動くとなると、どうしてもMSの動きに影響が出る。
それがない以上、やはりここに残ったのは自分の意思によるものなのだろう。
そんなMS隊だが、自分達が戦っていたMAが、突然動かなくなったのだ。
普通に考えれば、今が絶好のチャンスといった具合に攻撃に出てもおかしくはない。
……そう、あくまでも普通に考えればだが。
だが、今のこの状況でそのようなことをされれば、どうなるか分からない。
最善なのは、MAが一方的に攻撃され続けるといったものだろう。
次に、クジャン家のMS隊に対してMAが反撃し、それによってハッキングの対処が遅れ、ルリやラピスのハッキングが成功する事か。
そして最悪なのは、攻撃されたことによってMAに何らかの衝撃があり、ハッキングをしている相手を殺すべきだと認識して、綾子に守られているルリとラピスに攻撃する事。
勿論、これはあくまでも本当に最悪の事でしかない。
何かもっと別の行動をするといった可能性も十分にあった。
とにかく、あの連中が妙な事をしないように忠告をしておくか。
「聞こえるな? 今、このMAは俺が押さえている。だが、いつまで押さえていられるかは分からないし、この状況で下手に衝撃を与えたら、それこそどうなるか分からない。だからお前達は撤退しろ。お前達が守るべきイオク・クジャンも既に撤退した筈だ。そうである以上、今はまず主君であるイオクを追うのがお前達の忠誠を示す道の筈だ」
外部スピーカーを使ってそう告げる。
本来なら捕らえてハーフメタルの採掘や、クジャン家から賠償金でも貰おうかと思っていたのだが、このハッキングの最中に下手に動かれると困る。
その為、忠誠だとか何とか、俺らしくない言葉を口にして、クジャン家のMS隊を追い払おうとしていた。
……これでこいつらがイオクに対して全く忠誠心を抱いていないとか、そういう事になったら洒落にならないな。
もっとも、この連中が自分から望んでここに残った以上、その可能性は少ないと思うが。
そんな訳で、この連中がどのような行動に出るのかを観察していたのだが……
『すまない、MAを抑えてくれたこと、感謝する』
残っていたクジャン家のMS隊の中でも一番階級が高い、あるいは年齢が上の者なのだろうパイロットがそう外部スピーカーで言ってくる。
多分だが、向こうは俺が誰なのか正確には分かっていない筈だ。
ただし、ここが火星……しかもMAが埋まっていた場所で、その場所にいた戦力である以上、シャドウミラーか鉄華団のMSだとは思っていただろうが。
ともあれ、MAが動かなくなったからといって攻撃せず、逃げてくれたのは助かった。
……もっとも、機能停止していたMAが動いたのは、クジャン家のMS隊が火星に……しかもこの場所を狙ってピンポイントに降下してきたからなのだが。
せめてもの収穫は、クジャン家のMS隊が使っていた滑空用グライダーを入手出来た事か。
何気にこれ、かなり便利なんだよな。
HLVとかそういうのもいらず、MSのまま大気圏外から降下出来るし。
しかもかなり頑丈な盾としても使えるので、地上にいる者達が狙ってそう簡単に撃破出来たりはしない。
慣れない奴が乗っていれば、地上からの射撃の衝撃で滑空用グライダーが引っ繰り返ったり、MSが落ちたりとかするらしいけど。
さすがにクジャン家のMS隊にそういう奴はいなかった……いやまぁ、地上に降下してきた時、それに反撃をしたのはMAだけだったしな。
俺達からは特に何もしていないので、引っ繰り返らなかったのはそうおかしな話ではないのかもしれないが。
ともあれ、クジャン家のMS隊がここにいなくなった以上、もう残っているのは俺達だけだ。
後はこのまま上手くハッキングを完了してくれれば助かるんだが。
ただ、ハッキングの完了までどのくらいの時間が掛かるのか分からないのは痛いよな。
どのくらいで終わるのかというのを聞いてもいいが、そうなるとハッキングをしているルリやラピスの邪魔になる。
いや、邪魔になるだけならまだしも、俺に返事をしようとしたところでMAに反撃されて、ハッキングが失敗する可能性も十分にあるのだ。
であれば、ここは大人しく待っていた方がいいだろう。
そう思いつつ、このまま何もせずに待っているのもなんなので、通信機を使って連絡を取る。
「マーベル、聞こえるか?」
『アクセル? こうして連絡をしてきたという事は、もうそっちはいいの?』
「クジャン家のMS隊はMAを相手に敗走して、もうここにはいない。現在はルリとラピスがハッキングしてMAをどうにかしようとしているところだ。ハッキングの最中だから、MAを迂闊に攻撃出来なくて時間が出来たから、そっちがどうなったのか聞こうと思って連絡をしたんだ」
その言葉に、マーベルは数秒の沈黙の後に安堵の息を吐く。
『そう、アクセルの事だから大丈夫だとは思っていたけど……何とかなったようで何よりだわ』
「心配を掛けたな。それでそっちは?」
『現在、共同宇宙港に上がって、スキップジャック級に乗り込んでいるところよ。鉄華団の方も同じく出撃の準備中ね』
「……随分と早いな」
地上から共同宇宙港まで行くシャトルは時間が決まっている。
また、当然ながらコースや速度も厳格に決められている。
そんな中で、既に共同宇宙港に到着して鉄華団と共に船に乗り込んでいるところというのは……どういう手段を使ったんだ?
『ギャラルホルンの火星支部が手を貸してくれたのよ』
「ああ、なるほど」
現在でこそ、火星ではシャドウミラーと鉄華団が大きな影響力を持っているが、それでもギャラルホルンが持つ影響力というのは、総合的に見れば明らかに俺達よりも上だ。
シャドウミラーと鉄華団が頭角を表したのは、ここからクーデリアを地球まで護衛した2年前の一件からだし。
その前……厄祭戦が終わり、火星支部が作られてからずっとギャラルホルンは火星の頂点に君臨していた訳で。
そうなると、やっぱり火星におけるギャラルホルンの影響力は非常に大きい。
それこそ予定にないシャトルを用意し、MS共々宇宙港に上げるくらいには。
また、当然ながら宇宙港にもギャラルホルンの影響力はある訳で、恐らく出撃準備が出来たら即座に出港許可が下りるだろう。
「なるほど。シーラか?」
『ええ、アクセルから最初の連絡があってからすぐ』
「シーラらしいな」
もっとも、ギャラルホルンが火星で強い影響力があるからといって、普通ならそこまで協力しない。
火星支部はマクギリスの派閥だからというのもあるが、それ以外にも火星支部の戦力を温存したいという狙いがあるのだろう。
普通に考えれば、火星に向かってジャスレイの一派が向かってきているとなれば、それを迎撃するのはシャドウミラーや鉄華団ではなく、ギャラルホルンだ。
何しろギャラルホルンは、治安維持組織なのだから。
だというのに、そのギャラルホルンが出撃するよりも前に、シャドウミラーと鉄華団を出撃させたのだ。
これはつまり、ジャスレイ達と俺達を最初に戦わせ、それで俺達が勝てばいい。
もし俺達が負けても、戦力を消耗したジャスレイ達を火星支部の戦力で迎撃するといったところか。
あるいはこっちがピンチになったところで、援軍としてやってくるつもりか。
勿論、これはあくまでも俺の予想でしかない。
あるいは火星支部のトップにはそんなつもりは全くない可能性もある。
あるのだが……やはり普通に考えれば、怪しいだろう。
もっとも俺がこうしてすぐに思い当たるのだ。
シーラはその辺りを理解した上で、それに乗る事にした筈だ。
……実際、俺がシーラと同じ立場であっても、同様の判断をするだろう。
戦力的な問題でこっちが圧倒しているというのもあるが、何よりジャスレイ達には今まで散々ちょっかいを出されてきた。
それでいながら証拠を残さないようにしているので、厄介このうえない。
そんなジャスレイが、マクマードや名瀬のお陰でいよいよ自分が直接動かなければならなくなったのだ。
この機会を逃す事は絶対に避けたい。
MAの件がなければ、それこそ俺が最前線で戦っていただろう。
まぁ、ジャスレイも、イオクからMAの件を聞かされて、それでイオクの襲撃に合わせて行動を起こしたのだろうが。
つまり、ジャスレイは最初から俺と戦う気はなくて、MAにやらせる気満々だったという事になる。
自分で言うのも何だが、戦力として考えた場合、俺は異常だしな。
それはジャスレイもよく知ってるので、いかに俺と戦わずにシャドウミラーや鉄華団にダメージを与えるか……そして撃破するのか。それだけを考えているのだろう。
……もっとも、その企みもルリとラピスがいる時に今回の騒動を起こしたという事で、あっさりと潰えそうになっているが。
「状況は理解した。地上の件は大分片付いたし、それが終わったら俺達もすぐに宇宙に向かう」
幸い、俺が乗ってるのはニーズヘッグだから、アギュイエウスを使えば即座に転移は可能だし。
とはいえ、ニーズヘッグについては出来ればあまり人目に触れさせたくない。
クジャン家のMS隊の前に現れた以上、完全に隠すのは無理だろうけど。
ただ、クジャン家のMS隊の前ではニーズヘッグの性能は殆ど見せていない。
見せたのは、ウルドの糸だけだろう。
そのウルドの糸についても、具体的に何をどのようにしているのかというのは、向こうも分からない筈だ。
そんな訳で、ニーズヘッグの外見のデータは取られているだろうが、その性能は知られていない筈だ。
だからこそ、MAの件が片づいて宇宙に転移した後は、いつものミロンガ改に乗り換えての戦闘にした方がいいだろう。
『ええ、もっとも……来るのが遅くなれば、もうジャスレイが死ぬか捕らえられるかしている可能性があるから、出来るだけ早く来るのをお勧めするわ』
そう言うと、通信が切れる。
空中に浮かんでいた映像スクリーンも消えた。
俺と通信をしていたマーベルだったが、そのマーベルも色々とやるべき事があるんだろう。
……当然か。シーラは事務を纏めて、スキップジャック級の艦長もやっているが、マーベルはシャドウミラーのMS隊を率いる立場だ。
MSの装備とか、出撃してからの隊列や、どのようにして戦闘を進めるかといった具合に、考える事が多いのだから。
これで俺が宇宙にいれば、まずは俺が突貫。
そして敵陣を食い破ったとところで、シャドウミラーや鉄華団のMS隊が攻撃を開始するといった流れになる事が多いのだが。
だが、俺がいない。
もっとも、俺がいないからといってシャドウミラーと鉄華団が圧倒的に弱くなるかと言えば、そうでもない。
グリムゲルデを操縦するマーベルに、グシオンを操縦するクランク、レギンレイズもそれなりに数が揃っており、アインやそれ以外の者達も使っている。
また、鉄華団では三日月のバルバトスもある。
他にも突出した戦力ではないが、シャドウミラーや鉄華団のパイロットは厳しい戦いを潜り抜けてきたベテラン揃いだ。
中には新人もいるので、絶対に安心という訳ではないが。
とにかく、俺がいなくてもシャドウミラーと鉄華団の戦力は十分な強さを持つ。
ジャスレイの失敗は、大きな戦力である俺だけに意識を集中した事だろう。
勿論、俺がいないだけでジャスレイ達に有利なのは間違いないのだが。
そんな風に思っていると……
『父、終わった』
ラピスの声が、ニーズヘッグのコックピットの中に響くのだった。