「やぁっ!」
「甘い」
ねじれの拳をあっさりと回避し、その手首を掴んで投げる。
力任せに投げるのではなく、きちんと力の流れを利用して投げた感じだ。
どさ、と。
ねじれの身体がコンクリートに叩き付けられそうになるところで、その身体を少しだけ持ち上げ、ねじれの身体に与える衝撃を最小限に減らす。
「負けちゃった……悔しい」
そう言うねじれの髪を、冷たい風が揺らす。
現在俺とねじれがいるのは、龍子の事務所のあるビルの屋上。
緊急時、龍子がドラゴンに変身して飛び立つ……ヘリポートならぬ、ドラゴンポートとでも呼ぶべき場所。
一応事務所にある部屋の中で訓練をしてもいいのだが、やはり狭い場所よりもこうして広い場所の方がいい。
……今のねじれのように、コンクリートの地面に叩き付けられるというのは、非常に危険なので、十分に手加減を出来る者でなければ訓練をするのは難しいのだが。
何かの本……いや、漫画、それもヤンキー漫画と呼ばれるジャンルの漫画に書いていたのだが、路上で喧嘩をする時に一番凶悪な格闘技というのは、剣道か柔道らしい。
剣道の場合は、単純に武器の扱いだ。
その辺のヤンキーが鉄パイプを持つのと、剣道をやっている者が鉄パイプを持つのでは、その危険度は数十倍も違う。
そして柔道の場合は、喧嘩相手を地面に……つまり、路上に叩き付ける。
つまり、大地を、地球を武器にしている訳だ。
また、関節技もあるので、そういう意味でも柔道は危険だろう。
もっとも、俺が見た柔道のスポーツ漫画では、喧嘩で相手を押さえ込んだところを押さえ込まれているヤンキーの仲間に蹴られるといったようなシーンもあったが。
……ただ、この世界において格闘技というのはかなり衰退しているらしい。
完全になくなったといった訳ではないようだが、その衰退はかなりのものだ。
とはいえ、それも当然だろう。
格闘技というのは、武器の有無も含めて人が人に対する為に作られたものだ。
だが、個性によって人の形ではない異形系であったり、人の形をしていても様々な特殊能力という名の個性を持っていたりする。
格闘技がそのような相手に有効かと言われると……いやまぁ、何も知らないよりは知っていた方がいいのは間違いないものの、個性発現以前と比べると格闘技の意味はなくなってきた。
ただし、格闘技という技術を知っている者の中には自分の個性に合わせた形で改良をしている者もいるらしいが。
「ねじれ、格闘技をやってみるのはどうだ?」
そんな俺の言葉に、起き上がったねじれは不思議そうに口を開く。
「格闘技? 私が?」
「ああ、特に柔道の類が向いていると思うぞ」
空を自由に飛べるというのは、空手の類には向いていない。
いやまぁ、虚空瞬動のように空中を蹴ってその力を打撃に流用出来たりするのなら、空手のような格闘技でも構わないとは思う。
ただ俺が見たところ、ねじれは空を飛べるが、それは空を飛べるものの、虚空瞬動のように空中を激しく蹴って、それを打撃に転化するといった事は難しいだろう。
だが、相手を投げる、あるいは関節を極める、締めるといった柔道の技術は、空を飛ぶねじれにはそれなりに使えるのではないかと思う。
「もっとも、一般的な柔道をそのまま使えるようになるだけじゃなくて、ねじれの個性に上手く組み入れるようにする必要があるけどな」
「……なるほど、リューキュウに相談してみるね」
「ああ、そうしろ」
龍子はねじれを預かっている人物だ。
つまり……上司? いや、どちらかと言えば師匠といった感じか?
あくまでもこれは俺の印象なので、実際にはどうなのかは分からない。
龍子に会いに屋上から出ていくねじれを見送り、俺は周囲の様子を確認する。
ビルの屋上だからこそ、地上にいる時よりも遠くまで見渡せるのだ。
とはいえ、俺がここで外を見ていても、特に何かやる事はないんだよな。
そう思っていると、空をヘリコプターが飛んでいるのが見えた。
……いや、これがただヘリコプターが飛んでるだけなら、俺もそこまで特に気にしたりはしない。
龍子が事務所を構えているここは、それなりに都会だし。
そんな場所の上空をヘリコプターが飛ぶというのは、それこそTV局の取材であったり、どこぞの社長や政治家を運んでいたりしてもおかしくはないのだから。
だが、そのヘリコプターの挙動が怪しい……上下左右に不規則に動こうとするのを必死に元の場所に戻しているといったような様子を見れば、それが普通だとは到底思えない。
「おい、あれって……」
不規則に動いているヘリコプターを見て、どうするかと考える。
勿論、こっちに落ちてくる前に撃ち落とすといった手段も採れるのだが、この世界で……しかもヒーローとして活動している龍子の事務所に住んでいる俺がやるべき事ではないだろう。
なら、俺が助けるか?
正直なところ、あの状況であっても助けようと思えば助けることは出来る。
出来るのだが、そうなるとそれはそれで面倒な事になるのも事実。
何しろ俺はヒーローではない……どころか、戸籍すらないのだから。
そんな俺がヘリコプターを助けるような事をして目立つのは……まぁ、公安と繋がりがある以上、その辺は最悪どうとでもなるかもしれないとは思う。
思うのだが、そうなると公安に大きな貸しを作ってしまう事になる。
それはごめんなので、俺は即座に屋上を出て事務所に向かう。
「龍子!」
事務所に入るなりそう叫ぶと、恐らくは先程の俺との会話で柔道について、もしくは格闘技について考えたねじれと何か話していた龍子がこちらに視線を向けてくる。
「何よ、急に?」
「空を飛んでるヘリコプターがいるんだが、そのヘリコプターが故障したか何かしたらしくて、妙な動きで空を飛んでいる」
「っ!? 屋上ね!」
俺の言葉を聞いた龍子は、即座に尋ねる。
それに頷くと、龍子は即座に席を立ち、屋上に向かう。
そんな龍子を追うねじれ。
ねじれも空を飛べるからだろうが……ただ、ヘリコプターとの距離や高度を考えると、ねじれの飛行能力ではちょっと難しそうな気がする。
それでも自分も何か出来るかもしれないと思って、向かったのだろう。
事務所の中が忙しくなるのを見つつ、俺もまた屋上に向かう。
今は目立ちたくない。目立ちたくないが、それでも龍子が危なくなった時は助けるくらいはしてもいいだろうし。
……今日に限って優が来ていないのは、不運だな。
最悪、ヘリコプターが落ちてきても優が巨大化して受け止めるといった方法もあった筈なのだから。
もっとも、そうなるとそうなったで優も怪我をする可能性があったが。
それに優がここで巨大化を使えば、周囲の建物に被害が出る可能性もあったし。
屋上に出ると、龍子は空を……正確には空を飛んでいるヘリコプターを見上げていた。
そのヘリコプターは、俺が龍子を呼びに行ってる間に問題がより大きくなったのだろう。
機体の何ヶ所から黒煙が上がっている。
うわ、これはマジでこのままとやばいな。
「行ってくるわ!」
龍子はそう言うと即座にドラゴンに変身し、翼を羽ばたかせて空に向かって上がっていく。
ねじれもそんな龍子を追って空を飛んでいく。
ヘリコプターの飛んでる高度まで、ねじれは飛べるのか?
そう疑問に思ったが、もし駄目なら戻ってくるだろうし、もし緊急で何かがあった時、ねじれがすぐにでも行動出来るのなら、それは飛んでいた甲斐があるだろう。
それに、いざとなれば……本当にいざとなれば、俺がどうにでも出来るのでフォローの準備は万端だし。
勿論目立つのは避けた方がいいので、出来ればそういうのはない方がいいのだが。
上手くいってくれよ。
そう思っていると、ヘリコプターの側まで到着した龍子が、しっかりとヘリコプターを掴み、降下してくる。
ヘリコプターの回転しているローターにぶつからないように注意しながら。
……ドラゴンに変身すれば、その表面には鱗があってそれなりに高い防御力を持ってる筈なんだが、もしかしたらローターでダメージを受けるかもしれないと、そう警戒してるのかもしれないな。
ともあれ、このまま何もないといいんだが。
そう思ったのがフラグとなってしまったのか、ヘリコプターの後部ローターから不意に発火する。
これは、不味いか?
ドラゴンに変身した龍子が、一体どれだけ熱や炎に対する耐性があるのかは分からない。
だが、ヘリコプターを抱えている龍子の様子を見る限りでは、決して熱や炎を無視出来るようなものではないらしい。
だとすれば、ここはねじれに任せるべきか?
そうも思ったが、ねじれも別に熱や炎に強い訳ではないらしい。
仕方がない、か。
俺が直接目立たなければ、それでいいだろう。
そう判断し、パチンと指を鳴らす。
同時に俺の右腕が一瞬だけ白炎となり、雀の炎獣が一匹生み出される。
屋上には龍子の事務所の面々……それこそ龍子が心配だったのか、サイドキック以外に事務員まで集まっていたが、俺が雀の炎獣を生みだしたのに気が付いた者はいない。
これが獅子や虎、熊、あるいはグリフォンやユニコーン、ペガサスといった炎獣であれば、その大きさや迫力、存在感からすぐに見つかったのかもしれなかったが。
ともあれ、生み出された雀の炎獣は空に……ドラゴンに変身した龍子が掴んでいるヘリコプターに向かって飛んでいく。
ヘリコプターを掴んでいる龍子が、近付いてくる雀の炎獣の姿に気が付いた様子を見せ、一瞬戸惑ったようにドラゴンの顔を俺に向けてくる。
炎獣ということで、一体誰がそれを放ったのかすぐに理解出来たのだろう。
なので、俺はそんな龍子が安心出来るように軽く手を振る。
……龍子はそんな俺に向かって何か言いたげな様子を見せたものの、それでも俺が自分を助ける為に炎獣を放ったというのは理解したのだろう。
結局何も言わなかった。
そんな龍子の前で、雀の炎獣はヘリコプターの後部ローター……火が出ている部分まで移動すると、龍子が変身したドラゴンの手の側でヘリコプターを持ち上げる。
それに気が付いたのだろう龍子は、持つ場所を火が出ている部分から少し移動させる事が出来た。
勿論それでも全く熱くない訳ではないだろう。
だがそれでも直接持つのに比べると大分マシなのは間違いなかった。
そうして熱さによる痛みに耐えなくてもよくなった龍子は、ヘリコプターを持ったままこちらに向かって下りてくる。
「皆、端に寄れ! このまま中央付近にいれば、リューキュウの邪魔になる!」
サイドキックの1人がそう言い、事務員達も含めてドラゴンが……より正確にはヘリコプターを持ったドラゴンが下りてくるスペースを作る為に屋上の端に移動する。
そして、ヘリコプターを壊さないよう、ゆっくりと屋上に……ヘリポートならぬドラゴンポートとなっている場所に置く。
この辺りの作業は龍子もそれなり以上に手慣れているのだろう。
空を飛べて、その巨体から今のようにヘリを持ち上げる事が出来る龍子。
飛行機であっても大きな……旅客機のような類ではなく、1人や2人が乗る程度の物であっても、今のように運ぶ事は出来るだろう。
この辺、ドラゴンに変身出来る龍子の個性の力だよな。
例えばねじれのように空を飛べても、ヘリコプターを無事に地上に降ろすといった事は難しいだろう。
巨大化出来る優ならヘリコプターを持つ事は出来るだろうが、空を飛べない以上は地上に落ちてくるのを受け止める必要があり、一発で落下場所を予想出来ないと、周囲の建物に被害が出る可能性があった。
そんな諸々について考えると、ドラゴンに変身出来る龍子は2人のいいとこ取りといった感じなのだろう。
勿論、これはあくまでも今の一件、空中でトラブルか何かがあったヘリコプターを救助する時の話だ。
他の事態の時は、優やねじれの方が有利な場面もそれなりにあるのは間違いないだろう。
「あ、無事みたいだぞ!」
事務員の1人が、ヘリコプターから降りてきた者達を見て、そう叫び……それを見た瞬間、俺は炎獣を消すと同時にビルの中に戻る。
何故なら、ヘリコプターから降りてきた者達はTVカメラと思しき物を持っており、TV局か何かの取材クルーであるのは明らかだったからだ。
今の俺は目立つのは絶対に避けたい。
そんな俺がTVに映るというのは、それこそ最悪の未来しか待っていないように思える。
その為、TVカメラを持っている者の視界に入るのだけは絶対に避ける必要があった。
屋上では、下りてきた者達が変身を解いたのだろう龍子に感謝の言葉を口にしているのが聞こえてくる。
うん、これは別に俺が関わる必要もないだろう。
そう判断し、その場を後にする。
向かうのは、事務所……ではない。
いや、正確には事務所だが、俺が寝泊まりしている部屋だ。
TV局の取材クルー達が事務所で話をするのは明らかなので、当然ながらそのような面々がいる間は、俺もそこに顔を出す事は出来ないのだから。