不意に教室の中に響いた声。
その声に視線を向けると、いつの間にか教室の中に入ってきていた寝袋の人物がいた。
……やはり、俺以外にこの男の存在に気が付いた者はいなかったらしい。
そして驚きで教室の中が静かになると、寝袋のまま立ち上がるといった器用な事をし、そこから1人の男が姿を現した。
声から男だとは予想していたので、その件についてはそこまで驚くような事はなかったのだが……ただ、怪しい。怪しすぎる。
寝袋のまま登場したのもそうだし、ゼリー飲料と思しき物を数秒で吸い付くしたのもそうだが、ボサボサの髪と伸ばしっぱなしの髭。
さすがに雄英の中にいる、それも寝袋に入ってこうして姿を現していたという事を考えれば、不審人物……もっと言えばヴィランではないと思うんだが。
ただ、そう確信出来る何かがある訳でもない。
ここは、やはり警察に連絡をした方がいいのでは?
そんな風に思ってしまうのも、決して俺の気のせいではないだろう。
実際、俺以外にも何人かがスマホに手を伸ばしているし。
それを見たのだろう。
男はこのままだと問題になると判断したのだろう。
慌てた様子で口を開く。
「はい、静かになるまで12秒掛かりました。時間は有限。君達は合理性に欠くね。俺はこのクラスの担任の相澤消太だ。よろしくね」
担任!?
今この時、間違いなく教室にいる全員の意思は1つになった筈だ。
寝袋のままで移動してきたのに気が付いた俺も、まさかこの男が担任だとは思わなかった。
なら何かと言われれば……まぁ、ヒーロー科だけに、何か特殊な存在なのだろうという風に思っていたくらいか。
実際、相澤の今の言葉でスマホに手を伸ばした者は減ったが、ゼロになった訳ではない。
何人かは、まだいつでも警察に連絡が出来るよう、スマホを手にしたままだ。
……というか、そもそもの話、雄英の教師って全員がプロヒーロー、あるいはプロヒーローとして活動していなくても、その資格を持っている者だった筈だ。
そう考えれば、つまりこの相澤もヒーロー……なのか?
まぁ、俺がしっかりと知ってるヒーローとなると、それこそ龍子……いや、リューキュウやマウントレディしかいない。
あ、でもマウントレディは事務所でだらけているのを結構見たから、そう考えればそこまで不思議でもい……のか?
ねじれはまだ雄英の学生で、プロヒーローじゃないし。
「早速だが……これを着て、グラウンドに出ろ」
そう言い、相澤が見せたのは……体操服? うん、まぁ、俺の知っている体操服とは違うものの、それでも恐らくそれで間違いのないものではあった。
「遅刻するなよ。したらどうなるか分かってるな? それと着替えは更衣室でやるように」
そう言い、相澤は更衣室の場所を教えると教室から立ち去る。
こっちの質問を受けたりする気は一切ないらしい。
「では、皆。早く着替えてグラウンドに行くとしよう!」
相澤がいなくなったところで飯田がそう言う。
その言葉に、俺も含めた他の面々はそれに従う。
女の方は……八百万が率先して連れていくらしい。
そうして、俺達はそれぞれに更衣室に向かう。
「それにしても、アクセルや瀬呂って羨ましいよな。入学前から女子達と仲良くなってよ。聞いた話だと、B組にも仲良くなった子がいるんだろ?」
更衣室に向かう途中、上鳴がそんな風に声を掛けてくる。
その外見や態度もそうだが、どうやらこの上鳴はチャラい性格をしているらしい。
……まぁ、俺に言われたくはないだろうが。
「そう言ってもな。別に特別な何かをした訳じゃないぞ? 三奈とは学科試験の時に隣の席で話すようになっただけだし、葉隠とB組に行った奴は実技試験の時に葉隠が瓦礫に閉じ込められたのを助けて知り合っただけだし」
「三奈って……アクセル、お前芦戸を名前で呼んでるのかよ? 男だな」
何故か切島が驚いた様子でそう言ってくる。
いや、別にそれで驚かれるような事は……そう思ったのだが、考えてみれば教室で話をしていた時もそうだったが、三奈と切島は知り合いらしい感じだったな。
「もしかして切島は三奈と同じ中学か?」
「ああ、そうだ。クラスは違うけど、芦戸は前から目立つ奴だったしな」
「……まぁ、それは分かる」
三奈の明るさは天性のものだろう。
いわゆる、コミュ強って奴だ。
どういう相手とでも簡単に仲良くなれる。
これが、あるいはヒロアカ世界以外の世界であれば、桃色の肌に嫌悪感を抱くような奴もいるのかもしれないが……このヒロアカ世界においては、個性の関係で皮膚の色が違うというのは珍しいものではない。
そもそもこのクラスにも、鳥頭……馬鹿という意味ではなく、文字通りの意味での鳥頭の常闇もいるし、障子もまた異形系だ。
そういうのが普通のこのヒロアカ世界においては、皮膚がピンク色だからといってそこまで奇異な目で見られない。
それも影響してか、もしくは元々の性格からか、もしくは両親の教育が良かったのか。
その理由はともあれ、三奈はかなり明るい性格をしており、中学時代に人気者だったのは容易に想像出来た。
「だろ? けど……芦戸を名前で呼んでる奴はいなかったな。いや、勿論女友達は別だけど。男でって意味な」
「そうなのか? それはまた……珍しいな」
中学3年ともなれば、まさに思春期真っ只中。
それこそ女に興味のある奴も多いし、そんな中に女にモテる男も当然のようにいる。
そういうモテる男なら、三奈に言い寄ったり……実際に口説くまではいかなくても、名前で呼ぶくらいはしてもいいと思うんだが。
偶然そういう奴がいなかったのか、それとも単純に切島が三奈を名前で呼んでる奴がいても、それを知らなかっただけなのか。
まぁ、その辺については俺がどうこう言う事じゃないだろ。
もし俺が三奈と付き合うようになったりしたら、その辺は気になるかもしれないが。
「珍しいって……まぁ、そうかもしれねえな」
そうして会話をしているうちに、飯田が案内した更衣室に到着する。
だが……そこでふと違和感があった。
「あれ? 更衣室の中には他に誰もいないな」
「何を言ってるんだ、アクセル君。ぼ……俺達が全員でここに来たばかりなのだから、誰もいないのは当然だろう」
俺の呟きを聞いた飯田がそう言ってくる。
他の面々も、それに同意するように頷いていた。
……爆豪を始めとした何人かは、我関せずといった様子でさっさと更衣室に中に入って着替え始めていたが。
「いや、そうじゃなくてな。ヒーロー科は俺達のA組以外に、B組もあるんだろう? なら、そのB組の男はどうした? まさか、B組は全員女って訳じゃないだろうし」
「女だけのクラス!? オイラはB組の生徒になる!」
ブドウ頭……峰田実だったか。俺や瀬呂を血涙を流しながら睨み付けていた奴が、俺の言葉を聞いた瞬間にそう叫ぶ。
……うん、やっぱり分かっていたけど、思春期全開の性欲が天元突破してるタイプらしいな。
さっき異形系で常闇と障子の名前を挙げたが、この峰田も十分に異形系だろう。
「……なるほど。アクセル君の言う事も分かる。だが、もしかしたらB組は他の更衣室を使ってるだけかもしれないだろう? 今はまず、相澤先生の指示通りにここで着替えて、グラウンドに行こう!」
飯田の言葉に、それもそうかと納得する。
雄英の広さを思えば、更衣室がここだけという事はないだろう。
であれば、他の更衣室でB組が着替えていても不思議ではない。
……にしても、飯田は他の奴は名字で呼んでいるのに、俺の事は名前で呼ぶんだな。
もしかして、俺のアクセル・アルマーという名前でアクセルが名字でアルマーが名前だとか、そんな風に思っていたりしないよな?
さすがにそんな事はないだろうと思いながら、俺も更衣室で体操着に着替えるのだった。
『個性把握……テストォッ!?』
着替えてグラウンドに来た俺達……女達とも合流したところで、相澤が口にしたのが、それだった。
今から個性把握テストを行うと。
「入学式は!? ガイダンスは!?」
麗日が慌てた様子で相澤に聞くが、相澤はそんな麗日の必死な様子を全く気にせず、口を開く。
「雄英は自由な校風が売り文句。そしてそれは教師側もまた同じだ」
その言葉に相澤は中学の時からやっている個性を使わない体力測定について話し、ソフトボール投げ、立ち幅跳び、50m走、持久走、握力、反復横跳び、上体起こし、長座体前屈といったものを挙げていく。
「国は未だに画一的な記録を取って、平均を作り続けている。合理的じゃない。まぁ、文部科学省の怠慢だよ」
そう吐き捨てるように言う相澤。
まぁ、うん。その気持ちは分からないではない。
個性というのは、それこそ発動しようと思わなくても日常的に発動しているような個性もある。
そうなると、当然ながら個性の禁止というのには使えない。
また、異形系についてもそれは言えるだろう。
異形系……人の形から外れている者達。
そのような者達だからこそ、異形系は個性を使わずとも素の身体能力が高い者が多い。
オリンピックが出来なくなったのも、その辺が大きく関係してるのは間違いない。
そんな者達がいる中で個性を使わない記録を取るというのがどんな意味を持つのか、正直なところ俺には分からない。
恐らく……本当に恐らくだが、既に意味がないと知りつつも、今までずっとやってきたのだからという理由で続けているのだろう。
前例主義とか、そんな感じで。
そんな風に思っていると、相澤が俺に手に持っていた何かを放り投げてくる。
「アクセルが首席だったな。……アクセル、中学の時の……いや、何でもない。個性を使ってそのボールを投げてみろ。その円から出ないなら、何をしてもいい」
首席という言葉が出たところで、再びかっちゃん……いや、爆豪が俺を睨み付けてくる。
それだけ本気で首席になりたかったんだろうな。
ちなみに相澤が中学の時の……と言ったのは、多分公安からの情報で俺が個性事故に遭って中学に通っていないのを知っていたからだろう。
……公安が具体的にどういう風に雄英側に説明したのかは、俺には分からない。
ただ、相澤の様子を見る限りでは、その説明が予想以上に上手くいってるという事だろう。
相澤の言葉に頷き、円……ソフトボール投げ用――実際には別にソフトボール投げに限った話ではないのだろうが――の円の中に入る。
俺の手の中にあるボールは、ソフトボール投げという競技ではあるが、実際にはソフトボールではない。
いやまぁ、大きさとかは野球のボールよりも大きい、ソフトボール程ではあるのだが。
ともあれ、これを個性を使って投げろという事だろう。
個性……個性か。さて、どうするべきだろうな。
雄英には俺の個性については混沌精霊として提出している。
ただ、その混沌精霊という個性が一体どういう事を出来るのか、雄英側は分かっていない筈だ。
唯一のヒントとなるとすれば、受験の時の実技試験くらいだろう。
ただ、俺は実技試験において混沌精霊の力は何も使っていない。
いやまぁ、高い身体能力も混沌精霊の個性だと言われれば、そうだとしか思えないが。
そうなると、相澤は俺がどういう個性を使うのかを見たいといった思いもあるのかもしれないな。
とはいえ、ソフトボール投げとなると、一番分かりやすいのはやはり増強系の類だと思うんだが。
「どうした? 早くしろ。時間は有限なんだぞ」
そう相澤に促され、俺は地面に描かれた円の中に入る。
さて、特に能力を使わず、純粋に身体能力だけでやるとして……まさか本気でやる訳にもいかないしな。
そうなると、ある程度は手加減をする必要がある。
そして問題なのは、具体的にどのくらい手加減をするかだが……まぁ、3割くらいの力でいいか。
それは、特に何か理由があって決めた訳ではない。
そもそも増強系の個性でどのくらい身体能力が強化されるかというのは、人によって違うし、何らかの条件があったりもする。
なので、3割というのは本当に何となく……敢えて理由を挙げるとするのなら、龍子、優、ねじれと生身で模擬戦をやった時の感覚からだろう。
後は……そうだな。どうせ増強系のような個性に見せるのなら……
ソフトボールを構え……そして投擲すると同時に叫ぶ。
「スマッシュ!」
その言葉と共に投擲されたソフトボールは、一瞬にして見えなくなる。
……何だか俺の掛け声に緑谷が反応していたのが視界の片隅で見えたが、今は気にしないようにしておこう。
飛んでいったソフトボールが見えなくなり……
「え? あれ、ちょっと。あの勢いだと、街中にまで届いたんじゃないの?」
三奈が俺を見ながら言う。
……うん。まぁ、ちょっとその……3割でも力を入れすぎたらしい。
そんな風に思っていると、不意にピピッという音が聞こえてくる。
何だ? と音の聞こえてきた方に視線を向けると、そこでは相澤が持っている機械を見ていた。
「まず、自分の最大限を知る。それがヒーローの素地を形成する、合理的手段」
そう言う相澤が周囲に見せた機械には、7985.5mという数字が表示されていた。