「いたあああああぁっ!」
不意にそんな声が周囲に響く。
休日2日目……結局昨日の午後は、ずっと拳藤と話をしていて、夕方には帰っていった。
最初こそ俺と2人きりといった状態に落ち着かない様子の拳藤だったが、話をしていると次第に慣れてきたらしく、1時間もしないうちに落ち着いた。
なので、昨日はゆっくりとした時間を楽しめた訳だ。
そして翌日、特にやる事もないので適当に街中をブラつくかと思ってマンションを出たのだが、それから10分もしないうちに、いきなりそんな声が周囲に響いたのだ。
何だ? と視線を向けると、そこには20代くらいの男が俺を見て目を輝かせて……あ、しまったな。変装道具を忘れてしまった。
とはいえ、不幸中の幸いと言うべきか、叫んだ男は別に俺に対する敵意や殺気を持っている訳ではない。
ダダダダ、とその男は俺に向かって近付いてくる。
「やっぱり! 昨日ネットに上がっていた情報は本当だったんだ! よっしゃぁっ! 俺が最初に見つけたんだ!」
「えっと……?」
何だか俺を見てハイテンションになっている男。
そんな相手にどのように反応したらいいのか分からなかったのだが、敵意や殺意はないんだよな、うん。
「あ、ごめん、ごめん。実は昨日、アクセルがこの駅の周辺に現れたってネットに上がっていたんだよ。こうしてその情報からここに来た俺が言うのもなんだけど、駄目だぜ、体育祭で優勝したアクセルが、変装もなしに街中を出歩くなんて」
その説明に、俺は事情を理解する。
理解するが……
「一応、昨日街中に出た時は変装していたんだけど」
「そんなのは変装とは言わない。あれしきの事で、プロの目を欺けると思っているのか!」
いや、プロって何だよ、プロって。
えー……これ、本気でどうなんだ?
目の前にいる男は、決して悪い奴ではないのだろう。
だが、それでも本気で心配がないかと聞かれれば、俺は即座に首を横に振るだろう。
いっそ、10歳の姿に……いや、それはそれで子供が1人でいるという事で問題になるかもしれないから、20代の姿になってみてもよかったかもしれないな。
シャドウミラーが露骨に関与している世界では、20代の俺の姿はシャドウミラー代表のアクセル・アルマーと認識されているので、迂闊に姿を見せるのは難しい。
だが、このヒロアカ世界においては、シャドウミラーの存在について知っているのは公安を含めた少数だけだ。
であれば、別に20代の姿になっても問題はないだろう。
うん、今度から変装をする時は20代の姿になるか。
もっとも、それは変装ではなく変身と呼ぶのが相応しいと思うのだが。
「あー……話は分かった。それで? あんたは結局俺に何の用事なんだ? 今の話を聞く限りは、俺が街中にいるのが気になってこうして声を掛けてきたように思えるが」
「ああ、その件か。……握手をして欲しい」
「は?」
まさかこの話の流れでいきなり握手をして欲しいと言われるとは思わなかった。
てっきり、もっと別の事を言われると思っていただけに、かなり予想外な言葉だ。
とはいえ、雄英の体育祭がオリンピック代わりだとすれば、1年とはいえ、そこで優勝した俺はオリンピックの金メダリスト的な存在なのかもしれないが。
実際、オールマイトから金メダルを貰ったしな。
そう考えれば、握手を求めるくらいの事はしても別におかしくはないのだろう。
「あー……うん、分かった」
手を前に出すと、男も俺の手を握る。
感動した様子を見せ、口を開く様子もない。
それでも数秒が経過したところで、男はようやく口を開く。
「あ……ありがとう。この手はもう洗わないと宣言しよう!」
「いや、洗えよ」
手を離すと、握手をしていた手を見ながらそう言う男に俺はそう突っ込む。
実際、手を洗わないというのは不潔なのは間違いない。
この男がもし本当に手を洗わなかったら、それが原因で何らかの病気になったりしかねないし。
……というか、手を洗わないというのを本気で言う奴がいるとは思わなかった。
ただ、風呂やシャワーに入れば、自然と手は洗われるだろうけど。
「では、俺はこれで失礼する。俺が言うのもなんだけど、アクセルも早くこの場から立ち去った方がいい、雄英の体育祭で優勝した人物がいれば、皆が集まってくるだろうからな!」
そう言うと、男は立ち去る。
握手だけで素直に立ち去ってくれたのは、喜ぶべきか?
とはいえ、俺がここにいるという事を周囲に聞こえるように言ったのは……うん。正直どうかと思うが。
実際、こうしている今も周囲にいる結構な者達が俺に視線を向けているのだから。
それを見た瞬間、俺は素早くその場から走り去るのだった。
「あー、面倒なことになったな」
そう呟くのは、客があまりいない喫茶店の中でだ。
喫茶店の席の中でも奥の方、他の客席からは見えない場所での事だ。
取りあえず、ここなら誰かに見つかる事もない……と思う。
もっとも、それはあくまでも今この状況でそのように思っただけなので、もしかしたら誰かにあっさりと見つかってしまうかもしれないが。
とはいえ……逃げ込むようにしてこの喫茶店に入ったが、そんなに悪くない場所だな。
客は少ないが、店の雰囲気はかなり良い。
リラックス出来る感じになっており……寧ろ、何故このような喫茶店で客の数が少ないのかが分からない程だ。
あの人数に追い掛けられたのはちょっとアレだったが、そのお陰でこの喫茶店を見つける事が出来たのはラッキーだったな。
「お待たせしました」
ウェイターがテーブルにショートケーキとモンブランとシュークリームと紅茶を置いていく。
正直、ケーキ3つというのは客観的に見れば食べすぎなんだろうけど、俺の場合は食べれば即座に魔力になるし、ここは他の客席から見えないようになっている席だし、何よりメニューが当店のお勧めとされていたのがこの3つのケーキだったので……うん、仕方がないな。
これは決して俺が悪い訳ではないという事にしておく。
……三奈とかがこの件について知ったら、羨ましいと嫉妬をするだろう。
それは1人で3つのケーキを食べた事か、それともそれだけのケーキを食べても太らない事か、あるいはこのような雰囲気の良い喫茶店を見つけた事か……あるいは、その全部か。
そうだな。どうせ今日は特に何か用事がある訳でもないので、テーブルの上にあるケーキ3つと紅茶の写真を撮って、メッセージアプリのLINにアップする。
優雅にケーキタイム中、と。
そう書き込んだ瞬間、まずは三奈と葉隠から一体どういう事だと、どこでそんな美味そうなケーキを食べているのかと返事がある。
続いてヤオモモから、美味しそうですわねと。
ヤオモモの熱意というか執念? 嫉妬心? そういうのが低いが、ヤオモモの場合は個性の創造を使うのにカロリーを消費するので、ケーキを複数食べるのはそう珍しくはないのだろう。
拳藤からは、どこにいるんだ? という心配。
そして瀬呂からは、なんで外に出ているのかという突っ込み。
まぁ……うん。
普通に考えれば体育祭の優勝者が外に出るというのは、自殺行為とまではいかないが、それでもちょっと問題だよな。
拳藤のようにトーナメントに残っていない者達、あるいはトーナメントに残っても表彰台に上がれなかった者達なら、外に出てもそこまで大きな騒ぎにはならないだろうが。
ただ、俺の場合は優勝……それも圧倒的な強さで全ての試合に勝っている。
ましてや、スマッシュとか言っていたしな。
うーん……スマッシュとかは、もう言わない方がいいのか?
そんな風に思いながら、ケーキを食べ進める。
ケーキの断面図の写真もLINにアップするのだが、それを見た三奈と葉隠が……うん。
明日、何か言われるのは間違いないな。
そんな風に1時間程ゆっくりとした時間を楽しみ、喫茶店を出る。
喫茶店のケーキはどれも美味かったので、いっそあの喫茶店で昼食を……とも思ったが、せっかくこうして街中に出たのだから、別の場所で食べたい。
喫茶店を出てから建物の陰に入り、姿を20代に変える。
これで、取りあえず俺をアクセル・アルマーだと、雄英のヒーロー科1年のアクセル・アルマーだとは認識出来ないだろう。
見つかったら見つかったで、それはそれで構わないとは思うんだが。
予想通り、20代の姿になると俺を見てもアクセル・アルマーだと認識出来る者はいない。
……いっそ、混沌精霊本来の姿になってみるのも面白いかもしれないな。
このヒロアカ世界でなら、混沌精霊本来の姿になっても、異形系という事であっさりと納得して貰えるし。
まぁ、迫力がちょっと……いや、かなりもの凄い感じなので、ヴィランと間違われそうではあるが。
そんな風に思いながら、昨日拳藤や優と一緒にみた映画のDVDを返す。
「あ」
街中をぶらついていると、ふと見覚えのある顔を見つけた。
ミッドナイトだ。
ヒーロー活動をしている最中らしく、ミッドナイトの服装はいつもの身体のラインが強調されているタイツ型のヒーローコスチューム。
堂々と街中を歩いているので、多くの者がミッドナイトに視線を奪われている。
中には恋人と一緒にいるのにミッドナイトに視線を奪われ、恋人を怒らせている者もいた。
いやまぁ……うん。男ならミッドナイトに視線を奪われるのはそうおかしな事じゃないよな。
そんな風に思っていると、不意にミッドナイトが俺の方を向く。
そして俺と視線が合うと、少し何かを考えた様子を見せてから、やがてこちらに向かって歩いて来た。
えっと……あれ? これってもしかして俺がアクセルだと見抜かれている?
いやまぁ、今の俺もアクセルである以上、10代半ばの俺と似通っている部分はそれなりにある。
あるのだが、だからといってまさか俺がアクセルだとは向こうも思わない……といいな。
「少し、いいかしら?」
俺の前に足を止めて、そう言ってくるミッドナイト。
どうする? そう思ったが、ここで逃げ出すのは論外。
それこそプロヒーローに不審者と見なされるかもしれない。
「逆ナンか? まさか、雪子城に行くとか言わないよな?」
「……は?」
「ああ、いや。何でもない」
逆ナンと言われて思い浮かべるのは……うん、どうしても雪子城なんだよな。
もっとも、それを言えば雪子は間違いなくブチ切れてペルソナを召喚しかねないが。
マヨナカテレビで覚醒したペルソナ使いは、本来なら美鶴達のように現実世界でペルソナの召喚は出来ない。
だが……雪子の場合、何となく出来そうな気がするんだよな。
「ちょっと昨日見た本の事を思い出してな。それで、18禁ヒーローのミッドナイトが俺に何の用件だ?」
「いえ、ちょっと……私の教え子の1人と似た風貌だったので」
う……これは……間違いなく俺の、正確には10代の俺の事だよな?
自主訓練をする時、峰田のやる気を出す為にもミッドナイトに頼む事が多かった。
そうなると、当然ながら俺もミッドナイトと話す機会が多くなり、自然とそれなりに親しくなった訳だ。
だからこそ、ミッドナイトは俺を見て、アクセルと似ていると思ったのだろう。
「そうか。世の中には似た人が3人はいるって話だけど」
「……そうね。一応聞いておくけど、アクセル・アルマーという名前に聞き覚えがある?」
「ああ、一昨日の体育祭で優勝した生徒だろう?」
「ええ、そうよ。貴方は彼に似ていると思うけど、血縁だったりする?」
「俺の兄弟にアクセル・アルマーという人物はいないよ」
これは決して嘘ではない。
アクセル・アルマーは俺であって、俺の血縁にアクセル・アルマーという人物はいないのだから。
ちょっと厳しいか?
とはいえ、嘘を吐いている訳ではないしな。
「そうなの? もし良かったら、名前を聞かせて貰える?」
「ムウ・ラ・フラガだ」
うん、ムウにはまた怒られるかもしれないが、やっぱり偽名として使うにはムウの名前が一番分かりやすいんだよな。
……まぁ、この件についてはムウに知られるような事はないだろうし……ないよな?
「あら、貴方も外国人なのね。てっきり帰化した日本人かと思っていたんだけど」
「日本語は得意だけどな」
「そうね。……なら……あら?」
何かを言おうとしたミッドナイトだったが、スマホを取り出すと話し始める。
どうやら誰かから連絡があったらしい。
「分かったわ、すぐに行くから。……ごめんなさい、もう少し話したかったけど、ヴィランが暴れているらしいから、もう行くわ」
「あのミッドナイトと話す事が出来たのは嬉しかったけど、ヴィランが出たのなら仕方がないな」
「ふふっ、その割には貴方の目は私の身体にあまり向いていないようだったけど?」
普段から男の視線を集めているだけに、その辺についてはしっかりと分かったのだろう。
そんなミッドナイトの言葉に、視線を逸らしながら口を開く。
「ミッドナイトの身体は、一度見たら目が離せなくなるからな」
「褒め言葉と思っておくわ。じゃあね」
そう言い、ミッドナイトは俺の前から立ち去るのだった。