今、茨は何と言った?
耳元で小さく呟かれた声だったので、もしかしたら聞き間違えたのかもしれない。
そう思ったのだが、茨の様子を見るとそこには俺に向け、最大限の信頼を感じさせる視線を向けていた。
……視線の種類と今の呟きがここまで違うというのも、正直どうかと思わないでもない。
もっとも、そんな茨の様子を見て俺の動揺はもう消えている。
茨が口にした内容……神野区での一件について、何故あのような事を言ったのか。
いや、正確には神野区で俺がAFOと戦っている映像を見たのだろうが、あの時の俺は今の俺……雄英のヒーロー科の生徒である10代半ばの姿ではなく、20代の姿だった。
そうである以上、あの時の俺を見ても茨が俺を俺だと認識出来るとは思えない。
それに……神野区での戦いが終わった後で俺もニュースで映像を見たが、ヘリで、しかも結構揺れている中で撮影したという事もあってか、映像も詳細なところまで完全に見て取れるといったようなものではなかった。
だからこそ、あの映像を見てもとてもではないがあれを俺だと認識出来るとは思えなかったのだ。
だというのに、茨は間違いなく……一切の躊躇もなく、俺だと認識して来た。
「……悪いけど、俺はもう少し茨と話があるから、3人は……そうだな、3人は廊下に出ていてくれ」
拳藤は部屋の中に残してもいいかと思ったのだが、そうなると何で拳藤も? という疑問を葉隠や瀬呂に抱かれそうなので、拳藤にも他の2人と同じく外に出て貰っておく。
「……分かった」
拳藤も俺の様子から何かを感じたのかもしれないが、ここで何かを言うのは不味いと判断したらしく、結局それだけを言うに留める。
「アクセル君、部屋に2人きりだからって、変な事をしちゃ駄目だよ?」
「あのなぁ……葉隠は俺を何だと思ってるんだ?」
「女誑し」
俺の言葉にボソリとそう口にしたのは、葉隠……ではなく、拳藤。
ただ、俺の耳には聞こえるものの、他の……俺よりも拳藤の側にいる葉隠には聞こえないような小声だったが。
まぁ……うん。
拳藤はホワイトスターの俺の家に行ったから、俺に20人近い恋人がいるのを知ってるしな。
ましてや、生真面目な拳藤の性格からすれば、俺が大勢の女と同時に付き合っているというのには色々と思うところがあるのはおかしな話ではなかった。
拳藤に視線を向けると、拳藤は微妙に不満そうな……不愉快そうな様子を見せつつも、それを口に出すようなことはないまま、葉隠と瀬呂を外に連れ出す。
うーん……今までは特にそれらしい感じを見せなかったけど、やっぱり拳藤の中には俺に対する不満があったっぽいな。
後で少し話をした方がいいか。
「一佳さんに悪い事をしてしまいましたね」
不意に茨がそんな風に呟く。
「悪い事? ……寧ろあれは、俺が茨にちょっかいを出さないかどうか心配していたように見えたけど」
ましてや、茨は俺を信仰している以上、俺が何かをしようとしても、それを受け入れる。
それも嫌々受け入れるのではなく、嬉々として受け入れるのだ。
拳藤もそれが分かっているからこそ、さっきのように女誑しと不満――事実なのは否定出来ないが――を口にしたのだろう。
「え?」
だが、何故か茨は俺の言葉に不思議そうな……全く理解出来ないといった様子で声を上げる。
「え?」
そんな茨の言葉に、俺もまた何故そのような声を上げたのかといったことが分からず、そう返す。
そうして俺と茨は見つめ合う事になるが……
「こほん。それでアクセルさん。神野区の件ですが」
不意に茨が話題を変える。
何か思うところがあったのか、茨の個性である棘付きの蔦の髪を撫でつつ。
……本来なら、棘付きの蔦を不用意に手で触れれば、その手に棘が刺さって痛みを感じるし、場合によっては血が出たりもりする。
だが、茨の場合は慣れているのか、それとも個性を持つ本人だからなのか、とにかく髪の毛を触っても痛がる様子はない。
この辺り、個性の不思議なところだよな。
そう思いつつ、俺もまた何故自分がこの病室に残ったのかを思い出す。
「そうだったな。……何であれが俺だと分かった?」
一瞬、誤魔化そうかとも思ったのだが、茨はあれが……20代の姿の俺がアクセル・アルマーであると確信していた。
あるいは鎌を掛けたのかとも思ったのか、茨の様子を見るとそういうのではなく、あれが俺だという絶対的な確信を持っているようだった。
それが分かったからこそ、この件で隠しても意味がないと、そう理解したのだ。
「?」
俺の言葉に、首を傾げる茨。
一体何故そのようなことを聞かれているのか、全く分からないといった様子だ。
「一応言っておくが、あの時の俺は今のこの姿じゃなくて、20代の姿だった。同一人物である以上は近くで見れば似ていると思う者もいるだろうが、それはあくまでも間近で見たらの話だ。遠くから……それもヘリから撮った映像で、この俺と20代の俺を同一人物と見抜くのはまず不可能だ。俺と似ていると思っても……そうだな、せいぜいが俺も兄弟とか、あるいは親戚とか。そんな風に思うところの筈だ」
あ、でもそうだな。このヒロアカ世界なら個性が存在する。
だとすれば、中には一時的にしろ成長する個性とか、あるいはいっそ別の人物に変身する個性とか、そういうのがあってもおかしくはないのか。
とはいえ、当然ながらそういう個性はかなり珍しいので、そう簡単にそんな個性を持っている奴を見つけられるとは限らないけどな。
「何故、でしょう?」
「えっと、何がだ?」
茨は俺が一体何を言ってるのか理解出来ないといった様子で、不思議そうに尋ねてくる。
だが、茨が一体何を疑問に思っているのか分からない以上、俺が出来るのは一体どういう事か、そう尋ねるだけだ。
そんな俺に対し、茨は不思議そうな表情のまま口を開く。
「ですから、何故姿形が変わったくらいで、私がアクセルさんを見間違うと思うのでしょう?」
「えっと……あー……」
うーん、これは一体どう反応するべきなんだ?
というか、茨の話を聞く限りだと、俺が俺である限り、茨は俺がどういう外見であっても問題なく識別する事が出来ると言ってるようなものだ。
嬉しがればいいのか? それとも残念に、あるいは怖がればいいのか?
いや、やっぱり俺を俺として認識している以上はその辺は喜ぶべきか。
あるいは茨なら、俺が混沌精霊としての姿……竜翼だったり、角が生えていたり、尻尾が生えていたりうする姿……オールマイト風に言えば、マッスルフォームか? その姿を見せたとしても、俺を俺だと認識するのかもしれないな。
少し……本当に少しだけだが、試してみたいと思わないでもない。
「それはまぁ、ありがとうと……そう感謝すればいいのか?」
「感謝? 何故でしょう? 私がアクセルさんを見間違う事など、絶対にないのですから」
真剣な表情でそう言ってくる茨。
それは俺に対する配慮とかそういうのではなく、本当に心の底からそのように思っていると理解出来るような、そんな表情と視線。
今の茨の目を見て、実は嘘を吐いていると思う者はまずいないだろう。
そう思えるくらいに、茨の視線はしっかりと俺を見ていた。
……いやまぁ、実は演技でこういう事が出来る奴がいて、嘘を口にしてるといった可能性もない訳ではないが、今まで茨とやり取りをしてきたことを思えば、これで実は嘘を吐いているといった可能性は考えなくてもいい。
それにしても、ヤオモモや拳藤に俺の正体を話す前から、茨は俺を信仰し、敬っていた。
始まりは……体育祭の打ち上げを俺の部屋でやった時の事だったか?
一体何でそうなったのか、生憎に俺には分からないが。
……いや、本当に何であの流れで茨がこんな風になってしまったのか、俺には分からないんだよな。
拳藤からは、茨を壊したとかそんな風に言われるし。
もっとも、茨が壊れるのはあくまでも俺と一緒にいる時だけの話で、俺がいない時……具体的には普通に授業をやっている時とかなら、以前までと同じ生真面目な生徒といった感じらしいのだが。
それこそ、拳藤がある意味では自分よりも学級委員長に向いているのではないかと言うくらいには真面目らしい。
だが……俺を前にすると、壊れる。
「そう言ってくれると、俺も嬉しいよ。……ともあれ、明日には退院するという話だったし、寮に入るのにも色々と準備は必要だろうから、頑張れよ」
そう言うと、茨は感動した様子で俺に頭を下げてくる。
……茨がベッドの上にいるから、こうして頭を下げてくるだけだが、もしベッドの上にいなかったが跪いていたとか、そんな風に思うのはきっと俺の気のせいではないだろう。
「ありがとうございます、アクセル様」
様付けは止めろっていってるんだが……まぁ、今くらいはいいか。
「それと、俺が外見を変えられる事、そして神野区での戦いに参加していた事については、秘密にしておいてくれ。将来的にはともかく、今はまだあまり知られたくない」
「分かりました。拷問されても話しません」
……いや、そこまでされたら別に話しても構わないんだけどな。
俺にしてみれば、俺が20代の姿にもなれるというのは今は秘密にしておきたいが、ずっと……それこそ墓の下まで持っていくような秘密という訳ではない。
俺の正体について知られたら、それなりに話してもいいと思うんだが。
とはいえ、茨の性格を思えばここで俺が何を言っても素直に聞くとは思えない……どころか、俺の言葉を大袈裟に捉えたとしてもおかしくはないし。
「分かった。じゃあ、俺はそろそろ帰るよ」
「はい。お見舞い、ありがとうございました」
そう言う茨に頷くと、俺は病室を出る。
すると病室の外では拳藤達が待っていた。
「あれ、待ってたのか?」
「それはそうでしょ。アクセルだけを残していくとか、出来ないし。……ねぇ?」
拳藤の言葉に、葉隠と瀬呂がそれぞれ頷く。
別にそこまで気にする必要はないんだが。
まぁ、こうして待っていてくれたんだから、悪い気分がする訳じゃない。
「なら、帰りに喫茶店にでも寄っていくか。ちょっと腹が減ったし」
「あのね、アクセル君。さっきアイス食べたばかりでしょ?」
葉隠が呆れたように言ってくるが……
「あの程度のアイスで育ち盛りの空腹がどうにかなるとでも?」
そう言うと、葉隠も反論は出来なくなったらしい。
俺の隣で瀬呂が頷いているのも、この場合は影響してるのかもしれないが。
とはいえ、実際には俺は本当に小腹が空いたとか、そういう訳ではない。
そもそも混沌精霊の俺は、その気になれば食事はしなくてもいいのだから。
それでも食事をするのは、純粋に俺の楽しみの為だ。
なので、喫茶店で何か美味い料理でも食べたいと、そう思ったのだ。
といはえ、喫茶店と一口に言っても色々な店がある。
しっかりと料理の美味い喫茶店もあれば、料理は出来合の物を使っているような喫茶店とかもある訳で……ようは、当たり外れが大きいんだよな。
それでも結局のところ、色々な喫茶店に行ってみないと、その喫茶店の料理が美味いかどうか分からない訳で。
そういう意味では、チャレンジ精神が重要なのは間違いなかった。
「喫茶店か、いいね。行こうか」
拳藤がそう言い、葉隠と瀬呂も反対ではなかったので、病院の近くにある喫茶店に向かう事になる。
「拳藤」
「ん? どうしたんだ?」
喫茶店で何を食べるのかといった事を話している葉隠と瀬呂の少し後ろで、俺は拳藤に声を掛ける。
軽い様子でそう聞いてきた拳藤に対し前の2人に聞こえないよう、小声で言う。
「神野区で戦っていたのが俺だと、茨に見破られた」
「……え? 一体、何で……? 何か言ったのかい?」
俺が何か迂闊な事を言ったのかと思ったらしい拳藤にそう尋ねられる。
いやまぁ、神野区で俺がヤオモモと呼び掛けて、それでヤオモモが俺を怪しんだ件について聞いていれば、そういう風に言ってきてもおかしくはないけど。
だが、俺はそんな拳藤に首を横に振る。
「いや、何も言っていない。どうやらTVで神野区の戦いを見て、それで俺だと気が付いたらしい」
「……どうやって? だって、あの時のアクセルの外見は……」
「俺もそう思う。思うんだが……茨に聞いたら、何故それが分からないと思ったのかと、そういう風に聞かれたよ」
「……茨、一体どこに向かってるんだ?」
唖然、あるいは呆然として呟く拳藤だったが、正直なところ俺もそんな拳藤の態度には賛成だ。
本当に一体何であれを俺だと気が付いたのか。
ただ、茨が信仰心から気が付いたと言われれば、俺としても反論するのは難しいんだよな。
「とにかく、どうやって気が付いたのかはともかく、気が付いたという件については教えておこうと思ってな」
「ああ、助かるよ。……ありがとう」
拳藤がそう感謝の言葉を口にする中で、俺は気にするなと首を横に振るのだった。