仮面の女が練法を使った。
そもそも俺には練法というのが具体的にどのようなものなのか分からない。
便宜的に、俺が使う魔法と同じようなもの……あるいはこの聖刻世界における魔法の呼び名が練法なのかもしれないとは考えていたが。
俺は人ではなく混沌精霊だけに、この身体も生身ではあるが、同時に魔力によって構成されている。
だからこそ俺には物理法則は通じないし、魔力や気が使われていない攻撃は核ミサイルだろうと無効化する。
……そんな中、仮面の女がどういう練法を使ったのかは分からないが、魔力で構成されている俺の身体に影響を与えた……侵入したのは、それだけこの女が練法師として技量が高い証のだろう。だが……
「きゃ……きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
絶叫。
まさに絶叫……それも魂からの絶叫と呼ぶに相応しい絶叫が、女の口から周囲に響く。
先程までこの女はルーラン、リロイ、マウにその存在を認識させていなかったものの、練法を使って俺に接触したその瞬間に、練法も完全に消えてしまっていたらしい。
「……アクセル?」
肝の据わっているルーランにとっても、絶叫する仮面を付けた女……練法師というのは、予想外だったらしい。
俺に近付くと、一体どういう事なのかといった様子で聞いてくる。
女の悲鳴は今もまだ周囲に響き渡っているが、近付いて来たルーランの言葉はしっかりと俺の耳に聞こえてきた。
こういうのも、カクテルパーティ効果というのか?
「人馬操兵の素体が出て来た時、俺達がそちらに集中しているのに紛れて侵入してきた。練法によって気が付かせないようにしていたようだが、どういう訳かその練法は俺には効果がなかったんだよ」
どういう訳かというのは……まぁ、うん。俺が異世界から来た存在だからなのか、あるいは混沌精霊だからなのか、その辺りは生憎と俺にも分からなかったが、多分その辺りが理由なのだろうとは思う。
「おい、それよりあれ! 人馬操兵の素体が!」
不意にマウの声が聞こえてそちらに視線を向けると、そこでは半透明の膜を突き破るようにして人馬操兵の素体が姿を現す。
……素体だけあって、それは人の身体――人馬操兵だからケンタウロスの身体という表現の方が正しいのかもしれないが――から、皮を剥いだかのような、そんな気色悪い外見をしている。
だが……それについては、操兵工房で操兵の素体を見た事もある為にそこまで驚くようなことはない。
俺が驚いたのは……
「足が6本?」
そう、自分でも知らないうちに呟く。
普通なら、ケンタウロスというのは足は4本の筈だ。
何しろ、馬の下半身と人の上半身を持つのだから。
だというのに、半透明の膜から姿を現した素体は前足と後ろ足の間に中足とでも呼ぶべき2本の立派な足があったのだ。
また、他にも尻尾が普通の馬とは違い、鞭の如き長さを持っている。
他にも頭部からは人馬操兵にあるとは思えない角が側頭部からそれぞれ左右2本ずつ上に伸びている。
どこからどう見ても、普通の人馬操兵ではない。
……いや、そもそも俺が知っている人馬操兵というのは、あくまでも石版にあったものだけだ。
本当の意味で人馬操兵というのは見た事がない以上、これが実は本物の人馬操兵の素体であると言われれば、そうかと納得するしかないのだが……多分、本当に多分だが、これってあの球体が俺の魔力を吸収したのが影響してるんだろうな。
異世界からの存在である、混沌精霊の魔力。
そんな、この世界の存在にとっては理解出来ない存在によってこうした状況になったのではないかと、そのように思えるのだ。
六本足の、長い尻尾を持つ人馬操兵の素体は、まるで本当の馬でもあるかのように暴れている。
ケンタウロス……というのが分かりにくければ、例えば歩兵と騎兵を想像すればいい。
人馬操兵と普通の人型の操兵との間には、それだけの大きさの差がある。
なるほど、この遺跡がここまで大きかったのは、人馬操兵の大きさがあってのものだという事なのだろう。
そんな人馬操兵の素体は、何が何だか分からないといった様子で暴れている。
このままではローラン達が危ない。
そう思い、俺は暴れている人馬操兵の素体に近付く。
「おい、アクセル!」
ルーランが心配そうに叫ぶものの、何となく……本当に何となく大丈夫だろうという確信が俺にはあった。
血を使って契約を結ぶ召喚獣とは違うが、この人馬操兵……それも普通の人馬操兵ではなく、異形の人馬操兵は俺の魔力によって生み出された存在だ。
それが理解出来るからこそ、大丈夫だと思ったのだが……そんな俺の予想を裏付けるように、俺が近付くと人馬操兵はピタリと動きを止め、暴れるのを止めた。
そして俺に従うかのように跪いてくる。
素体となっている筋肉の部分に触れると……なるほど、何となくだが理解した。
やはりこの人馬操兵……異形の人馬操兵は、普通の人馬操兵が俺の魔力によって……より正確には魔力を介して混沌精霊の因子を受け継ぎ、異形の人馬操兵となったのだろう。
「お見事です、アクセル様」
「……何?」
不意に聞こえてきた声に視線を向けると、そこには先程までは叫んで地面を転げ回っていた仮面の女の姿があった。
ただ……何か、こう……さっき見た時と比べると、明らかに存在感が増してる。
力が強くなっていると、そう表現してもいいのかもしれないが。
ともあれ、そんな仮面の女が人馬操兵と同じように跪き、俺に頭を下げていた。
それはまるで、俺に従っているかのような……いや、それ以外には言いようがない、そんな光景。
ルーランとマウは勿論、普段無表情なリロイでさえ仮面の女の様子に驚きの表情を浮かべている。
俺もまた、予想外の展開に驚く。
……そもそも、何故この女が俺の名前を知っている?
まぁ、練法を使ってこっちがその存在に気が付いていない時にルーラン達が話しているのを聞いたという可能性もあるが……見た感じ、それはちょっと違うっぽいんだよな。
そうなると、何かこう……一体どういう理由で俺について知っているのか気になる。
「お前は俺の名前を知っているようだが、俺はお前を知らない。誰だ?」
「ヘルガ・アスタロッテと申します」
「練法師って奴だな?」
「はい。聖刻の園に所属する練法師となります」
「ほう、まさか練法師がこうも素直に自分の情報を口にするとはな」
女……ヘルガの言葉に、ルーランが感心した様子で言う。
だがルーランがそう口にした瞬間、ヘルガは仮面越しでも分かるような鋭い視線をルーランに向け、口を開く。
「黙りなさい。私が忠誠を誓ったのは、あくまでもアクセル様のみ。私を練法師の持つ下らない……そう、下らない法から解放して下さり、何より龍の王如きとは違う、本当の意味での……」
「待て」
ヘルガの言葉を途中で止める。
何だか色々と俺には理解出来ないような……それでいて重要そうな単語がポンポンと出て来たんだが。
「何でしょう、アクセル様」
「……ちょっと待て。ルーラン、悪いけどちょっと俺達だけで話させてくれ。お前達に話す前に、こっちもこっちで色々と確認しておきたい」
「分かった。だが……龍の王についての情報は後でもいいので、是非とも聞かせて欲しいものだな」
「約束は出来ないが、出来るだけそっちの要望を叶えられるようにするよ。……さて、ヘルガ。ちょっと聞きたい事があるから、まずはこっちに来い」
そう言うと、ヘルガは一切の躊躇なく頷き……俺とヘルガは念の為ということで、異形の人馬操兵の向こう側まで移動する。
異形の人馬操兵は、意思があるのかどうか……その辺はちょっと分からないが、とにかく俺達が移動しても特に何か大きく動くといったような事はせず、だがその顔はルーラン達が妙な動きをしないように見張っているように思えた。
そういう事をしなくても、ルーランなら一度約束した事は破ったりしないんだけどな。
マウなら何らかの動きをしてもおかしくはなかったが。
そういう意味では、異形の人馬操兵が向こうを見張っていてくれるのは助かる。
ルーランもその辺りについては気が付いているだろうから、マウが妙な真似をしないように行動してくれるのは間違いないだろうし。
「さて、それで……そうだな、正直なところ聞きたい事が多すぎて何かから聞けばいいのか分からないんだが……まずはこれからにするか。何でいきなり俺に従うような態度になったんだ?」
先程……練法を使う前は、俺が自分の存在に気が付いたという事で排除しようとしたのは間違いない。
なのに、あの絶叫の後で今はこうして俺に従っているのだから、一体何がどうなってそうなったのかを気にするなという方が無理だった。
そんな俺の疑問に、しかしヘルガはあっさりと答える。
「私は練法において、月の門の者です」
「月の門?」
「はい、こことは異なる世界から来たアクセル様には分からないかもしれませんが、月の門というのは闇、幻、精神、時間……これらに関する練法を使う者達です」
「なるほど」
つまり、魔法……というか、練法の属性みたいなものか。
「そして私はその中でも特に精神に関する練法を得意としており……その、アクセル様の意識を奪おうとしたところ、練法によって私とアクセル様の精神が繋がってしまいました」
「あー……うん。それで何となく分かった」
実際、あの時にヘルガが俺に練法を使った時、俺の精神に接触したような何かがあったのは間違いない。
つまり、俺の念動力、あるいは魔力がヘルガの練法によって一種のラインが繋がった状態になり……密度の差か、あるいは単純に量の差か、もしくはレベルの差か。
とにかくその辺りについては分からないが、本来ならヘルガが俺の精神に何らかの操作をして気絶するなり眠らせるなりする筈が、一種の逆流現象が起きたという事か。
「けど、俺と精神的に繋がったとして、それで何で今のような態度になるんだ?」
「アクセル様と繋がった時、プラーナ……いえ、魔力ですか。その魔力が私の中に流れ込み……そう、私の全てを完膚なきまでに蹂躙したのです」
そう言い、自らの身体を抱きしめるヘルガ。
あれ? これ発情してないか?
そんな風に思ったが、ヘルガはすぐに我に返った様子で口を開く。
「その結果、先程も説明したと思いますが、私の中にあった練法師としての法が全てアクセル様の魔力によって……そう、私の印象で言えば、燃やしつくされたのです。その代わり、魔力と法の残滓と呼ぶべきものが私の中で融合し……そうですね。アクセル様の認識では、使い魔と呼ぶべき存在となったと言えば分かりやすいのではないでしょうか?」
「使い魔……ね」
なるほど、ヘルガの言葉はそれなりに説得力がある……よな?
そもそも練法師という存在とはこうして初めて接触したのだから、具体的に何がどうなったのかというのは、俺にも分からない。
とはいえ、魔力的に俺と繋がっているというのは分かる。
召喚魔法とはまた違う、そんな繋がりが俺とヘルガの間にはあった。
「はい。……また、使い魔としての繋がりから、アクセルさんがどのような存在なのかも……シャドウミラーについても、ある程度は理解しています」
「シャドミラーにも? ……なるほど、だからああいう風に」
俺がこの聖刻世界以外の世界から来たのを知っていたのもそれが理由なのだろう。
「で、聖刻の園だったか? それがヘルガの所属している組織か?」
「所属していた……です。今の私はアクセル様の使い魔ですから」
狛治を召喚獣にしているというのもあれだが、人を使い魔にしているというのも、また微妙な感じだよな。
もっとも、そうなってしまった以上は仕方がないが。
「聖刻の園と練法師……後は、さっき聞いた龍の王についてと……ここに来たという事は、人馬操兵についても何か知ってるんだろう? その辺りについて、俺は勿論ルーラン達にも話してくれ」
「あの者達にも……ですか? アクセル様は一体何故あのような者達と?」
不満そうな様子のヘルガ。
俺の使い魔になって俺に絶対的な忠誠は誓っているものの、それはあくまでも俺だけでルーラン達は違うのか。
……ルーランとリロイはともかく、マウとの相性は悪そうだよな。
「ヘルガにとっては不満かもしれないが、ルーラン達とはここまで一緒に旅をしてきた仲だし、この世界に来てから世話になっている相手だ。異世界やシャドウミラーについて話すのは禁止するが、それ以外は普通にやり取りをしてくれ」
そう言うと、ヘルガは分かりましたと頷くのだった。