「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
一人の少女が、自分の思い通りに動かない足を無理矢理に動かして歩み続ける。
少し前までは普通に動かせていた身体が、自分の思い通りには動かない。
だが、それでも少女は必死に身体を動かす。
「頑張って、クロエちゃん。もう少しでゴールよ!」
リハビリ室にいる看護婦が、クロエと呼ばれた少女にそう告げる。
……なお、全く関係のない話ではあるのだが、ホワイトスターが接触している世界によっては看護師と呼ばれることもあれば、看護婦と呼ばれることもある。
もしアクセルがそれを知れば、恐らく原作となった物語が公開された時期に関係しているのだろうと、そう納得するだろうが。
ともあれ、このUC世界においては看護師ではなく看護婦という言葉が一般的だった。
「はぁ、はぁ……もう少し……」
クロエは必死になって足を動かし続け、やがてゴールに到着する。
「お疲れ様」
激しく息が乱れているクロエを、看護婦は抱き留める。
「つ、疲れた……」
「そうですね。でも、今日の分のリハビリはこれで終わりですから、後はゆっくりと疲れを癒やして下さい」
そう言いながら、看護婦はスポーツドリンクをクロエに渡す。
そのスポーツドリンクを受け取る力も、決して強いものではない。
当然だろう。このクロエという少女は、つい数日前まではシャドウミラーで治療されていたのだから。
元々、このクロエはペイルライダーというMSに乗る為に薬や精神操作、場合によっては外科手術まで行って身体を強化されていた。
強化されたという意味では、SEED世界でシャドウミラーによって保護されたスティング、アウル、ステラといった面々と同じようなものだったのだが、ある程度技術的な蓄積がされていた3人と違って、クロエの場合はそのような技術的な蓄積がないまま、効果があると思われる強化を手当たり次第といったように行われた。
その結果として、レモンの治療によって回復したものの、完全に元の状態に戻るとはいかなかった。
……いや、もっと時間を掛けて治療すればその辺もどうにかなったのかもしれないが、具体的にどれくらいの時間が掛かるか分からない。
結果として、クロエは非常に大変ではあるものの、地道にリハビリでの治療を選んだ。
本人としては、楽に治療されるということが許容出来なかったのだろう。
(こんな子をこんな目に遭わせるなんて……連邦軍は許せないわね)
看護婦はクロエの世話をしながら、そんな風に思う。
元々がサイド3出身という事もあってか、連邦軍や連邦政府に対して色々と思うところがあるのだろう。
「どうしました?」
「いえ、何でもないです。それより、今日はアルテミスの子達が来るのでしょう? その前に、お風呂に入っておきましょうか。運動して汗を掻いてますし」
「う……その、汗臭い、ですか?」
クロエも少女だ。
自分が汗臭いのだと暗に言われれば、それを気にしない訳にはいかない。
少し前までは軍人であり、それこそ任務ともなれば身体を拭くのが精々といった事もあったのだが……それはあくまでも任務だからの話であって、今となってはその辺を気にするのも当然だった。
特にアルテミスから遊びにやって来るのは、ニュータイプと見なされている者達だ。
それだけに、汗臭いというのは色々と思うところがあった。
(男の人の中には、女の子の汗臭さい臭いが好きな人もいるんだけど……それは、言う必要がないわよね)
自分の様子を確認しているクロエを見て、これまでの経験からそういう男がいるというのを知っている女だったが、それを口にする様子はない。
「運動したんだから、当然でしょ。さ、じゃあお風呂に行きましょうか」
クレイドルでは水資源も非常に豊富だ。
コロニーでは風呂やシャワーを浴びるにもそれなりの税金が必要となる。
水や空気にも税金が掛かっているのだから、その辺は非常に厳しい。
そういう意味では、やはりクレイドルというのは非常に恵まれているのだろう。
だからこそ、多くの者が月に移住をする際はクレイドルへの移住を希望するのだ。
「分かりました」
クロエは看護婦の言葉に頷き、風呂に向かうのだった。
「ねぇ、彼とはどのくらい進展したの?」
クレイドルにある喫茶店で紅茶を飲んでいたマリオンは、クスコの口から出た言葉に紅茶を吹き出しそうになる。
「ちょっ、いきなり何を言うんですか!?」
マリオンは何とか紅茶を吹き出すといったような乙女の危機を乗り切ると、クスコに対して不満そうに言う。
だが、クスコはそんなマリオンに対して笑みを浮かべたまま口を開く。
「あら、そこまで驚く事でもないでしょう? ラブラブなんだから、進展くらいはあってもいいと思わない?」
「進展って……そんな急に言われても……」
オルテガとくっつくところまでは、かなり強引にアタックをして、オルテガがあまり女慣れしていないというのもあってか、無事付き合う事に成功した。
だが、恋人としての進展と言われれば、マリオンは言葉を濁す。
……14歳のマリオンだけに、キスはともかく本格的にオルテガが手を出したりすれば、下手をすると量産型Wやコバッタに捕まって強制労働として農場に送り込まれるかもしれない。
そう思えば、マリオンとしてもキスより先……具体的には抱かれるといったような事はそう出来ない。
何よりも、巨漢のオルテガに対してマリオンは華奢だ。
(もし抱かれたら……私、壊れちゃうんじゃ……)
何によって壊れるのかというのを考え、マリオンの白い肌は急速に赤くなっていく。
「あら、何を考えたのかしら?」
「ちょ……もう、それを言うなら、クスコさんはアクセル代表との関係はどうなってるんですか!? 知ってますよ、私。クスコさんがアクセル代表を見る時の目を」
そんなマリオンの指摘は、クスコにとっても予想外だったのだろう。
お茶菓子のクッキーに伸ばそうとしていた手が止まる。
「な、何をいきなり言ってるのかしら? そんな訳ないじゃない。大体、彼には恋人がたくさんいるのよ? 私なんか……」
「そんな事はないです。クスコさんは美人なんだから、チャンスはありますよ」
マリオンのその言葉は、決して大袈裟なものではない。
豊かな桃色の髪や整った顔立ち、そして男好きのする身体。
男であれば、大抵の者がクスコを見れば魅力的だと表現するだろう。
あるいは、単純に趣味の問題でクスコを恋愛対象に入れられない者であっても、クスコが美人であるということを否定するような真似は出来ない。
それだけの美貌をクスコは持っているのだ。
そんなクスコだけに、当然ながら男に口説かれる事も多い。
パイロット、アルテミスの研究者、ディアナの技術者、はたまたその辺の通行人。
しかし、クスコは過去の経歴からある意味で男に対して冷めた思いを抱いている。
そんな中でアクセルには特別な思いを抱いているのは、アクセルが色々な意味で特殊な人物だと理解しているからだろう。
とはいえ、本人はそれを決して表に出しているつもりはなかったのだが。
それが知られてしまったのは、クスコがその手の感情を隠すのが下手だったからか、それともマリオンが女として成長したからか。
ともあれ、こうして2人のニュータイプの女は休日の時間を楽しみながら恋愛話に花を咲かせるのだった。
アクセルを想うクスコがマリオンと女らしい時間を楽しんでいる頃、海兵隊の訓練場では、セイラとは別の意味でルナ・ジオンを象徴し、年下のアクセルに対して複雑な――それでいて圧倒的に好意が強いのだが――思いを抱いているシーマが、新兵達に訓練をつけていた。
「ほらほらほら、海兵隊に入った以上はこの程度で疲れてるんじゃないよ! 海兵隊ってのは、ただでさえ真っ先に敵に突っ込んでいく部隊なんだ。ましてや、ルナ・ジオン軍ではその意味は大きく変わってくるんだからね」
そう言いながら、シーマは限界まで体力を使って地面に寝転んでいる兵士達に向かって銃弾を撃つ。
とはいえ、さすがに本物の銃弾を使ったりはしていない。
ここで使っている銃弾は、あくまでも模擬弾だ。
当たっても死ぬような事はない。……泣きたくなる程の激痛はあるが。
兵士達も、今まで何度かその模擬弾を食らっている為か、地面に着弾した模擬弾を見て、慌てて立ち上がる。
「ほら、まだ元気じゃないかい。まだまだ行くよ!」
「ひいいいいぃぃっ!」
凄絶とも評することが出来るシーマの顔を見て、1人の男が走り出す。
ただし、それは訓練の為に走ったのではなく、その訓練から逃げ出す為に走ったのだ。
シーマに憧れて海兵隊に入ったのだが、今となってはそんな憧れよりも恐怖の方が強い。
だが、シーマはそんな男の様子に特に驚きもせず……銃口を遠ざかっていく背中に向け、トリガーを引く。
「ぎゃんっ!」
悲鳴を上げて倒れる男。
そんな男に、特定の業界の者であれば『ご褒美です』と喜ばれそうな視線を向けると、近くで訓練の補助をしていた海兵隊に視線を向け、口を開く。
「連れてきな」
「は!」
シーマの指示に従い、痛みで動けなくなっている男を引きずって訓練場から出て行く海兵隊。
一連の行動に、訓練をしている海兵隊の新兵達は、恐怖を覚える。
だが、シーマはそんな兵士達に向かって再び銃口を向け……また、恐怖のランニングが始まるのだった。
「うわぁ……世間に流れている宇宙の蜉蝣の評判って、一体何なんだ? まぁ、アクセルから聞いた話を考えると、こっちの方が本性って事でいいんだろうけどよ」
海兵隊の訓練風景を訓練場の外から見ていたのは、カイ・シデン。
アクセルにしてみれば、ホワイトベース隊で一緒だった馴染みのある相手だ。
その縁もあり、恋人のミハルやその弟や妹と一緒にクレイドルに引っ越してきたのだ。
現在、カイはミハルや妹のミリーと共にジャーナリストをしており、弟のジルはニュータイプの素質があるとして、週の半分はアルテミスに通っている。
本来なら、ニュータイプという意味ではカイもまたその素質があったのだが、カイ本人はニュータイプのアムロを見て色々と思うところがあったのか、アルテミスに関わったりはしていない。
そんな訳で、ジャーナリストとして働いているカイは、ルナ・ジオンの中でも精鋭中の精鋭と呼ばれ……半ば独立している軍隊と呼んでもいい海兵隊の取材をする為に、こうして訓練を眺めていたのだ。
カイは、1年戦争において伝説的な活躍をしたホワイトベース隊でMSパイロットをしていた。
それも圧倒的な技量を持つアムロを始めとして多くの者がエース級と呼ぶに相応しい技量を持っているホワイトベース隊のMSパイロットの中で、トップエースとまではいかないが、それでも上から数えた方が早いだけの戦果を挙げている。
そんなカイだったが、元々決して戦いが好きだった訳ではない。
連邦からルナ・ジオンに国籍を移しても、ルナ・ジオン軍に入隊しようとは思えなかった。
移住の際にはホワイトベース隊の所属だった事もあり、最初はルナ・ジオン軍への入隊を勧められたのだが、カイはそれに頷く事はなかった。
その性格から、軍隊は自分には合わないと思ったのだろう。
……あるいは、これでルナ・ジオン軍が本当の意味で人材不足であれば、ミハルのいる月を守るという意味で頑張った可能性もある。
だが、ルナ・ジオン軍は非常に強力な軍隊だ。
規模こそ連邦軍に比べれば小規模だが、その質は圧倒的に連邦軍よりも上だ。
異名持ちが大量にいるのが、その証だろう。
そして、その質を低下させない為にもカイの視線の先ではシーマが海兵隊の新兵達を鍛えていた。
また、規模が小さいというのはあくまでもルナ・ジオンの人間だけをルナ・ジオン軍として考えた場合の話であり、メギロートやバッタのようなシャドウミラーから借りている無人機を数に入れれば質だけではなく量でも連邦軍を圧倒出来るだけの実力がある。
だからこそ、カイはわざわざ自分がルナ・ジオン軍に入隊する必要もないだろうと判断して、現在はジャーナリストとして活動出来ている。
「よう、カイさん。取材の方はどんな感じだ?」
「うおっ! えっと、その……凄いですね」
海兵隊の取材という事で案内をして貰っているコッセルの言葉に、カイは我に返ってそう返す。
本来なら、コッセルはシーマの副官といった立場だ。
このような仕事をするような事はないのだがアクセルの知り合いだからという理由でコッセルがカイの案内をしていた。
「何を言ってるんだよ。あんたもホワイトベースに乗ってたんだ。このくらいの訓練はしただろ?」
「いやぁ……そんな事は……」
実際、戦時徴用だった事もあって、カイは軍人としての訓練はMSのパイロットに特化した形で行っており、とてもではないが現在視線の先で行われているような訓練は行っていない。
そんな事をしているような余裕がなかったというのが事実なのだが……何となくカイは話を濁す。
この後の訓練の取材も行い、シーマ率いる海兵隊の記事は非常に注目を集める事になるのだった。