事態が動いたのは、その日の夕方だった。
夕食も終わり、多くの者がゆっくりとしている時間。
俺は部屋で1人、ゆっくりとした時間を楽しんでいた。
いつもなら美鶴も俺と一緒にゆっくりとした時間を楽しんでいるのだが、美鶴はシャドウワーカーと明日の打ち合わせについて話しているので、ここには俺が1人。
そんなところで、通信機に連絡が入ったのだ。
部屋の中なので、街中で使うように携帯のように使わず、空中に映像スクリーンを展開する。
『アクセル、ちょっといい?』
映像スクリーンに表示されたのは、レモン。
少し嬉しそうな様子をしてるのを見ると、もしかして……という思いがある。
「ああ、構わない。もう夕食も食べ終わって、ゆっくりしてるだけだしな」
『ならちょうどよかったわ。……濃霧の件、対処が可能になったわよ』
「マジか」
レモンからの連絡だったので、半ば予想はしていた。
していたが、それでもまさかこんなにあっさりと濃霧の件を解決出来るとは思っていなかった。
レモンだからの一言で納得してしまうところも十分にあったのだが。
『ええ。それで、どうする? 今日これから持っていこうか? それとも明日にする?』
「それは……迷うな」
マヨナカテレビというだけあって、夜に事態が進展するのは間違いない。
だが同時に、これが最初のTVの中の世界の本格的な探索である以上、日中に行いたいという思いがそこにはある。
俺は夜目が利くが、それが無理な者は多い。
それに夜目が利くとはいえ、それでも日中の方が戦いやすいのも事実。
これがもしどうしても今夜中にTVの中の世界に行かないといけないような、何らかの理由があるのなら話は別だが、今のところそういうのはない。
山野真由美の件を考えると、マヨナカテレビで誰かが映されればその人物が死ぬという可能性は高いのだが。
ここ何日かのマヨナカテレビでは、誰かが映っているようには思えるものの、かなりぼやけてそれが誰なのかは全く判別出来ない。
そして山野真由美の件のように、誰かが死んだという話も聞かない。
だとすれば、緊急にTVの中の世界に入る必要はない訳だ。
もっとも堂島なら、足立を捕らえるという目的で、少しでも早くTVの中の世界を探索したいと思っているのかもしれないが。
それでも今の状況で夜にというのは止めておいた方がいい。
『どうする?』
「悪いが、明日にする。明日の日中にTVの中の世界を探索しようと思う。……レモンはどうする?」
『私? 当然私も一緒に行くわよ。私の作ったシステムが正常に動作するのかどうか、分からないんだもの。こっちで採取した霧の情報を見る限りでは問題ないけど』
その言葉に、なるほどと納得する。
採取した霧のデータでは問題がなくても、実際に現場でそのシステムとやらを試して見た時、何か予想外の事態がおきないとも限らない。
……とはいえ、俺にしてみればそれは悪い話ではない。
技術班を率いるレモンだったが、戦いの時にはヴァイスセイヴァーに乗って前線に出るのを見れば分かるように、普通に実働班としても戦えるだけの能力を持っている。
その能力はPTのような人型機動兵器の操縦だけではなく、生身での戦いでも十分一流と呼ぶに相応しい実力を持っている。
だからこそ、万能の天才という風に言われるのだから。
そんなレモンだけに、TVの中の世界でシャドウと……もしくは足立と戦うような事になった場合でも、十分に対処出来るだろう。
場合によっては、レモンを見た足立がその美貌に引き寄せられるようにして姿を現す可能性も十分にあった。
早紀の件を考えると、そういう風に……いや、待てよ?
早紀に言い寄った件を考えると、足立は山野真由美にも言い寄った……正確にはTVの中の世界に入れて、その中で無理矢理襲った可能性もある。
だとすれば、山野真由美の死体にはそういう痕跡が……ないか。
足立も刑事としてその手の事には詳しい。
だとすれば、山野真由美に足立の体液が残っている可能性は低い。
他に考えられる可能性とすれば、抵抗した時に爪で足立を引っ掻き、それが残っている可能性か。
とはいえ、こちらも足立は刑事として知識はあるだろうし、そこまで間抜けな事はしないだろう。
『アクセル? どうかしたの?』
「いや、もしかしたらレモンがTVの中の世界にいれば、足立がそれに誘き出されるようにして出てくるかと思ってな」
『さすがに……それはないんじゃない?』
「どうだろうな。俺が知ってる足立のデータだと、かなり性欲が強いように見えるし」
『……アクセルが言うと、あまり説得力ないわね』
若干呆れた様子のレモン。
毎晩のようにハーレム状態で楽しむ事が多い身としては、その言葉に反論するのは難しかったりする。
とはいえ、俺の場合は足立がやっただろうように無理矢理という事はしていない。
そういうのはちょっと萎えるし。
「取りあえず、明日だな。朝にでも東京まで迎えに行くから」
『誤魔化したわね』
そんな風に言ってくるレモンの言葉はスルーし、俺は話を戻す。
「それで濃霧の中でも問題なく動けるというシステム……正確にはそれを搭載した何かか? それはどのくらい用意出来る?」
1つだけだとちょっと問題だ。
俺、美鶴、ムラタ、五飛、堂島の5人用以外にも、予備が幾つか欲しい。
タルタロスの一件を思えば、この世界でも事態が進むにつれて、仲間が増える可能性は十分にあるし。
あるいは俺達が関与した影響で、この事件の主人公……恐らくは鳴上だが、その鳴上が濃霧の中を見通せずに俺達と同じく探索が出来ずに困ってるという可能性もある。
その時、俺が持ってる機械を渡せば、自然と協力出来るだろう。
……俺達と一緒に行動する堂島が、鳴上の件を認めるかどうかは微妙なところだが。
何しろ堂島にしてみれば、鳴上は姉の息子……甥だ。
自分が預かっているという思いもある以上、そのような相手を危険な目に遭わせたいとはとてもではないが思えないだろう。
とはいえ、これはあくまでも俺の勘が当たっていて、鳴上がこの事件の主人公であった場合の話だが。
実は鳴上はこの事件に全く関係がない……という可能性も否定は出来ない。
その辺は事態が進めば自然と明らかになるだろう。
『そうね。取りあえず10個は用意したわ。それくらいあれば大丈夫でしょう?』
「ああ、それだけあれば十分だ。……ちなみにどういうのかは、教えて貰えないのか?」
『それについては、明日見てからのお楽しみよ』
笑みを浮かべてそう言うレモン。
これ、大丈夫だろうな?
いやまぁ、レモンのセンスはそう悪くないから、そこまで気にするような事はないだろうが。
それにしても10個か。
正直なところ、1個出来たら連絡してくると思ってたんだが。
助かるのは間違いないけどな。
予備も含めて、多くの者がTVの中の世界を探索出来るんだし。
「なら、楽しみにさせて貰うよ」
『ええ、じゃあ明日ね』
そう言い、通信が切れる。
その事を少し残念に思いながら、俺は大広間に向かうのだった。
「本当か、それは!?」
大広間にいた美鶴が、俺の言葉を聞いてそんな声を出す。
普段は冷静沈着な……いや、処刑とかをしてる時はそうでもないのかもしれないが、それでも基本的には冷静沈着なのは間違いない筈だ。
そんな冷静沈着な美鶴が大声を上げたので、大広間にいる者達の視線が集まる。
現在大広間にいる面々は、食後の休憩という事でゆっくりしている者もいれば、早めに残ってる仕事を片付けておこうとコンピュータに向かったり、書類を書いたりしている者達もいる。
そんな中で美鶴が大きな声を上げたのだから、視線が集まるのは当然だった。
「何があったんだ?」
訓練や仕事で疲れた様子の堂島が、そう尋ねてくる。
堂島にしてみれば、今の美鶴の様子から放っておく事は出来ないと考えたのだろう。
堂島の言葉を聞き、美鶴は俺の方に視線を向ける。
話してもいいかと、そう聞きたいのだろう。
俺は美鶴の言葉に頷く。
この件については、別に隠しておいてもあまり意味はない。
どうせ明日になれば分かる事なのだから。
……あ、でもそうだな。明日にはTVの中の世界の探索が出来るという事で、緊張して眠れず、寝不足で明日の行動に問題があるとなると、少し困る。
いやまぁ、早朝の訓練とそれが終わってからの仕事という事を考えれば、疲れ切っているのは間違いない。
緊張から少しは眠れなくなるかもしれないが、最終的にはぐっすりと眠れるだろう。
「TVの中の世界の濃霧に対処する用意が出来た」
美鶴の言葉に、堂島の表情が厳しく引き締まる。
数秒前の、疲れた様子はそこには存在しない。
「そうか。……それで、一体どうすればいい?」
今すぐにでもTVの中の世界に行きたいといった様子の堂島だったが、そんな堂島を前に美鶴は俺に視線を向けてくる。
「明日の朝、レモンがその道具を持ってやって来る。それが本当に使えるのかどうか、それを確認して問題がなければ探索を始める」
「……明日、か」
不満を言うかと思ったが、堂島にそんな様子はない。
ここで不満を言っても、結局濃霧に対処する為の何かは明日にならないと届かないと理解しているからか。
今の時点で騒いでも対処に困るだけなので、こっちとしては助かるが。
「そうだ。……だから、明日の早朝の五飛との訓練は軽くにしておけ。五飛もいいな?」
「分かった」
「っ!? いつの間に……」
堂島は五飛が大広間に入ってきていたのに気が付かなかったのだろう。
俺が五飛に声を掛け、五飛がそれに頷いたところで驚きの声を発する。
ちなみにムラタも大広間の中に入ってきてるんだが、堂島はこっちもまだ気が付いてはいないらしい。
無理もないか。
堂島には気配を察知するとか、そういう能力はないんだし。
五飛もムラタも、どこかそう離れていない場所で俺達の話を聞いていたのだろう。
五飛の方は冷静なように見えるが、ムラタの方は気配を消しながらも、ただでさえ強面の顔に獰猛な笑みを浮かべるという……菜々子どころか、シャドウワーカーの者達が見ても悲鳴を上げかねない表情を浮かべている。
そういう意味では、ムラタの存在が他の者達に知られていないというのは幸運だったのだろう。
「少し前からだ」
五飛が驚く堂島に答えながら、美鶴に視線を向ける。
その意味するところは、美鶴の声を聞いて大広間にやって来たという事だろう。
「そ、そうか。……その、明日もよろしく頼む」
動じる様子がない五飛に、堂島はそう告げる。
堂島にしてみれば、五飛にどういう態度で接すればいいのか分からないんだろうな。
無理もない。
実年齢はともかく、五飛の外見は10代半ば……言ってみれば、鳴上と比べても年下のように見える。
だが、そんな相手から訓練をつけて貰ってる以上、敬う必要がある。
これが、例えばムラタのような年齢であれば、堂島も素直に師匠と敬うようなことが出来たのかもしれない。
だが実際には五飛が相手をしている。
いっその事、ムラタに堂島を訓練して貰った方がよかったか?
一瞬そう思うも、すぐにその意見を否定する。
もしムラタが堂島の訓練をしていた場合、堂島は恐らく今以上に疲労し、場合によっては倒れていただろう。
ムラタの訓練はあくまでも自分を基準にしてのものなのだから。
それに比べると、五飛はある程度相手に合わせて訓練をする事が可能だった。
もっとも、それでも厳しい訓練なのは間違いないが。
「分かっている。だが、アクセルの言うように明日の朝の訓練は軽く流すだけにしておくから、お前もそのつもりでいろ」
「分かった」
五飛の言葉に堂島は頷く。
堂島もTVの中の世界に行く事が出来るのなら、その前に体力を消耗するのがどれだけ無意味な事なのかを知っているのだろう。
「じゃあ、そんな訳で堂島、ムラタ、五飛……そして美鶴は、明日の事を考えて今日は早めに眠ってくれ」
そう言うと、シャドウワーカーの面々は美鶴に心配そうな視線を向ける。
それだけ美鶴が慕われているという事の証だろう。
「美鶴さんも行くんですか?」
シャドウワーカーの1人がそう尋ねる。
心配そうなその様子に、美鶴は素直に頷く。
「そのつもりだ」
「でも、危険なのでは? 以前はその……公園にだけという事でしたけど」
「かもしれん。だが、恐らくシャドウを相手にするのに、私の能力は大きな意味を持つ。それに……シャドウと戦うのは桐条グループの宿命のようなものだ」
それは少し大袈裟なような気もするが、美鶴が小さい頃からシャドウやペルソナ、影時間といった諸々に関わってきたのは事実。
そういう意味では、美鶴の言葉は決して間違っている訳ではないのだろう。
「気を付けて下さいね。美鶴さんなら大丈夫だとは思いますけど……」
美鶴の様子から、止めても無駄だと判断したのだろう。
話していたシャドウワーカーの女は、結局そう言うのだった。