倒れた雪子のシャドウ……そのシャドウの前に立つ里中は、トモエによって先程のように相手がもう戦えなくするという意味での最後の一撃ではなく、本当の意味で相手の命を奪う――シャドウに命があるのかどうかは分からないが――為の一撃を放とうとする。
「待って、千枝!」
しかし、それに待ったを掛けたのは雪子。
「雪子……?」
「もういい、もういいの……何か、皆……辛そうなんだもん」
「雪子……」
雪子の言葉を聞いて出た言葉は、数秒前と同じ。
だが、そこにあるのは数秒前までの思いとは違うものだった。
鳴上や花村、そして堂島……他にも多くの者がそんな雪子の様子を見て、何も言わない。
今この時、重要なのは雪子の気持ちだと、そう理解しているのだろう。
実際、雪子はそんな周囲の雰囲気を読んだのか、あるいはそもそも周囲の雰囲気を気にしてはいないのか、とにかくもう動けない自分のシャドウに近付いていく。
そんな雪子の様子を見た里中が少し気にしたように動いたものの、それでも少しだけだ。
「逃げたい……誰かに連れて行って欲しい。家の跡継ぎなんて、クソ食らえ!」
「ちょ、雪子……?」
雪子のシャドウが言うのならともかく、まさか雪子本人がそのような事を言うとは思わなかったのか、花村が驚いたように言う。
まぁ、普段の……大和撫子といった様子の雪子しか知らなければ、そんな風に思うのは間違いないと思うけど。
「そうね。それも確かに私の気持ち。……ええ、貴方は私だわ。それは間違いない」
数秒前の勢いが何だったのかといった様子で、穏やかに言う雪子。
雪子にしてみれば、ここでようやく目の前にいる存在が自分だという事を認められたのだろう。
あるいは、もしかしたら戦っている途中で既にその辺については理解していたのかもしれないが。
ともあれ、目の前にいるシャドウはもう1人の自分だと、そう認識してるのは間違いない。
「どうして私だけ……何で私が。私だけが辛い目に……何て可哀想な私」
自分を慰めるような言葉を口にする雪子だったが、その表情はすぐに違うものになる。
「仲居さんや板前さんのような、旅館の人達。お得意様のお客さん。稲羽の街の皆が家族みたいで……知ってる? 小さい頃から皆が優しくしてくれたんだよ? 千枝やおじさん、おばさん……それにチョーソカベだって」
「ムクだって」
シャドウに語りかける雪子に、里中が思わずといった様子で突っ込む。
ムクにチョーソカベ?
一体何の事なのかは分からないが、里中の様子を見る限りでは恐らく重要な事なのだろう。
「そういう中で育ってきたのが、今の私なんだよ? 勿論、旅館なんか潰れてしまった方がって思うことがあるのも事実だけど……それでもやっぱりあそこは私の家なの。皆がいて、そして私がいる家。……潰す事なんてとてもじゃないけど出来ないよ。勿論、貴方も……」
そう言い、雪子はシャドウに向かって手を伸ばす。
その手は相手を……自分のシャドウを受け入れるかのような、そんな動き。
もしかしたら、シャドウはまだ逆転を狙っている可能性も否定は出来ない。
それこそ、今シャドウの前にいるのは、雪子だけなのだ。
ペルソナ使いとして覚醒している訳でもない雪子だけに、シャドウがもし少しでも動けるのなら、それこそ即座に殺されてもおかしくはない、そんな距離。
だが……俺達は勿論、鳴上達……そして何より、一番雪子を心配していた里中ですら、今は特に何をするでもなく、雪子とそのシャドウの行動をじっと見つめる。
勿論、本当に何かあった場合は即座に助けに入るつもりなのだろうが。
それでもそのような状況にならない限り、手を出すつもりはない。
そんな考えが見て取れる。
……心配なのは間違いなく、里中の手は強く握り締められていたが。
「今までは……小さい頃からずっと、千枝に手を引っ張られてきたけど、今は違う。今なら私は、貴方を……もう1人の私を連れて行ける。だから、一緒に行こう? 今度は大丈夫だから」
そう言った瞬間、雪子のシャドウはその姿を消す。
そして次の瞬間、雪子の頭上にシャドウ……ではなく、ペルソナとなった存在が浮かんでいた。
「雪子ぉっ!」
ペルソナを手にした雪子に飛び付く里中。
雪子もそんな里中を抱き留め、お互いに言葉を交わしている。
聞き取ろうと思えば聞き取れるのだろうが、それは野暮ってものだろう。
そんな訳で、俺は堂島達の方に向かう。
「お疲れさん、ペルソナを使った本格的なボス戦はどうだった?」
「疲れたな。……ああ、疲れた。それしか言えん」
しみじみといった様子を見せる堂島。
とはいえ、堂島は五飛との戦闘訓練を行っていたり、更にはジュネスや稲羽署での戦闘があったのを考えると、今回戦った者達の中では一番戦闘慣れしていてもおかしくはないんだが。
あ、でもそうか。だからこそ他の面々に目を向けたり、何かあったらすぐフォロー出来るようにしていたりと、そういう意味で忙しかったのかもしれないな。
また、堂島のペルソナのワダツミは水で出来たゴーレムという事もあってか、基本的には壁役だ。
それだけに、敵の攻撃を防ぐ為に最前線で戦う必要がある。
それはつまり、かなり神経を使うという事を意味していた。
だからこそ、こうして疲れているんだろう。
「そうか。ほら、これでも飲んで疲れを癒やせ」
そう言い、ペットボトルのお茶を渡す。
家でゆっくりしている時に何かを飲みたいのなら、甘い飲み物……それこそミルクティーとかそういうのもいいんだが、身体を動かして疲れた時はそういう甘いのよりもお茶の方がいい。
これはあくまでも俺の考えなので、他の者はまた別の思いを抱いているかもしれないが。
とにかく俺はこういう疲れた時はお茶がいいと思ったので、それを堂島に渡した。
堂島も特に何を言うでもなくお茶を受け取り、喉を潤す。
そうしている間にも、雪子と里中はずっと会話をしていたのだが……
「雪子!?」
不意に上がった里中の声に視線を向けると、そこでは里中が雪子を抱き留めていた。
「あー……なるほど。そう言えば里中も自分のシャドウを受け入れた時、かなり限界に近かったらしいな。堂島はどうだった?」
「恐らくはペルソナ使いになったというのが、大きな意味を持つんだろう。今までなかった力を手に入れた事により、それが身体的な負担となってもおかしくはない」
「そういうものか? まぁ、実際にペルソナ使いになった堂島がそう言うのなら、それは間違ってないんだろうが。そうなると、いつまでもここにいる訳にもいかないな。一度現実世界に戻った方がいい。雪子も身体を休める必要があるだろうし」
「そう、だな」
少し煮え切らない様子の堂島。
多分だが、足立がどこかでこの場所の様子を窺ってるかもしれないと、そんな風に思っているのだろう。
とはいえ、多分それはないと思う。
絶対とは言えないが、もし足立が何らかの方法でこっちの様子を見ているのなら、それこそ俺がそれを察知出来てもおかしくはない。
足立がペルソナ使いとして覚醒し、それによって俺には理解出来ない何らかの方法でこっちを観察しているという可能性は完全には捨てきれないが。
とはいえ、ここにいるのは俺だけじゃない。
ムラタや五飛もいて、何よりその手の……探索能力が高いアルテミシアを使う美鶴がいる。
アルテミシアは基本的に戦闘型で、探索は得意なものの、山岸のようにバックアップ専門のペルソナと比べると、どうしても劣る。
だが実際、山岸が仲間になるまでは美鶴がアルテミシア――当時はペンテシレアだったが――でバックアップを行っていた。
つまり、アルテミシアも相応の探索能力がある以上、もし足立がこっちの様子を覗いていた場合、恐らくアルテミシアはそれを察知出来る。
それがない以上、恐らく……いや、ほぼ間違いなくその辺についての心配はいらないだろう。
「現実世界に戻ったら、雪子から話を聞けばいい。そうすれば。足立がどうやって雪子をTVの中の世界に連れ込んだのかも理解出来る」
個人的には天城屋旅館の入り口付近にある大型TVを使ったのではないかと思う。
恐らくだが、山野真由美もあの大型TVを使ってTVの中の世界に入れたんだろうし。
とはいえ、俺達が天城屋旅館にいる状況で足立がTVの中の世界から現実世界に出てくれば、察知出来てもおかしくはない。
それに旅館の従業員達から集めた情報によると、雪子がいなくなったのは夕方くらいの可能性が高い。
そのくらいの時間なら、入り口付近にはそれなりに誰かがいる筈だ。
だとすれば、足立がTVの中から出てくる事も容易には出来ないだろう。
あるいは誰かに見つかっても構わないと考えたとか?
いや、違うな。
もしそうなら、TVの中から人が出て来たといった騒動になっていてもおかしくはない。
あるいは……TVの中からシャドウを出して、それによって騒動を起こし、それを陽動にして雪子をTVの中の世界に入れたという可能性も……そもそも騒動になっていない時点で違うか。
「そうだな。天城屋旅館で騒動になってなかった以上、足立がTVの中から出て来て捕らえた訳ではないのは明らかだ。だとすれば……どこかのTVから現実世界に出て、変装をして彼女を連れ去り、TVの中の世界に入れたのか?」
「その辺についても、後で雪子から聞けばいいだろう。……ともあれ、早いところここを脱出するぞ。安心しろ、来る時とは違って、帰りは俺達が戦闘をする」
本来なら、堂島達を鍛えるという意味でも、帰りの戦闘も任せた方がいいのかもしれない。
だが、ボスと戦ったばかりだし、何より少しでも早く雪子を休ませる必要がある。
そんな訳で、俺はムラタと五飛に視線を向ける。
「帰りはお前達の出番だ。好き放題暴れてもいいぞ」
そう言う俺の言葉に、ムラタな獰猛な笑みを、五飛は特に嬉しそうな感情を見せず、それでも頷くのだった。
結局、帰りは苦戦らしい苦戦はしなかった。
また、途中に置いてきた炎獣と合流し、炎獣が倒したシャドウのドロップアイテムも無事に回収出来た。
そういう意味では、雪子を見つける時にあれだけ苦戦したのが嘘のようだ。
ムラタと五飛がいる時点で、シャドウは敵ではなく獲物でしかないんだが。
「さて、無事に脱出出来た事だし……戻るか。そう言えばクマはあのスタジオっぽい場所で寝泊まりしてるのか?」
「最近はそうクマけど、気分で色々な場所に行ったりしてるクマ」
「なら、公園のある場所を知らないのか? 俺達は基本的にそこから出入りしてるんだが」
「公園クマ? うーん……そういうのは何個もあるクマから、どの公園か分からないとちょっと難しいクマね」
クマが嘘を吐いているようには思えない。
だとすれば、このTVの中の世界には公園が複数あるのだろう。
出来ればあの公園でクマには寝泊まりして貰い、鳴上達がTVの中の世界に入る時も俺の通信機の映像スクリーンから入って貰えると助かるんだが。
だが、その場所が分からないとどうしようもない。
実際、俺達もあの公園が具体的にどこにあるのかは分からないんだよな。
あの場所から適当に移動していて、ジュネスや稲羽署に到着したのだから。
……とはいえ、それで花村であったり、堂島が自分のシャドウと戦い、それを受け入れてペルソナ使いになったという事は、どことなく作為めいたものを感じる。
それこそ、誰かの手で好きなように動かされているのではないかといった感じで。
「そうか。そうなると、あのジュネスのTVから出入りする必要があるのか。TVで出入り出来る場所が決まってるのなら、いっそあのTVを買った方がいいのかもしれないな」
毎回ジュネスに行って、家電売り場に展示されているTVで中に入るよりは、そのTVを購入してシャドウワーカーが使っている大広間にでも置いておいた方がいいだろう。
間違って足立が出て来ないようにする必要があるので、その辺の対策はしておく必要があるが。
いやまぁ、もし間違って足立が出て来たりしたら、それこそ俺達にとっては楽になるだけなんだが。
とはいえ、足立もその辺については十分に警戒しているだろうし、そうこっちの都合のいいようにはならないと思うが。
「なるほど、それはいいかもしれんな。面倒なことがないようにするには、そっちの方がいい。それに……夜にもTVの中の世界に行けるというのは大きい」
美鶴が俺の言葉に真っ先に賛成する。
だが、そんな美鶴の提案に堂島が渋い表情を浮かべる。
実際に反対と口にはしなかったが。
堂島にしてみれば、自分の甥だけではなく他の面々も子供である以上は積極的に今回の事件に関わらせたくないのだろう。
ましてや、今回の事件は堂島の元相棒の足立が大きく関わっているだろうし。
とはいえ、鳴上達の力が必要なのも事実である以上、手伝って貰う必要があるのだが。
……俺達がもっと協力的だったらとか、そういう風に思うのかもしれないけど、その辺についてはこっちにも色々と事情がある以上はある程度無視をする必要があるのも事実だった。