「驚いたな。まさかそんなにあっさりとこっちの提案を受け入れるとは思わなかった」
そう言いながら指を鳴らすと、机の上にいた猫の炎獣は白炎となって姿を消す。
そんな猫の炎獣を見て驚いた様子を見せたアカツキだったが、すぐ我に返って口を開く。
「酷いな、駄目元で協力関係を持ちかけてきたのかい? ……とはいえ、僕としても今回の件は決して悪くないんだけどね。表に出す事は出来ない特級の戦力。これは、僕にとって……いや、ネルガルにとって決して悪い話じゃないんだ」
そう言うアカツキは、口調こそ軽いものの、それに隠すように真剣な色がある。
この様子を見ると、何かあるのか?
「何かあるのか?」
「ああ。けど、その前に……そうだね。詳しい話は本人達を交えて行った方がいいだろう。もう少し待って貰えるかな?」
「わざわざ勿体付けるのはどうかと思うが……まぁ、アカツキがそう言うのなら構わない。それで、話をするまでは何をすればいい?」
「そうだね。……エリナ君に会って貰うのはどうだろう?」
「……本気か?」
アカツキの言葉に思わずそう返す。
確かに俺はエリナと恋人同士だ。
だが、それはこの世界のエリナではなく、俺が関与したナデシコ世界のエリナだ。
アカツキが俺を見て初対面だったように、当然ながらこの世界のエリナと俺は初対面となる。
そんなエリナと俺を会わせて、一体どうするというのか。
「勿論本気さ。それに……僕もこういうのに口を出すのはあまり好きじゃないんだけど、彼女にももう少し幸せになって貰いたいしね」
「……幸せに? それは具体的にどういう意味だ? 今の言い方だと、まるで今のエリナは幸せじゃないように思えるが」
「どうだろうね。本人がどう思っているのかはともかく、僕から見たらあまり幸せそうに見えないのは間違いないかな」
一体何があった?
そう思ったが、それを俺が聞くのはちょっと違うだろう。
この世界のエリナは、俺の知っているエリナではないのだから。
「じゃあ、呼ぶからそっちのソファにでも座って待っていてくれ。ああ、テーブルの上のお菓子は適当に食べてもいいから」
どこかに――というかエリナだろうが――連絡をしているアカツキの言葉に頷き、ソファに座る。
テーブルの上にはクッキーが置かれていた。
それを1枚手に取って食べるが……
「美味いな」
サクリとした食感と、口の中に広がる香りと。
決して甘すぎないのが、個人的には丁度いい。
まぁ、この辺は好みでもっと甘くないと美味いと感じないとか、そういう者もいるだろうけど。
そうしてクッキーを食べながら数分、どこかに連絡を終えたアカツキは、テーブルの上にある書類を片付けていた。
ネルガルの会長として、やるべき仕事はあるのだろう。
そんなアカツキだけに、やっぱり政治班に欲しい……そう思っていると、扉がノックされる。
「入っていいよ、エリナ君」
「失礼します、会長。お呼びという事ですか、何か問題でも……」
そこまで言ったエリナは、部屋の中にあるソファに座っている俺を見て驚く。
俺もまた、エリナを見て驚いた。
そこには俺が知ってるようでいて、知らないエリナの姿があったのだから。
まず最大の違いは、やはり髪の長さだろう。
俺が知っているエリナは、ショートカットだ。
だが、部屋に入ってきたエリナは背中くらいまで髪が伸びている。
後は……うん。スリーサイズ的にも俺の知ってるエリナと違う。
こっちのエリナもかなり女らしい……男なら目を奪われてもおかしくないボディラインだが、俺の知ってるエリナは俺との夜の行為のせいか、目の前にいるエリナよりも更に魅惑的な曲線を描くボディラインを持っている。
年齢も……うん。まぁ、その……時の指輪の受信機を持っているかどうかの違いというのは、それなりに大きいと思う。
「会長、彼は? 面会の約束はなかったと思いますが」
「彼はアクセル・アルマー。そうだね。僕達の……いや、黒い王子様の協力者にどうかと思ってね」
「アキト君の!?」
「……何?」
黒い王子様という言葉にエリナが叫び、その言葉に俺が思わず反応する。
エリナの口からでたアキトという名前は、当然ながらテンカワ・アキトの事だろう。
「アキトは新婚旅行の時に飛行機事故で死んだとニュースや新聞で見たんだけどな」
「まぁ、色々とあるのさ。これは彼がいる場所で話そうと思ってたんだけど……気になるだろうし、大雑把に言っておこうか」
そう言ったアカツキはエリナを一瞥する。
そのエリナは、俺を訝しそうにしながらも、アカツキがそう言うのならという事で反論をする様子はない。
「簡単に言えば、新婚旅行の時の事故はとある犯罪組織によるものだったのさ。そしてアキト君……だけではなく、艦長もまたその組織に捕らえられて、ボソンジャンプの実験をされた訳だ。あの当時、いわゆるA級ジャンパーと呼ばれる人達が次々と行方不明になっていてね」
「それが木連の仕業か」
「正確にはその残党だけどね。大部分の木連は既に地球と和平を結んでいるし」
「……で、アキトが実験にされたのが分かったんだが、それが分かっているという事は、アキトを救出したと思っていいんだな?」
「そうだね。ただ、艦長……いや、もうこの表現は適切じゃないか。ユリカさんを助ける事は出来なかった。その為、今の彼は頑張ってる訳だ。そしてエリナ君はアキト君を助けた時、動けるようになるまで世話をしていた訳だ」
「エリナが……」
「貴方にそのように呼ばれるのはどうかと思いますけど」
俺の言葉にエリナは鋭い視線を向けてくる。
「あー……うん、悪いな。つい」
目の前にいるエリナが俺の知っているエリナと違うというのは十分に理解出来る。
髪型であったり、そのボディラインであったりも俺の知っているエリナとは違うのだから。
だが……それでも、エリナはエリナだ。
どうしても気安く接してしまうのは間違いない。
「会長、そろそろ紹介をして欲しいのですが。この方は一体誰ですか」
「誰と言われても……どうやって説明すればいいのかな?」
「いや、そこで俺に聞かれてもな。……ともあれ、アクセル・アルマーだ。魔法使いをやっているという事にしておいてくれ」
そう言い、パチンと指を鳴らすと俺の影が立体的に持ち上がる。
影槍と呼ばれる魔法だが、別に攻撃する訳ではないので先端は特に尖ったりはしていない。
さっき猫の炎獣を消したが、残しておけばよかったな。
「……どんなトリック?」
俺の周囲に存在する影槍を見て、エリナがそう尋ねる。
エリナにしてみれば、目の前の光景を俺の言葉通り魔法だとは思わず、手品か何かだと思っているのだろう。
「種も仕掛けも……いやまぁ、あると言えばあるか?」
ここは普通なら種も仕掛けもありませんと言うところなのだろう。
だが、影槍であったり炎獣であったり、魔力や白炎を使ってのものである以上、種も仕掛けもあるのではないかと思っての言葉だ。
「やっぱり手品か何かなの?」
「手品という訳じゃないな。魔力とかそういうのを使っているという意味で種も仕掛けもあるといった感じで。……なら、こういうのはどうだ?」
影槍を解除し、そのまま空中に浮かぶ。
混沌精霊の俺にしてみれば、空中に浮かぶのはそう難しい話ではない。
だが、ナデシコ世界の住人にとっても、空を飛ぶというのはそれなりに衝撃だろう。
もっとも、衝撃だからこそ手品としてもその手のものは多くあるのだが。
単純なのは、天井から糸で身体を吊すとか、あるいはこの状況ではとても出来ないものの、後ろから背中を何らかのアームで掴まえて動かすとか。
「ワイヤーでもあるの?」
「生憎と、そういうのはないな。こんな感じで」
そう言いつつ、俺は部屋の中を自由に飛び回る。
アカツキの泊まっている部屋はスイートルームなので、かなりの広さを持つ。
エリナが言うようにワイヤーで吊ってるだけなら、そのワイヤーの長さの範囲までしか動けない。
だが、俺はかなりの広さを持つ部屋の中を自由に飛び回っているのだ。
これにはエリナも驚いたらしく、唖然とした表情を浮かべる。
そんなエリナの目の前……文字通りの意味で目の前まで移動し、口を開く。
「ワイヤーがあるかどうか、確認してみるか?」
そう言うと、エリナはゆっくりと手を伸ばし、俺の上で手を動かす。
だが、当然ながらそこにワイヤーの類はない。
そしてこれだけ自由に飛んでいれば、アームで背中を固定するとか、そういうのも無理だ。……というか、飛んでる時に背中とか普通に見せているし。
「ない……わね」
「分かって貰えたようで何よりだ。……さて、これで俺が魔法使いだというのは、完全にではないにしろ、ある程度は信じて貰えたと思う。もしまだ信じられないようなら、そうだな。転移魔法でも見せるか? もっとも、ナデシコ世界ではボソンジャンプが当たり前にあるから、そこまで珍しくもないけど」
「ナデシコ世界?」
俺の言葉からそれを拾ったエリナがそう呟く。
あ、ちょっとミスったか?
とはいえ、いずれその辺については説明しないといけない訳だし。
「その辺の詳しい説明はアキトと一緒にだな。アカツキには説明したけど、同じ説明を何度も繰り返すのは面倒だし」
「会長?」
エリナの問いにアカツキはあっさりと頷く。
「そうだね。アクセルの言うようにしておいて欲しい。実際、アクセルの話を信じろと言われてもちょっと難しいだろうし。僕もまだ完全に信じた訳ではないしね」
「おいおい、アカツキにはしっかりと説明しただろう?」
「あんな話を聞かされて、はいそうですかと信じろという方が無理だと思うけど。……それでも7割、いや8割くらいは信じてるんだから、感謝して欲しいね」
それは感謝すべき事なのか?
そう思いつつも、取りあえず頷いておく。
「ある程度は信じて貰えるようで何よりだよ。……それで、アキトに会うって話だったが、それは具体的にいつになる?」
「今夜だよ。ただ、その前に……アクセルには何人か会って貰いたい相手がいる」
「誰だ?」
「テンカワ君の協力者さ。……もっとも、ネルガルの社員であるのは変わらないが」
「プロスペクターとゴート辺りか?」
「やっぱり知ってるよね、君なら」
呆れた様子で言うアカツキだったが、ナデシコ世界でナデシコと共に行動したのだから、その辺についても理解は出来ている。
ゴートは元軍人、プロスペクターは交渉役というか……うん。ぶっちゃけアカツキと同じくらいにはシャドウミラーに引き込みたい能力を持っている。
とはいえ、プロスペクターを勧誘はしたが、あっさりと断られたのだが。
何だかんだと、プロスペクターはネルガルに対する愛社精神とでも呼ぶべきものを持っているようだし。
そういう意味では、アキトに協力していると言われても納得出来る。
ゴートは……うん。もと軍人だし、そう考えれば不思議でもないか?
寧ろプロスペクターよりもゴートの方がアキトのフォローには向いてるんだろうな。
「それで、どこに行けばいい?」
「エリナ君、頼めるかな?」
「分かりました。……では、行きましょうか、アクセルさん。今なら月臣もいるでしょうし」
「……ゴートやプロスペクターじゃないのか?」
「会えば分かるかと」
うーん、当然の話だが、エリナはまだ完全に俺を信用した訳ではないらしい。
ともあれ、俺はエリナと共にアカツキの部屋を出る。
そんな俺に向かい、アカツキは何故か笑みを浮かべて手を振るのだった。
「月臣、少しいい?」
「エリナか。そちらは?」
ホテルの中にある喫茶店。
そこでエリナに声を掛けられた男は、黒髪の長髪をした男だった。
黒髪の長髪というだけならエリナと似ているが、顔立ちは全く似ていない。
いや、そう言えばこの男……ナデシコ世界、正確には俺が介入したナデシコ世界で見た顔だった気がする。
この2人はそれなりに親しい間柄なのか、お互いに声を掛けるのにも遠慮はない。
紅茶を飲む手を止めて、月臣が俺を見てくる。
なるほど、紅茶派か。
そういう点では俺と気が合うかもしれないな。
「アクセル・アルマーさんよ。私達の仲間になる……という事でいいのかしら?」
確認を込めて尋ねてくるエリナに、俺は頷く。
正直なところ、俺がこの件に関わっても特にメリットはない。
ないが、それでも顔見知りの件であったり、俺が知ってるようで実は違うエリナの件であったりと、その辺の状況を考えると放っておくのも気分が悪い。
「そうだな。今の俺は特にやるべき事もないしな。アキトも知らない相手じゃない」
やるべき事か。
一応狛治に伝言を頼んだから、そのうちレモン達がどうにかしてこの世界に来てくれうるとは思うが、それまでは本当に特にやるべき事はないんだよな。
そんな訳で、暇潰し……という表現をすればエリナや月臣にすれば面白くないかもしれないが、とにかくアカツキに恩を売る意味でもこの仕事は真面目にやる必要があった。