私には一人の幼馴染がいたんだ。
名前は白洲アズサ。私の大切な幼馴染で、たった1人の友達だった。
アズサとは小さい頃に、アリウスで出会ったんだ。
アリウス自治区の端にある、廃れた教会。子供の頃の私は、暇さえあればそこにいた。と言っても、抜群に居心地が良かったわけでは無かったんだけどね。
壁は所々崩れて、蓮の実のように穴が空いているし、そこら中に瓦礫が落ちているせいでよく躓くし。
夏は日差しが直に当たるし、冬は指先が逆に熱く感じるくらいだし。
雨が降った翌日なんて、特に酷かったよ。石畳に苔が沢山生えていたから、まともに歩けやしなかったな。
でもね、それでも私にはそこに行く理由があったんだ。
それはね、景色なんだ。協会の屋根に登って見る景色が、私は本当に大好きだったんだ。
……そんなことだって思った? まぁ、確かに釣り合ってない気がするってのも分かるけどね。
でもね、きっとその頃の私に言っても、聞く耳を持たないと思うな。それくらい、幼い頃の私はあの景色に魅入られていたから。
ある日のことだったんだ。私がいつも通り教会に向かって、いつも通り景色を見るために屋根に攀じ登る、そんな普段通りを繰り返している時のことだったんだ。
先客がいたんだ。私と同じように景色を眺めているアズサが、そこにいたんだよ。
本当、あの時はびっくりしたな。廃れた教会一つしかない、こんな辺鄙な場所に人がいるだなんて、思いもしなかった。
運命的な出会いでしょ? きっと、ここから仲良くなるんだろうなって、親友みたいになるんだろうなって、みんなは思っているんだろうね。
でもね、それは半分正解で半分不正解なんだ。
私ね、アズサを一目見た瞬間逃げちゃったの。話しかけもせずに、気づかれないことだけに意識を注いでね。
その時の私は、言ってしまえば人間不信のようなものだったんだ。人というものが分からなかったの。何が嘘で何が本当なのか。そんなことを考え続けているうちに、全部嫌になっちゃったんだ。
私には大好きな子がいたんだ。相手がどうだったかは分からないけど、その時の私はその子のことを親友だって思ってた。
アズサと出会う前はその子とずっと2人で遊んでいたな。鬼ごっことか、かくれんぼばっかりしてたよ。本当、2人でするようなことじゃないんだけどさ、それでもあの子となら楽しかったんだ。…………本当に、楽しかったんだよ。
そんなある日のことだったんだ。あの子が急に別の子を私の元へ連れてきた。この子が一人で寂しそうだったからってね。でも、その時の私はそれが嫌というわけではなかったんだ。むしろ、その行動に好意的だったよ。
楽観的だったんだ。友達が増えるだけ楽しいことも増えると思ってた。
だから、その時の私は受け入れることにしたんだ。
……まぁ、察しの通りだよ。それが良くなかった。
そこから、あの子はたくさんの子を連れてきた。そして、あの子に新しい友人が出来ていくたび、私の場所がどんどん狭苦しいものになっていった。最後に2人きりで遊んだ日なんて思い出せないくらいになっていたし、そもそも会話すら減っていたんだ。
幼いながら、漠然と冷たくされているなと感じていたよ。
そんな生活が続いていたある日、あの子が複数人の友達を連れて私に話しかけに来たんだ。
でもね、正直この時のことはぼんやりとしか覚えていないんだ。言われた言葉もなんにも思い出せないし。
ただ一つだけ、身体中に走る痛みだけはよく覚えていたよ。
……在り来りで、つまらない話でしょ? そんなの、この世界中の至るところでありふれているのにね。
でもね、よくある話っていうのは救いの言葉にはならないんだよ。だから私は、ああなってしまったんだ。
私がアズサから逃げだした次の日。友達のいない私は、結局いつもの教会に向かっていたんだ。
正直に言ってしまえば、昨日は気づかれなかったし、今回もいたら同じように逃げればいいやって考えてたんだ。
本当、楽観的すぎて嫌になっちゃうよ。
でもね、この時だけはそんな生き方もいいかなって思うことが出来たんだ。
きっと、私がこんな性格じゃなかったら、この先もずっと友達は出来なかっただろうからね。
私が教会に着いた頃、そこにアズサの姿はなかったんだ。私は安堵したよ。きっと、一度見て満足したんだろうなって、そんなことを思ってた。
そうして、いつものように景色を眺めている時のことだった。後ろから何かと服が擦れるような音が聞こえてきたんだ。
……気づいた頃にはもう遅かったよ。アズサと、あの宝石のように綺麗な紫色の瞳と、目が合っちゃったんだ。
私、この状況をすぐに理解できなかったんだ。
地面に生えている草が揺れているのに、空に浮かんでいる雲が動いているのに、私だけが静止画みたいになってた。
でも、そんな時間もすぐに終わりを迎えた。
アズサの方から私に話しかけてきたんだ。誰? って、一言だけね。
きっと、普通の人なら自己紹介とかすると思うんだけど…………やっぱり、その時の私にそんな余裕はなくてさ、恐怖で頭がいっぱいになっちゃったんだ。
逃げるというアクションしか考えれなかったの。だから、それをすぐに実行してしまった。……自分が教会の屋根の上にいるってのにね。
そこからはお分かりの通りだよ。この教会の屋根は切妻型だったから、足を踏み外して転んじゃったんだ。さすがの私でも、このままだと落下しちゃうってことは理解してた。
それでも、恐怖の対象が変わることはなかったんだ。このまま落ちて気絶する方が楽だって思ってた。
それほどまでに、あの出来事は私に影響を与えていたんだ。
そうして、私は空中に身を放り出されてしまった。
人から離れられる、そんなことを思っていた時のことだったんだ。
何故か私の身体は地面に向かうことなく、宙に浮かんでいた。
顔を上げてみれば、私の手首を掴んでいるアズサがそこにいたんだ。
訳が分からなかったよ。この場所で、この世界で、私のことを助けてくれる人なんていないと思ってたから。
でもね、一つだけ、曖昧だけどきっとそうなんだなってことがあったんだ。
私ね、嬉しかったの。助けてくれたことに対してなのか、私に触れてくれたことに対してなのかは分からないけど、本当に、本当に嬉しかったんだ。
だからかな。私、この時間が永遠に続けばいいなって思ってた。傍から見たら、酷いものなんだけどね。
でも、世界ってそんな都合よく進むものじゃなくてさ、気がついた頃には私の足は踏み場を得ていたんだ。
そして、未だに困惑から抜け出せていない私に、アズサがこう言ってきたんだ。
大丈夫? 、って。
私、その言葉を聞いて泣いちゃったんだ。
意識したわけじゃなかったの。気づいたら視界が歪んでたって感じ。
そんな私に対して、アズサは抱きしめてくれたんだ。
正直、意図は分からなかった。けど、それでも良かったんだ。人の温かさって言うのかな、それがようやく理解出来たからね。
それと、もう一つ。この出来事が私に与えた影響があるんだ。
それはね、私に強く根付いていた人間不信が枯れたんだ。
……そんな簡単に、トラウマを克服できるものなのかって? そうだね……まぁ、気持ちは分かるよ。
でもね、私は、必ずしも大きい問題にはそれと同等の解答が必要だとは思わないんだ。
結果が全てって言ってるわけじゃないんだ。些細なことで物事が解決するなら、それに超したことはないでしょ?
私の場合は、他人を信じることが出来れば、それで終わりだったから。だから、アズサには本当に感謝しているんだ。疑うって行為は、悪いことしか生まないからね。
それから、私たちはよく遊ぶようになったんだ。もちろん、あの教会で。と言っても、アズサは毎日来るわけではなかったんだけどね。でも、不思議と一人でアズサが来るかを待つ時間は、悪いものじゃなかった。
最高の惰性だったんだ。こんな日常が、ずっと続けばいいって思ってた。
……本当、今まで散々だったんだから、今回くらいは聞いて欲しかったよ。
私たちが、いつものように景色を見ていた時のことだった。自治区の中心で、いきなり赤黒い雲が火を纏って現れた。そう、アリウスで内戦が起こったんだ。
それを見たアズサは、すぐにそこに向かおうとした。でも、もう遅かった。
既に私たちは、アリウス生に囲まれていたんだ。
曰く、アリウスは今二つの派閥に別れていると。私とアズサは敵同士で、私がアズサにこちら側の情報を流していると。
その言葉を言われた時、私は意味が分からなかった。けれど、確かに怒りを覚えていたんだ。
私はただ、アズサと遊びたかっただけなのに。あなた達の戦争ごっこに付き合う気なんてないのに。どうして、何もしていない私たちが引き裂かれないといけないんだって。
だから、できるだけ抗ってやろうって、そんなことを思ってた。でもね、すぐ倒されちゃったんだ。
一人で突っ走っちゃったの。この期に及んで、まだ自分が孤独だと思ってた……いや、思い込んじゃってたの方が正しいかな。心の奥底で、結局私は一人になるんだって気持ちがあったんだと思う。
でも、私が捕まることはなかったんだ。アズサが一瞬の隙をついて、私の腕を掴んで背中に乗せたんだ。そして、そのまま後方に逃げ出した。
幸い、この教会はアリウス自治区の端に位置してたから、逃げ道は存在してた。このまま2人で走れば逃げ切れる、そんな確信が私たちにはあったんだ。
……そう、あっただけなんだ。
私、倒される直前に足を捻っちゃってたんだ。本当、どれだけ足でまといになる気なんだって感じだよね。と言っても、歩けないわけじゃなかったんだ。でも、そんなことその時の私にはどうでもよかった。だって、結局走れなかったら私は捕らえられちゃうんだからね。
だから、私はアズサだけでも逃がそうとしたんだ。
でも、許されなかった。…………そう、アズサ本人にね。
きっと、私を連れ出す時に足の腫れを見てたんだと思う。テンプレートなセリフを言う暇もなかったよ。私が口を開く頃には、既に爆風で身体が敵の居ない方に飛ばされていたんだ。
そうして、私は強く地面に叩きつけられてた。身体は弾痕や打撲まみれで焼けるように痛かったけど、それでも私は無理やり身体を起こしてアズサに話しかけようとしたんだ。でも、言葉が出てこなかった。喉が潰れたわけじゃなかったんだ。確かにそこに存在している、けれど認識できない、そんな何かが引っかかってる感覚だった。
多分、理由はたくさんあったんだと思う。どれがどうとかは分からないけど……でも、一つだけは確かなものがあったんだ。
なんというか、アズサがアズサに見えなかったんだ、私。見た目はいつも通りなんだけど、達観しているというか、年相応には思えない雰囲気だったんだ。
でも、なんとなく今なら分かる気がするんだ。
きっと、アズサは私たちがアリウス生に囲まれた辺りから、この選択肢が既にあったんだと思う。最初から自分を犠牲にするつもりだったからそう見えたんだと、今なら思うんだ。
そうして、私が声を出せずにただアズサを見ていた時のことだった。
アズサが私に向かって、小さいけど確かに聞こえる声で言葉を吐いたんだ。
またね、って。
私はその言葉を聞いた瞬間、顔が歪んでしまった。
正直、この言葉を素直に受け取りたくはなかった。だってそれは、一度の別れを挟まなければ意味が通らないものだから。だから私は、その言葉を違う意味で受け取ることにしたんだ。私も精一杯抗うから、絶対に死ぬなよって。再会の時に、元気じゃなかったら許さないぞって。そんな一種の呪いのようなものとして、私は受け取ることにしたんだ。
そうして、私は返事をして逃げ出した。
逃げるのに必死だったから、記憶は朧気だけど。最後に見たアズサの顔だけはよく覚えてるよ。
笑ってたんだ。何に対してかは、今も分からないけどね。
ここで私の幼馴染の話は終わり。…………そのはずだったんだ。つい最近まではね。
私が無我夢中に逃げ出して、ようやくたどり着いた場所は、トリニティ自治区だった。
あの時は驚いたよ。何から何まで初めて見るものばかりだったんだ。しっかりと整備された街に、豪勢な建物たち。通る人みんなが高そうな服を着ているんだ。
……まぁ、そんなんだから私、すっごい浮いてたんだけどね。でも、それが結果的に私を救うことになるんだ。
拾われたんだ、私。すっごいお金持ちそうな老夫婦にね。その人たちは、トリニティで孤児院を営んでる人達だったんだ。今思っても、運が良かったなって思うよ。あとから知ったんだけど、いつもはブラックマーケット辺りで孤児を探しているらしいからね。たまたま個人的な買い物をしている時に、私に出会ったんだとさ。
まぁ、そういうわけで私はそこで暮らすことになったんだ。孤児院の暮らしは、私には贅沢すぎるものだったよ。整った設備に美味しいご飯、そして気の合う友人たち。学費だって払ってくれたんだ。本当、私には勿体ないくらいでさ。
だからかな、アズサのことを思い出す度に、自分が嫌になるんだ。アズサが捕まったのは自分のせいなのに、アズサの犠牲の上成り立っている生活なのに、どうして自分だけがこんなに幸せなのかって。
時には、本当に駄目になっちゃう時もあったんだ。このキヴォトスに私よりもやい結びが上手い人はいないって自負するくらいには、駄目になってた。
でもね、そういう時はアズサが最後に言ってくれたあの言葉を思い出せば、冷静になれたの。
だって、再会する時は皆、元気な姿を見せたいでしょ?
とまぁそんな日々を繰り返してくうちに、私は高校生になった。進学先は、もちろんトリニティ総合学園。部活は少し迷ったけど、正義実現委員会に所属することにしたんだ。理由は色々あるけど、やっぱり一番は人を助けたかったからかな。今までは助けられてばかりの人生だったからさ。あとは…………もし、アズサがどうしようもない壁にぶつかった時、今度は私が助けてあげられたらなって、ずっと思ってたから。
そうして、私は二年生になった。変わったことは特に何も無かったけれど、クラスの人とも仲は良好だし、委員会も学年にしては高めの位につけて、順風満帆な学生生活を謳歌していた。……テストは毎回赤点回避してるしね。
そんなある日のことだったんだ。私はトリニティ校内で暴力行為があったと聞き、部室に向かっていた。
「失礼しまーす。先輩、大丈夫でしたか? なんでも、弾薬倉庫を占拠して1トンの催涙弾を爆破したとかなんとか……どれどれ、実行犯ちゃんはどんな子なのかなー…………え? 」
私はすぐに気づいてしまった。何故かガスマスクをつけていて顔は分からなかったけど、そんなもの私には関係がなかった。
「も、もしかしてアズサ……? アズサだよね!?」
私は人生で一番早く動けたんじゃないかってくらいの速度でアズサに迫った。
「う、うん。そうだけど……どうして知ってるの? 」
私はその言葉について考えるよりも先に、口が独走してしまった。
「どうしてもなにも、知ってるに決まってるでしょ! って違う! それを言いたい訳じゃなくて……その、昔のことなんだけど、ずっと謝りたくて……ほら、私って昔から「その、ごめん」
私が蓄積されていた言葉たちを解放させている最中に、アズサが淡々と、一言だけ言葉を吐いた。
「誰? 」
「………………え? 」
こうして、私の念願だった再会は、待ち望んでいたアズサとの新しい思い出は、呆気なく終わりを迎えるのだった。