魔法少女リリカルなのはPSP =マテリアルサイド= 作:のぶな
ここはとある次元世界のとある場所。
木々は生い茂り、野生動物が闊歩する。人の文明による手が入っていない事はひと目見ただけで分かる自然あふれる情景が広がっている。
そんな場所のとある岩肌に、ぽっかりと穴が開くように、ひとつの洞窟があった。
傍から見れば、周囲の状況も合わせてなんら不自然のないものだと思う事だろう。
普通なら人の来る可能性が皆無と言っても良い場所なのだから、その考えに行きつくのはある意味当然の成り行きではある。
だが、違う。
その洞窟が自然に出来た物であるように見えるのは、そう見えるように偽装されているからだ。
ならば何故こんな場所で、わざわざそんな偽装をしているのか。
その答えは単純明快。この洞窟の奥にあるものは、誰かに見られるのは困るものだからだ。
故に、人目を忍ぶこの場所で、もし見られたとしても悟られないように偽装されているのだ。
ここは自然洞窟を改造して作られた場所。入り口付近は、自然そのままであるかのように無骨な岩肌があるだけだ。
だが、奥へ進めばその様相は打って変わる。壁などは岩である事に変わりはなくとも、人の手により掘削されて広さを確保されている事が分かるようになる。
ここまで奥に来れば偽装よりも利便性が重要になるため、日の光の届かないほどの地の奥底でありながらも生み出された光源により、昼間のような明るさが広がる。
何処からか換気をしているのか、空調は人が生活をするのには程よい温度と湿度が保たれている。そこには、人工物の代表格とも言える機械類がところ狭しと陳列されていた。
中には、生活に必要な道具類も混ざっているが、その大半を占めるのは研究資材だというのは、見る人が見れば人目で看破できるはずだ。
ここはとある違法研究者が、その“違法”の研究をするために設けられた施設。
世間一般で禁止されているが故に、人目を忍ぶべく、このような場所に居を構えていたのだ。
そして、この研究施設の主であるジェイル・スカリエッティと呼ばれる男は現在、自身の研究室ではなく、ゲストルームにその姿があった。
この研究施設における資金提供や研究要請をする後援者は、その全てを通信で済ますためここへ直接赴く事は皆無である。
この施設を利用するのは、ジェイルと、その作品とも呼べる「娘」達に限られるので、休憩室や多目的ルームならともかくゲストルームなど本体なら存在する意味も意義も無い。
だが、今彼が居る場所はそれなりの調度品が置かれ、簡素ながらも誰かに見られても恥ずかしくないように整えられている。
それは確かに外部の誰かを招き入れるための部屋であり、確かにゲストルームと呼ばれてしかるべき部屋だった。
「……」
そして、違法研究施設にこの部屋が形成された理由である、誰も訪れる者は居ないはずの施設において唯一の例外である「客人」である女性が、優雅と取れる仕草でゆっくりと紅茶を味わっていた。
そのシックな黒のワンピースを身に纏う栗色の長髪の女性は、普段の感情の見えないような表情のまま、静かに瞳を閉じてテーブルの席についている。
その対面に腰を下ろすジェイルもまた、彼女に習うように、自身のために用意された紅茶を味わっていた。
元々、ジェイルにとって研究が第一であり、このような嗜好品に関して全く興味は無かった。
必要なのは、人体を構成と運営するための栄養であり、そこに味や香りを求める必要は無い。
むしろ、効率を優先するべく率先してそれら余分な部分をカットし、研究のための時間を捻出していた方が良いとさえ思っていた。
だが、こうして何度か目の前にいる彼女とお茶の席を共にする内に、紅茶の味も徐々に分かるようになって、随分とこだわりを見せるようになってきていた。
彼女が言うには、「目的とは関係ない嗜好品であるからこそ手を抜くべきではない」との事だったが、今ならその気持ちが良く分かるような思いだった。
何事においても全力を尽くし、手を抜くべきではないという考えは素晴らしいものだ。
より良い質を求めるために最大限の努力をする。その行為は称賛されるべきものであり、自身の研究する姿勢にも通じるものがある。
妥協しないからこそ、人は更なる上を目指し、欲望にも限りが無い。
欲望を肯定する自身からすれば、彼女のその言葉もまた肯定するに値するものだ。
その結果、美味なるモノを味わう事が出来るのなら、文句の出ようはずもない。
「ふむ、ウーノはまた腕を上げたと私は思うが、君の感想はどうだい?」
そして、今口にしている紅茶はその観点からすれば香りも味も申し分ない。これならば少なくとも及第点を与えても良いのではないかと彼女に問いかける。
そんなジェイルの言葉に、すぐ傍に控えるように立つ紫かかった長髪の長身の女性が緊張の面持ちを見せる。
この女性こそがジェイルの研究成果であり、戦闘機人の最初の一体であるウーノだ。
今、ジェイル達が飲んでいる紅茶を淹れたのもウーノであり、自身の主であるジェイルからは美味しいと言ってもらえた。その事に関しては内心歓喜に溢れている。
だが、ウーノにとって一番に美味しいと言わせたい相手はジェイルではない。
言ってはなんだが、ジェイルは様々な紅茶を飲み比べたわけではないので、味の評価に関してはあまり頼りにならない。
だが、ジェイルとお茶の席を共にする彼女は違う。
彼女はこの場所から殆ど外へ出ない自分達とは違い、様々な場所へ赴き、経験を得ている。
そのため、自身の淹れた紅茶が本当に美味しいかどうかの判断が出来るし、なによりウーノ自身が彼女の『美味しい』と言わせたいと思っているのだ。
故に、ジェイルからもらえた評価以上に、その評価が気になる相手である彼女の動向を、固唾を呑んで見守る。
「ええ、味も香りも満足のいくレベル、美味しいです。ですが、まだ“上”はあります。
これに満足をして進歩を止めるなどという事をしないのであれば、私には言う事はありません」
「……ありがとうございます」
そして、彼女の答えは合格といえるものだった。その彼女から齎されたその言葉に対し、ウーノは頭を垂れる事で返す。
表面上は冷静を装うが、内心は彼女を唸らせるべく日夜研究に励んできた事が報われたと、ジェイルに褒められたとき以上の歓喜がその心中に渦巻いていた。
だが、彼女もまた、まだまだ発展の余地は残されているとの意見を述べていた。ならば更に上を目指して研究を続けるのは当然の選択だ。
今回は茶葉の量、お湯の温度、蒸らす時間、淹れる手順をマニュアル通りに完璧に計算して執り行った。
なら、次からは茶葉の状態や周囲の湿度や温度までを計算に入れて淹れてみるべきかと思考を巡らせる。
彼女に美味しいと言わしめる事は出来た。なら次は、彼女のその鉄面皮とも言える無表情を、自分の淹れた紅茶で満足げに緩ませる事だと決意をする。
「それではお茶請けにクッキーなどはいかがでしょうか。僭越ながら、今回は私の手作りとしてみました」
だが、今はその思考をひとまず端に置いておく。
この場では主であるジェイルと客人である彼女をもてなす事が最重要事項なのだ。それらの考察は後でも十分できる。
何時もならば、お茶請けのお菓子などは茶葉共々、店から購入したものを出しているのだが、今回は自身で製作したものを振舞う。
最近はウーノがお菓子作りにも興味を持ち、徐々にはまりつつあるのは本人的には周囲に内緒にしている事だ。
だが、作る度に味見を頼んでおり、その頻度が多いとなれば周囲の人にはバレバレである。
もっとも、妹達にしてみれば美味しいお菓子が食べれると喜んでいるので、あえて気付かないフリをしている部分が多々あるのだが。
「ええ、いただきましょう」
そんなテーブルの上に並べられた色とりどりのクッキーを、彼女はひとつ手にとって口に運ぶ。
妹達に味見をしてもらった時は問題ないと思っていたが、果たして彼女の眼鏡に適う出来なのかと思い、その姿を、ウーノは再び固唾を呑んで見守る。
彼女は基本的に無表情でいるため、どんな思いでクッキーを食べているのかウーノには分からず、不安の中で次の彼女の言葉を待つ。
「普通ですね」
そして、彼女のクッキーに対する評価は『普通』という結果が下された。
これは、美味しくない物を彼女に出さなくて済んで良かったと喜ぶべきか、美味しいと言われなかった事を悲しむべきか、微妙なラインだった。
「クク、良かったじゃないかウーノ。いや、最初の紅茶の感想の『不味い』の時に比べれば、最初から普通と評価されるのは進歩だと私は思うよ」
ウーノが喜ぶべきか悲しむべきかを悩んでいると、可笑しそうにジェイルが声をかけてきていた。
どれほど些細な事だとしても、一喜一憂するという感情の揺らぎを見せるのは、既定路線を繰り返すだけの機械では出来ない事。
戦闘機人という人工物でありながら確かな生命の輝きを発露させるというのは、自分の作品が単なる機械に収まりきらない証明であり喜ばしい事だと告げる。
「ドクター。その話は、私としてはあまり面白くないのですが……」
だが、基本的にジェイルの言葉を肯定するウーノにしては珍しい事に、僅かではあるが眉をひそめてみせていた。
今でこそ美味しく淹れるノウハウを習得したといえるウーノだが、最初に彼女に出した時の紅茶の味は、思い返せば酷いものだったと思う。
確かに当時は、誰も味にこだわる人が居なかったために紅茶の淹れ方も随分と杜撰と言えるようなやり方だった。
当然の事のように彼女の評価は最悪の部類に入るもので、折角もてなしたのに何様のつもりだと憤りを覚えたものだった。
だが、彼女の評価は正当なものだったと後で突き付けられて、考えを改めさせられた。
無知だったから仕方が無いといえば確かにそうだが、ウーノとしてはあの時の事を思い返すと、何故あそこまで適当に淹れてしまったのかと悔やんで仕方が無いほどだ。
はっきり言って、黒歴史として抹消したいエピソードだ。
そんな話をここで蒸し返されて、ウーノが良い気分にならないのは当たり前の話だ。
「ああ、気分を悪くさせてしまったなら謝ろう。
だが、過去があって今がある。あの時の失敗があるのだから、今ここにこうして私が飲む紅茶があるのだよ。
失敗を恥ずかしがる気持ちは分かるが、忘れてしまうべきではない。過去は過去として受け入れるべきだよ、ウーノ」
「……」
そんなウーノを諭すように、ジェイルは言葉を紡ぐ。それは正論であり、否定する事が出来ないし納得も出来る物だ。
故に、ウーノは自身の不機嫌を胸に秘めて閉口すると、最初のようにジェイルの後ろに控えるように静かに下がる。
ジェイルはそんなウーノの姿を愉快そうに視界の隅に収めながら、改めて彼女と向かい合う。
「さて、『星光の殲滅者』君。最近の調子はどうだい?」
「そうですね。蒐集した魔導の整理、運用法の模索。そのどちらも、完成には至りませんが、これはまだ計画の誤差の範疇ですので何の問題もないと言えるでしょう」
「そうか。それは良い事だね」
「貴方の方も、順調に事を運んでいるようですね」
「ああ。ただ、相変わらずパトロンの皆が煩わしいというのが悩みの種だよ」
前置きもなくジェイルが話を切り出すと、それに応える『星光の殲滅者』と呼ばれた彼女もまた淡々と答える。
そして、逆に彼女の方が聞き返せば、ジェイルもまた苦笑を浮かべながら答えを返す。
そんなやり取りを皮切りに、ふたりの対話は熱を帯びて行く。
もっとも、対話といっても喧々諤々と議論を交わしている、というわけではない。
むしろ、ジェイルの方が大仰な一方的に身振り手振りを交えて演説しており、彼女の方といえば、言葉少なく紅茶とクッキーを嗜んでいるばかりという様相という方が正しい。
ふたりとも、実際のところはこの会話が自分にとって特に有益だというわけではないと知っている。
それでも、こうしてテーブルを挟んで対話の席についているのは、このやり取りを純粋に楽しいと思っているからだ。
確かにこの対話を切っ掛けに、まったく新しい考え方が浮かんでくる事はある。だが、ふたりが求めているものはそんな事ではない。
ジェイルは研究者だ。そして研究者である故に、自身の成果を誰かに知って欲しい、ありていに言えば『自慢がしたい』という欲求がある。
自己顕示欲の強いジェイルからしてみれば、その想いもひとしおだ。
だが、ジェイルの研究は違法であり、パトロンの意向もあり、“今”はまだ、世間に公表する事が出来ない。
それでも一定の成果を得ている今現在、この自分の研究成果を誰かに知ってもらいたいという欲求が燻り、消える事はない。
自身の作品である娘達に対して自慢する手もあるが、それは自分が映る鏡に対して延々と語っているようで虚しい物がある。
そこで、彼女の存在だ。
彼女もまた世間一般から外れた存在であり、ジェイルの研究が違法である事に関して特に思うところはない。
更に、何処の組織に所属する事もない。たとえ機密を知ったとしても言いふらす意味も理由も無い。
その上、高い知性を備える彼女はきちんと自分の話す事は理解されるとあれば、これ以上の相手はいない。
まさに何の気兼ねもなく、自身の思うところを吐き出すのにうってつけの相手というわけだ。
元々の彼女をこの研究施設に招き入れる事になった切っ掛けは相当に血なまぐさい話になるが、今となってはそんな事より話相手という立場の方が重要だった。
ジェイルの秘書という立場のウーノからすれば、部外者に高いランクの機密情報を漏らすのは問題だというのは分かっているし、止めるべきとも思う。
だが、それ以上に、ジェイルのストレスのガス抜きには丁度良いし、放っておけば何時までも研究ばかりの身の息抜きにもなる。
何より、まるで子供のように嬉々と自身の研究について語っている自分の主の姿を見れば、止めさせるなどと出来るわけがない。
最近は自分の趣味も少なからずに混ざっているが、自身の事よりも主の事を至上とするウーノの判断がそれだった。
故にジェイル陣営は、彼女の事を客人として迎え入れている。
対する魔導師である彼女にとって、ジェイルのメインたる研究である戦闘機人については門外漢であり、その内容が直接自身の目的である自己強化に繋がるわけではない。
それでも、ジェイルの語る内容には心惹かれる物があった。
自身に還る物はなくとも、『理』を司る彼女からしてみれば、知識欲を刺激される事は、至上の喜びだ。
その相手として、ジェイル以上の相手は滅多に存在していない。
その上で、美味しいお茶とお菓子が出るのだから文句どころか満足のいくところだ。
ふたりともお互いに利益云々よりも、もっと根源的な『欲望』の下に行動しており、その衝動に従った結果、この雑談が成立している。
人となりはまったくの別。だが、自身の欲望に忠実に従う事、そして自身が世間一般から『悪』と呼ばれる存在である事を自覚している。
その辺りにシンパシーを感じている部分もあるのかもしれない。
ふたりがこうして顔を合わせてお茶を嗜むのは、本当の意味で雑談以上の意味はない。
故に、ジェイルの方は彼女の行動を縛りもせず、援助も一切していない。いざという時に協力要請をしてもらうための伝手を作れるかという期待もあまりない。
彼女の方も、ここの研究設備を利用すればもっと効率的に計画を進める事ができると知りつつもその申し入れは一切しない。
また、外で魔導を振るう時もジェイルの益になるような行動を意図して起こす気もない。
ただ気まぐれに彼女の方がこの場所を訪れ、そしてジェイルはそんな彼女を歓迎する。それだけの間柄。
誰に言われたわけでもなく、自分の意思で相手と向かい合い、利害を無視してただ話をするだけ。
それは確かに友人と言える関係だ。だが、それでも仲間などでは無いとお互いに分かっている。
今は平穏に同じ時を過ごしているが、何かを切っ掛けにして敵対関係になるかもしれない。その時は何の遠慮もなく互いを滅ぼし合うべく戦う事になるだろう事は容易く想像出来る。
何事よりも優先されるのは自身の欲望であり、その障害となるのなら、それはすべからず敵だ。平時において友人であっても、その事には変わりはない。
気心の知れた敵同士。
友好的な関係とは違う。それがふたりの共通認識。
正直なところ、この関係については、今のところ誰の共感も得られていない。
こうしてお茶の席を共にして居ながら、次の瞬間には殺し合うような間柄になっても不思議ではないと言いつつ、まるで互いを警戒していないというのは、異常にしか見えない。
はっきり敵同士だと明言しているのに、仲間のように接しているのかが分からないと、誰に言ってもそう返ってくる。
ウーノにしても、ジェイルが客分扱いをしているからそれに従っている以外にもほだされている部分がある事は否定しないが、それでもいざという時の為に警戒を怠ってはいない。
だが、それでも構わないとふたりは思う。
元々常識から外れた存在であるのだ。理解が得られなかったとしても、今更何かを言う事もない。
ただ今は、この時間を満喫するだけだ。
「ああ、最近になってようやく『アレ』の機能の一部の復旧の目途が立ってね。
それに伴って防衛機構の機械兵器を限定的ながら稼働させる事ができたんだよ」
その中で、ジェイルは戦闘機人の開発と並行して行われているとあるロストロギアの研究成果について語り始める。
無論、これもトップシークレットに属するほどの機密ではあるが、構いはしないと口上を続ける。
「私や君にしてみればただのガラクタの様なものだが、それでも最大の目的に行きつくためには順序を踏まなくてはならないからね。
クアットロが監修を担当して、適当な次元世界で稼働実験をする予定になったよ」
「そうですか」
ジェイルの話す内容に然程興味もないのか、瞳を閉じたままゆっくりと紅茶の入ったカップを傾ける。
そんな彼女の姿に気を悪くする気もなく、むしろ彼女らしいと苦笑を浮かべながらも、ジェイルの演説は止まらない。
「まあ、ガラクタとは言ったけど、ステルス機能やAMF(アンチ・マジリング・フィールド)形成機能も持っているからね。
遠距離攻撃手段は持たないけど、攻撃も防御も魔力に依存するミッド式の魔導師にとっては十分脅威にはなるだろう。
その辺りも稼働実験には含まれているから、今度の実験に選んだ次元世界には管理局から高ランクのミッド式とベルカ式の魔導師と騎士を派遣してもらう手筈になっているよ」
「……」
犯罪者であるジェイルが、取り締まる側である管理局に伝手があるというのはおかしな話に聞こえる。
だが、所詮は人の集まりでしかない組織なのだから、皆が皆、正義のために犯罪者を取りしまう一枚岩で成り立っているわけでもない。
中には、犯罪者と通じ合って甘い汁を吸おうという輩が居ても不思議ではない。
もっとも、それ以前にジェイル本人から管理局の上層部と繋がりがあると暴露されている。彼女にとってその話の内容に今更驚くような事は何もない。
だというのに、彼女はその片眉を僅かに顰めていた。
そんな彼女の反応に、ジェイルは「おや」と、内心不思議に思う。
「それで、その実験をする場所と日時はどのようになっているのですか?」
そして、彼女はカップをソーサーに戻すと、そんな事を尋ねて来ていた。その姿に、これこそ本当に珍しいと、ジェイルは改めて驚きを抱く。
彼女は技術的な事に疑問を呈する事なら今までも多々あったが、今回の彼女の質問の内容は技術的な事ではなく、その場所について尋ねられるとは意外だった。
「ふむ、まあ君に内緒にする程の事でも無いか」
驚いた。だが、それだけだ。
尋ねられたのなら応えるだけだと、彼女の質問に答えるべく、その予定している次元世界の場所と日時を彼女に伝える。
「……そうですか」
ソレを聞いた彼女は、僅かに考え込むような素振りを見せる。
ジェイルには分からない事だが、彼女の脳裏にはとある人物の最近のスケジュールを思い浮かべられていた。
そして、その人物と、ジェイルの言う予定が丁度良く重なりあっていると気付く。
「私は予定が出来ましたので、今回はこれで帰らせて貰います」
確証はないし、だとしてもわざわざ自分が動く必要性もない。
だが、それでもなにか、胸の内にしこりの様なものを感じた彼女は、帰る旨を口にすると、そのまま席を立つ。
取り越し苦労ならそれで構わない。大した事はないとこの嫌な気分を我慢するよりも、解消のために動いた方が有意義だという思考の下、彼女は行動を開始する。
「おや、今日は随分早いね」
「ええ、続きは次の機会にでもしましょう。
ああ、そうですね。ウーノはお菓子にも興味が出てきたようですので、今度来るときは私の行きつけの店のシュークリームでも持参する事にしましょう」
「そうかい、それは楽しみだよ」
ジェイルは、彼女の言う予定が自分の実験に関係していると予想はついている。
だが、それでもあえて特に何を言うでもなく席を立つ彼女を見送る。
自分と彼女は敵同士。もし彼女の行動が邪魔になったら排除すれば済むだけの話。
その場合は『次』が無くなってしまうが、その時は彼女のデータが手に入るのだから、それはそれで構わない。
「クックック」
さて、彼女はどう出るのかと思うと、嗤いがこみ上げてくるのをジェイルは感じていた。
そして、そのこみ上げてくる想いを我慢する必要はないと妖しく嗤う。
「あら~、シュテルお姉様は、もうお帰りになってしまったんですか~」
「ああ、丁度今しがた帰ったところだよ。タイミングが合わなくて残念だったね、クアットロ」
と、そこへ、長い茶髪を三つ編みにした眼鏡の女性、戦闘機人の四番目であるクアットロが姿を現す。
どうやらお目当ての人物に会うべく急ぎ自身に割り振られた仕事を終わらせてきたようだが、今回は当てが外れたようだった。
それでも名残惜しいと言わんばかりに彼女が立ち去った扉に熱の籠もった視線を送る。
「ふむ、私が言うのもなんだが、君は彼女の事を本当に気に入っているようだね、クアットロ?」
「ええ、シュテルお姉様の、あの誰が相手だろうとも一切の容赦なく力でねじ伏せるそのお姿。
そして私を見る冷たい眼差しを思うとゾクゾクしてしまいます。
強くて冷静、姉妹には優しく味方以外には等しく残酷であるドゥーエ姉様とは違う意味で私の憧れであり、目標なんです」
そうジェイルの言葉に答えると、クアットロは自身を抱えるように身震いをしながら何処か恍惚としたような笑みを浮かべる。
思い浮かべるのは、初めて彼女と逢った時の事。
たまたま外へ出ていた時に偶然に出会った彼女を、折角だから彼女を鹵獲してデータの足しにしようとしてあっさり返り討ちになった。
その時の自分を見下す、道端に転がる小石を見るかのような冷めた視線。
クアットロは自身が虫けら同然にしか認識されていない事に憤ったが、同時にその彼女の在り方に強烈な憧憬の念を抱いていた。
圧倒的なまでの強者である自負と実力を持ち、その力を行使する事に何の躊躇いもない。
この世の全ては自分の物とでも言いそうな傲慢な態度で誰にも屈する事はない。
そんな彼女のように自分もなりたいと強く思った。
そして何時か、逆に自分が彼女の事を見下す事が出来たなら、それはどれだけ気持ちが良い事だろうと想いを馳せる。
故に、ジェイルのように友人と思わず、他の姉妹のように敵として見るのではない、憧れであり、目標として彼女の事を想う。
それが、クアットロの彼女に対する立ち位置。
「くく、そうかい。ああ、彼女の存在は本当に刺激になるね」
クアットロの想いを聞いて、ジェイルは浮かべる嗤いを更に深める。
彼女の存在は自分達に多大な影響を与えている。それは良い意味だけでなく悪い意味も多く含んでいる。
だが、それで良い。強い感情があってこそ想いや心といった生命の揺らぎは大きくなる。
それはただの機械では生み出す事の出来ない生命の輝きと呼べるものであり、それを知りたいからこそ、ジェイルは研究をしているのだ。
そうしながら施設内に設置してあるサーチャーによる映像を手元に出した空間モニターに映し出す。
彼女に対して強い感情を向けているのは、ここに居る自分やクアットロだけでは無い。
果たして彼女はこれから自分達に何をもたらそうというのか、それを思うと何とも愉しい気分になるジェイルだった。
◇
彼女は勝手知ったる他人の家と、靴音も淀む事無く一定のリズムを刻みながら、何の迷いもなく通路を歩く。
普段ならこのまま足を止める事無く、出口まで真っ直ぐに行くところだ。
「……何のつもりかは知りませんが、出てきたらどうですか?」
だが、今回はその歩みを止める。そして自分が進んでいる通路の先を見据えたまま問いを投げかける。
「……」
彼女の背後にある柱の陰から、銀髪の、小柄な外見をした少女、チンクが姿を現す。
いや、チンクの事を少女というのは語弊がある。チンクは小柄ではあるがジェイルの製作した戦闘機人の中でも五番目に稼働開始したので、この施設内では中々の古株だ。
そのため、外見だけなら幼い子のように見えるが、以降に稼働を開始した戦闘機人達の姉として振舞い、またその穏やかと言える人柄から妹達から慕われている存在だ。
ただ、今のチンクは、姉妹達に向けられるような普段の優しげな瞳ではなく、睨みつけるような厳しい双眸だ。
そこに込められた警戒や嫌悪といった感情を、背中越しに突き刺さるような視線から彼女は感じとる。
「見ての通り私は今から帰るところですので、用があるというのなら手短にお願いします」
振り返りもせずにいる彼女に対し、チンクは苛立ちを、そして彼女が本気になったらどうなるかを思い、固唾をのみ込む。
だが、ここで黙ったままではこうして彼女の前に姿を現した意味はないと、自らの心を鼓舞し、口を開く。
「……お前がどういった意図の下、ここに来ているのかはドクターから聞いている。
だが、わたしにはお前の事は認められない。お前の存在は危険だ。出来る事なら、もう来ないで貰いたい」
チンクはドクターが彼女の事を友人として扱っており、自身の製作者である人物の言う事であるのだから、自分もそれに倣うべきだと理解はある。
だが、それ以上に彼女の事を認める気がまったく湧いて来ない。むしろ、その姿を見るたびに『敵』だという認識を強めていた。
彼女の存在は、いずれ自分達に害を成すとチンクは予感していた。あの強い破壊の衝動を秘めた瞳に見つめられる度に、チンクは背筋の凍るような想いを抱いてきた。
彼女に対する認識は、自分を姉と慕う妹、そしてまだ稼働していない妹達の事を想えば更に強くなる。
今はまだ大丈夫だが、これから先、妹達に与える影響はきっと計り知れない。
なら、今の内から対処をしてしまいたい。
チンクの中では、彼女を斃してしまう事が一番良い選択肢だとは思うが、諸々の事情を鑑みれば、それを選ぶ事は出来ない。
元々、今回の行動も自分の独断なのだ。出来る事は、出来る限り彼女を自分達から遠ざけるための交渉しか無かった。
故に、今こうして彼女の下に姿を現したのだと告げる。
「なるほど。話は分かりました。ですが、私は誰にも従いません。私を御せるのは私だけであり、貴女の言葉に従ういわれはありません」
だが、チンクの想いは彼女に届かない。一言の下に断じると、これで話は終わりであると、彼女は歩みを再開しようとする。
「待て……!」
だが、それをチンクは呼び止める。その手にはスローイングダガーが握られている。
ただの言葉では足りないというのであれば、次は武力による背景をちらつかせてでの交渉に臨む。
そんなチンクの想いに気付いたのか、彼女は歩みを進める事を止める。
「別に力づくで来るというのであれば、それはそれで構いません。どうぞ気兼ねなくその刃を私へ向けて放てば良いでしょう。
ですが、その場合は貴女も相応の物を失う覚悟を抱いて下さい」
そして、ゆっくりとチンクを振り返る。
「AMFを発生させられるこの場、そして仲間の存在と、地の利は貴女に有ります。実際に戦闘となれば私もただでは済まない可能性が高いでしょう。
ですが、それでも貴女を壊す事が出来る機会をくれるというのであれば歓迎するところです」
彼女の表情は、緊張を抱くために強張っているチンクとは対照的に落ち着いたものだった。
そんな現実を目の当たりにして、チンクは自分の失敗を悟る。
「ええ、私は貴女を壊してしまいたいと思っていますよ、チンク。
ですが、今はそれ以上にこの場所の事を気に入っているので優先順位を下げているだけです。
その順位を貴女自身の行動で覆すというのであれば遠慮は要りません。さあ、思う存分殺し合いましょう」
彼女は愛杖のデバイスであるルシフェリオンを起動させると、その身に夜の闇を思わせるような黒を基調としたバリアジャケットを身に纏う。
その表情は普段通り淡々としたものではあるが、その瞳の奥には闘争を渇望するような色合いがあるようにチンクは感じて畏怖の念を抱く。
武力は彼女を脅す材料にはならない、むしろこちらに喰いつくための餌にしかならなかったと理解する。
「く……」
今回は、殆ど独断専行で行動しているという自覚による負い目もある。
ドクターからは、彼女に対して手出し無用、とは言われていない。むしろ、各々の判断に任せると言われている。
故に、今回の行動を咎められる事はないとは分かっているが、それでもドクターを裏切っているような心情を抱いていたのも確かだ。
だがそれ以上に、自分の不利を知ってなお、彼女は揺らぎもしないという事に追い込まれていた。
彼女にはチンクを脅そうという気はない。単に事実を口にしているだけだというのだが、それがチンクにとってプレッシャーとなってその小さな身体にのしかかっていた。
チンクは実際に攻撃を加えるべきではないと判断するも、戦闘準備の整っている彼女を前に刃を収める事が出来ずに居る。
彼女の方は、チンクが口火を切って落としてくれるのを待つだけなので、自分からは動かない。
互いに望んでいるわけではないものの、この場には膠着に陥る。その緊迫感もまた、チンクを追い詰める要因となり、苛む。
「……どうやら貴女に戦う気は無いようですね。残念な事です」
時間にして僅か、ただしチンクの体感では非常に長い時間を超えて、彼女はその杖を収めていた。
元々は帰るつもりだったのだから、相手が引き留めないというのであれば当初の予定通りの行動に移すだけだ。
言葉にした通り、戦えない事に一抹の寂しさのような物を抱くが、だからと言って後をひかれるような事も無いとその身を翻す。
今度は誰にも引き留められなかった。
「はぁっ、はぁっ……!」
見送ったチンクは、彼女のその姿が見えなくなるまで武装を解除出来ずにいた。
そして彼女の姿が見えなくなったところで、その場に崩れ落ちるように両手を地面につくと、それまで止めていたかのように荒く呼吸を繰り返す。
「わたしは……」
チンクは自分がどうすれば一番良いのかと思い、呟きを漏らす。
だが、答えは出ず、その疑問は空気の中へと溶けて行くようだった。
実はガチ目になのはとフェイトに対してストーキングをしている彼女ですが、前回に限っては都合良く現れたのは今回の背景があります。