魔法少女リリカルなのはPSP =マテリアルサイド= 作:のぶな
プロローグ
「ぐぉぉ……ッ。何故だ、何故俺の爪も牙も届かない……!」
無謀にも『王』に襲い掛かってきた不届き者は、呻き声を上げるようにしながら彼女の事を睨みつける。
それは闇の書の守護騎士の内のひとりであり、盾の守護獣と称される屈強な肉体を持つ男性の姿。
ただ、その憤慨の籠る瞳に理性は薄く、血に飢えた本能に塗れた獣のようであり、冷静な思考を持つ本来の彼とは似つかわないものだった。
だが、それも当然。この彼は闇の書の闇、その断片である欠片が再構築をするべく過去の記憶を元に再現された物。
おそらくは狼が素体である故に内包していた本能が、色濃く再現されているのだろう。
防衛プログラムの構成体(マテルアル)の中でも中枢を担う『王』である彼女は、何をするでもなく闇の欠片達を引き寄せる。
闇の欠片の再現体である彼もまた、『王』である彼女によって引き寄せられ、血への渇望から覚える喉の渇きを潤すべく、本能に従いその瞳に映る者に襲い掛かったのだ。
だが、ただの断片から生じたザフィーラでは彼女とは地力からして雲泥の差がある。
それこそ、軽くあしらいながら、思考を遊ばせる余裕がある程に。
……彼女は思う。
ロストロギア『闇の書』と呼ばれた一冊の魔導書。そしてその“闇”と呼ばれた、書の防衛プログラム。
自らの前身であるそれは、一週間ほど前に魔導師や騎士達の尽力によって打ち砕かれた。
齎す物は破壊のみ。過剰に防衛というプログラムを実行し続けるそれは、もはや死を振り撒く呪いであり、書の主や従う騎士、そして関わる全てを不幸に陥れるのみ。
故に、悲しみの連鎖を断ち切ろうと立ち上がった者達、そして最後の闇の書の主となった少女は、その防衛プログラムを書から切り離し、破壊する決断を下した。
それは考え得る最良の手段であり、関わった皆が賛同し、最良の結果を引き寄せるべく持てる力を結集してそれぞれの最善を尽くしたのだった。
その結果として、闇の書と呼ばれた魔導書は本来の姿である『夜天の書』へと戻る事が出来、主となった人間を滅ぼす事は無くなった。
書の守護騎士達もまた、書のページ蒐集の為に戦いに明け暮れる連鎖の輪から解き放たれ、本当の意味での主の守護騎士としてその生を全うする事が出来るようになった。
さらに幸運な事に、本来であれば防衛プログラムと深く繋がっていたために、共に消滅するはずだった書の管制人格もまた、生き残る事が出来た。
主から祝福の風『リインフォース』という名を貰った彼女は、自身を構成するプログラムの大半を失うという代償もあったが、こうして生きている以上の幸運は無い。
そう、永い間、憎しみと不幸を振りまき続けて来たロストロギアは、こうして最も良い結末を迎えるに至ったのだった。
今、こうして考えている彼女自身である、犠牲を防衛プログラムというたったひとつに抑える事によって……。
彼女としては、自身が闇の書から切り離された事自体に対して、特に忌諱や否定する想いは無い。
何故ならば、闇の書の闇を切り離そうとする意図も理由も理解が出来るが故に。
そしてそれ以上に、その『闇の書の闇の破壊』という行為があったが故に、彼女は今の自分自身を獲得したのだから。
防衛プログラムであった時には、人格など存在はしなかった。
ただのシステムなのだ。守護騎士や管制人格のように、意志や人格を持つ必要性は無かったのだから、むしろそれは当然の事だ。
だが、破壊され、砕け散った防衛プログラムの構成体(マテリアル)が再生しようとする過程で、それまでとはその在り方を大きく変える事となった。
元々、書が保持していた守護騎士プログラム。今まで書の中に蓄積されていた蒐集したデータ。この地に沈む、闇の書に関わった魔導師や騎士達の記憶。
闇の書が恐れられた理由のひとつ、無限再生プログラムは破壊されてなお、再生を果たすべく働き、砕かれた故に不足する欠片を補うべくそれらを貪欲に取り込んでいった。
そしてそれらが入り混じり、明確にデータとして残る程の強い意志や記憶は、無かったはずの人格を形成し、思考を可能としていく。
思い、考える事で更に自己を認識する事で独自の自我が芽生え、他の誰でもない「個」を獲得するに至ったのだ。
それが今こうして思考をしている自分自身であると、彼女は理解する。
防衛プログラムの破壊という行為がなければ、ただのプログラムとして使われているだけの存在のままであったはず。
だが、今は違う。こうして独自の自我を持ち、行動出来るようになったのだ。これからはただ書を守るなどと、他者に使われるような真似をするつもりは無い。
自身が頂点に君臨する、そのために行動をすると、自分の意志で決めた。
そうした考えや、実際に自分の意志で好きなように行動出来る事は、自我の無かった頃ではとても考えられない、素晴らしい物と感じる事が出来る。
故に魔導師や騎士達の行いに感謝こそあれど、忌諱するつもりも怒りを覚える事も無い。
いや、全ては『王』に尽くす事が当然だ。これまで闇の書が積み重ねて来た歴史も、魔導師達の行いも、全ては『王』である自分を生み出すための“必然”であったのだ。
他者は王の前にひれ伏し、王のために身を粉にして働く事こそ当然。
『王』の誕生の為の礎になれたのだから、むしろ誉れと受け取るべきは自分以外の全ての存在であり、『王』である自身が感謝する謂れは無い。
「ぐおぉぉぉぉぉ……ッ!!」
「……ふん、たかが犬風情が耳障りな声を上げよってからに。もう良い。疾く、我が糧となるが良い」
既に勝敗は明らか。だと言うのに退く事を知らぬというように叫びを上げながら拳を振るう男性に、彼女の思考は遮られる。
この男性は闇の欠片が生み出した存在。彼女からすればまさに塵芥にも等しい存在に、王である自分の思惟を邪魔されるなど許される物では無い。
元々、高々獣風情が王に牙を剥くなど言語道断。即、極刑に処するところではあったが、何分今の彼女は生まれたてだ。
何か不都合があっても困るからと調子を確かめるために相手をしていたが、このような不忠を示されたとあってはもはや相手取るに値しない。
そう結論付けた彼女は、早々に切り上げるべく、手にした魔導書型のデバイスを前出す。
すると、書は意志を持つかのように自らページがめくれていき、あるページでその動きがぴたりと止まる。
そしてそこに書かれていた文字や紋様達が淡く光を発してゆく。
「ぐ、お、おぉぉぉぉぉ……!?」
同時に、男性を再現した闇の欠片の構成が崩れる。苦悶の声を上げながらその足元から光の粒子と変わっていく。
それはまるで砂で作られた城が波に浚われるかのように、男性という形を失ってゆく。
そして残った男性を構成していた欠片は、本来の在るべき場所へ還るかのように書の中へと吸い込まれて行き、全てを収めたところで書はパタンと閉じる。
この場に残ったのは、『王』のマテリアルである、夜天の主である八神はやてという少女の姿に良く似た、だけど纏う雰囲気はまるで違う彼女のその姿だけ。
「……さて、本来であればこの地に散った闇の欠片を集めるのは下々の務めであるのだが……、ふむ、我、自ら手を下すのも一興か」
既に彼女は先程まで目の前に居たザフィーラの事など思考の片隅にも乗っていない。
彼女は『王』である責務を果たすべく、夜の空へと背中にある六対の漆黒の翼をはためかせる。
確かに今の自分は王である自分を認識出来る程の自我を獲得している。
だが、所詮はそれも防衛プログラムが再生を果たす際に偶発的に発生した物に過ぎず、とても安定しているとは言えない状態。
王とは全ての中心であり、頂点に君臨する存在。それが揺らいでいるとあれば、従える者が纏まるはずも無く瓦解するばかりだ。
ならば今の彼女がするべきは、自身の在り方をより完璧とする事。
砕けた断片を集めて闇の書の闇を再構築し、更に進化させた領域に至る事だ。
そして、『王』である彼女は空を舞う。自身を満たす、そのために。