魔法少女リリカルなのはPSP =マテリアルサイド=   作:のぶな

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なお、これまでのシナリオとは違い、2作目の『GOD』設定を多く反映されています。


STAGE1

 

 打ち砕いたはずの闇の書の防衛プログラムが再構築を果そうとしている。だが、その由々しき事態を前に、平和を望む者達が黙って見過ごすわけも無い。

 無数にある次元世界を管理し、ミッドチルダと呼ばれる世界を中心に平和維持のために活動している機関、時空管理局が既に事態の収束に向けて動き出していたのだ。

 

 その行動は早かった。まだ発生した闇の欠片が本格活動をするより先んじて、その位置を捕捉。魔導師や騎士を派遣して撃破していく。

 元より、破壊不能とまで言われていた巨大な力を持つ存在を破壊して、何の影響も出ないとは楽観もいいところと時空管理局は見ていたのだ。

 闇の書の闇を破壊して一週間の時間を経ても、もしものためにと起こりえる内でも最悪のものを想定した余波被害に備えて警戒と監視を続けていた。

 それが、管理局の対応の早さの秘密だった。

 

 砕け散った闇の書の闇を再構築するべく発生した闇の欠片達は、時空管理局の局員や、現地協力者である嘱託魔導師達の協力もあって順調に対応される。

 悲しみや嘆きの記憶を再現され、自身の心を苛む破壊の衝動や負の感情に突き動かされる闇の欠片達は、倒される事によって苦しみから解放されていく。

 管理局は闇の欠片が発生させた結界の存在を即座に感知し、行動を起されるよりも先に対処しているため、被害らしい被害も出てきていない。

 

 だが、このまま調子よく事態は収束に向かうかといえば、答えは否だった。

 

 問題は闇の欠片の発生が、一週間前に起こったいわゆる『闇の書事件』によって被害が出た地域全般であり、その範囲が非常に広範囲かつ同時多発的である事。

 そしてもうひとつ。闇の欠片は倒しても倒しても、次から次へと際限などないといわんばかりに発生している事だった。

 

 今は管理局が闇の欠片に対して先手を取っている形ではあるが、対処可能数を超える数の闇の欠片が発生してしまった場合、現在の優位性は覆されてしまう。

 早急に闇の欠片が発生している原因を根本から対処しなければジリ貧になってしまう可能性も十分にあった。

 まだ現状が想定していた『最悪の結末』というほどではなく、対処可能範囲内に十分に収まるが、だからといって油断できるものではなかった。

 

 闇の書のもたらす永遠の悲劇の連鎖は断ち切られている。既に終わったそれを、再び引き起こす事など容認する事は出来ない。

 魔導師や騎士達は悲劇を繰り返さないそのために、それぞれの想いを胸に夜の空を翔けていった。

 

 時空管理局L級巡航艦「アースラ」に所属する執務官、クロノ・ハラオウンもそのひとり。

 若干14歳という年齢でありながら執務官という役職に付く彼は、幼い頃に父親を闇の書によって亡くしている。

 いくら彼の出身であるミッドチルダが就業年齢の低い世界であっても、父親を失うという事実は幼い心には辛いものがあっただろう事は想像に難しくない。

 本来なら闇の書に対して問答無用の憎悪を向けてもおかしくないくらいだ。

 

 だが、クロノ・ハラオウンという少年はそういった感情ではなく、自身の信念に基づいて行動していた。

 確かに闇の書に対して思うところはある。だがそれ以上に、自身の味わった悲しみを他の誰かに味合わせたくないという想いがその心にあった。

 

 執務官という役職に就いているとはいえ、14歳ではまだ子供。考えの甘さが抜け切っていない証なのかもしれない。

 それでも、間近で見てきた優しくて尊敬も出来て、だが思い込んだら一直線で無茶を厭わず行動を起す母親の姿や、魔法の師匠からの教え。

 そして亡き父親が自分の命を賭してまで多くの人を守ろうとしたその意志がクロノの中に息づいていた。

 

 故にクロノが戦う相手は何時も特定の誰かでは無い。悲しみに蹲る人に手を差し伸べるよりももっと先。

 誰もが「こんなはずではなかった」と言わなくなるような、不条理に泣かされる人が出ない世界を創るためにクロノ・ハラオウンという少年は戦うのだ。

 

 今回の事件において、これまでクロノが対峙してきた闇の欠片達はかつての闇の書の守護騎士達の記憶を再現した存在だった。

 その誰もが、自らを取り巻く不条理に苦しんでいて、本当は戦いたくなどないのにそれを強いられている事、抗う事が出来ない事を嘆いていた。

 その姿にクロノは自分の父親を奪った闇の書の関係者とは思わず、救うべき対象として捉えていた。

 

 この守護騎士達は再現された存在であり、いくら魔法の力を以ってしても過去の改変など叶わない以上、過去の記憶に囚われる守護騎士の苦しみを取り除く事は出来ない。

 出来る事は、既に守護騎士達を苛む過去と同じ事は未来に起こる事は無い。あるのは優しい主と共にある未来だと希望を伝える事。

 そして、これ以上悪夢の記憶にうなされないよう、闇の欠片の活動を停止させる事で精一杯だった。

 

 この行いが、本当に闇の欠片により再現された守護騎士の救いになったのかは分からない。もしかしたらただの自己満足に過ぎないのかもしれない。

 それが分かっていて、それでもクロノは自身の信念を信じている。闇の欠片とはいえ、嘆き悲しんでいる人を生み出す事を認めるわけにはいかない。

 闇の欠片は今このときも何処かで発生して、誰かの負の感情や想いによってその心は苛まれているのだろう。

 ならば自分に出来る事は、闇の書の復活の阻止は勿論だが、そんな闇の欠片達を生み出されないようにする事だろう思う。

 

 そうこう考えている内に、近くで新たに闇の欠片が原因であろう結界が発生したという通信がアースラから入る。

 何度かの闇の欠片との交戦をしてきたが、まだ余裕はある。ならば一番近くに居る自分が行くと通信の向こう側に応え、情報にあった場所に赴くクロノ。

 そこにはやはり結界が展開されており、術式パターンからこれもまた闇の欠片が生み出した結界であろう事は間違いなかった。

 

 ……この向こうには、また誰かの記憶を再現した闇の欠片が居る。

 それが誰のものであったとしても、やるべき事もやりたいと思う事も同じ道の上にあるのだから迷う事などあるはずも無い。

 ひとつ呼吸を挟んで気持ちを集中させると、クロノは結界の中へと突入するのだった。

 

 

 

 

 

 

 クロノが赴いた結界の中心では、ひとりの少女が所在なさげに佇んでいた。状況からあの少女がこの場に発生した闇の欠片であろう事は容易に想像が出来た。

 だが、ここまで来るまでに対峙してきた闇の欠片とは違い、怒りや悲しみといった負の感情からくる雰囲気は感じ取れない。

 むしろ、何処となく呑気な雰囲気を醸し出しているようにクロノの目に映る。

 

 「……そこの君。ちょっといいか?」

 

 予想していたものとは違う光景に気勢をそがれてしまうが、ここで立ち止まっていたところで事態は好転することは無い。

 相手は闇の欠片であるとはいえ、問答無用で襲い掛かってくる様子も無い相手に此方から一方的に攻撃を加えるわけにも行かない。

 闇の欠片の性質上、対話から穏便に事が済む可能性は低いだろうと分かっているが、まずはとクロノは声をかけてみる。

 

 「あっ……、良かった。人にちゃんと会えましたっ」

 

 なにやら困っていますと眉根を寄せていた少女だったが、クロノの呼びかけに心の底から安堵したと相好を崩していた。

 その柔らかな笑みからは邪気の欠片も感じられない。ここに来るまでに対峙してきた闇の欠片の雰囲気との差異に、クロノは僅かに怯んでしまう。

 

 「あの、すみません。ぶしつけな質問になりますが、ここは何処なんでしょうか。気が付いたらここに居て、よく状況が分からないんです」

 

 クロノの内心の困惑を他所に、少女は今更聞くような内容でも無いからとはにかむような笑みを浮かべながら疑問を口にする。

その落ち着きのある礼儀正しさは少女の醸し出す穏やかな空気と相まって大人びた雰囲気を感じさせる。

 

 「あっ、でも迷子とかじゃないと思うんですっ。ただちょっとどっちに行けばいいか分からないだけなんですっ」

 「いや、それを世間一般的に迷子と言うと思うんだが?」

 「違いますっ。私、迷子じゃありませんよっ」

 

 かと思えば、別に道に迷っているわけではなく、ただ道が分からないだけだと聞いてもいないのに迷子を全否定する主張を力強くしてくる。

 思わず反射的に思った事を口にしてしまったクロノだったが、少女の方としてはどうあっても迷子である事を認める気はないらしい。

 その幼い外見の通りのような子供のような見栄の張り方に、なんだか微笑ましいものを見るような気分が湧きあがってくるクロノだった。

 

 「……とりあえず君の質問に答えると、ここは第97管理外世界、現地呼称では『地球』と呼ばれている場所だ」

 「チキュウ、ですか……?」

 

 とはいえ、このままだと何処までも話が逸れて行きそうに感じたクロノは、軌道修正にと少女の質問に答える。

 憤りを見せていた少女も、何時までも迷子疑惑について語り合いたくないとクロノの答えに応えるが、訝しげに首をひねってみせるばかりだった。

 その姿に、第97管理外世界という言葉にも地球という言葉にも聞き覚えがないのだろうという事を見て取るのは簡単な事だった。

 

 だが、そう考えるとこの少女には不審な点が浮かび上がってくる。

 

 闇の欠片が再生するのは、その前身の関係もあり闇の書に関わった者に限られる。つまりは闇の欠片が象る姿は、闇の書に蒐集された人物である可能性が非常に高い。

 だが、この第97管理外世界の住人は基本的に魔法の素となる魔力を精製する器官であるリンカーコアを先天的に持っていない。

 そのため、極自然に飛行魔法を使っているこの少女は、先ほどの反応も加味して魔法文化の存在しないこの世界出身ではない事は容易に想像できる。

 一体何故違う次元世界出身の少女の記憶が、この次元世界において闇の欠片として再現されているのか?

 

 次に、闇の欠片は「その地に沈んだ記憶」を介しているという条件だ。

 もしこの少女がこの世界とは違う次元世界出身だというのであれば、闇の書にリンカーコアを蒐集されたにしてもその次元世界において闇の欠片として発生しているべきなのだ。

 

 もしこの第97管理外世界で少女が闇の書となんらかの関わりを持ったというのであれば、この地で闇の欠片として再現される可能性もある。

 だが、管理世界の住人が管理外世界に移動する事は管理局で基本的には禁じられているし、こんな幼い少女がこの世界に来る理由も思いつかない。

 そもそも、被害に対する補償の発生する可能性もあると、執務官として闇の書事件後に守護騎士からの調書を下に被害に遭った人の調査を行なったりもしている。

 だが、その中にこんな少女の姿をクロノは見た覚えがない。

 

 「……僕の方からも質問させてもらうが、君は自分の現状を何処まで理解している?」

 

 今クロノが考えた闇の欠片の性質は、これまでアースラスタッフが集めた情報の下に推測されたものだ。もしかしたら事実とは違うかもしれない。

 この少女にしても、クロノが知り得ないだけでこの地で闇の書となんらかの関わりを持っていたのかもしれない。

 それでも何か予感のようなものがあるクロノは、自らの脳裏に鳴り響く正体不明の警鐘の真偽を確かめる意味も込めて直接少女に問いかける。

 

 「私の現状、ですか? ……いえ、さっきも少し言いましたが、私は気がついたらここに居ただけで、どういう状況なのかもまるで分からないです」

 

 少女の方もクロノの真剣みを感じ取ったのか、問いの意図は分からずとも真摯な態度で応えてみせる。

 何か重大な事を訊ねられていて、あまり実のあるような答えを用意出来なかった事に少女は答えながらも申し訳なさそうに目を伏せる。

 

 「……そうか」

 

 その姿に、クロノは嘘をついていないし、隠しごとをしていないだろうと結論づけた。この少女は、おそらくは本当に何も知らない。

 闇の欠片が記憶を元にしているとはいえ、防衛プログラムの砕け散った残滓ぐらいの情報処理能力では、人の保有する全ての記憶を保持させる事は不可能だ。

 故に闇の欠片は強い思念であり、自らと親和性の高い負の感情を介しているのだ。それ以外の記憶が欠落している事の方が余程自然だ。

 

 故に、クロノは少女の素性について考える事はひとまず棚上げにする事にする。

 一息を挟んで気持ちを切り替えると、此処に来た目的を果たすために改めて少女に諭すように語りかける。

 

 「……今の君は、夢を見ているような状態なんだ」

 「夢、ですか……?」

 

 何も知らない、というより記憶その物を持っていない少女は、クロノの言った意味が分からず、オウム返しに聞き返していた。

 その純粋な対応にクロノは何か心の温まる物を感じるが、それで止めるわけにはいかないと言葉を続ける。

 

 「──闇の欠片。現在この地ではとあるロストロギアの残滓が、魔導師や騎士達の記憶を再生させた存在が幾つも発生しているところなんだ。

 そしておそらくは……君もそのひとり。君はさっき自分がどうしてここに居るか分からないと言っていたが、それも当たり前のことなんだ。

 何故なら、本当の君は最初からここにはいなくて、記憶を再現される以前の事は覚えていないのではなく、元々、ここに発生する直前の記憶そのものがなかったのだから」

 「はぁ……?」

 

 些か簡潔に過ぎるような気もするクロノの説明を受けて、少女は自分の予想の斜め上を言った内容に困惑を覚える。

 だがクロノの真剣な眼差しに冗談を言っているようではない事は十分に感じられたし、今の少女の現状と辻褄も合わない事も無い。

 それに、何となくではあるが、少女はクロノの言葉が真実であると理解していた。

 

 「う~ん、一応ですけどなんとなくは分かりました。……ただ、それなら君は私の事をどうしたいんですか?」

 

 理解した上で、ならばその闇の欠片であるであろう自分はどうなるのか。

 問うまでもなく、魔導師の戦装束でもあるバリアジャケットに身を包む目の前の人物の出で立ちを見れば闇の欠片にされる対処は少女にも想像できる。

 

 「……すまない。君にとっては不本意でしかないかも知れないが、このまま何もせずにもう一度眠りについて欲しい」

 

 そして、クロノの答えは少女の想像を肯定するものだった。

 悪を成そうとする意志も無い相手を倒さねばならないという事を実際に言葉にしてみると、クロノは内心で苦虫を噛み潰したような想いが湧き上がってくるのを感じる。

 だが、ここで少女を見逃すわけにも行かない。故にクロノは自分を律するように僅かに奥歯を噛み締め、しっかりと少女に告げていた。

 

 「そうですか。やっぱりそういう話になるんですね」

 

 自身が闇の欠片であるという自覚のない少女ではあったが、ただ漠然と闇の欠片が放置されたらどうなるかを予想できていた。

 その結果を思えば、クロノの行為も行動も正しいのだと少女も認めるところだ。

 故に、少女はクロノの言い分は何も間違っていないと言うように儚げに微笑みながら頷くのだった。

 

 「ですけど、君が私に謝ることは何も無いですよ。だって、謝るべきなのは私のほうなんですから」

 「……それはどういう事だ?」

 

 だがその直後、それまでクロノを肯定するような物言いから一転、拒絶の意志を示していた。

 その言葉は、闇の欠片として現れた自分のおかげで手間を掛けさせてしまったと解釈する事も出来る。

 だが、控えめながらも不遜な態度で目の前に立つ少女の意図が違う事は明白。

 何処か穏やかだった雰囲気はもう終わり。徐々に空気が戦いのそれへと変わるように張りつめていくのを感じて、クロノはデバイス持つ手に力が籠る。

 

 「すみません。お話は分かりましたが、折角こうしているのにすぐ眠っちゃうのは勿体無い気がするんです。だから、私もちょっと抵抗しちゃいます」

 

 確かに理解はした。だが、納得するかどうかは別問題。

 

 少女はクロノの言い分を理解し、その行為は正しいものだと認める。だが、いくら正しいとはいっても、はいそうですねと消えてもかまわないなどとは到底思えない。

 故に、自分が消える事に納得が出来ないというのであれば、あるのは抗戦のみ。

 

 「白兵戦プログラム・ロード」

 

 少女の足元に展開されるのは、クロノも使うミッドチルダ式の円形ではなく、ベルカ式の魔法特有の三角形を基調とした魔法陣。

 ただ、闇色の黒い色彩の魔力光を放つそれは、近代ベルカ式と称されるものとは違う。純正の古代ベルカ式系の魔力パターンで描かれたもの。

 それが少女の意志に呼応するように輝きを深め、少女の求める結果をここに導き出す。

 

 「……あれ、システムエラー? 白兵戦プログラムのダウンロードに失敗。でもまあいっか。システム『魄翼』を出力2%にて展開」

 

 何か不具合があったらしく困惑を浮かべるが、それをあっさり流すと少女の戦うための武装が展開される。

 それは少女の背後に翼のように展開される『闇』そのもの。明確な形持たず揺らぐ破壊のための力はその力を振るう刻を今か今かと待っている。

 

 「これは……!?」

 

 戦闘態勢に入った事で開放された魔力の気配は、クロノの知る中でも最大級の魔力保有量を誇る八神はやてを明らかに上回っている。

 戦いとは無縁そうに見える幼い少女はしかし、強大な力を以ってそこに存在していた。対峙するクロノは全身にのしかかるような威圧感に驚き目を見開く。

 

 「……そうか。それが君の意志なのか」

 

 だが、クロノが体を硬直させていたのは一瞬。静かに閉じ、そして次に開かれたなら確固とした意志の宿った黒い瞳で他者を圧する雰囲気の少女と正面から向き合っていた。

 お互いに相手の意志は認めるに値するものであると分かりあっているという点に置いては、ある意味和解は成立したとも言える。

 だが、それぞれにこれ以上の譲渡はあり得ない事も明白であるのなら、あとはその意志を貫いて押し通すために激突する事は必定。

 

 仕方が無く、ではなく、自らの選んだ結果として。

 

 力づくの戦いで雌雄を決するやり方はあまりクロノの流儀と言えるところではないが、嫌だ嫌だとあれこれ言い合うよりも、思いの丈を全力でぶつけ合った方が後腐れも無い。

 一体自分は誰に毒されたのだろうかと思い、全力でぶつかり合い、今では無二の親友同士となった少女達の事を思い浮かべ、内心で苦笑する。

 

 「ならば僕も、全力で相手をしよう」

 

 だが、そんな想いはおくびにも出さず、クロノは手にした愛用している魔導師の杖たるデバイス『S2U』を構える。

 見据える先に在るのは、黒き闇を翼と成して纏い悠然と佇む少女の姿。

 

 「さあ、行きますよ……!」

 

 そして少女のその一言が、戦いの始まりの合図だった。

 おもむろに振りかぶられた少女の右腕に呼応するように、闇の翼は見る者に本能的に恐れを抱かせるような禍々しくも凶悪異形の巨腕へと形を変える。

 それは無造作に腕を振り下ろす少女の動きをトレースするように、相対する敵たるクロノへと一切の遠慮もなく振るわれる!

 

 「ふ……っ!」

 

 目の前に迫り来る凶爪という脅威に、クロノは防御という選択肢を即座に捨てる。咄嗟に大きな回避運動を取る事で異形の巨腕の猛威から逃れる。

 それはいくら初撃とはいえ、見合った状態からこれ見よがしに放たれた攻撃に対してはオーバーとも取れる回避行動だった。

 

ミッド式魔導師はクロスレンジをそれほど得手としていないが、クロノの技量を思えば相手の攻撃を受け流してカウンターを叩き込む事も出来たはずだ。

 だが、クロノには少女の攻撃を防ぐ事も受け流す事も出来るビジョンが見えなかった。防御も迎撃も、異形の巨腕に触れたならねじ伏せられる光景しか想い描けなかった。

 クロノは自分の実力を正確に把握している。出来るかどうかも分からない選択肢に賭けるべきではないという判断の下からの回避行動だった。

 そして回避をしながら、クロノは即座に次の行動に移っていた。

 

 「スティンガー!」

 

 それなりの距離を置いてからクロノは小型の魔法陣、詠唱不要の高速起動魔法を発動させる。

 クロノの持つデバイス『S2U』はインテリジェンスデバイスのようなAIの搭載をしていないが、その分のリソースの振り分けにより処理能力に優れている。

 デバイスの自律思考による魔法発動や補助は得られないが、このような魔法の高速発動はお手の物だ。

 

 「ショット!」

 

 眼前に浮かび上がるのは、クロノの魔力光である水色の輝きを放つ直射型射撃魔法であるスティンガーレイの発射体である球体が五つ。

 そこからそれぞれ順次時間差をつけて、高速で飛翔する魔力弾を打ち出していく。

 誘導性は無いが、ナイフのように鋭く研ぎ澄まされ、時間差によって高速で放たれるそれは、防御されたなら相応に魔力を削り、回避されたならその先に追い込んで行くだろう。

 無論、コレで倒せるなどとは思っていない。分かりやすく放たれたこの魔法に対する対処の仕方から、少女の手の内を予測するつもりだ。

 

 「む~……、えいや~っ!」

 

 そして少女の取った対応は、右腕を振りぬいた体勢から今度は左腕を思いっ切り振り上げるというものだった。

 幼い体躯でそのような行動を取ったところでなんら脅威にはならない。だが、少女の纏う闇の翼がそれを脅威のそれへと昇華する。

 先に右腕の時と同じように、少女の動きを模すべく闇は異形の左腕を形成して大気を切り裂くように下から上に向かって振り抜かれる。

 それは右腕で放った時以上に大きく振るわれ、遠心力に引かれるように伸びてくる。

 

そう、ひとまずの安全圏まで退避したと思ったクロノの居る地点を抉るように……!

 

 「く……っ!?」

 

 少女の放ったものは迎撃ではなく、クロノの放った魔力弾などまるで眼中にないといわんばかりの、先に放った攻撃からの追撃であった。

 実際、少女へ放たれたはずの水色の刃は、異形の腕の前に突き刺さるどころか一方的に打ち砕かれるばかりで僅かな侵攻の遅れを引き出す事も出来ない。

 

 背筋を駆け上がってくる怖気にクロノは即座に射撃魔法の制御を放棄して退避すると、一瞬遅れて自分の居た地点を黒い影が通り過ぎていった。

 後には何も残っていない。まだ射出していなかった魔力弾の発射体は、異形の腕の侵攻に飲み込まれて抉り取られてしまっていた。

 クロノのスティンガーレイの魔法は、刃のように硬く鋭く魔力を圧縮した魔力弾であり、それなりの威力があったはずだった。

 なのに、現実にはまるで歯牙にもかけずかき消さ、少女の方にも魔力が削られた様子も無い。

 もし一瞬でも回避が遅れてあの攻撃を受けていたらと考えると、心胆寒からしむ思いが湧きあがってくる。

 

 だが、圧倒的な力を間近で見た事による緊張から跳ねあがった心拍数に反して、クロノはあくまで冷静にほんの僅かな交戦の中で齎された情報を考察していた。

 クロノが僅かな情報も漏らさないと少女の姿を観察していると、振り抜かれた異形の巨腕がまた元の闇へと還り、再び少女の背後に付き従っていた。

 どうやらあの『魄翼』という名らしい闇が少女の武装であり、実体化するほどに膨大な魔力を圧縮したもので殴りつけるというのが少女の戦闘スタイルであると当たりをつける。

 シンプルもいいところな攻撃手段ではあるが、間近に見た空間そのものを抉るような一撃の威力と、思いの外広い攻撃範囲はそれだけで脅威であるとクロノは思う。

 

 しかも驚くべき事に、この段階でも戦闘力は魔導師ランクで言えばSランクをオーバーに値するだろうというのに、少女は最初に「出力2%で展開」と言っていたのだ。

 つまり、少女の本気は単純に考えても現段階の50倍は強いという事になるのだ。

 その時の様子からして、何らかの不具合があったらしく全力は出さないのではなく出せないのだろうとは思う。

 だが、底の知れない力にクロノは空恐ろしいものを感じる。

 

 ……もとより、クロノの魔力資質はそう高くない。

 

 放出、収束、展開、操作……。魔力を運用するための様々な資質を個性としてそれぞれの魔導師達は保有している。

 それを、当人の志望や意志などによって得意分野を伸ばしたり苦手分野を補ったりして魔導師としての技量を上げていく。

 だが、クロノの場合は魔力の保有量こそ普通よりも多かったが、肝心の魔力資質に関してはそのどれもが平均かそれを下回る程度のものしかなかった。

 万能というには能力値が低く、器用貧乏と呼ぶにようやく届くかもしれないレベル。コレといった武器を持っていないため、才気あふれる人と比べるとどうにも見劣りする。

 目の前にいる少女などとは、当然のように比べるべくもない。

 

 「む~っ、どうしてそんなに避けてばっかりなんですかー!?」

 「悪いがっ、君の攻撃は喰らいたくないんだ、よっ……!」

 

 それでも、クロノは圧倒的な力を持つであろう少女を相手取って、勝利を収める気に満ちていた。

 次々と繰り出されてくる少女の攻撃に、受けるという選択を愚策としたクロノはその軌道をしっかりと見極めて回避を重ねる。

 巨腕を掻い潜る動きはお世辞にも素早いと言えるものではないのに、まるで予定調和のように捕らえる事が出来ないでいる事に少女は拗ねたように不満を表す。

 対するクロノは、実際のところを言えば一度でも捕まったらアウトという状況に極度の緊張を強いられている身からすれば余裕があるわけでもない。

 それでもまだまだ余裕があるとでも言うかのように少女の言葉に応えながら、来るであろう好機を見逃すまいと集中を続ける。

 

 「えいりゃーっ!!」

 「……此処だっ、──アクセル!」

 

 そして待ちに待った瞬間を、クロノは逃さずしっかりと手にする。

何時まで経っても当たらない事に業を煮やしたらしい少女の大振りな一撃を避けると共に、クロノは高機動魔法を発動させて一気に距離を取る。

 それまでの緩やかと呼べる程の速さから一転しての鋭い動きが齎す緩急の差に咄嗟に少女は反応出来ずに、一瞬クロノの姿を見失ってしまう。

 

 それはまさに狙い通り。この一瞬を生み出すために、此処まで殆ど高機動魔法を使わないで避けて来たのだ。

 そのまま観察してきた中で少女の『魄翼』から変化した巨腕が届かないと見定めた地点まで距離を取りつつ、デバイスの先端を少女に向けて魔力をチャージする。

 

 「カノン!!」

 

 処理能力の優れたストレージデバイスの本領発揮と、マルチタクスを駆使して避ける中で既に準備していた術式にチャージした魔力が効率的かつ迅速に流される。

 それは秒にも満たない時間で高威力を叩きだす砲撃魔法を放つためのした準備を整え、そして水色の魔力光による奔流となって少女へ向けて放たれる。

 

 「ふわっ!?」

 

 今まで一方的に攻撃を加えていたところに突如として、その上意識の死角より齎された攻撃に少女は驚き戸惑う事で足を止めてしまう。

 だが、そんな少女の反応とは無関係に『魄翼』は迫りくる砲撃魔法を脅威と判断、自動防御が発動して少女の身を包み込むように闇の翼を広げる。

 直後、一直線に放たれた水色の輝きが闇の翼へと直撃する。水色は闇色を穿つべく突き進もうとし、闇色は少女の身を守るべく水色の進行を阻む。

 

 そして二色の魔力の輝きの激突は、爆発という形で決着をつける。

 クロノの放った砲撃魔法は少女の守りを突破する事が叶わず、行き場を失った魔力が砲撃という指向性を失った結果に爆発を引き起こしたのだ。

 無論、防御をし切った少女にダメージは無い。だが、爆発によって発生した魔力の霧という水色の入り混じる爆煙に周囲の視界を奪われていた。

 

 対峙していた黒いバリアジャケットの少年は何処に居るのか。

 そう思って探そうとする少女だったが、それを実行に移すのに先んじて爆煙を突き貫けるようにして水色の閃光が視界に奔る。

 爆煙に紛れて放たれた射撃魔法は、少女の体を宙に縫いつけようとするように一直線に、高速に次々と飛来してくる。

 

 「こんなもの……!」

 

 普通ならこのタイミングで放たれた射撃魔法に喰らうにしろ防御するにしろ少なくない損害を受けるところだろう。

 だが、少女はこの攻撃が自分に対する脅威にならない事を既に知っている。取るに足らない物に恐れる必要はない。

 それよりも、これは直射型の射撃魔法。つまり、視界を覆う魔力の霧にその姿を見る事は叶わずとも、射撃魔法が飛んでくる先にあの少年は居る。

 

 そう思った少女は最初の時のように右腕を振りかぶると、思いっ切り振り下ろす。

 少女の影のように付き従う闇は異形の腕という形を成して、いくつも飛来する魔力弾の発射地点を薙ぎ払う。

 それは周囲に立ちこめる砲撃魔法の残滓である爆煙も例外ではない。霧もまた力任せにふり払われ、少女の視界を遮るものは全てかき消される。

 故に少女は何にも阻まれる事無く、自らが振り抜いた異形の腕の結果を瞳に収める事が出来た。

 

 「え、居ない……!?」

 

 巨腕が薙ぎ払われて通り過ぎたその場には、予想していた人影は何処にもなかったという光景があった。

 確かにそこには魔力弾の発射体である球体が浮かんでいたが、少年の姿は無い。もし咄嗟に避けたというのであれば、この距離で視界の外に出られる程少年は早くないはずだ。

 それはつまり、クロノは射撃魔法の発射体が設置されてから発射されるまでの間に、既にその場から離れていたという事。

 

 今の少女は完全にクロノの事を見失っていた。それはクロノにとって魔力をチャージした上で魔法を完成させるには十分過ぎる時間を与えていた。

 きょろきょろと見渡してクロノの姿を探していた少女の周囲に、不意に水色の輝きを放つリングが浮かび上がる。

 

 「これはバインドッ!?」

 

 拘束魔法の発現のそれだと気付いて回避行動を取ろうとする少女だったが、他の魔法よりも練度を上げているクロノのそれは対象を逃がさない。

 取り囲むように広がっていたリングは中心に向けて集束して少女の肢体を捕らえていた。

 

 此処に来てようやく少女は視線の先にデバイスを掲げている少年の姿を捉える事が出来た。

 そのクロノの足元には水色の円形をした魔法陣が展開されると共に、魔力が高まっていく。爆煙に紛れての移動と拘束魔法によって稼がれた時間だけ、魔力はチャージされる。

 宙に捕らえられた少女の姿を指し示すように手にしたデバイスの先を構える。

 

 「だけど、これくらいじゃ私は止まりません!!」

 

 それを見て、ここまでを見事に嵌められていたのだと少女は知る。

 知って、事もあろうか少女は何の小細工も無い、単純に力任せに肢体を縛る水色に煌めく魔力のリングを引きちぎっていた。

 入念に術式を組まれた拘束魔法は堅固であり、早々容易く抜け出せるわけがない。クロノが自信を以って発動させたこの魔法は力任せに破れるものではない。そのはずだ。

 だというのに、実際に拘束魔法で少女の動きを封じていられたのはほんの僅かな時間でしか無かった。

 

 「たぁぁぁぁーッ!!」

 

 拘束を無理矢理に剥がした少女は、そのまま一直線にクロノへ向けて飛翔する。

 完全に足を止めて魔力チャージをしているクロノに逃れるすべはなく、タイミング的に見てもクロノが魔法を放つより少女が繰り出す攻撃の方が早い。

 これで決着をつけると、接近の勢いのままに巨腕を振るうべく少女は振りかぶる。

 

 「……驚いた。もしものために保険をかけておいて良かったよ」

 「!?」

 

 これで終わりだと踏み込んだその瞬間、少女の足元から鎖が伸びて少女に絡みつくようにして体の自由を奪う。その鎖を構成する魔力の輝きは水色。間違いなくクロノの物だ。

 今まさに攻撃を至近距離から放とうとした少女はしかし、逆にクロノの目前で決定的なまでの隙を作らされてしまった。

 

 だがおかしいと少女は思う。クロノは現在魔力チャージ中ではあるが、その他の魔法を使った様子など何処にもない。

 だというのに、一体今の自身を拘束している魔法は何時、どうやって使われたのかがまるで分からなかった。

 

 その正体は、『ディレイドバインド』と呼ばれる設置型の拘束魔法。先に指定した特定空間内に侵入したものに対してオートで発動。その身を拘束するといった魔法だ。

 二種類の拘束魔法。少女はまったく気付かなかったが、これをクロノは現在の魔力チャージの前に詠唱をして設置しておいたのだ。

 

 

 現在のクロノが周囲からは魔導師ランクAAA+という評価を得ている。

 AAA+というランクは数多の次元世界に跨って存在する規模を誇る時空管理局内でも5%以下という人数しか居ない事を鑑みればどれ程の高評価なのかは推して知れる。

 能力的に見ればごく平凡の範疇で頭打ちになるとはずなのに、一体どのような手段を以ってクロノはそのレベルまで至ったのか。

 

 答えは単純にして明快。努力した。ただこの一言に集約される。

 特に秀でたものを持たないクロノは、誰にも負けない一個の武器を持つ事は出来ないという事実を認めた。認めて、『平均的な魔力資質』という魔力資質を鍛えて来た。

 

 全ての資質をまんべんなく鍛えるというそれは、得意とする一個の分野を伸ばすのに比べて効率は悪い。

 それでもクロノは自分に出来る事はこれだとして努力を重ねて来た。

 

 高機動魔法で縦横無尽に空を飛翔出来る人をみると、憧憬の念を感じる事もある。

 自分がどれ程力を振り絞っても出しえない出力で砲撃魔法を放つ人に嫉妬した事もある。

 どう足掻いたところで本当の天才と呼ばれる人種と同じ事をすることはできない。それでもクロノは諦めるという事が出来る程往生際が良くなかった。

 

 相手が素早く動き回るというのであれば、その動きを封じればいい。

 相手が高い威力の魔法を使うのであれば、それを使わせなければいい。

 

 どんなに才能に秀でた人であろうとも、苦手とする部分は必ずある。相手の土俵で勝負にならないというのであれば、それ以外で勝負をすればいい。

 その為にクロノは多岐にわたる魔法を収めた。戦略と戦術により状況を操作するすべを勉強した。どのような状況でも立ち回れるように体を鍛えた。

 

 魔法の師匠にして物覚えはあまり良くないと言われたクロノであったが、此処に至るまでどれ程の努力を重ねたのか……?

 当人が己の努力を誇示しないため、他者にそれを窺い知るすべはそう多くない。

 

 だが、間違いないのは努力して培ってきた物は裏切る事はない。努力は努力した分だけ確実に力となるという事。

 ひとつひとつは微々たるものであったとしても、折重ねられたそれは山となる。

 最初から強い、才能のある人には持つ事が出来ない強さ。それがクロノ・ハラオウンの強さの秘訣。

 その結果が、今ここに在った。

 

「さあ、チェックだ」

 

 対峙する少女は強いとクロノは認める。身のこなし自体は大味でどうにも素人臭いというのに、その身に纏う『魄翼』は少女の拙い動きを脅威へと容易く変える。

 アレだけの力があるのだから、何の小細工をしなくても敵は居ないと言う程なのだから全く以って末恐ろしいものがあるとクロノは思う。

 

 それでもクロノは負けない。それだけの自信を裏打ちする努力が、クロノにはある。

 

 今は拘束魔法で捕らえられているが、少女の持つ力ならほんの僅かな時間しか持たない事は明らかだ。

 だが、拘束が解かれるよりも、クロノの魔法の方が早い。

 

 「――ブレイズカノン!!」

 

 目の前で隙を晒す少女の体にデバイスの先端を突き付けると共に、最大まで魔力チャージした砲撃魔法を至近距離から解き放つ。

 膨大な魔力を乗せたそれを少女には避ける事も防ぐ事も叶わない。その上、体を拘束されているために衝撃を受け流す事も不可能。

 そんな状況で直撃を受けた少女は、生じた身を縛る鎖を引きちぎる程の爆発の衝撃を一身に受けて吹き飛ばされる。

 

 「やったか……!」

 

 クロノの手には、これ以上ないくらいの手ごたえを感じていた。

 あの距離なら威力減衰も無い。クロノが出来るうる中でも最大級の一撃だったのだ。

 いくらあの少女の力が凄まじくても、これを受けて無事で居られるわけがないとクロノは自らの放った砲撃魔法によって発生した爆煙を静かに見やる。

 

 「ハッ」

 「何ッ!?」

 

 だが、それは油断に他ならなかった。

 軽快な掛け声がクロノの耳に届くと共に、クロノを取り囲むように闇色のリングが浮かび上がり、中央へ向けて集束していく。

 それが何を表すのかを悟りクロノは危機感から焦燥に駆られるも、油断から弛緩した集中力と体は咄嗟の反応に従わない。

 逃れるべく駆けだそうとするのに先んじてクロノの手足は先ほどの仕返しと言わんばかりに逆に拘束魔法によって囚われてしまう。

 

 肢体を縛るリングはクロノの目からすれば術式の構成が甘いように見えるが、膨大な魔力に飽かせて作られたリングはクロノがいくらもがいてもびくともしない。

 それでもこのままではマズイと必死に足掻きながら術式に干渉してバインドを解こうとする中、クロノと少女の間に在った砲撃魔法の残滓が風に流れて消えていく。

 

 消え去った爆煙の先には、波打つ金髪を持つ、袴姿の幼い少女が変わらず在った。

 うつむき加減にいるその姿は表情を窺えないが、ああしてそこに居る以上クロノの一撃を耐え切って見せたのは明らかだった。

 

 「今のは……」

 

 さして大きくも無い声で少女はポツリと呟くが、それは不思議とクロノの耳にはっきりと届いた。

 嵐の前の静けさを思わせる少女の雰囲気にうすら寒いものを感じながらもこの状況を打開するためにクロノは全力を尽くす。

 それでもクロノに拘束魔法は破れない。クロノの体感で長い時間を経て、少女はうつむいていた顔を上げて真っ直ぐにクロノの事を睨みつける。

 

 「今のはちょっと痛かったですよーっ!」

 「いや待てっ、君はアレを『ちょっと』で済ますのか!?」

 

 涙目になって痛さをアピールしてくる少女に、思わずクロノは言い返してしまっていた。

 渾身の一撃を、しかもこれ以上ないくらい直撃させたというのに、その感想が「ちょっと」だというのはクロノからすればやるせないにも程がある。

 確かに少女の纏う衣服は少し煤けている程度にしかダメージが見て取れないが、それでもとクロノはもの申したい。

 

 「本当に痛かったんですからねっ。仕返し、行きますよ~! ──ジャベリン!!」

 

 だが、そんなクロノの言葉は何の意味も齎さなかった。

 掲げられた少女の手の平に闇の炎が燃え上がる。それは通常の炎のように熱量と共に力を発散する類いのものではない。

 魔力の塊であるそれは押し固められ、鋭利な先端をクロノへと向けた状態で形を成して宙に浮かぶ。

 それは投げ槍。『魄翼』の形成するバリエーションのひとつであり、異形の巨腕と同じ禍々しい色彩を放っている。

 込められた魔力量もまたとんでも無い事を感じて、クロノはあれを受けてはいけないとより一層の危機感を覚える。

 

 「せい~の……、えいやーッ!!」

 

 少女はそれを全身を捻るようにして、本人としては大まじめなのに聞く者は気が抜けてしまうような微妙な掛け声を共に投げつける。

 だが、掛け声がどんなものであれ、実際に凶悪な力を突き付けられるクロノからすればそんな事で気を抜けるわけがない。

 明らかにクロノのバリアジャケットの防御力を上回る攻撃力をあの槍は持っている。その上、少女の魔法に非殺傷設定がされているようには見えなかった。

 故にクロノは、少女の掛け声にむしろ逆に差し迫る絶望とのギャップに恐ろしさは倍増するような想いを抱いてしまう。

 

 「くっ……、よしバインドブレイクッ。おぉぉぉぉっ!!」

 

 それでもクロノは、ここで諦めて思考を停止させない。まだ終わりではないと自身の心を染めようとする絶望に全力で抗った。

 巨大な杭を思わせる槍が眼前一杯に広がる程になって、それでもギリギリ間にあってクロノは自身を拘束する闇色のリングの術式に干渉、破壊する事が出来た。

 バインドの破壊に魔法のリソースを割いていたため、防御の態勢を取る事は出来ない。そのまま、まだ間に合うと恥も外聞もかなぐり捨てて、とにかく全力で回避行動を取る。

 

 「う、ぐわぁぁぁぁぁっ!?」

 

 体裁も無視して転げまわるようにしての回避は功を奏したのか、辛くも槍の射線上から逃れる事は出来た。

 だがその代償は安くは無かった。完全に崩してしまった態勢のところに掠めるように、本当にギリギリのラインで槍は通過していった。

 その余波だけで、クロノの魔力は根こそぎ削られてしまう。自身の中から喪失する魔力に苦悶の声を堪える事も叶わず悲鳴を上げてしまう。

 

 「う、くぅ……っ」

 

 痛覚に意識が染め上げられそうになるが、クロノは錐揉み状態で吹き飛びそうになるところを何とか踏み止まって魔方陣を展開、それを足場として地に足をつけるように態勢を整える。

 だが、後が続かない。一応は飛行魔法を維持する程度には残っているが、このまま戦闘を続行出来るかといえば難しいと言うのが現状。

 もしこのままたたみかけられたらマズイと、その脳裏には打開するための策を考え巡らせながらも危機感が募ってくる。

 

 「あ、すいません、大丈夫ですか?」

 

 だが、その考えはあまり意味の無いものとなっていた。

 少女は勢いのままでクロノにトドメの攻撃を繰り出したが、元々そこまで戦いを望んでいた訳でも無い。

 むしろ、自分でやった事ではあるが、投げ槍の齎した見た目のインパクトに湧き上がった怒りに冷や水を掛けられた想いを抱いたらしい。

 追撃の事など露と考え付かず、相当なダメージを負ったであろうクロノの身を案じていたのだった。

 

 「……これでも一応鍛えているからな。君に心配されるほどじゃないさ」

 

 馬鹿魔力で思いっ切り攻撃して来てから言うセリフではないだろうとクロノは思ったが、そもそも油断した自分が悪いのだからとも思うのだから少女の事は責める気はない。

 それよりもクロノとしては闇の欠片である少女を、ダメージを受けたからといってそう易々と見逃すわけにはいかない。

 その気になればまだ十分に戦えると、気勢を張って少女に応える。

 

 「そうですか、なら良かったです。……では、そういう事で!」

 

 死なれてしまっては寝覚めがわるかったが、ひとまず大丈夫だと言うのなら一安心と少女は安堵する。

 そして片手を上げて、爽やかにそのまま去ろうとする。一体何がそういう事なのかはさっぱりではあるが、何とも清々しい笑顔でそんな事をのたまう少女。

 あまりに堂々としているため、思わず頷いてしまいそうだった。

 

 「な、待てっ!」

 

 だが、クロノは今にも行ってしまいそうなその背中を呼び止める。

 確かに痛手は受けたが、決定的な一撃では無い。戦いはまだ終わっていないと話しかける。

 

 「待ちません。私としてはこれ以上戦う意味も無いと思いますし」

 

 ただ、闇の欠片の撃破が勝利条件のクロノに対し、少女の方からすればクロノは何が何でも倒さなければならない相手というわけではない。

 むしろ、少女にとって戦いは余事に他ならない。クロノはまだ戦えるとは言っても、ここで離脱したならすぐに追って来られないぐらいのダメージが在るのは見てわかる。

 ならばもう少女にとっての勝利条件は満たされているようなものなのだから、いくらクロノに呼び止められても応える程の理由は何処にもなかった。

 

 「というわけで、私は逃げちゃいますね」

 

 故に少女は、クロノの事を背中に飛行の補助に改めて闇を翼として展開、この世界の空へと飛び立ってゆくのだった。

 この場に残ったのは、今度こそ呼び止める事が出来ずに取り残されたクロノの姿、ただひとつだった。

 

 

 

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