ホシノ「私で童貞捨てたくせに……」「童貞ですけど!?」 作:群缶
Q.ホシノ視点って無いの?
A.全部ネタバレになるから無いです。もうちょい進むと出てきます。
「……」
「……」
夕暮れ時。からっとしたそよ風と、どこかの家が作っているであろう、夕食のいい匂いが学校の終わり、というのを感じさせる。
そんな放課後。アビドス高等学校から、自宅へと帰宅する道を歩く自分と、もうひとりの足音だけが静かに響く。
学校を出てからまだ数分、とはいえ知らない仲ではない相手と無言で歩き続けるというのは、少しだけ気まずいものだ。
気付かれないように、そっと目線を横にずらす。そこにいるのは、ひとつ上の先輩・小鳥遊ホシノ。
どうやら、彼女も俺と同じように気まずさでも感じていたのか、こちらを見ていたようで、目が合ってしまう。
別段、悪いことをしていないけど、すぐに視線を戻す……いや、戻そうとしたのだが。
「……なぁに?」
「あ、いえ……」
「ぅへへ……」
「は、はは……」
小鳥遊先輩は気まずさなんて感じていなかったようで、俺の顔を見たとたん、嬉しそうに微笑みながら言葉を投げかけられてしまった。
元から可愛いと思っていたけど……さっきの一件、そして夕焼けに照らされてか、はたまた別の理由でか。少し赤くなった彼女の微笑みを見た瞬間、どくん、と心臓が跳ねた。
誤魔化すように、何でもないと言って前を向いたが嬉しそうに笑う小鳥遊先輩の声に、照れ臭くなって頬を掻く。
きっかけはちょっと情け無いことだけど、なんとなく話せる空気になったと感じて、勇気を持って口を開く。
話題に出すのは、今のこの状況について。
「あの、どうして俺と帰りたかったんですか?」
色々な意味で大盛り上がりした会議のあと、こっそりと小鳥遊先輩から、一緒に帰れないか、と聞かれた。
断る理由は、まぁ直前までのことを考えると……あるにはあったけど。
緊張したように……でも、どこかで期待した目で聞かれてしまっては、ダメなんて言えるはずもなく。
ただ気になったのは、なんでこのタイミングなのか、なのだ。言ってはなんだがお互いに今はかなり気まずい、と言いますか。
俺の質問の意図は、ホントにそれだけ。それだけだったのだが。
「ぇ……?」
その質問を聞いた瞬間、さっきまでの笑みは消えて、悲しげな顔になってしまった。
それを見て、また言葉足らずだったと気づく。あんな聞き方したら、俺がイヤイヤ付き合ってると思われても仕方ない。
「違いますよ!? 単純にどうして誘ってくれたのかなって……俺がここに来てもうすぐで、ひと月くらいになりますけど、小鳥遊先輩と帰ったことなかったですし」
「ぁ……そっか。……それもそうだね」
「はい。なので、どうしてかなって。本当にそれだけの純粋な疑問ですから、泣きそうにならないでください……」
「な、泣きそうになってないよ!」
「いや、まだちょっと涙目ですよ? これ、使ってください」
「ん……ごめんね、ありがと」
制服のポケットからハンカチを出して、手渡そうとする。
が、なぜか小鳥遊先輩は顔をこちらに向けただけで、受け取らない。
「先輩?」
「ん?」
「あの、これ」
「うん、ありがとう」
「へ?」
「……?」
なぜ、先輩と見つめ合ってお互いに疑問を浮かべているのでしょうか?
えっと、お礼は言われてるし、特に男のハンカチを使うことが嫌で遠回しに断っているという感じでもない。
なら、なんで受け取らないのか、それを聞こうとする前に。
「……拭いてくれないの?」
「へ……え!?」
まるで当たり前のことかのように、俺が先輩の涙を拭うことになっていた。
やっちゃったあとだから、アレだけどさ。男のハンカチを女の子に貸すと言うのだけでも、結構ハードルが高いことなんですよ?
目の前の状況に混乱して、体が固まる。
なんだこれ、ラブコメか? 一夏の淡い青春の物語なのか?
そんな俺の混乱などお構いなしに小鳥遊先輩は。
「ん」
目を閉じて、ずいっと顔を俺の方に近づけてきた。
……そっと、小鳥遊先輩の顔にハンカチをあてて、涙で濡れた目の端を拭う。
「…………その、痛かったりしたら言ってください」
「うん……うへへ」
まったく警戒心がないこちらを信頼しきった声。薄いハンカチからほんのり感じる彼女の体温と、柔らかな頬の感触。
そして、これまでに迫ったことがないほど、近くにある小鳥遊先輩の顔。
日常的に弾丸が飛び交うこのキヴォトスの住民なのに、まったく傷がなく白い肌。
ほんのりとピンクに染まった頬に、歳上とは思えない可愛らしい童顔。たまにくすぐったそうに、開かれる大きな瞳。
……やっぱりこの人。
「綺麗な顔してるよなぁ」
「……うへぇ!?」
「はい、終わりましたよ」
「シシシ、シュウ……くん?」
「はい?」
「……え? あ、ううん、なんでもない」
無意識、無意識なの……? と顔を真っ赤にしたまま呟く小鳥遊先輩。それを見て少し笑う。
さっきまで色々と言われっぱなしだったし、これくらいの仕返しは許されるかな、と内心で思っていたり。
それに、あんなに警戒心のない姿を見せられては、“こっちまで勘違い”してしまう。
「で、話の続きですけど」
「話……私がキミに一緒に帰ろう、って言った理由だっけ」
「はい。……それと、ついでなんですけど」
「?」
「小鳥遊先輩、一人称変わってますけど、それもなんでかなーと」
「ぅ」
ふっと湧いた疑問。ただ、ちょっと気になった違和感。そんな俺の質問に狼狽える先輩。
「いつも“おじさん”って言ってましたよね。でも今日はずっと“私”だなって」
「……お、おじさんのちょっとした気まぐれだよ〜」
「? そうですか」
「……」
「なぜ不機嫌な顔になるんですか……?」
「なんでもないよ。……乙女心、わからないのは相変わらず……」
「はい?」
「なんでもない……。で、わた……おじさんが一緒に帰りたいって言ったわけだったよね」
「はい」
アビドスに来てから、みんなとは結構、交流していた俺。
セリカさんとはバイト仲間だし、一緒にいる機会は多い。アヤネさんとは書類作りの作業をきっかけに仲良くなれた。
シロコさんとは学校はもちろん、夜によく通話するし、ノノミさんはお買い物で色々と助けてもらった。
でも、小鳥遊先輩とはそう言った個々の付き合いというか、ふたりで何かした記憶がない。
覚えているのは、せいぜいよく俺のことを見ていたな、くらいだ。
視線を感じて、そっち方向を見てみれば、おおよそは小鳥遊先輩で、そのあとに目が合うと、にへらと笑って手を振られた。
今日のことを含めて、急に俺への距離感が変わったことがすごく気になった、それがこの質問の根幹。
たぶん、それも先輩には伝わっているようで、ようやく俺の知っている“小鳥遊先輩”の顔と声になった彼女が、ほんのり困惑したように話し始める。
「そうだねぇ……今だから言っちゃうと、おじさんはシュウくんのこと、すっごく警戒してたんだよ」
「え、そうなんですか」
「そだよ? 初めて顔を合わせたときとか、押し倒しちゃってごめんね」
申し訳なさそうに謝られて、ふと思い出すのは初対面のこと。
でもあれは俺が突然、寝ている先輩の横にいたからなんじゃないのか?
「いくらおじさんでも、初対面の相手にはあんな風にはしないよ。……ちょっと色々あったんだ、あのとき」
「気にしてませんよ」
「それならおじさん、安心だよ〜。……で、そこからひと月くらいかな。ずっとキミのことを観察してた。気づいてたよね?」
「はい。結構、目が合ってましたし」
「目線に敏感なの知ってたから、なるべく気づかれないようにしたつもりだったんだけどさ」
あはは、と困ったように頭を掻きながら笑う先輩に、また聞きたいことができるが、ひとまず黙って続きを聞く。
また、少し真面目な顔に戻った先輩が口を開く。
「なんて言えばいいのかな。シュウくんはさ、とっても大事なことなのに……絶対に忘れたくないことなのに、忘れちゃった経験とかある?」
「え? うーん……特に思い当たらないです」
「……。………なら、イメージしてみて欲しいんだけどね。大事な人、すごく大切な人の思い出が今の今まで消えていて」
「はい」
「それが、急に頭の中にぐわーって入ってきたらどうなると思う?」
「混乱して気絶しますね、俺」
「ふふ、そう。そうなんだ。気絶はともかく、最初は混乱。次は疑心」
疑心、そう言った瞬間の先輩はすごく苦しそうで、辛い顔をしていた。
でも、それはほんの一瞬で、気づけば優しげでほにゃりとした表情に戻っていた。
「これ、なんなんだろう? とか、本当にあったことなの? とかね。でも、日に日に実感というか、馴染むって言うのかな……」
「………」
「とにかく、色々あってさ。ようやく最近になって、“あ、ホントのことだ”って受け入れられたんだ」
「もしかして、それが……その」
言いづらいこと故に、言葉に詰まる。聞きたいことだけど……。
話をしている中で、気づけば俺よりも前を歩いていた先輩がくるっと回って、俺の方に振り返り、歩みを止めた。
それに合わせて、俺もその場に立ち止まる。
ちょっとの気まずさと、恥ずかしさ。裏には悲しさを混ぜたような小鳥遊先輩の顔が見える。
「うん。おじさん……ううん、私とキミのこと」
「でも、それは勘違い、というか……俺、本当に何も覚えてないと言いますか……」
言い訳でもなんでもなく、本当に何も覚えていない……“知らない“のだ。
これまで16年生きてきて、過去に……自分がアビドスに来るまでに、目の前の少女と出会った記憶はない。こんなにも、自分を大切に想ってくれる相手にそんな言葉しか言えず、どうしたらいいか分からなくなっている。
そんな俺を何も言わず、ただ静かに見つめている先輩。
ふわり、と風が吹き、彼女の長い綺麗なピンク色の髪を吹き上げる。
「そっか。……あのさ。私のこの髪、どう思う?」
「どうって……綺麗ですよ」
「うへへ……ありがと。……短い方がいい、とか思う?」
「え、なんでですか?」
「ううん、なんでもない。忘れて」
そう言って、またくるりと背中を向けて歩き出す小鳥遊先輩。そして、その後ろに続いて歩く俺。
ほんの少しの沈黙と、ふたつの足音だけが響く。
「シュウくん」
「はい……?」
唐突に、沈黙が破られる。
前を歩く先輩。表情は見えないが、声音がイヤにフラットな気がする。
「私のこと、何も知らないんだよね」
「……はい」
知らない、何も知らない。自然と顔に手を当てて、もう一度、自分の記憶を読み起こすが、彼女との思い出は何もない。
「そっか。……うん、ならさ。これから私のこと、たくさん知って欲しいな」
「え……?」
先の方を歩いていたはずの小鳥遊先輩。でも声があまりにも近くから聞こえて、手を離すと。
ほんの数センチの距離にある彼女の顔が目に入った。
情け無い話だが、この急な接近に頭は真っ白で体は硬直。ただ小鳥遊先輩の言葉を聞き続けるしか無かった。
「キミにたくさん、私のことを知ってもらって……それで仲良くなりたい。いっぱい、誰よりも」
「……」
「それで、今度は私からじゃなくて。シュウくんから“好き”って言って欲しいな」
まっすぐストレートな好意。身長差がある俺と小鳥遊先輩。
夕陽に照らされて赤くなっている頬は、より赤く。そして上目遣いとなった彼女からの直球すぎる言葉は。
「ッ……!」
「あ、赤くなった。うへへ、どうしたのー?」
……あまりにも効いた。
思春期で、ろくに彼女もいたことがない健全な男子にはあまりにも毒すぎる。
からかうように笑っていた小鳥遊先輩。気恥ずかしさを誤魔化すために、先に早歩きで進む。
後ろからの“あっ! まってよ〜”という声に、“待ちません!”と返して。
ほんの少しのふざけ合いをしながら、歩みを進める。
そこには、さっきまでの気まずさなんてどこにもなく、楽しいという感情が心を占めていた。
けど、そんな時間ほどすぐに終わってしまうもの。
「……私、こっちなんだ」
「……俺はこっちです」
ふたつに別れる道の前で別々の方向を指す俺と先輩。
ようやく、色々と話せたのに、まだこの人と一緒にいたい、なんて。そんなことを思ってしまう。
ただ、そう思っていたのは俺だけじゃなかったようで。
「明後日なんだけど、シュウくんは空いてるかな」
「え、はい」
「ホントはさ、まだ話してないことあるんだ」
「……それは」
「私が知ってるキミのこととか、かな」
「なら」
なら、もう少しだけ。俺の口からその言葉が出る前に、小鳥遊先輩がそっと指で俺の口を閉じさせた。
眉を下げて、困ったような顔をする先輩に目だけで、なんで、と訴えかける。
「ごめんね。もうちょっとだけ、時間が欲しいんだ」
別に意地悪で言ってるわけじゃないんだよ? と前置きして、そっと指が俺の唇から離れる。
「明後日さ。シュウくんがここに来て、ちょうど1ヶ月だよね」
「はい」
「その日はね、私もちょっと特別な日でさ。……良かったら、会えないかな」
急なお誘いだが、明後日……明後日は何もない。なら断る理由もない。
「はい、ぜひ」
「よかった。……そのときに私の話、色々聞いてほしいな」
照れくさそうに顔を背けて、そう言ってくる先輩に、ただ頷く。
それを見て、どこか満足そうに“うん”と返してくる。
「なら、今日はこれでお別れ。……またね」
お別れの言葉を残し、小さく手を振って歩き出す小鳥遊先輩の背を見届ける。
彼女の背中が見えなくなって、ようやくずっとうるさかった鼓動が落ち着く。
陽はもう落ちかけていて、肌寒い。けど、その寒さが少し火照った俺の体にはちょうど良かった。
「……帰る、か」
まだふわふわしたような頭で、体を自分の帰るべき家へと歩くように命令する。
ともかく、今は色々なことは考えずに帰って休もう、そう思いながら歩いているときだった。
ゾクリ。効果音にするなら、まさにこの音が最適と言えるだろう。
不快な虫唾が背に走り、頭が一気に冷える。
反射的にホルダーからハンドガンを取り出し、背後に構えた。
その先に居たのは。
「ククク……こんばんは、良い夜ですね」
「黒服……?」
自分をこの世界へと連れ去った、そして、初めて出会った大人。それが、音もなく現れた。
「お久しぶりですね。実に数ヶ月、変わり無いようで安心しましたよ」
「……なんの用だ?」
「おや、嫌われたものですね? クククッ……そう怖い顔をしないでください」
「要件を、聞いてるんだ」
この人は、誰だ? 黒服と顔を合わせた瞬間に感じたのは、ゾッとするような悪意。
自分の記憶にあったはずの黒服とは、全くイメージが違う。
じり、と足が自然と後ろに下がってしまう。それを見た黒服が、“ああ”と何かに気づいたように呟く。
「想定よりも早かったですね、すみません。もう完全に”抜けている“とは」
「……?」
「クク……こちらの話ですよ。私に戦闘の意思はありません。ですので、それを下ろしていただけますか?」
銃を下ろせ、その要求にどうするか迷うが、あたりには確かに気配はなく、戦闘の意思がないという言葉に嘘も感じられなかった。
静かに、銃をしまう。
「…………」
「ありがとうございます。……さて、今日ここへ来たのは、最後のやり残しを終えるためです」
「やり残し……?」
「はい。貴方と私の契約です」
「ッ……」
契約。記憶に蘇るのは、身体に何かを接続され、血を抜き取られるもの、麻酔をかけられ……。
「先ほども言いましたが、戦闘の意思はありません。そして、貴方に危害を加えるつもりもありませんよ? ククク……ですから」
そう、怯えないでください。
ガチャン、と自分の手から銃がこぼれ落ちた音が市街地の道に響く。
あぁ、なぜ自分はこの人に一瞬でも心を開いてしまっていたのか。そう思ってしまうほどに、目の前の大人から恐怖を感じる。
震える体、ろくに出ない言葉。それを見ても黒服は、ただ言葉を続ける。
「シュウさん、貴方にこちらを」
こちらへ音もなく近づき、何かを手渡してくる。
黒服の手にあるのは、黒いアルミで出来たような鞄。そして。
「こちらも」
鞄と同じく色は黒。正方形状の小さなタッチパネルがついた時計のようもの。
視線だけで確認したそれを、言われた通りに受け取る。
それを見て、またあの笑いと共に黒服が俺の近くから離れる。
……不思議と、体の強張りと緊張が抜けてくる。
「確かにお渡ししました。それでは、これで」
「ッ……まってくれ!」
そう言って踵を返す黒服を、思わず呼び止めた。
正直に言えば、無視されるものだと思っていた。けれど、俺の言葉を聞いてすぐに立ち止まる黒服。
「なんでしょう?」
「これは、なんだ?」
「……ふむ」
俺と俺の手に持つ鞄を交互に見る黒服。そして、何かを考えるように言葉を漏らした。
突然、現れて説明もなく渡されても困る。だから、渡してきた本人に中身を問いただす。
「わかりませんよ」
「……は?」
「鞄について、ですが。それには何が入っているかは知らないのですよ」
ふざけるな、そう言いかけるが、本当に不思議そうに語る黒服の顔と声音に困惑する。
「ですが、そちらは私が作ったものですからね」
そう言って指差す方向には、もうひとつの渡されたもの。黒い時計のような機械が。
これが、この人が作ったもの……?
「それは、貴方の研究による成果……といったところですよ。契約に従い、シュウさんにひとつ差し上げます」
「俺の研究って……」
「クク……お忘れですか? “貴方には素晴らしいものがある”とお話ししたのを」
「でも、それは弱すぎるって……」
「その通りです。ですが、その辺りを差し引きしても十二分に私の興味を惹き、研究するには格別のものなんですよ」
「それは……?」
「貴方の“神秘”、あまりにも可能性を秘めたソレは、大いに私を興奮させてくれました」
手をスーツへと入れ、コツコツと左右に歩きながら語られるのは、俺がこの世界に来た……黒服が俺に目をつけた理由。
「なぜ、ただの人間が……先生ではない貴方が、この世界に来たのか……クク……」
「来たって……お前が俺をあの日……俺の——」
「そう、貴方の16歳の誕生日。それが、シュウさんがキヴォトスに来た日です!」
「っ」
興奮したように言葉が大きくなる黒服に、また少し体が強張る。
「失礼しました。……しかし、貴方は勘違いしているようですね?」
「勘違い……?」
「はい、大きな勘違いですよ。クククッ……しかし、今はそれには気づけないでしょう」
「さっきから何を言ってるんだ……!」
聞いていることに答えているようで、何も得られていない。
正確には、俺には無い知識を前提に話しているような気がする。
恐怖と焦り、それから怒りの感情が溢れてくる。
でも、そんな俺を気にせずに黒服は言葉を続ける。
「貴方の神秘、それは繋ぐことであり、繋げること。……言うなれば“縁を結ぶ”とでも言うのでしょうか」
「縁……?」
「しかし、ヘイローを持たない貴方のソレは、あまりにも弱すぎる。まさに宝の持ち腐れと言ったところでした」
自分のことなのに、何も知らない。でも、相手は黒服だけは知っている。
こんな状況が、今日起きた小鳥遊先輩との一件とイヤに重なって見える。
「さて。すみませんが、ここまでです」
「……」
「それでは、これにて完全に契約は終了。大変、有意義なものとなりました」
「……そうかよ」
「では、また。……いえ、もうひとつ。これは個人的にお聞きしたいことです」
一度、体を背けた黒服が再び俺の方へと向き直った。
そして、ひとつの問いかけを投げてきた。
「シュウさん。貴方には、“やり直したい事”はありますか?」
「……?」
「後悔していること、もう一度、別の選択肢を取りたい瞬間。……無かったことにしたいもの。そういったものはありますか?」
なんでもいいのです、そう言って俺に答えを委ねる。
やり直したいこと。……無かったことにしたいもの……それは。
「そう、たとえば“キヴォトスに来なかったことにする”、とかはいかがですか?」
「ッ!」
「貴方は普通の人間。元の場所に帰りたい、そう思うのは当たり前のことです」
言葉を続けながらも、また、背を向ける黒服。
彼の口から放たれるひとつひとつの言葉が、突き刺さるように、俺の心に残る。
「例え、貴方が必死に考えないようにしていることだとしても、本心は違うかもしれませんからね。………クク、それでは」
そう言って、闇夜に消え去るように姿が見えなくなる。
けど、俺の頭に残っているのは、最後の黒服との問答。
思わなかったわけじゃ無いし、自覚がなかったわけでもない。
元の世界への帰還。
でもそれは、無理だと思っていたし、そんなことを考えては、ここに来て出会った人たちとの縁を否定する気がして、頭から消していた。
消していたし、別に気にしていないとも思っていた、はずなのに。
「……俺、どうしたいんだろ」
黒服からの“元の世界に帰りたいと思うのは、普通のこと”という言葉が耳に残り続けていた。
急激に下がった外気。肌を指す寒さが辛いはずなのに、俺は黒服がここを去ってからも、しばらく立ち尽くしていた。