ホシノ「私で童貞捨てたくせに……」「童貞ですけど!?」 作:群缶
——00.10.51.37
そこにある物だけを見ればここは、普通の会社にあるオフィスにしか見えない。だが、不気味な空気を醸し出している理由は部屋を塗りつぶす色。
部屋を見渡す限り全てが黒く染められた異質な部屋。ドアからデスク、カーテンに奇妙な音を立て続ける装置。
そして、中央に座ったままの黒い男。
「歓迎しますよ、シュウさん。……さて、どのようなご用件でしょうか?」
不敵に笑い、俺を射抜く不愉快な視線。その持ち主は黒服。
はじめから俺がここに来ることをわかっていたのであろう。このビルに入る時から黒服の部屋まで、警備用のオートマタやドローンは配置されていたが、一切攻撃されることなく素通りできた。
すでに目の前の黒服は、未来から来たもうひとりの黒服に関しての記憶や記録は全てない。
アイツの言った通りなら、己の力だけでホシノを手に入れたと認識がすり替わっている……違うな、そういうふうに修正されているはず。
「昨日ぶりだな」
「ええ。良い取引をさせていただきましたよ。クク……」
満足そうに笑う姿、そして取引という言葉。
どう歴史が修正されたかはわからないが、こいつの中では辻褄が合うように記憶が改変されているのだろう。
ぎしり、と椅子に深く座り直した黒服は“それで”と言葉を続ける。
「本日はどのようなご用件でしょうか? 昨日より少し忙しく、あまり時間が取れないのですよ」
「……」
「クク……。どうしましたか?」
「……なんでもないさ」
明らかな挑発。
ホシノを手に入れて忙しくなり始めたと遠回しに言われ、一瞬だがポーカーフェイスが崩れかけた。
小さく息を吸い、吐いて心を落ち着ける。
手に持った黒い鞄を握りしめ、フラットな表情を意識して平坦な声で要件をひと言にして伝える。
「取引だ」
「……ほう?」
ぴくりと眉が反応し、興味を持ったように声を出す黒服。
無言のまま、続きを話せと視線だけで俺へと伝えてくる。
「ホシノを俺に渡せ」
「……クク。随分な要求内容ですね?」
「遠回しな言い方ができなくて悪いな。何せこっちはまだ子どもなんだ、大目に見てくれ」
「ふむ……」
じろりと目を動かし、俺の顔から足先までをゆっくりと品定めをするかのように見た後で、また笑い出す。
どこか小馬鹿にしたようなものと、哀れな子どもを嘲笑うような声。
「シュウさん、貴方が小鳥遊ホシノに対して大きな感情を持っているのは理解しています」
「……」
「しかし、こちらとしても大きな買い物だったのですから、タダでお渡しすることはできませんね」
「ああ。そうだろうな」
やれやれと呆れたように首を振りながら、話にならないと切り捨てるように言い切られた内容に同意する。
黒服からすれば、ホシノを取引の商品として俺から得たい持ち物など存在しないと思うのは不思議じゃない。
「ご理解いただけているなら何よりです。クク……そして、貴方には小鳥遊ホシノに変わって私に出せるものなどないでしょう。これでは取引などできるわけが……」
「“俺”だ」
「……はい?」
呆気に取られたような顔と表情。理解できていない、いやあり得ないと呆れているのだろう。
だから、もう1度わかりやすくしっかりと言い放つ。
「ホシノと俺をトレードしろ」
▽
ホシノの部屋で全てをまとめ、必要なものを黒い鞄へと入れる。
それ以外は残せないものと今まで書いてきたメモを念の為に燃やして、すべて灰にする。
入れるのはアビドスの男子生徒用制服、そして“次の自分へ”と向けたメモ。
「……っと、ボロボロだな」
何度も見直し、書き込んだせいでぐちゃぐちゃになったルーズリーフの紙。それを新しく取り出した紙にパッと書き写す。
“やり直しは効かない”
“自分の価値を見誤るな”
“最後は全て消える”
“31.00.00=26280+744*00.00.00”
「……はは」
何も意識せず、汚く走り書きした内容。今、自分が書いたものと全く同じ形、癖で書かれた文字を見て乾いた笑いが出た。
未来の世界で黒服から受け取った鞄の中身。制服がどこから来たのかはわからないが、このメモは自分が書いたものだった。
……未来から過去へと飛ばされた自分が、何も気づかずに下手な動きをしないように、最小限の重要な情報だけを書いたってことなんだろうけど。
「分かり辛すぎるだろ、これ」
でも、これで次の自分は今の俺と同じ行動をする。何も意識せず、ただホシノを守ろうとがむしゃらに動き続けるはずだ。
チラリと燃やす前の最後のルーズリーフを手にとる。簡単に図にしたものだが概ねこの通りなのだろう。
鶏が先か、卵が先か。黒服が言っていた言葉は確かにしっくりくる。
俺がこの世界に、過去に飛ぶという未来の事象は“過去の自分によってすでに決定していた”ことだった。
改変された世界で俺だけ小鳥遊先輩の記憶があったのは、“これからホシノと出会う”ということと、“すでに小鳥遊先輩と出会っていた”という矛盾した結果の産物。
つまり、俺はここまでの選択を間違えていない。そして、前の俺も同じ選択をしたのだろう。
何せ俺自身だ。同じ状況なら同じ選択肢を選んでいるはず。
最後のメモを燃やす。灰になったことを確認し、鞄を手に家を出る。
向かう先はひとつ。ホシノがいる場所であり、黒服が待ち構えるあのビル。自分がキヴォトスで最初に目覚めた因縁の地。
「……本当に黒服の言った通りだった」
アイツが言った俺がしている……していた大きな勘違い。
自嘲気味につい笑ってしまったが、無理もないよな。なにせ……外からこの世界へと呼び出したのは。
▽
「貴方自身、と?」
「ああ」
予想外な言葉に耳を疑ったかのように聞き返す黒服にただ頷く。
正気じゃない、とでも思われているのだろう。何せたかがひと月程度の付き合い、言って仕舞えば他人を助けるために自分の身をベットしているのだから。
理解できないという顔のまま、黒服は怪訝そうに口を開く。
「……何を言っているのか本当に理解しているのですね?」
「もちろん」
「わずかな期間を共にした少女のためにその身を渡すと」
「お前にとってはそう見えるだろうけどな」
「……?」
ホシノとのたった1ヶ月だけの生活。とても短く、他人から見れば笑われてしまうかもしれない。
確かにろくな目に合わなかったし、なんで俺がこんな目に遭っているのかと思ってしまったこともあった。
でも、自分にとってはとても大切で、この上ないほど“楽しい”ものだったのだ。
無表情を保とうとしていた俺の顔は、自然と笑みを作ってしまっていた。
「……なるほど。確かに貴方という実験体はとても魅力的です」
「知ってるよ。他でもないお前が言ったことだ」
「ですが」
トン、と指を机に叩き、言葉を区切った黒服。
……ああ。こいつが何を言いたいのかなど、とっくに理解しているさ。
「コストを含めて、俺だけではホシノを交換するには足りない、だろ」
「……ええ」
内心に思っていたことを当てられて不快そうに顔を歪める黒服。
わかっているさ。すでに完成されかけた神秘を内包するホシノと、不確かで可能性という部分しか見えていない俺では、ホシノへ永遠に手が出せなくなるというのは見合っていない。
だから、これはお前が……未来のお前自身が言った言葉を使わせてもらう。
「1年」
「……」
「ホシノに対して、1年間は一切の接触を断て」
「…………ふむ」
顎に手を当てて考え込む黒服。きっとコイツの中ではあらゆる計算が行われているのだろう。
俺という実験体の価値、1年間という時間のコスト。そして、由九咲シュウという人間を信用できるか。
数分の時間が沈黙のまま過ぎ去る。
「……いいでしょう」
沈黙はニヤリと笑った黒服のひと言で破られた。
上機嫌に笑う黒服にこちらも内心では安堵と笑みが溢れる。
「クク……素晴らしい取引です。貴方は自分の価値が良く分かっているようだ」
「そいつはどうも」
「しかし、これではお釣りが来るほどです。たった1年で貴方の身をいただけるというのですから」
「ああ、それについて追加したいことがある」
「……ほう」
後出しのようなことを言い出した俺に警戒の色を出す黒服。まぁ落ち着けと手を前に出して、目の前の机に黒い鞄を置く。
「……これは?」
「旅行用の鞄さ。で、お前が言ったように、この取引は明らかに釣り合っていない」
「ええ」
「だからふたつほど、頼みたいんだ」
「……まずは聞きましょうか」
「この鞄と俺の研究でできるであろう成果を、俺にも共有してほしいってだけさ」
「……」
一気に顔がしかめ面になったな。少し要求しすぎな気もするが、こうしないと“次の自分”が困る。
ため息とともに難しそうな顔で口を開く黒服。その内容は……。
「預かったものを貴方へと返す、それだけならまだしも……後者は利益として私に損がある」
「ああ」
「……つまり、まだ何かあると?」
「出せる物はもう無いが……」
「ならば」
「知識は渡せる」
ぴくりと反応する黒服。自分を探求者と自称するコイツには惹かれるものがある言葉だろう。
「それは?」
「俺の神秘について」
「……ふむ」
「アンタ、俺の中にあるものは魅力的と言ったけど、どうアプローチするか、どう言ったものなのかは知らないだろ」
「……その通りです」
俺の神秘を見て可能性の塊といったが、この時の黒服はそれが何かまでは理解していない。
何せ、持ち主である俺ですら未来で黒服から聞くまで知らなかったモノなのだから。
また考え込むと思っていたが、今度の返答は早かった。
「まだ少し私の損が大きいですが、ここが折り合いでしょう」
ふぅ、と息を吐いて力を抜き、背もたれへと体を預ける黒服にようやくこちらも体の力が少しだけ抜ける。
そして、感心したかのように悪意のない笑みと言葉が出てきた。
「不思議です。見た目はただの子どもだというのに、貴方はまるで大人のようだ」
「ただのガキだよ、俺は」
「ククク……謙遜しないでください。私を相手に一歩も引かない姿は素直に賞賛に値します」
「……」
純粋に褒められて微妙な気持ちになることってあるんだな……。
ほんの少しだけ和らいだ雰囲気だった黒服だが、瞬きをした次には元に戻っていた。
「しかし、まだ足りないものがあります」
「信頼、だろ」
「クク……本当に惜しい。貴方には研究対象ではなく、同胞として迎え入れたいと思ってしまうほどだ」
「……けっ」
本当に惜しいと思われているのが伝わってきて悪態をつく。誰がお前の仲間になるかよ。
「ククク……話を戻しましょう。信頼、取引をする上では大切なものです」
「ああ」
「そして、貴方と私は残念ながら敵対している」
「残念に思っているのはお前だけだがな」
「ゆえに契約を……特殊な契約を結んでいただきたいのです」
契約という単語とともに机の上に出された1枚の黒い紙。
俺でも……素人目でもわかるほど禍々しい気配と神秘を内包した、これからの運命を決める重要なファクター。
「これは運命そのものにすら干渉し得る契約書です」
「……」
手渡された黒い紙には、白い文字で何かが書かれているが俺の知識ではなんの文字かすらわからない。
下部には空白があり、さらにその下にはふたつの四角いマークが印刷されている。
「ここに契約内容と署名、そして血で印を押してください」
「……これはお前も?」
「もちろんです。信頼が足りていないのはお互い様ですから」
その言葉とともに先にさらさらと文字を書き、指に傷をつけて血で濡れた親指を片方の四角の場所へと押しつける黒服。
警戒を解いていない俺へ自ら先に契約を書くことで、誠実さをアピールしたのだろう。
渡された紙を確認する。
・本日(□□□□年□□月□□日)より1年の間、小鳥遊ホシノへの接触を一切行わない。
・実験終了まで由九咲シュウの身柄を得る。
・その後、由九咲シュウへ預かったものの返還及び、研究結果を共有する
「こちらでよろしいですね?」
「随分と細かく書くんだな」
「ええ。私も貴方も決して破れない血の契約です。クク……詳細は細かく書くほどその効力は強くなりますから」
「……牽制も込みってわけか」
「捉え方は任せますよ」
口では不機嫌そうに言い返す俺だが、まさに棚から牡丹餅というもので、笑いかけた。
黒服に則り、俺も“細かく”内容を書き込んでいく。しっかりと年齢を書き込むのを忘れずに。
・明日(□□□□年□□月□□日)以降、由九咲シュウ(16歳)は研究の結果が出るまで、その身柄を完全に受け渡す。
「……ふ」
「……? どうしました」
「いや、これでしばらくは自由がないと思ってな。……ほら、確認しろ」
「ふむ……明日以降というのは?」
「少しくらいおまけしてくれ。ホシノを連れ帰って“お別れ”くらいする時間は欲しい」
「なるほど。クク……よほどお熱な様子ですね」
「……うるせぇ」
人を揶揄う瞬間だけは人間味が出るな、コイツ。
不貞腐れた俺をよそにしっかりと文章を確認し、頷く黒服。
「確かに。最後にここへ印を押せば契約開始です」
その言葉とともに針が出た円状の小物を横へ置き、俺へと印を押すように紙を反転させて机へと置く。
……大きな勘違い。本当に大きな勘違いをしていた。
「これは因果とか運命とかに干渉して、俺を縛るものだな?」
「その認識で間違いありません。決して逃れられない、悪魔の契約のようなものです」
「……悪かったな」
「はい?」
「こっちの話だ」
ずっと黒服が俺をこの世界、キヴォトスへと攫ってきたと思っていた。
契約書に書いた自分の文章をもう1度読み直す。
しっかりと実験体になる“俺の年齢”が書かれた、本人の直筆による正当な契約。
穴があるとすれば“今の俺は数時間後にこの時間から消える”という点が考慮されていないところ。
俺がこの世界に来た、縛られている要因は確かにホシノだった。けど、それを選んだのは他の誰でもなく自分自身。
つまり、この印を押した瞬間に今の時間を生きる俺は3年後にキヴォトスへと、黒服の元へと流れ着くことが決定する。
……外の世界で平穏に暮らしたい。元の場所に戻りたいと心ではずっと思っていた。
「……はぁ。ちょろいのかな、俺」
でも、今はそれ以上に……大切で多くの感情を想ってしまう女の子ができてしまった、それだけの話。だから、心の中には後悔や引きずってしまうような気持ちが一切ない。
静かに親指を押し付けて印を押す。同時に黒い契約書が淡い光を得た。
契約を始めたことを確認し、自分の持つ能力をまとめた紙を黒服へと手渡す。
「……確かに。これで契約は正常に開始されました」
「……ん」
「こちらを」
1枚のカードキーが手渡される。目線で黒服にこれが何かと聞けば。
「小鳥遊ホシノを収監している部屋の鍵です。場所は——」
「……わかった」
「クク……では良き1日を」
背を向けて歩き出す。黒服の言葉に反応せず、ただ彼女を迎えにいく。
聞いた部屋の前にはオートマタが数体、警備として配置されていたが俺を認識した瞬間、どこかへと去っていく。
キーをスライドさせれば、ピッという電子音とともに扉が開き。
「……全く」
部屋の中で眠らされている泣き跡が残ったホシノの顔を見て、自然と安堵の笑みと息が溢れた。
そっと彼女を背負って暗い部屋を出る。……帰るべき場所は決まっている。
——00.08.38.11
次回、くっっっそゲロ甘えちち注意。