ホシノ「私で童貞捨てたくせに……」「童貞ですけど!?」 作:群缶
———もしもあの時、アビドスではなくトリニティへと転入していたのなら……
……くん
優しくて甘い声が聞こえる。
……ウくん
ふわふわで、どこか俺を気遣ってくれているかのような、わたあめみたいに柔らかな声音。
……きてください
その声でようやく自分が眠っていたことに気づき、ゆっくりと頭を上げて目を開く。
霞む瞳に映るのは見慣れた小綺麗な教室の風景に、窓から差し込む夕陽の光。
枕がわりにしていた痺れる右手を開いたり握ったりしながら、ぼーっとする頭のまま俺の名前を呼び、起こしてくれた相手の顔を確認する。
「……あれ、ヒフミ?」
「はい。もう、ねぼすけさんです」
なんとも言えない謎キャラであるペロロがモチーフのリュックサックを背負い、トリニティの制服をきっちりと着て明るめの金髪をふたつにまとめた少女・ヒフミが俺の机の横に立っていた。
欠伸を噛み殺しつつ、教室にある時計を確認すればもう17時前。とっくに放課後でどうやら自分は、今の今までずっと眠りこけていたらしい。
まだボケっとした俺を見たからか、ヒフミが眉を八の字にして苦笑いを浮かべていた。
「お昼休みからずっとぐっすりでしたが、まだ眠そうですね」
「んーっ。ふぅ……ちょっと疲れてるのかもな」
伸びをしただけで体の骨がパキパキとなる音がした。よほど深い眠りについていたのか、ずっと同じ姿勢のままだったようで変な疲労感が体に残っている。
「あ、顔に跡が残っちゃってますよ」
赤くなってます、と笑いながら頬に触れてきたヒフミの手が暖かい。
眠っていると体温が下がるせいか、ほのかに甘い匂いがしてちょうどいい温度の彼女の手がやたらと気持ちよくて。
「ふふ、次は甘えん坊さんですか?」
くすぐったそうだけど、どこか嬉しそうな声を聞いてハッとする。
まずい、無意識でヒフミの手にすり寄ってしまった。いかん、まだ寝ぼけてるな。
「ごめん、ちゃんと起きた」
「ぁ……」
「へ?」
スッと離れると悲しげな声が聞こえてそちらに顔を向けると、寂しそうな顔になったヒフミの姿が。
「え、どした」
「あ、いえ」
「?」
そっと手を胸に持っていき、視線を迷わせて言い淀むヒフミを見て頭にハテナが浮かぶ。
なんだろう? 何かをためらっている、もしくは迷っている様子の彼女が、口を開くのをまっていると……少しして。
「その、甘えてきてくれるシュウくんは朝しか見れないので……ちょっと勿体無い、と思っちゃいまして」
頬をかきながら“あはは”と笑うヒフミ。その言葉を聞いて一瞬だけ頭がフリーズした。
「え、え? まって、朝って何。それどういう意味?」
「あ」
「その“あ”は、絶対に口を滑らせたものだな??」
「あ、あはは……」
「ごまかすなっ」
目を逸らし、顔をあさっての方向に向けようとしたヒフミ。焦って立ち上がり顔を俺の方向に固定して問い詰める。
絶対に聞き出さなきゃいけない自分の痴態の片鱗を感じて、だいぶ焦って問い詰めた結果。
「うぅ……シュウくんって、朝よわよわですよね」
「うん」
俺、めっちゃ低血圧。朝弱い。
「なので私がいつも先に目が覚めてます」
「そうだな」
起きると最初に見るのは確かにヒフミの顔だ。
「なので……その、寝起きでぼーっとしてる時とかに私が触ると」
「触ると?」
「すりすりしてくれたり、ちゅーしてくれるので……あはは」
「………………」
「あ! 他にも甘噛みとか寒いのかぎゅーって抱きついてきたりも」
「まって」
「はい?」
何が楽しいのか、寝ぼけた俺の痴態をやたら嬉しそうに話し始めたヒフミに、顔を手で隠して思わずストップをかける。
この時の俺の脳内はまさに混乱という言葉に尽きる。
“え、何それ知らん”とか、“怖っ”だとか、“普段とキャラ違くない、
自分のことなのに全く身に覚えがない。なのにさっきの自分の行動を見るに事実なのだと実感している。
「シュウくん?」
不思議そうな顔をしているヒフミになんて言おうかと考えて。で、とりあえず。
「それってどのくらいの頻度で起きるの……?」
たまにであってほしい。ただそれだけを願って震えた声で聞いた俺に対して、より不思議そうな顔をしたヒフミが出した答えは。
「毎朝ですよ?」
Gott ist tot.
▽
「——で、こっちが限定のペロロさまですっ」
「ほーん」
「このペロロさまはずっと前に非売品で——」
「へー」
自宅のソファーにて。
俺の膝の上に座って、熱心に手に持ったペロロのぬいぐるみを解説しているヒフミを眺めている……まぁ、いつもの日常。
ぶっちゃけ俺には、このぬいぐるみが部屋にある他のペロロとどう違うのかはわからないし、あまり興味もないことなんだけど。
「で、こっちがシュウくんと初めて一緒に買ったものです!」
「そっか。……はは」
ヒフミが楽しそうにしている、それだけで随分と有意義で幸せな時間に感じるのは惚れた弱み、なのかな。
こっちに来てから最初に出会った女の子。
初めはトラブルに巻き込まれてばかりで、腐れ縁のような関係になって……ずっと俺が助ける側だと思っていた。
でも、俺がトリニティに転入したちょっと後に起きた“あの事件”では、支えてくれて助けてくれた。
誰もが俺を疑う中で唯一信じてくれた、味方になってくれた。
『私は! 何があってもシュウくんを信じていますし、ずっとそばにいます!!』
硝煙と血の鉄臭さ、崩れた建物の中で言われた言葉と口付けには酷く救われたなぁ。
決して青春とは言えない泥臭くて、物騒な一連の事件だったが、アレがなければ今のヒフミとの関係性はないし、きっと。
「……惚れてなかった、よな」
「はい?」
「なんでもない、よっと」
「きゃ……!?」
大切だけど、少しの苦みがある思い出を胸の奥底にしまうように、ポカンとしたヒフミを後ろからギュッと抱きしめる。
鼻を通じて感じる柑橘系の上品な甘い香り……ヒフミの匂い。
たったそれだけで、苦かったものが甘くて。辛かったものが柔らかく、解かされていく。
癒し、癒しを求めただけ。でも。
「ぁ、ん……っ」
「……変な声出すなよ」
「あぅ……し、しゅうくんの息が……ぅあ……」
抱きしめただけなのに、艶かしい声を出されてちょっと気まずくなる。
やたら首筋が弱いんだよな、この子……。
もうちょっと抱きしめていたかったが、すでに涙目になっているヒフミを見てそっと離そうと……。
……。
…………。
「あの」
「……は、はい」
「なんで、俺の手を掴むの?」
離そうとした俺の手は、自分よりもずっと小さくて暖かな手によって固定されていた。
決して強い力ではないし、なんならそっと手のひらを重ねているだけ。
でも、俺は思わず動きを止めてしまった。やめてほしい、ヒフミにそう思われたと解釈して、離れようとした俺に対して。
「やめちゃうのは……や、です」
ピッタリと俺の胸に背中を預けて、ほぼゼロ距離の顔の近さ。
自分の口元に荒くなったヒフミの吐息が感じられるほどの距離感。
上気したように赤くなった頬と、ほんのりと汗ばんだ額。
トドメに涙目の上目遣いで手の甲を撫でられる。
「……な、なら」
「……は、い」
全く意識せず、口が勝手に開いて言葉を吐き出す。
でも、それ以上は何も言えない……いや、喉から音が出なくて。
「…………」
「……っ」
静かな部屋の中で、酷くうるさい胸の鼓動を無視して。
自然と、ほぼ0距離だった彼女との距離が“0”になった。
それでも、幸せと過酷が交差する特別/普通の日常を過ごしたんだろうな。
リクエストがあったヒフミIFルートのその後でした。荒削りですがプロットも作ってあるので、需要があれば別ルートとして投稿します。