ホシノ「私で童貞捨てたくせに……」「童貞ですけど!?」   作:群缶

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今回はラブコメの“ラブ”強めです。





α-8:心の距離

 

 

 

「早瀬さん、聞いてくれ!」

 

「うわっ……! な、何よ。そんな真剣な顔で急に……?」

 

 

 髪は寝癖でボサボサ……いつも通りか。制服も慌てて着たせいで、ところどころシワがあったり半端に羽織った形に……いや、これもいつも通りだな。

 

 とにかく今の俺はとても、とーーっても焦っている。

 

 バタバタと廊下を走って、休憩中なのか、ジュースを片手に携帯をいじっていた早瀬さんを発見して、思わず挨拶もなしに声をかけてしまった。

 

 けど今はそれよりも焦りが勝って、いつもの数倍は早くなった口調で、吐き出したいものを端的に言ってしまう。

 

 

「ケイがおかしくなった……!」

 

「はぁ? えっと……とりあえず座って」

 

 

 片眉をあげて困惑した顔になった早瀬さんに、“落ち着いて”と宥められて、隣に座るように指示される。

 

 事情を聞いてくれつつも、焦った俺の心配もしてくれているみたいで、セミナーの冷蔵庫から冷たい飲み物を手渡してくれる。

 

 

「さ、さんきゅ……」

 

「別に気にしなくていいのよ。それで随分と取り乱してるけど、ケイちゃんと何かあったの?」

 

「うん、ありまくり。いや、なんか起きたとかじゃないかもだけど」

 

「どっちよ。しかも昨日の今日じゃない」

 

 

 そう、昨日の今日……つまりはあの相談事をしたあと。

 

 ケイとより仲良く、親しい友人になるためにどうしたらいいか。そんな漠然とした相談をして、もう1回くらいダメ元で遊びに誘ってみよう。

 

 そんな決意で陽が落ちかけた時間帯に、自分の部屋に戻ってきた俺へケイは。

 

 

『……お、お……おかえりなさい』

 

『……。…………は、え?』

 

 

 わざわざ玄関まで来て、目線を外して言いづらそうにしながらも、“おかえり”と言ってくれたのだ。

 

 彼女を知らない普通の人なら当たり前のこと、と認識するかもしれないが。

 

 “ああ、戻っていたのですか”とか、“……なんですか”。

 

 これが今まで部屋に戻ってきて、俺を見たひと言目。もちろん、玄関なんて来てくれるはずもない。

 

 なのに、急にこんな対応をされてしまったら。

 

 

『ケイ』

 

『なんっ……んんっ! ……なんですか』

 

『熱とかある?』

 

『…………………特に』

 

『あれ?』

 

 

 体調でも崩したのか、とか思ってもおかしくないよね。

 

 いや、ケイのめちゃくちゃ不機嫌そうになった顔を見て、対応を間違えたのも察したし、すぐに謝ったから平気っぽい空気になった。

 

 だけど、ちょっといつもとは違うケイに気づいて、それとなく様子を見ることにした。

 

 で、夕飯時に大きな異変が起きた。いつも通り特にこれといった会話もなく、食べ進めている中で唐突に。

 

 

『……あの』

 

『んー?』

 

『明日は……午後からお休みです、よね』

 

『おー、特になんもないぞ』

 

『……わ、私もです』

 

『ケイはまだ学校行ってないし、暇だろうなぁ』

 

『……はい』

 

『なら、どっかいくか? まぁ嫌だと』

 

『……はい』

 

『思うけど。ははは。……は?』

 

 

 あれ、今承諾された? 聞き間違え? 

 

 手から落ちた箸など気にする余裕もなく、目を白黒させて驚いたままケイの顔をじっと見つめてしまう。

 

 平然としたままご飯を口に運ぶケイ。でも少し顔は赤いし、絶対に俺と目を合わせないという意志を感じるくらい箸先を見つめている。

 

 

『え、え? えぇ……? え???』

 

『なんですか、その反応は。……別に気まぐれです』

 

『………………デレ期?』

 

『やはり先の話は忘れてください』

 

『うそ! うそだから!! 行きたい!! ケイと遊びに行きたいっ!!!』

 

『う、うるさいです! そんな大声を出さないでください!』

 

 

 これが昨晩の出来事。

 

 今までの滞りはどこに行ったのか。そんな疑問が生まれるくらいには、簡単にケイとお出かけできることになってしまった。

 

しかも今日。……今日?

 

 

「今日なんだよ!?」

 

「ひどいくらいテンパってるわねー」

 

「だって心の準備とか……!」

 

「はいはい、そうねー」

 

「……早瀬さん?」

 

「うんうん、そうねー」

 

 

 先ほどまでは結構、真剣な顔で話を聞いてくれていたはずの早瀬さん。

 

 けど気づいたら呆れた顔のまま、携帯をいじって適当な相槌で会話をされている。なんだ、この扱いは。

 

 急変した彼女の態度に困惑しつつも、身近に頼れそうでケイの事情を把握している相手が早瀬さんしかいない俺は、おずおずと声をかける。

 

 

「あの、早瀬さん? 俺、結構ちゃんと悩んでると言いますか」

 

「はあぁぁ〜〜〜〜…………」

 

「なんでバカでかいため息を吐くの??」

 

「だって、ねぇ?」

 

「なんでめんどくさそうな顔してるの??」

 

 

 聞いて損をした、とまでは言わないけども。

 

 心配して損したくらいには思っていそうな、うんざりしたような表情になった早瀬さん。

 

 あの、身に覚えがないものとしては困惑すると言いますか。

 

 

「別に面倒とは思ってないけどね」

 

「そうなのか?」

 

「手が早いって呆れと、心配してるふりの惚けかなって思っただけよ」

 

「ひどい誤解と、いわれのない疑いなんだが??」

 

 

 手が早いは冗談だとしても、男の俺としては言われて心臓が跳ねる。

 

 しかも後半の惚けについては、俺とケイの関係を知っている早瀬さんが絶対に思わないことでは?

 

 まるで付き合いたてのカップルのいざこざを見ている、みたいな。面倒を押し付けられた、恋愛シミュレーションゲームの親友ポジションみたいな言葉で、俺びっくり。

 

 

「で、何を相談したいのよ。行く場所が思いつかないとか?」

 

「え、ああ……。行き先自体はちょっと考えてるよ」

 

 

 面倒見の良さは健在。

 

 まだ呆れた顔ではあるものの、相談には乗ってくれるつもりの様子。携帯をしまった早瀬さんを見てホッとする。

 

 

「あら、決めてたの?」

 

「あー、まー……うん」

 

「煮え切れない返事だけど、変なところじゃないわよね」

 

「ゲーセンに行こうかなって」

 

「へぇ?」

 

「な、なんだよ、そのニヤけた顔は……」

 

「ううん、なんでもないわ」

 

 

 ケイと行く予定の場所を伝えた瞬間、一瞬だけ目を見開いたかと思えば、今度は微笑んだ早瀬さん。

 

 その態度と言葉に、己がことながら浅はかな目論見だったとちょっぴり後悔。

 

 頭の良い人でこっちの事情とかを知っていたら、すぐにバレるとは思っていたけどさ。

 

 

「ほんとにケイちゃんのこと考えてるのね、シュウは」

 

「むぐ……」

 

「ふふ。アリスちゃんたちとの関係のためでもあるでしょ、それ」

 

「…………ま、まぁ」

 

「それなら自信を持って、ケイちゃんを楽しませてあげなさいよ」

 

「ごもっともで……」

 

 

 正論。聞こえてくる言葉は全て早瀬さんが正しい。

 

 “アリスたちといずれ仲良くなって欲しい”。

 

 そんな思いがある俺は、自分の好きなものでもあるゲームを通じて、ケイにゲーム開発部がどんなことをしているのか、何を好んでいるのか、どうして熱意があるのかをちょっぴりでも感じてほしい。なんて考えていた。

 

 でも結局のところ、根底にあるのは。

 

 

「少しくらい別の目的があっても、シュウがケイちゃんと仲良くなりたいのは嘘じゃないんでしょ」

 

「はい……」

 

「なら、それで良いじゃない。せっかくのデートなら女の子に恥をかかせちゃダメよ」

 

「でーと……でーと……?」

 

「本人たちは違うつもりでも、傍から見たらそうなるの。しゃんとして、男の子なんだから」

 

「お、おっす」

 

「ん、ならよし。……頑張って!」

 

 

 なんだか変な勘違いもされているが、早瀬さんに相談できたおかげで確かに勇気は出た。

 

 ケイはその、好きなタイプではある。友達以上の関係にもしなれたら……なんて思うことがなかったか、と聞かれたら何も言えないけど。

 

 でも今はまず、少しでも仲良くなって。

 

 あの子が悩んでいるものを少しでも軽くできたらいい。そんな想いだけで動くことにしよう。

 

 

 

 

 

 

 

「こう、でしょうか」

 

「そうそう。で、こっちのレバーで避ける感じ」

 

 

 液晶に映し出された暗い宇宙をモチーフにしたステージ。

 

 横スクロールで動く小さな戦闘機のようなものをレバーで動かしながら、反対の手でボタンを押して銃弾を発射する。

 

 8bitで構成されたピコピコという簡単な音源。それに比例して、複雑な視界情報に翻弄されながら私は、自分の手で初めて“ゲーム”という文化に触れている。

 

 正直、辿々しい動きだと思う。どう操作すればいいのか、楽しめば良いのかなんて私にはわからない。

 

 それでも、王女の好きなものではあるから理解したい気持ちはある。あとは。

 

 

「これ取ればパワーアップしてレーザー出るんだよ!」

 

「は、はぁ……? えっと……」

 

「ナイス!」

 

「……もう。……ふふ」

 

 

 教えている側のはずなのに、私以上に画面を凝視して楽しんでいるシュウの姿を見るのは……少しだけ愉快なのかもしれない。

 

 ふたり座れるとはいえ、狭い椅子の上ではしゃぐ彼の姿は実に子どものようで、私の操作ひとつで変化する表情はどこか。

 

 

「王女、のようなんて」

 

「ちょ、避けて避けて!」

 

「……はいはい」

 

 

 下品で破廉恥、デリカシーのないところは多々あるけれど。純粋さという部分だけを見れば、確かに似ているような気がする。

 

 ……絶対に言葉にはしないし、認めたくないところではあるから伝えることはないと思うが。

 

 気づけばゲーム画面よりもシュウの顔ばかり見ていた私。それにハッとして顔を振り、液晶へと視線を戻す。

 

 それと同時に明らかに残念そうな効果音が流れて画面を見れば、ゲームオーバーの文字が大きく表示されていた。

 

 

「あ」

 

「あぁー、やられちゃったな……」

 

「……」

 

「まぁ最初にしてはうまかったし、次は……ケイ?」

 

 

 なんでしょうか。この、感じ。

 

 ゲームオーバー。たかがゲームで失敗しただけなのに、沸き立つ怒りのような感情。

 

 眉間に皺が寄っていくのを自覚して、止めようと思うが融通の効かない身体はそれをより深くする。

 

 

「もしかして悔しいのか?」

 

「いえ別に? こんなものに私が感情を揺さぶられているとでも??」

 

「お、おう……。えと、ほかのやつやろうか……?」

 

「ええ、行きましょう。さっさと行きましょう」

 

「あー。今度にでも、リベンジしような……?」

 

 

 無性にむかむかとしていた私は、すぐさま席を立ち、別のゲームへと足を運んだ。

 

 アーケードと呼ばれている物以外にも、この場所には多くのジャンルのゲームが存在していた。

 

 例えばクレーンゲーム。原価を考えれば購入した方が圧倒的に安くすむはずの景品を、何百円もかけて取る非合理的なもの。

 

 これが、王女の中で見ているだけだった私が持っていた価値観と印象。

 

 

「アーム弱いな、ちくしょう……!」

 

「……」

 

 

 でもそれを楽しみ、試行錯誤して必死にボタンを押す少年の姿を間近で見ると、また別の視点になる。

 

 悔しそうなのに、口元は笑みを浮かべて何度もコインを入れる。景品が動けば嬉しそうになり、外せば怒る。

 

 人間の感情をこうも起伏させ、時間を奪うもの。これが何かを楽しむ姿。

 

 ……私のファーストインプレッションは随分と捻くれた物だったようだ。この姿を見れば、このゲームが景品だけを取るものだけではなく、その過程にも意味があることが理解できる。

 

 もちろん手に入れた後にも、それがあることもわかった。何せメモ帳とペンのセットを1000円近くかけて入手し、喜んでいるシュウが目に入っているから。

 

 そこまで喜ぶほど、これが欲しかったのでしょうか? そんな小さな疑問を胸に彼の姿を横で見ていると、何を思ったのか笑顔で今取ったばかりの景品を手渡してきた。

 

 

「ほい、これ」

 

「……なぜ、私に」

 

 

 手を引かれて、少し強引に渡された薄い水色のメモ帳。描かれているのはデフォルメ化された間抜けな顔が特徴の小さなロボット。

 

 決して可愛いとはいえないが、不思議とくすぐられるものがあって。一瞬ではあるが、うっかり目を奪われた。

 

 でも欲しいとは言っていない。見つめたのも本当に僅か。でも、この男は。

 

 

「さっき珍しく興味ありそうな顔で見てたから、欲しかったのかなぁって」

 

 

 こんなにも些細で小さな私の反応を見逃すことなく、把握している。キョロキョロと辺りを見渡していたし、このメモ帳を見たのは数秒程度。

 

 なぜ、それを気づけるのか。普段はあんなにも勘が悪いくせに、どうしてこうも私の無意識的なポイントを押さえて攻撃できるのか。

 

 恥ずかしさと悔しさが胸を締める。特に悔しさだ。

 

 こんなことを、どんなに小さくても嬉しいと思っている自分に対しての悔しさ。だからまた、つい反抗的で思ってもいない辛辣な言葉と態度が出てしまう。

 

 

「……なんの話ですか」

 

「え、いらなかったか……? わ、悪い」

 

 

 目線を切って不機嫌そうな声で知らないふりをした私。それを見たシュウがひどく慌てた顔になって、私の手にあるものを回収しようとして。

 

 

「ぁ」

 

「へ?」

 

 

 自然と逃げるように身を下げて、メモ帳のセットを胸に強く抱え込むような格好になった。

 

 空振りに終わった自分の手と私を何度か見比べる驚いた顔のシュウ。一方で私はというと。

 

 

「……っ。〜〜〜!」

 

 

 この身体を得てから一番の羞恥が襲ってきて、思わず顔を下げてしまった。

 

 熱い、顔が熱暴走を起こしている。そうとしか表現できないほど、顔だけでなく体全体の温度が高い。

 

 ポカンとしたシュウの顔が直接見られない。逃げ出したい、気づかないでほしい。

 

 でも、この男は。

 

 

「あー……。その、やっぱり欲しかったんだよな?」

 

「っ! さ、察しても言葉にしないでください……!」

 

 

 直接的な言葉を本人に向けてくる大馬鹿者だ。

 

 嬉しそうに笑って、“よかったー”とか言わないでほしい。ただでさえ、私は“私個人に対しての贈り物”に喜んでいる。

 

 なのに、渡した側の反応すら喜びに満ちていたら。想いまで渡されてしまったら、今の喜びがそれ以上になってしまうではないか。

 

 だから、シュウの反応でまた口から罵倒のような言葉が出かけて。

 

 それをグッと飲み込む。どうしてそうしたのか、どうして急にこうなったのかはうまく言葉にできない。

 

 だけど、決めたことだから。ほんのちょっぴりでも、素直に自分の感じたものを表に出したいと確かに思ってしまったから。

 

 

「その」

 

「ん、どした?」

 

 

 Keyであることを知っていながら、ケイとしての私と“仲良くなりたい”と確かな好意(暖かい感情)伝えてくれた(贈ってくれた)シュウに。

 

 

「あ……」

 

「あ?」

 

 

 私もその善意を、好意を。

 

 

「あり、がとう……ございます」

 

 

 ちょっぴりでも返したくなった、というだけの話。だから……これに他意はないし、深い意味はありません。

 

 そう、他意はない。だから。

 

 

「お……おう。えと……それならよかったよ」

 

 

 目を大きく見開いたあとに、照れくさそうに視線を外して言葉を返してくれたシュウをみて。

 

 胸が暖かくなって。自然と口角が上がったのは、きっと気のせいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふ、ぅ……」

 

「いやぁ、遊んだなぁー」

 

 

 ゲームセンターから外に出れば、もう夕方。陽が落ち始めて、オレンジ色の空にはうっすらと月が浮かぶ。

 

 微かに吹く風は冷たく、はしゃいで熱を溜め込んだ体にちょうどいい。

 

 時間にすれば5時間以上も遊んでいたせいか、ケイの顔には疲れが浮かんでいる。ちょっと長く付き合わせすぎたかな。

 

 でも疲れだけでなく、満足そうなものも感じられたから、きっと楽しんでくれたはずだ。

 

 

「どうだった? ゲーセンは」

 

「そう、ですね。……とても騒がしいところでした」

 

「はは……あんま気に入らなかったか?」

 

 

 と思ったが、あんまりだったのかな。表情だけだとわからないものだ、と反省したが。

 

 

「いえ。言い方が悪かったです」

 

「ん?」

 

「確かにゲームの音は大きかったのですが。それ以上にあの場所は、とても賑やかでした。……いい意味で、です」

 

 

 胸に手をあて、目を閉じて思い出すように言葉を紡ぐケイ。その表情は初めて見るほどに穏やかで。

 

 優しげに微笑んでいるようにも見える彼女の顔に、つい見惚れてしまう。

 

 

「なぜ人々が、王女たちがゲームというものに夢中になり、作るのか。わずかですが、理解できた気がします」

 

「そっか。それなら収穫だな」

 

「はい。貴方がここに連れてきてくれた意味を理解しました」

 

 

 呆れた顔で“貴方の狙いはわかっています”とでも言いたげな目線。

 

 うん、概ねばれているようだけど。ここは知らないふりをしておく方が、ケイにとっても俺にとってもいいはずだ。

 

 

「……あー。えっと、なんのことだ?」

 

「……。……いえ、なんでもありません」

 

 

 目を一度閉じて、息を吐いて。なんでもない、と言ったケイの表情はいつもの物に戻っていた。

 

 言葉を区切って一度顔を見合わせた後で、会話が途切れる。

 

 数分ほど無言のまま、ゲームセンター近くの歩道で空を眺めて立ち尽くす。

 

 別に気まずいとかではなくて。ただ、なんとなくそうしているだけ。

 

 何かを考える様子のケイを見て、今は言葉をかけない方がいいと判断した。でも、それが終わったのか、彼女の視線が唐突に俺へと向けられる。

 

 

「帰りましょうか」

 

「おう」

 

 

 一言だけの言葉とともに寮の方角へと足を進める。今回のお出かけは無事に終わったようで、一安心。

 

 けれど、俺はまだひとつ気になっていることがあって。なるべく自然に声をかけてみる。

 

 

「……あの、さ」

 

「はい?」

 

 

 手を後ろの腰あたりに組んで、俺の1歩前を歩いていたケイが振り返る。少し顔を横にして聞き返してきたケイは、穏やかな表情だ。

 

 リラックスしている様子だし、今日は普段よりも機嫌がいい。これならば素直に答えてくれるかもしれない。

 

 

「楽しかったか、今日?」

 

「ああ。そこを気にして、ずっとソワソワしていたのですか」

 

「う……。し、してたか?」

 

「はい。やたらと私の顔色をうかがっていました」

 

 

 なんでもないように言ってくるが。こちらとしては、なるべく気づかれないように注意していたつもりだった。

 

 それならば。気づいていたならば、言わないで欲しかった。

 

 こう、無性に恥ずかしくなった俺は、ついつい顔を体ごと背向けて————

 

 

楽しかったですよ。……シュウとのデートは

 

 

 すぐさま顔を元の位置に戻した。風の音でかき消えてしまうほどの声量だったが。とても嬉しい言葉と、決してケイが言わないような表現が、高揚した声で聞こえた気がして。

 

 でも、すでに顔は前を向いていて歩き出してしまっているせいで、彼女の表情はわからない。

 

 気になる。今耳に入ったものが、俺の妄想から来る幻聴ではないのか、本当に聞こえたことなのか。

 

 

「あの、今なんて?」

 

「何がですか。早く帰りますよ」

 

「え、ちょ、歩くの早くないか」

 

「陽が暮れてしまいますから」

 

 

 いつもの1.5倍ほどのスピードで歩くケイ。それを追いかけて。

 

 胸にじんわりとした暖かさと、わずかなモヤモヤを飲み込んで寮への帰路を辿った。

 

 とてもいい日。多くの事柄が前に進んで、また1歩踏み出せた。だけど。

 

 

 

 まさか。その姿を、今日の1日を。途中から見られていたとは、この時は想像もしていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「えっと……これって。お姉ちゃん……」

 

「やっぱり、あれってアリスじゃなくて」

 

「「ケイ(ちゃん)だよね……?」」

 

 

 

 

 

 

 

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