補習授業部編、完…?
床に座り込んで俯くミカに、イヴと先生、補習授業部が歩み寄る。
「…どうして?」
「セイアちゃんが襲撃された時だって動かなかったのに…今このタイミングでシスターフッドが介入するなんて、冗談にもほどがあるよ」
「…何を見誤ったのかな」
ミカが顔を上げ、補習授業部の面々を眺める。
「…ハナコちゃんのことを見くびったから?」
「……」
ハナコは悲しそうな表情でミカを見下ろす。
「ううん、《浦和ハナコ》がとんでもない存在だってことは知ってた。でも、いつの間にか無害な存在になってた。変数として計算する必要がないくらいに」
「…アズサちゃんが裏切ったから?」
「……」
アズサはいつもと変わらない無表情でミカを見下ろす。
「ううん、アズサちゃんはただの操り人形。裏切ろうと、裏切らなかろうと、私の望む結果には何も関係なかった」
「…ヒフミちゃんは普通の子で、コハルちゃんはただのおバカさんでしょ?変数になるような存在じゃなかった」
言い切って、ミカは再び視線を下げる。
「それなのに、どうして負けるかなぁ…」
「どこからズレちゃったんだろ」
ミカは自嘲するように、困った笑みを浮かべた。
[“……”]
そして、ミカは顔を上げる。
その視界には、先生とイヴの二人が入っていた。
「……」
先生もイヴも、無言のまま、ミカを見下ろす。
先生は悲しそうに。
イヴはいつも通りの無表情で。
「……やっぱり、あなた達が一番大きな変数だったのかなぁ。私の計画に於ける、
二人の顔を眺めながら、ミカは語り続ける。
「シャーレの先生、それと、レイヴン…うん、そうだね。考えてみればきっと、先生を連れてきた時点で私の負けだった」
「ナギちゃんが裏切り者がいるって騒ぐから、仕方ないなぁって、ちょうど良さそうだなぁって思って“シャーレ”に連絡して…そっか、あの時かぁ」
「いやー…ダメだな、私…」
ぎこちない笑みを向けたミカは、再び俯く。
「はぁ…」
「ミカさん、セイアちゃんは…」
俯いたミカへ、ハナコが声をかける。
「…本当に、殺すつもりじゃなかったの。今の私が何を言っても言い訳になるけど…」
ミカは俯いた視線を逸らし、堪えるように目を瞑る。
「多分、事故だった。セイアちゃん、元々体が弱かったし…それに…」
「…セイアちゃんは無事です」
「…!?」
ハナコの言葉に、ミカは勢いよく顔を上げた。
その顔を見つめたまま、ハナコは言葉を続ける。
「ずっと、偽装していたんです」
「襲撃の犯人が見つからなかったので、安全のためということもあって…トリニティの外で身を隠しています」
それを聞いたミカは、まるで肩の荷が降りたかのように体から力が抜け、呆然とハナコを見詰める。
「セイアちゃんが…無事…?」
ミカが信じられない、というような呟きを溢すと、それに答えるようにハナコが頷く。
「はい。傷が治らなくて、まだ目が覚めていないのですが…救護騎士団の団長が今もすぐそばで守ってくれています」
ハナコの説明でハッと我に返ったミカが聞き返す。
「“ミネ”団長が…?」
「はい。そしてあの時、セイアちゃんを助けてくれたのは…」
そこでハナコが言葉を区切る。
「……」
無言のハナコに、ミカが視線を注ぐが、やがて誤魔化すようにハナコは微笑んだ。
「…いえ、これは直接ご本人の口からが良いでしょう」
それだけを告げると、ハナコは言いたいことを言い終えたのだろう。
後ろに引き下がる。
「…そっか、生きてたんだ…」
その言葉には、心の底からの安堵が含まれていた。
「…良かったぁ…」
暫し、俯いたままだったミカだが、唐突に立ち上がる。
その際に、ミカは目元を拭う。
立ち上がったミカは、目の前の先生とイヴ、補習授業部の面々を眺めながら、口を開いた。
「…降参。私の負けだよ」
その声音には悔しさは微塵も感じられず、清々しさすら孕んでいた。
「おめでとう、補習授業部…そして、先生。あなた達の勝ちってことに──」
そこでミカは、ふとイヴを一瞥した。
「…ううん、完璧に私の負け。完全敗北だね」
「もう何でもいいや、私のことも好きにして」
「……」
無言でミカを眺めていた補習授業部──その中のアズサに、ミカはふと視線を向ける。
「…アズサちゃん。自分が何をしているのか、その結果この先どうなるのか。それは分かってるんだよね?」
「もちろん」
アズサは迷いを見せることなく、力強く頷いた。
「…トリニティが、あなたのことを守ってくれると思う?」
ミカは厳しい表情と共に、アズサに告げる。
それは、ミカなりの勝者たるアズサへの餞別か、それとも最後の優しさか。
「これからずっと追われ続けるよ。ずっと、どこに行っても」
ミカの言葉をアズサはただ無言で受け止め続ける。
「…あなたが安心して眠れる日は来るのかな?」
「…それに、“サオリ”から逃げ切れると思う?アリウスの出身ならもちろん知ってるよね?et omnia vanitas…」
「うん、分かってる。それでも私は最後まで足掻いてみせる。最後のその時まで」
「…うん、そっか」
ミカは、シスターフッドが連絡を入れたであろう、正義実現委員会の委員に身柄を確保され、連行されていった。
先生がその後を追い、イヴと補習授業部も着いていき、屋外に出る。
外はすっかり夜が明け、眩い朝陽が広場を照らしていた。
朝陽を浴びてキラキラと光を反射させる噴水の近くで、ミカに先生が追い付く。
[“ミカ…”]
追い付いた先生がミカに声を掛ける。
その後ろから、イヴと補習授業部が様子を見守る。
先生の声にミカは立ち止まった。
「今はちょっと、先生からは何も聞きたくないなぁ…」
背を向けたまま、ミカは空を見上げる。
ミカが見上げる先の空は、青く透き通っていた。
「やっぱり、シャーレを巻き込んだのが、私の最大のミスだった」
そこから、ミカは視線を下ろす。
「うん、でも──」
『[“もちろん、ミカの味方でもあるよ”]』
その言葉は、ミカが合宿中の先生に密かに接触した時のこと。
先生は生徒の味方だと言った先生に、冗談混じりでミカは、それならば生徒の一人である自分にも味方してくれるの?という、少しばかりの意地悪な質問に対して、先生は一切の迷いなく言い放った言葉だった。
「…あの言葉を聞いた時は、本当に嬉しかったんだ」
ミカは肩越しに振り向き、先生の顔を見る。
「あの時、もし──」
ミカは何かを言いかけ、だが、それがついに言葉として紡がれることはなかった。
「…ううん、やっぱり何でもない」
ばつが悪そうに、ミカは先生から視線を逸らす。
「…あ、そうだ。レイヴン」
そして、話題を切り替えるように、ミカはイヴへと声をかける。
「貴女にも一つ言っておいてあげる。今回のことで、きっとアリウスは貴女に目を付けた。きっと、《スクワッド》が放っておかない。今後、貴女はアリウスに狙われ続けることになる」
ミカの言葉に、イヴは目を険しく細める。
だが、イヴはその顔の険をすぐに取り、口を開く。
「…ご忠告どうもありがとう。でも良いの?そんなことを私に教えたりして」
ミカとアリウスの間に本当の仲間意識があったかは定かではないが、曲がりなりにも数分前までは協力関係だった相手の情報を流すのは、変わり身が早過ぎるのではないか。
また、アリウス側から報復される可能性もある。
「私が言わなくても、遅かれ早かれ分かることだし。それに、これは忠告じゃなく、私から貴女への単なる“嫌がらせ”だから」
要はミカは、この嫌がらせでイヴがアリウスの影にビクビク震える様を望んでいる訳だ。
「…まぁ、でも、貴女には無意味かもね。この程度の嫌がらせじゃ」
それと同時に、ミカは理解してもいる。
イヴがこの程度で恐れ、震え上がるような存在ではないと。
「…私、貴女のことが嫌いだよ。レイヴン」
ミカは、淡々と、冷静に告げる。
そして、その表情はどこか晴れやかなものだった。
「そう。それは残念」
「…もっと何かないの?怒ったり、悲しんだりさぁ」
イヴのリアクションに満足いかないのか、ミカはムスッとした表情を見せる。
「…別に。私にとっては、嫌われることは慣れたものだから」
嫌われるどころか、蔑まれ、憎まれ、恨まれ、殺意を向けられることが日常茶飯事だったルビコンでの傭兵時代に比べれば、嫌われる程度、イヴにはそよ風のようなものだ。
「…何それ。まるで私が子どもみたいじゃん…はぁ、もう良いや…」
ミカは困ったような笑顔を浮かべた後、イヴから視線を外し、先生を一瞥する。
「…バイバイ、先生」
穏やかな微笑みと共にそれだけを言い残し、今度こそミカは正義実現委員会に連行され、この場から立ち去った。
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聖園ミカが立ち去った後、思い出したように補習授業部の面々は、試験会場へと走り出した。
補習授業部にとっては、これからが本当の戦いだ。
桐藤ナギサの暗殺阻止は、その前段階に過ぎない。
本当のトリニティの裏切り者が判明したのだし、もはや意味のないものにも思えるが、それはそれとして、試験に合格してこそ、胸を張って戻ることができるといったところだろう。
先生もその後を追い、その背中を見送った私は手持ち無沙汰となり、周囲を見渡す。
辺りでは、正義実現委員会が忙しなく動き回っていた。
今回の騒動の後処理に駆り出されたのだろう。
アリウスのことも含め、後はトリニティが始末を着けるだろう。
私は今回、単なる補習授業部の手伝い…部外者に過ぎない。
私のやるべき仕事は終わった。
あと、気になることと言えば報酬のことだが、それについてはハナコが桐藤ナギサに請求してくれと言っていた。
だが、当の本人は慌ただしい状況に置かれていることだろうし、日を改めるべきだろう。
「……帰るか」
誰に言うでもなく呟き、私はトリニティを立ち去った。
自宅までの帰り道の道中、私はシャーレに立ち寄った。
今回の仕事の報酬を正式にシャーレのレイヴンとして、ティーパーティーのホストである桐藤ナギサに請求する為だ。
合鍵を使って中に入り、事務所へと向かう。
内部は当然だが、全ての照明が落とされている。
廊下などは本来、センサーで人を感知して明かりが点くシステムだが、先生が長期間空けるということもあって、今はそのシステムも落とされている。
だが、じきに元通り帰ってくることだろう。
補習授業部は合宿の必要はなく、先生もその担任をする必要はなくなるのだから。
事務所の前に辿り着き、鍵を開ける。
──鍵は開いていた。
先生が締め忘れた?
それならば先生を注意するだけだが、そうとは思えない。
“猟犬の耳”を立て、警戒しながら事務所の内部に立ち入る。
事務所の中も明かりは落とされ、また窓から差し込む日の光をブラインドが遮っており、事務所内は仄暗い闇に包まれていた。
その闇の中に、まるで私を待っていたと言わんばかりに人影が立っていた。
その人物は、花柄が目立つ独特の衣装──いわゆる“和装”の制服に身を包み、
狐面の生徒は、既に銃を抜いており、肩に平行になるように担いでいた。
銃にも狐面の模様が描かれ、何より特徴的なのは、銃の先に短刀が取り付けられていることだ。
私は、この生徒を知っていた。
より正確には、この特徴を持つ生徒の情報を識っていたと言うべきか。
《ヴァルキューレ警察学校》が管轄する《矯正局》から脱獄した犯罪者──《七囚人》の一人。
“災厄の狐”とも呼ばれ、指名手配もされていたはずの生徒。
「…《狐坂ワカモ》」
彼女が何故、この場所に?
まさか、先生がいないのを良いことに、何か良からぬ事を企んでいたのか。
狐坂ワカモは、私が名を呼んだ後、ゆっくりと歩み寄り、一定の距離を置いて立ち止まる。
無言のままだが、何より疑問なのが、狐坂ワカモから放たれる重圧。
それは最早、殺気と呼んで差し支えのない気迫であり、何故、彼女がこれほどまでに私に殺意を剥き出しにしているのか、到底、理解できなかった。
「…レイヴン──いえ、渡鳥イヴ。何故、私がこうして貴女に会いに来たのか、分かりますか?」
狐面を着けたままで、僅かにくぐもっているが、それでも聞き取りやすい声が耳に届く。
その声は、放たれる殺気とは裏腹に、とても理性的なものだった。
「…いいえ。私たちは互いに初対面のハズですよね?」
向こうはどうか知らないが、少なくとも私自身は、出会った覚えがなかった。
また、忘れているとも考えにくい。
「ええ、そうですね。私たちは互いに初対面です。…ですが、私はずっと見てきました。先生と、そして、同時に貴女のことも」
・・・先生は、多くの生徒と面識があり、そして、本人は人たらしだ。
生徒の枠組みを超えた大きな感情を抱き、
身近なところだと、ミレニアムのヴェリタスのコタマ。
彼女の仕掛けた盗聴器が稀に仕掛けられているのを見付ける。
先生も見付けてしまう為、彼女の盗聴が成功した事例はない。
先生もその都度、注意するのだが、コタマは改めない。
余談はさておき、そんな具合で先生は生徒からの人気が高い為、必然と私にもその耳目が集まる。
ちょっとした羨望を向けられる事も多々あり、今のところは無いが、その先の過激な想いを向けられても仕方ないように思う。
いわゆる、嫉妬というヤツだ。
「……」
言ってしまえば、私は目の前の狐坂ワカモが嫉妬で現れたのだと考えていた。
それならば、少々、段階を飛ばしているが、この殺意にも一応は説明がつくからだ。
私自身が納得出来るかは別として。
「単刀直入に申し上げましょう。私は貴女に忠告をしに参りました」
「…忠告?」
これ以上、先生に近付くようであれば、容赦しないといったようなことを告げられるのだろうか。
私はそんな、暢気で的外れな想像をしていた。
そして、的を射抜いて来たのは、狐坂ワカモの方だった。
「貴女自身も気付かれているハズ。貴女の内に巣食う、
「…!」
その言葉は、私にとっては完全に予想外だった。
まるで、心の中を見透かされたかのような気分だった。
「今はどうにか押さえ込んでいるようですが…先に言っておきます。貴女がその“衝動”に飲まれるようでしたら、その時は、私が貴女を始末致します。例え、差し違えてでも。修羅となった貴女が、
あの方、というのは先生のことだろう。
なるほど。
どうやら彼女は、どこまでも先生のことを思い遣っているようだ。
「……」
狐坂ワカモは、真っ直ぐ歩き出し、私へと近付いて来る。
「今日はこれを申し上げに参りました。それでは失礼します」
そう言って、狐坂ワカモは私の横を通り過ぎ、扉のドアノブに手をかける。
「…
「…狐の眼は、いつでも、貴女を観ています」
その言葉を最後に、狐坂ワカモの気配は消えた。
あの全身を刺し貫くような殺気も、もう感じない。
狐坂ワカモは本当に立ち去ったようだ。
一人残された部屋の中、私は虚空を見詰める。
私が最初に違和感を覚えたのは、トリニティでの美食研究会捕縛の一件。
あの時の戦闘の最中で、私はふと、自身が悦びに浸り、笑って──いや、嗤っていることに気付いた。
その時は、本当にそれだけだった。
次の分岐点は紛れもなく、昨晩──アリウス部隊との交戦の時だ。
殺意を向けられ、ヒリ付くような感覚の中、私は“衝動”が湧き上がるのを感じた。
激闘を、死闘を求める、闘争本能のような何か。
それでいて、まるで獣のような、獰猛で、惨忍な気性。
・・・あの時、聖園ミカの言葉で我に返っていなければ、私はどうなっていたのか。
「…黒い鳥の次は修羅、か…」
“歯車”と“残り火”に次ぐ代償。
心身を蝕む代償の次は、力に飲まれる代償。
身体機能を失い、戦うだけの戦闘マシーンとなる“歯車”。
記憶を失い、その桁外れの力によってあらゆるものを焼き尽くす黒い鳥になりかねない“残り火”。
そして次は、敵味方の区別なく闘争を求める修羅。
修羅に関しては未だ原因が不明だが、つくづく、私は怪物となる縁が深いらしい。
「…いや、私にはお似合いか…」
自然と、自嘲するような笑みが溢れる。
星と、そこに生きるもの全てを焼き滅ぼすような殺戮者には、バケモノこそが相応しい。
こうしてバケモノの因子を持ち合わせていることも、因果応報ということなのかもしれない。
こうしている今も、私は衝動に苛まれている。
獣が血肉を求めるように、本能的に闘争を求めている。
それは最早、“餓え”と呼ぶべきものだった。
今はどうにか堪えることが出来ている。
押さえ込むことが出来ている。
それは、戦闘の最中ではないから。
戦闘になれば、私を苛む衝動は、炎のように燃え上がり、忽ち、目の前を覆い隠す。
まるで、火の手が上がり、行き場を塞ぐように。
・・・どうして今になって、この衝動が現れるようになったのか。
何故、以前まではこの衝動が湧かなかったのか。
夢の中の、もう一人の私──“レイヴン”なら、何か知っているのだろうか?
・・・もし、次に衝動に飲まれた時、私はどうなるか分からない。
今回は奇しくも、聖園ミカの言葉で理性を取り戻せた。
敵味方の区別が付いていた。
だが、次は?
先生や、他の生徒に危害を加えない保証はどこにも無い。
だからこそ、私は飲まれる訳にはいかない。
私には、為すべきことがある。
キヴォトスに現れたコーラルを、エアを、滅ぼし尽くす。
それまでは、“餓え”に飲まれ、狐坂ワカモに殺される訳にはいかない。
例え、私の本性がバケモノだとしても、私は私の誓約を全うする。
それが、私がウォルター達から受け継ぎ、自らの誓いにした、私自身の祈りだから。
それを果たすまでは、“黒い鳥”にも、“修羅”にも、堕ちる訳にはいかない。
私は窓際に近付き、ブラインドを上げた。
日が差し込み、暗闇に慣れた目が刺激を感じ、目を細める。
光に目が慣れ、窓から空を見上げれば、透き通るような青空が広がっていた。
その青に、身を焦がすような衝動が少しだけ、浄化されたような気がした。
レイヴンに新しい厄ネタ発現!
特別な力でなくとも、存在そのものが“例外”であるレイヴンは、それだけで大きな力を持つ存在であり、故に力の代償が課される
そんなイヴちゃんはさておき、エデン条約二章はこれにて終了、次回は二章のエピローグとなります