事件の爪痕は未だ残り、各学園はその後処理に追われていた。
イヴもまた、その一環として、トリニティの地下に広がる地下遺跡の調査の依頼を受け、それに臨んでいた。
調査ひと段落つき、次の日に向けて、帰路に着こうという時、彼女の元に、依頼が届く。
その内容は──。
プロローグ/雨降り頻るは、絶望の夜に
日が落ち、夜の雨が降りしきる中、サオリは息を切らしながらも、苦しみを堪え、地面を蹴り続ける。
そうでもしなければ──立ち止まってしまえば、“連中”に捕まってしまうから。
だからこそ、疲労と負傷で鈍り、雨で冷えて重くなった身体に鞭打ってでも、鉛のように重い銃をしっかりと握ったまま、走り続ける。
自分自身が生きる為に。
何より、仲間を守る為に。
「いたぞ!!」
「あっちだ!追え!!」
雨の中でも、その声は明確に耳に届いた。
そして、無数の足音が近付いてくる。
その足音から逃げるように、寂れ、朽ち果てた路地裏を進むが……目の前には無慈悲な壁が聳え立つ。
「も、もうおしまいです…ここは行き止まりですし……」
共に逃げる仲間の一人が、そんな呟きをこぼす。
「…反対側も、完全に包囲されてる」
別の仲間が、置かれている状況を冷静に分析する。
「くっ…」
その追い詰められた状況に、サオリは歯噛みする。
自分たち──スクワッドを追い詰める集団が徐々に距離を詰め、代表的人物が前に出る。
スクワッドを追い詰める集団──それは他でもない、
「諦めるんだな。これ以上は逃げられないぞ」
リーダーと思しき生徒がサオリに告げる。
それは、これ以上の抵抗は無意味だという、最後の警告でもあるのだろう。
「……」
無言で相手を見据えるサオリ。
その脳内では、どうにか現状を突破できないかと、策を練るために思考を巡らせていた。
自分だけ捕まるのなら良い。
せめて、仲間だけでも、逃すことは出来ないか、と。
「ひ、ひっ……」
仲間の一人、ヒヨリは、この追い詰められた状況に涙を浮かべ、怯え、竦んでいた。
(スッ、ススッ…)
アツコは、手話で何かをサオリに伝えようとする。
だが、サオリは策を練るために集中していて、アツコの手話に意識が向いていなかった。
「…弾薬、ほとんど残ってないし、もう体力も限界…」
この状況に更に追い打ちをかけるように、ミサキがスクワッド側の状況を静かに告げる。
それは、サオリも認識していることだった。
ただでさえ、先のエデン条約を巡る騒動の最終決戦から補給も休息もままならない中、ずっと逃げ続けている。
コンディションが悪いのは、何も肉体や物資だけに限らない。
夜の雨は体を冷やし、肉体でのあらゆる運動を鈍くし、また思考をすら阻害する。
そうでなくとも、疲労した体で、濡れた路面は滑らないように意識を向けて踏ん張ることすら億劫に思える程だ。
その上──。
「リーダーの傷も大きい。このままじゃ、逃げるどころかリーダーの命が危ないよ」
ミサキの視線がサオリに向かう。
サオリは、あの戦いの中での手傷を負ったままだ。
ミサキの言う通り、この状況はサオリの身柄だけでなく、生命の危機でもある。
例え、この状況から逃げ仰せたとしても、サオリの命の安全は保証できない。
「…最後の手段なら、まだ残っている。これなら……」
その状況を冷静に、冷徹に、冷酷に見据えた上で、サオリはミサキに告げる。
「ま、まさか…」
「…ヘイローを破壊する爆弾」
策は、最初からあった。
あとは、サオリ自身の覚悟の問題だった。
或いは、サオリには最初からこの手段しか考えられなかったのかもしれない。
「ミサキ、ヒヨリ。私が時間を稼ぐ。その間に、姫を連れて…ここを離れるんだ」
ミサキも、ヒヨリも、そしてアツコも。
こうして追い回されているのは、自分のせいだ。
自分を信じて着いて来たから、三人は自分と同じように辛く苦しい目に遭っている──。
ならば、最後の役目として……ここまで連れて来てしまった者の責任として、彼女たち三人を解放しなければならない。
後のことを丸投げしてしまうようで心苦しいが──。
「…サオリ」
「ここを離れて…そうしたら…その次は…」
共に居られない分、この先の道行を示そうとする。
「その…次は……」
示そうとするが…何も思い浮かばない。
「サオリ」
そこでようやく、サオリは自信を呼ぶアツコの声に気付いた。
「…姫?」
アツコへと視線を向ければ…そこには柔らかく微笑むアツコがいた。
「もう良いよ。私たちは頑張った」
その笑顔は、この状況にはとても不釣り合いで、不自然で。
サオリは違和感を覚えずにはいられなかった。
「……」
「ひ、姫ちゃん…どうしたんですか…?」
ミサキとヒヨリの視線も同様にアツコに向かう。
困惑するヒヨリの一方で、ミサキはどこか、こうなると分かっていたかのように落ち着いていた。
しかし、それでもミサキもまた、その表情は芳しいものではなかった。
「“彼女”が求めているのは私。そうでしょう?」
アツコは、こうしてアリウスに追いかけ回されていることに、先の任務失敗以外の理由を見出していた。
それは、他でもない自分自身。
「私が行くよ。だから、他のメンバーは見逃して欲しい」
それは、ほぼ確信に近いものだった。
「……」
アリウス部隊のリーダーは黙ったままアツコをマスク越しに見つめる。
「アツコ!?…一体何を!?」
しかし、サオリはアツコの行動を黙って見過ごす訳にはいかなかった。
唐突なアツコの行動に戸惑いつつも、問い質す。
「…もう良いよ、サオリ。全部、無意味だよ」
アツコのその様子は、ただ現状に絶望し、悲観している訳ではなく、現実を受け入れ、あるがままの事実を述べていた。
「ここを切り抜けた先は?一体どこに向かうの?」
その口調は、サオリを責めるようなものではなく、宥め、言い聞かせるような、柔らかいものだった。
「……」
サオリは、言い返すことが出来なかった。
アツコの落ち着いた様子に加えて、何より、サオリ自身、どこに向かうべきか、答えを出せていないからだ。
「トリニティにゲヘナ…そしてアリウスさえも私たちを追いかけてる」
スクワッドは完全にキヴォトスのお尋ね者──指名手配犯だ。
「このキヴォトスで私たちが安心できる場所はないよ。私たちの命が尽きるまで、息を潜めて逃げ隠れる人生が続くだけ」
トリニティとゲヘナは三大校に連なるほどの学園だ。
それだけ、与える影響は大きい。
たとえ他所へ行っても、スクワッドの安住の地は存在し得ない。
それが、アツコの分析だった。
「でも、それも私がいるからの話。サオリも、ミサキも、ヒヨリも、私のせいでこうなってしまったから……」
サオリは否定したかった。
アツコのせいではないと。
アツコは悪くないと。
だが、それが出来なかったのは、アツコの顔に宿る覚悟の意気に気付いてしまったから。
「だから、私が終わらせる」
サオリには、アツコの覚悟を強く否定することが出来なかった。
「ひ、姫ちゃん…」
「…姫」
それは、ミサキとヒヨリも同じであり、二人もまた、アツコの覚悟に圧倒されていた。
「…ダメだ、アツコ。戻ったら殺される…それくらい、分かっているだろう?」
サオリは弱々しく、アツコの提案を否定する。
それは、もはや縋り付くかのように。
そんなサオリを見ながら、アツコは困ったように微笑む。
「…今まで私は何の決定も判断もしなかった。だから、今回くらいは自分で決めたって良いでしょ?」
柔らかくそう告げると、アツコは静かに目を伏せてサオリから向きを変える。
サオリにはただ、アツコを見つめていることしかできなかった。
「約束してくれる?みんなを自由にしてくれるって」
サオリから向きを変え、振り向いたのは、アリウス部隊の生徒だった。
サオリと話していた時とは異なり、その表情は険しく、声も冷たい。
「……少し待ってろ。“マダム”に確認を取る」
生徒は特に声色を変える事なく、“マダム”に連絡を入れる。
『ほぉ』
通信越しに、“マダム”の声が届く。
『…なるほど、分かりました。お約束いたしましょう』
生徒からアツコの要望を聞き、思いの外、あっさりと“マダム”は了承する。
それはもう、無責任な程に白々しく。
「その名にかけて、誓って」
だからこそ、アツコもそれを察して、反故にさせない為に、誓約を求める。
『名前を…?それにどれほどの意味が?』
「必ず約束を守って欲しいから」
アツコが望むのは、サオリ、ミサキ、ヒヨリの安寧。
トリニティとゲヘナはどうしようもないが、せめてアリウスの追撃だけは何としても止めたかった。
『良いでしょう…全ての巡礼者の幻想である私──《ベアトリーチェ》の名にかけて、お約束いたします』
「…うん、約束だよ」
念押ししたアツコは、アリウス部隊の元へと向かう。
サオリも、ミサキも、ヒヨリも、その姿をただ眺めていることしか出来なかった。
「姫様、こちらを。マダムのご指示です。勝手にマスクを外されては困ります」
アリウス生徒にマスクが渡され、アツコは再び、マスクの下に顔を隠す。
「傷一つ無いよう、丁重に扱いなさい。儀式は明朝、日の出と共に始めます」
そのように告げて、ベアトリーチェは通信を切った。
その直後、アリウス部隊も引き返していく。
その後をアツコもついて行く──前に、最後に一度、アツコはスクワッドの三人に向き直る。
「…元気でね。サオリ、みんな…さようなら」
アツコがどんな表情をしているのか、マスクの下に隠された顔からは窺えない。
だが、その声音からは、何かを堪え、気丈に振る舞っていることを察することが出来た。
アツコは三人に背を向け、離れていく。
「姫…」
「姫ちゃん…」
ミサキもヒヨリも、ただその背中を眺めていることしか、出来なかった。
「ダメだ…アツコ……」
そして、それはサオリも同じだった。
「私は…お前まで守れなかったら……」
アツコの背中へと手を伸ばす。
だが、その手はただ、
これまで、当たり前のようにずっとそばに居てくれたのに、今は果てしなく遠い。
サオリの手も、声も、アツコには、もう届かない。
「信念も…守るべきものも…全部なくなってしまったら……」
エデン条約を巡る騒動、その結末にて、サオリの信念は叩き折られた。
それと同時に、アリウス分校という、唯一の居場所すらも失った。
それでも、サオリにはまだ耐えられた。
アツコも、ミサキも、ヒヨリも、そばに居たから。
この三人を守れれば、それで良いと思っていた。
最悪、一緒に居られなくても、この身を犠牲に三人が逃げ延び、生きてくれればそれで良いと思った。
「私は…」
だが、アツコ一人だけが捕まり、自分だけが生き延びるのは耐えられない。
「アツコ、私は…」
守るべきものを失う恐怖だけは、サオリには許容できない。
「私は一体、何のために今まで…」
それは、これまでのサオリの人生の否定も同義。
「何のために…生きているんだ…?」
サオリの生きる意味すらも、奪うことと同然だった。
「…残りのスクワッドはどうしますか?」
『すべて始末なさい』
「かしこまりました」
「撃て」
雨降る夜に、その雨音に混ざり、無慈悲な銃声が響き渡った。
*****************************
暗い道を進んでいく。
暗いのは、夜だからではなく、この場所が地下だからだ。
道もまた、整備されておらず、獣道よりはマシだが、石畳が朽ち果てて割れ、土やら岩が剥き出しになっている場所が散見される。
それは、周囲の壁や天井にも見受けられる。
空間としては、今、私がいる場所は狭く、閉塞感が強い。
…というのも無理はない。
この場所は、トリニティの地下に迷宮の如く広がると言われる遺跡──カタコンベなのだから。
私は以前、サクラコと交わした契約の下、遺跡の地形調査という形で依頼を受け、探索していた。
依頼の内容としては、遺跡を歩き、機器に記録させるだけの簡単な仕事だ。
その機器は、特殊な電波を発して周囲の地形を把握し、記録するという特殊仕様。
要は、マッピングだ。
とは言え、このトリニティの地下迷宮は、踏み入る度に構造を変えるという不可解な特性を持つ為、便利な全自動マッピング装置を持っていても、迷宮の完全攻略には程遠い。
それでも、ある程度のパターンは掴めるかもしれないという事で、私もそれに納得して協力している。
それに、私としては、この遺跡探索を楽しんでいる節がある。
全自動マッピング装置は、マッピングの様子を確認することが出来るのだが、地形が埋まって行く過程を見るのは中々に楽しい。
加えて、この計画に協力しているトリニティ古書館の主──古関ウイのお使い──遺物の収拾もある。
基本的には、ウイの使いの生徒が、完全にパターンを把握した浅い層で拾い、それがウイの報酬として与えられるというものだったが、私も目についたそれらしき物を拾って行けば、追加で報酬が貰える。
私はマッピングの役目もあって、深い層にも潜る。
ウイの使いの生徒には荷が重い為、深い層の遺物はウイに大変喜ばれ、相応の報酬を貰う事が出来る。
お嬢様学校の生徒というだけあって、中々に羽振りがいい。
特に、文字のような、模様のようなものが刻まれた石は大層、喜ばれる。
ウイはその石を《楔石》と呼んでいて、より大きなものを持って行くと、より良い報酬が期待できる為、私も率先して拾いたい。
しかし、《楔石》自体が中々に貴重であり、大きなものは更に珍しい。
《楔石》がどんな代物であるのかは今のところ不明であり、目下、究明中とのことだ。
それでも、貴重なものである事は間違いない、とウイは興奮気味に私に語った。
「…今回はハズレ、か。まぁ、仕方ない」
今日のように、完全に空振りの日も少なくはない。
道の突き当たりに辿り着き、私は踵を返して来た道を戻る。
その他には、探索の途中、《
種類としては、ユスティナ聖徒会の
私からすれば大した敵では無いが、未だエデン条約を巡る騒動は完全には終わっていないことを意識させられる。
稀に楔石を残すこともあって、率先して狩っている。
とは言え、こちらもそれほど頻繁に出てくる訳ではない。
あの時の残党が遺跡に迷い込んだのかもしれない。
決して、楽観視は出来ないが。
アリウスの背後にいるだろう大人──ゲマトリアは依然として健在だろうし、何をして来るか分からない。
何かして来る前に叩きたいところだが、アリウス自治区の位置が不明なのもあって、動くことが出来ない。
地下遺跡の何処かがアリウス自治区に繋がっているかもしれないとサクラコが言っていた為、こうして探索している中でその場所に運良く巡り合う可能性に賭けて、協力しているという目論見もあったりする。
アリウスのゲマトリアもそうだが、ゲマトリアにはエアもまた、協力している。
ゲマトリアが拠点にしている場所が分かれば、そこから芋蔓式にエアの場所も判明する──可能性もなくはない。
可能性は低いが。
あのエアが、何の対策もしていないとは考えられないからだ。
無駄足で済めばマシ、最悪、罠が仕掛けられている可能性すらあり得る。
それでも、少しでもエアに繋がる可能性があるのなら、無視は出来ない。
例え、罠が仕掛けられていたとしても、その罠を食い破ってでも、エアの喉元に噛み付いてやる。
そんな事を考えている内に、私は地上に辿り着いた。
ずっと地下の暗闇の中にいた為、外の光が眩しい。
日は傾きつつあるが、暗闇に慣れた眼には刺激が強い。
少しずつ光に慣らしていく中、猟犬の耳がこちらへ近付く足音を捉える。
「お疲れ様です、レイヴンさん。収穫の程は如何でしたか?」
シスターフッドの生徒の一人だった。
彼女は、遺跡調査に於ける責任者のような人だ。
彼女に報告すれば、依頼は達成となる。
「まずまずですね。今日のところはマップの更新程度です」
そう言って、私は全自動マッピング装置を彼女に渡す。
マップの更新というのもまた、幾つかのパターンの一つに過ぎず、成果としては微々たるものだ。
「それでも私たちにはありがたいことです。いつもありがとうございます」
構造を変える地下遺跡は、普通の生徒にとっては、遭難の危険性がある、脅威ある場所だ。
私の場合、猟犬の耳によるACのレーダーにも匹敵する探知能力によって、容易く構造を把握し、出入口への道を探り出す事が出来る。
それに加えて、《複製》という敵性脅威の存在もある。
一般の生徒には簡単には立ち入れない場所なのだ。
今回の探索での出来事を簡潔に説明し、シスターフッドの彼女がそれを書き留めていく。
「…はい、ありがとうございました。それでは、今回の調査は以上になります。報酬につきましては、いつも通り、上が内容を確認次第、振り込ませていただきます」
「はい、よろしくお願いします」
「はい、お疲れ様でした。今後とも、どうかご協力の程、よろしくお願いいたします。この後はどうされますか?」
「んー…そうですね……古書館の方に立ち寄ろうかと思います」
直帰でも良かったのだが、ウイの元に顔を出したい気分だった。
その後、他の生徒と共に後片付けをする生徒に別れを告げ、私はトリニティへと向かった。
陽が落ちつつある中、私はトリニティに辿り着き、古書館の前で扉を叩く。
相変わらず、中から反応は無し。
仕方なく、ドアノブに触れると、鍵はかかっていなかった。
「お邪魔します」
一応、挨拶をして古書館へと足を踏み入れる。
木の床を軋ませながら先に進めば、ウイはすぐに見つかった。
ウイは机ではなく、床に向かっていた。
床にはシートが敷かれ、その上に、私がこれまで集めて来た様々な遺物が一定の間隔で並べられていた。
《楔石》は勿論、謎の書物の切れ端や機械部品、黒ずんだ種子など、その種類は多様だ。
「こんばんは、ウイ」
驚かせないように、私はウイの背後ではなく、正面に立って、声をかけた。
「へぁあっ!?誰ですか!?…って、なんだ、イヴさんですか。どんなご用で?」
集中していたウイには、背後でも正面でも、あまり変わらなかったようだ。
「進捗はどんなものかと思って」
色々と遺物には訳の分からないものが多いが、中でも《楔石》は特に出自が不明だ。
だからこそ、ウイだけでなく、私も興味が惹かれる。
「…良くはないですね。未だに、これが何なのか、欠片も掴めません。そう言えば、今日の調査ではどうでしたか?」
ウイはひと息つくように近くのコーヒーを一口飲む。
飲んでから私を気遣うようにコーヒーのカップと私とを交互に見るが、私は必要ないという風に首を振る。
今日はそこまで長居するつもりはない。
「残念ながら、今日は一個も手に入らなかったよ」
「それは残念です……ですが、何一つ分からない訳ではありません」
「何か掴めたの?」
「イヴさんが以前、入手して来た《楔石》の中に、大きな塊のものがありましたよね」
そう言って、ウイはシートの上に広げられている楔石の中でも、特に大きな塊のものを示す。
「それと、これまでの幾つかの欠片を見比べて分かって来たんですが…これらは恐らく、
ウイの言葉を受け、改めて並べられた楔石へと視線を向ける。
並べられた楔石は、大きさによって横に並べられており、小さな欠片から大きな欠片、そして、塊という順になっている。
「それはつまり……」
「はい。あの塊よりも更に大きな…基盤となる原型のようなものがあるはずです。それが手に入れば、或いは……」
この楔石と名付けた物質が、どういったものなのか、分かるかもしれない、という事なのだろう。
「…この欠片を組み合わせて復元、とかは……」
ウイは以前、原形を失った古書を復元してみせたと聞いている。
その技術があれば──などと淡い期待を込めて窺うが、ウイは横に首を振った。
「無理ですね。ここにある欠片が全て同じものの破片であれば、それも可能でしたが……言ってしまえば、ここにある欠片は、異なる本のページの切れ端が並べられているようなものです。組み合わせて復元したところで、それは形だけをそれっぽく装ったに過ぎません」
ウイの説明に私は納得した。
ウイの言った内容を私的に噛み砕けば、異なる銃の部品同士を組み合わせて特定の一つの銃を作れと言っているようなものだろう。
どれだけ無茶な要求をしたのか、私は理解した。
「まぁ、でも、私も最初はそう思いましたよ。そうして試行錯誤している内に、この欠片たちが大きなものから分かれた破片だと思い至ったので、あながち失敗でも無いです」
それとなく、ウイは私にフォローを入れてくれた。
「そういうことなので、イヴさん。楔石のより大きな塊を見付けたら教えて下さい」
「分かった。注意しておくよ」
それだけを告げると、私はウイに別れの挨拶をして、古書館を立ち去った。
何やら広場の方がやけに騒がしい。
古書館に来る時もやっていて気にはなっていたのだが、その真相を探るよりも私は楔石の謎を優先した。
騒がしい方へと近付くと、トリニティの生徒が建物に向かって大声を上げていた。
「トリニティの裏切り者に報いを!」
「トリニティの敵対者、聖園ミカを許すな!」
「セイア様を傷付けた聖園ミカに鉄槌を!」
「魔女に裁きを!!」
──なるほど。
聖園ミカに対する糾弾だったか。
確かに聖園ミカは、到底、許されない行いをした。
アリウスと結託し、トリニティに取り返しの付かない大打撃を与える寸前まで至った。
それについては、先生と補習授業部、それから私も少しだけ手伝うことで阻止することが出来たが……。
それでも、聖園ミカがやろうとした事は、私がいた世界では、死刑は免れないほどの重罪だ。
キヴォトスに於いては、外とは色々と倫理や価値観が異なるので、死刑までは行かないだろうが…。
それでも、重罪には違いないだろう。
退学、あたりがあり得そうな罰か。
そんなことを考えながら、私は遠巻きにデモを眺める。
かなりの騒ぎになっており、正義実現委員会もチラホラ見えるが、鎮圧は出来ていないようだ。
そもそも、正義実現委員会も、その立場からあまり強く出られないのかもしれない。
ティーパーティー。
ナギサはエデン条約を巡る騒動の後処理に忙殺され、聖園ミカについては見ての通り、監禁状態。
シスターフッドや救護騎士団が協力しているらしいが、それにも限界がある。
トリニティは今、まさに昏迷を極めた状況と言えるだろう。
セイアもまた、最近は調子が悪いようで、自室に引き篭もりがちの様子だ。
まだまだ、トリニティに刻まれた爪痕は深い。
聖園ミカの糾弾を見ていても、あまり気分の良いものではない。
早々に立ち去ろうとしたところで、私に近付いてくる気配を感知した。
「いやぁー、酷いもんっすよねー…」
私に声をかけて来たのは、正義実現委員会の生徒だった。
ハスミや、ツルギではなく、初見の生徒だった。
その生徒は、私の隣に立ち、同じように聖園ミカの糾弾騒動を眺める。
「…そうですね。見ていて、あまり気分の良いものではありませんね」
自分たちの学園──自治区を脅かされたのだから、それに対して反抗するのは理解できる。
だが、この様子はあまりにも行き過ぎていると…思わなくもない。
これでは、どちらが加害者なのか、分からない。
罪人への裁き、という大義名分を得た正義は、人を盲目にし、暴走させる。
それを今、私は目の当たりにしているような気がする。
「こう言うのも何ですけど、自分たちが直接、被害を受けた訳でもないのに、ここまで強く出れるなんて、逆に感心します」
確かに、結局のところ、聖園ミカの計画は未遂に終わった。
今、彼女を糾弾している連中は、全てが終わった後から話を聞き、騒ぎ立てているに過ぎない。
そんな彼らが、まるで当事者の被害者のように、聖園ミカを糾弾するのは……やはり行き過ぎた正義の暴走のように思える。
「…同感です。正義実現委員会も大変ですね。お勤め、ご苦労様です」
「ははっ、そうやって労ってもらうと、嫌な仕事でもやる気が出るってもんです。ありがとうございます」
彼女はこれから、この場の騒動を収めなければならないのだろう。
それはとんだ、とばっちりであり、貧乏くじだ。
「それは良かったです。それでは、私はこの辺で……」
これ以上、彼女の仕事を先延ばしにする訳にはいかない。
協力できれば良かったのだが、ここで私が変に介入しても、話が拗れる可能性もある。
正式に依頼してくれれば、気にせず協力できるのだが…。
どうやら、そういう感じではないらしい。
「あ、はい、お気を付けて〜」
彼女は心良く、笑顔で手を振って送り出してくれた。
彼女に見送られ、手を振り返す中、再び聖園ミカを糾弾する連中を一瞥した後、背を向けた。
そのまま私はトリニティを後にし、帰路に着いた。
空には、ひと雨来そうな暗雲が、夜の帷と共に近付いて来ていた。
今夜は、雨になるだろう。
この時、イヴはまだ知らなかった。
水面下で、物語が始まりつつあったことを。
トリニティとアリウス──その二つを巡る物語が、動き出していたことを。
そして、イヴがそれを知ることになるのは、自宅への帰路、その道中でのこと。
「ん?」
イヴの携帯端末が震える。
取り出し、見てみれば、画面にはメッセージの通知が表示されていた。
メッセージの内容は、仕事の依頼だった。
それも二つ。
差出人は両者とも不明。
少なくとも、互いに連絡先を交換したような相手ではない。
イヴは素早く内容に目を通す。
「…これはまた、厄介なことになったな…」
イヴもまた、この物語に組み込まれ、歯車を大きく動かし、狂わせてゆく。
依頼内容を読み、差出人──依頼人が判明した。
片方は、これまで行方不明になっていた《アリウススクワッド》のリーダー、《錠前サオリ》。
そして、もう片方は──。
「…まさか、貴女から直接、依頼される日が来るとはな──《聖園ミカ》」
トリニティの監獄に幽閉されているはずの《聖園ミカ》からのものだった。
という訳で第四章開幕です!
第三章、エデン条約編と分けたのは、半分は気分、もう半分は、主軸となる生徒が補習授業部からスクワッドに変わるからですね!
サブエピソードとの兼ね合いもありますし!
そんな中、原作は新しく学園が追加されるし、アリウス編のメインストーリーが始まろうとしていた…
なんてこったい…えらいこっちゃ…