深夜2時11分 多摩集合団地にて。   作:フォンジョンマンノイ

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深夜2時11分。

重い鉄の扉を開けて、外に出てみれば、そこには青白い昼光色が一面に広がる異様な光景があった。

 

多摩市の一角に鎮座するこの巨大な団地郡はかつて詠歌を誇っていた団地文化と、多摩市、稲城市、八王子市一帯をまっさらに作り替えたニュータウン計画によって生み出された、高度経済成長期の悲しき産物である。

 

今やかつての華やかなるイメージはすっかり衰退し、年寄りや低所得世帯が住まうコンクリートの塊になっている。

山をほじくり返してまで、これ程空きのある巨大な建物を果たして作る必要があったのかと先人に問いたいが、彼らもまさか団地が時代遅れの古めかしい、排ガスにまみれた時代の負の産物になるとは思いもしていなかっただろう。

 

故に東京オリンピックに熱中していたような団塊世代を責めるのは、お門違い甚だしいのである。

 

ひんやりとしたコンクリートの上を、寝巻きとクロックスのみで闊歩する私の目的は、これといって大したものでは無い。腹が減ったので、夜食を買いに近くのコンビニへと向かっているところだ。

 

季節は春、夜は少し冷えるが寒いという程では無かった。なんなら電気代節約のためにエアコンを付けずに寝ていたため、火照ったからだをゆっくり冷ますにはちょうどいい。

 

そろそろ寝具を冬用から夏用に変える頃合だろうか。

 

 

長い長い廊下を歩き、階段を降り、低い木々が絶妙にスカスカな感覚で並ぶ並木道に出た。

LEDのちっこい街灯が、辺りを煌々と照らす中、俺はキリンジのエイリアンズをイヤホンで聴きながら、徒歩2分程度の場所にあるコンビニに向かった。

 

 

「らしゃせ…」

 

 

深夜だからかどこか覇気のない店員の挨拶を受けながら入店した俺は、商品棚からほとんどめぼしいものが消え失せた、品ぞろえの少ないコンビニをグルグルと見回りつつ、最終的にポテチとコーラとさけるチーズを買って再び家に戻った。

 

来た道を戻るだけなのに、どこかに寄り道したくなるのは何故だろうか。日中に比べ圧倒的に人の少ない、夜の団地の風景が妙にエモく感じられる。小さい頃は暗闇に包まれる夜に対して並々ならぬ恐怖心を抱いていたが、今はどちらかと言うと恐怖心よりも情緒的な何かを感じる。

 

ふとその時、額に僅かな水滴が叩きつけられた。

 

何事かと真上を見上げればそこには、夜空を覆い尽くす曇天が広がっていた。

 

確か今日の夜から明日の昼にかけて、雨がパラつくという予報だった気がする。であれば、ずぶ濡れになる前にとっとと家に戻ろうと、俺は寄り道しようとしていた足を自宅に向けて駆けることにした。

 

若干濡れた半袖の水滴を掌ではらいつつ、団地の入り口にやってきた俺は、屋根のあることのありがたみを深く感じながら、階段を昇った。

深夜帯はエレベーターが停止するため、否が応でもクソ長い階段を上る必要がある。

 

夜中に息を切らしながら汗だくになるのは勘弁だが、背徳的な時間に高カロリーのポテチとコーラを腹に収めようとしている、肥満予備軍の俺にとって、少しでもカロリーを消費できるこの細やかな運動は、非常に都合がいいことを認めざるを得ない。

 

もしかすると、深夜帯にエレベーターの電源を落とすのは、夜中のコンビニに夜食を買いに行くようなデブ()の健康をいたわった、管理会社の策略かもしれない。

 

と、くだらない陰謀論を巡らせながら、重い足取りでようやく8階までたどり着いた俺は、廊下で一度、上がった息を整えつつ、再び歩みを進めんと深呼吸をしながら、額の汗を拭った。

 

 

 

その時だった。

 

数えるのも嫌になるほど整然と並んだ扉が続く長い長い廊下の先に、何やら黒い物体が、ぽっかりと空いたブラックホールのように重々しくぶら下がっているのが見えた。

 

黒い物体は、僅かに光る赤い点二つを際立たせながら、さながらピレネーの城のように、最初からそこにありましたと言わんばかりの存在感を示しながら"こちらを見ていた"

 

ただの物体なのか、幻覚なのか、はたまた生物なのかはハッキリとは分からないが。直感的に思ったのは、黒い巨体の中に浮かぶ赤い丸二つは、恐らく目だということだ。

 

その目が黒い物体の下の方に置かれているということは、フィリピンオオコウモリのように天井からぶら下がった状態で、こちらを見ているということになる。

 

早速、人間業じゃない。

 

YouTuberのドッキリにしては手が込みすぎているし、何よりここは私有地なわけで、関係の無い人間が無断で立ち入ることは禁止されているはずだ。

しかもこんな真夜中、過疎が進んでいる団地で、誰が通るかも分からない時間帯にドッキリを仕掛けるのは些か無理がある。

 

であるとするならば、この団地に奇っ怪な格好をして真夜中に天井からぶら下がるのが好きな奇人が存在しているということになる。

あくまで推測だが、それが本当ならば非常に困るし、もう夜中に深夜のコンビニまで闊歩することが難しくなる。

 

ここは警察を呼ぶのが適当だろうと判断した俺は、ポケットに入れていたスマホを取りだし、110を押して電話をかけようとした。ふとその時、先程まではっきりと存在していたあの黒い物体が、綺麗さっぱり消え失せているのに気がついた。

 

俺は思わず、発信ボタンを押す指を止め、状況が変わったことを戸惑いの中で受け入れながら、黒い物体がどこへ消えたのか当たりを見回した。

 

 

 

真後ろにいた。

 

 

 

(ぴゃぁぁぁぁああああああああ!!!!)

 

 

口元を必死に手で押えて、これでもかと悲鳴をあげた。

 

ゴキブリに限らずだが、家の中に現れた虫というのは何故こうも目を離した隙に消えているのだろうか。どこに行ったのか分からないという人間の恐怖心を逆撫でにするような行動を、最適解のようにしてくる奴らには、人間という生態系ピラミッドの頂点に対して、最も効く不快指数の高い動きをするのが、プログラミングのように組み込まれているとしか思えない。

 

しかしながら、あれはまだ小さい虫だから許せる。やろうと思えば丸めた新聞紙でも殺すことが出来る脆弱な生物だからこそ、人間に一矢報いるための手段だと納得出来る。

 

ただ、目の前に現れたこの巨大な影は、目算全長2mを優に超える、大化物だ。そんな奴が突如真後ろに現れたとなれば、奇妙な悲鳴をあげるのも致し方ないだろう。

 

俺は全力で逃げた。

そりゃもう、電車に乗遅れそうな時よりも数段早く、全速力の更にその先を出さんと、震える足に鞭を打ちながら、自宅へと駆けた。幸い鍵は空いている、中に逃げ込めばチェーンと鍵をかければいい。

 

雨夜に濡れる団地の廊下を、クロックスの穴から水が侵入してくることも構わずひたすらに走った。

 

 

しかし奴は俺の想像の数倍、とてもその巨大からは考えられないほど機敏な動きで、雨に濡れながら真横を滑空すると、俺を塞ぐように目の前に降り立った。

 

走っていた俺は、急に止まることも出来ず、そのまま得体の知れない真っ黒な巨体の懐へと追突した。

その巨体は、質のいい毛で覆われており、非常にモフモフしていた。

 

追突した巨体に跳ね返されるかのように、その場に尻もちを着いた俺は、片手に持っていたビニール袋からポテチを取り出し、重い500mlのコーラが入った即席ペットボトルヌンチャクを作り出すと、なれない手つきでそれを振り回した。

 

図らずも片や床に(しり)をつき、片や立っているという、猪木アリ状態に持ち込んだ俺は、俺に伸びようとする黒い手をペットボトルで弾きながら何とか交戦した。

 

 

「いて、いて」

 

 

ふとその時、子供のような声が聞こえた。

小学校低学年の男の子のような、幼さがある高い声が短く聞こえる。

 

一体どこに子供がと、辺りを見つつ目の前の黒い物体を見遣れば、ペットボトルで弾かれた手を痛そうにブルブル振っている、怪物の姿があった。

怪物は、瞳と思われる赤い丸を潤ませながら、痛そうに手を振っていた。

 

「ひどいよ、ボクは落し物を届けようとしただけなのに」

 

「…は」

 

先程の子供のような声。

甲高い幼さの残る声を発する"怪物"

 

見た目と声が釣り合わない珍妙なギャップに目を見開きながら、目の前の怪物に見覚えがあること気がついた。

 

小学生の頃、学校の中で僅かな間流行ったオカルトブーム。図書室にあったオカルトに関する本は常に誰かに借りられていたし、自由帳にオリジナルの妖怪を描いて戦わせる、妖怪バトルは、休み時間にどの教室でも見受けられたくだらない遊びのひとつだった。妖怪バトルのゲーム性の欠点は、その場で強さや能力を後付けした結果、もはや時間を止められるやら死なないやら小学生が考えた『つおいのうりょく』を盛りに盛りまくったせいでバトルが破綻していたことだろう。

 

そんなくだらない遊びにまで発展するほど、母校を席巻していた空前のオカルトブームは次第に棒人間ブームと言うこれまた、謎の流行に追いやられていくのだが、それはまた別の話で、今俺が言いたいのはそのオカルトブームの最中(さなか)で、例に漏れず俺も流行りに乗って借りた『世界UMA大図鑑』に載っていたあいつの事だ。

 

 

あいつというのは、UMAの中でも特に有名な一個体の一つで、かつて1960年代にアメリカを恐怖に落とし込んだウェストバージニア州の怪物である。

 

1966年、ウェストバージニア州はポイントプレザントと呼ばれるのどかな田舎で目撃されたそのUMAは、身の丈2メートルで背中に翼を携えた真っ黒な怪物だったという。目は赤く、体は毛むくじゃら、到底人間とは思えない容姿をしていた。

 

多くの人が犠牲になる事故の現場に、まるで予兆のように現れるその様から一部では死神ではないかとまで言われており、その存在はビッグフットやチュパカブラと並び明確に分かっていない。

 

超常現象研究家だったアイヴァン・サンダーソンが、DCコミックのバッドマンをもじってつけたその名前はあまりにも有名と言える。

 

 

そう、蛾人間 モスマンだ。

 

 

 

 

 

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