ゼンノロブロイの英雄譚 〜Rob Roy of the Royal Road〜   作:C.S

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第9話 日本ダービー

『日本ダービーのスタートです! 総員、好スタートを切りました。内の方では1番のチェリーマイスターも、素晴らしいスタートを切っています』

 

チェリーさんの勝負服、パールホワイトの燕尾服が颯爽と駆けていく様子が視界の端に映る。

私も良いスタートを切って、2番手の好位置につけることができた。

先頭をマークしながら、後方からの様子も確認できる、ベストポジションだ。

 

「いま、ユニヴァースさんとマイスターさんは……」

 

チラリと後方を見やる。

チェリーさんは内を突いて後方5〜6番手くらい。

ユニヴァースさんの姿は更に後方、12〜3番手くらいの位置にいるようだ。

少し見えづらいが、ブカブカな袖を大きく振る様子で特定はできる。

 

『先頭は7番のフルマラソンが出ています。その後ろからは、3番人気のゼンノロブロイも早めに着けている。チェリーマイスターは内の方で5〜6番手、そして1番人気のネオユニヴァースは、内側を通って中団からやや後方に位置付けています』

 

芝が濡れているせいで、油断をすると足元を掬われそうになる。

普段の練習よりも、足に力が入っている自覚があった。

まだ第2コーナーを抜けて向正面へと入るところ、ここで体力を消耗してしまっては、最後のスパートで競り合えなくなる。

緊張から早鐘のように鳴る心臓を鎮めるように、私は一つ深呼吸を入れた。

 

『先頭はフルマラソンが2馬身のリード、その直後にゼンノロブロイ、チェリーマイスターという展開で、向こう流しに入っていきます。その後ろ、ココに13番のネオユニヴァースです」

 

大きな両の袖をバサバサと棚引かせながら、それでも、ものともせずにネオユニヴァースさんは芝を蹴る。

皐月賞ウマ娘という称号は、想像していたよりも大きく感じられた。

ジワジワと視界の端に迫ってくる姿に、私は焦燥感を一層と駆り立てられる。

背後から迫り来るプレッシャーは……。

 

『さぁ、少しずつ押し始めたネオユニヴァース、3コーナーから4コーナーにかかってきた。先頭のフルマラソンはバ場の1番内を通っているが、他の娘たちはこの辺りで、徐々に徐々に外へ持ち出してきています』

 

第4コーナーには、名物の大欅が聳え立っている。

それに差し掛かるタイミングが、私たちのブーストが一段階上がるトリガーとなる。

カーブを越え、直線コースへと飛び込む直前、ココが私の正念場だ。

前方のウマ娘を躱すように、大きなカーブを描いて疾走した。

 

『さぁ、ゼンノロブロイが外に持ち出した! 第4コーナーをカーブして直線コース! だが、チェリーマイスターはまだ来ない! 外からゼンノロブロイ! ゼンノロブロイだ!!』

 

前を走っていたウマ娘を追い抜き、今度は私が先頭に立つ。

彼女の苦しそうな表情と荒く激しい呼吸から、ここから抜き返される心配はないだろう。

チェリーさんはまだ後方にいる。

眉間に皺を寄せ、苦悶の表情を浮かべながら、なおも先頭に立つため地を踏みしめていた。

けれど、スタミナが切れてしまったのか、皐月賞のような力強さは陰っていた。

私自身も限界は近かったけれど、目前にそびえ立つゴール板までは残り200メートル程度、ギリギリ脚は保つハズだ。

このまま、この位置を維持できれば、私が勝てる!

クラシック世代の頂点に、私が──!!

 

『しかし、ココで真ん中を突いてネオユニヴァース! ネオユニヴァースが伸びてきている!』

 

実況の声に私の意識は現実に引き戻された。チラリと後方を見やると、尾花栗毛のウマ娘が、バ群を掻き分けるようにして、突き進んでくるのが分かった。

宇宙服を模した近未来的な勝負服、間違いなくネオユニヴァースさんだ。

高低差3.4メートルの激坂を、まるで重力の影響を受けていないかのような軽やかさで登ってくる。

今のポジションを死守せんと必死に粘るが、ユニヴァースさんに容易く追い抜かれた。

 

『間を割ってネオユニヴァース! ネオユニヴァースが一気に先頭に立った!!』

 

必死にユニヴァースさんを追う。

心臓が痛いくらい跳ねている。

どれだけ息を吸い込んでも、息苦しさが消えない。

足がバラバラになりそうなくらいに走っても、それでもユニヴァースさんとの距離は縮まらない。

否、むしろ離されてしまう……!

 

「残り200メートルを切った! 『ネオユニヴァース』先頭! 『ネオユニヴァース』先頭! 『ゼンノロブロイ』は2番手!」

 

苦しみが頂点に到達している。

なのに、ユニヴァースさんには全く追いつけない。

喉の奥も、心臓も、脇腹も、突き刺すように痛い。

それでも足を緩めなかった。

目の前を走る、純白の勝負服に追いつきたかったから。

 

 

だけど、気づいてしまった。

逆光に一瞬だけ照らされたユニヴァースさんの表情が……

私が、追い付くのに、離されないように必死な相手が……

 

「…………笑ってる……?」

 

辛そうな様子は微塵も感じられなかった。

それどころか、呼吸の乱れすらなかった。

ユニヴァースさんは、涼しげな表情で、ゴールだけを見据えていた。

芝を疾走する姿はまるで、走ることを純粋に楽しんでいるようだった。

 

(勝てない──)

 

そう無意識に考えてしまってからは、一瞬だった。

 

『先頭は、ネオユニヴァースだ! ネオユニヴァースです!! ネオユニヴァース2冠達成!!!』

 

ユニヴァースさんの背中は、あっという間にゴール板を通り過ぎていった。

東京レース場全体に、ターフが割れんばかりの大歓声が轟いた。

ユニヴァースさんを称賛し、健闘を讃える声が、津波のように押し寄せる。

全てが、ユニヴァースさんを祝福するものだった。

 

 

『見事に皐月とダービーの2冠達成ネオユニヴァース! 曇り空の東京レース場の空に、右手を突き上げました! ネオユニヴァースです!』

 

腕が隠れた袖を掲げて、ユニヴァースさんは勝者としての威厳をしめした。

いつもなら眉一つ動かさないユニヴァースさんも、このときばかりは微笑みが溢れていた。

 

「ハァーーッ! ハァーーッ!」

 

全てを出し尽くし、カラッポになった私の心にも入り込んでくる。

それが、どうしようもなく、気持ち悪く感じてしまった。

敗北した以上は何も言えない。

敗者には、濁った泥のような敗北感を抱く義務しかない。

だけど、もし許されるのならば、今は湧き上がる感情を吐き出したい。

内に芽生えた『嫉妬』の感情が、どうしようもなく気持ち悪かった。

勝者を祝福する気持ちよりも、ドロドロとした自己嫌悪ばかりが溢れてしまっていた。

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