わたしの百合ハーレムは神様に望まれているらしい 作:緑茶わいん
「着きましたよ、アンジェ様」
「……え? あ……⁉」
箱が緩やかに停止してもしばらくアンジェは目を瞑って震えていた。恐る恐る目を開いてようやく、自分のしていたことに気づいたのか、ぱっと身を離して、
「も、申し訳ありません……。その、どうしても怖くて……」
「気にしないでください。宙に浮いているわけですから、怖いのが当たり前ですよね」
吊っている綱が切れたら箱ごとどんがらがっしゃん! と麓まで転がり落ちることだろう。そう考えるとシルヴィアだって怖くなってくる。
手を繋いだまま箱から下りると少女は上目遣いに尋ねてきて、
「その、苦しくはありませんでしたか?」
「いいえ。……その、アンジェ様の体温でどきどきしてしまっただけで」
「っ」
余計なことを言ったせいでなおさら意識させてしまったか。
気を取り直すように、シルヴィアは辺りを見渡して。
「見てください、アンジェ様。山の頂上ですよ」
「あ……っ⁉」
銀髪の聖女見習いが顔を上げると同時、ロープウェーが溶けるように消失。
代わりに、まるで──そう。ティーアの張った結界を抜けた時のように、頂上の景色が変わっていく。
頂上は誰かが整地したかのように平らだ。
そこにいくつもの石造りの家が現れ、さらには住人たちまでもが姿を現す。
「ようこそ、次代の聖女様。そして、神に愛されし方。我々はあなた方を歓迎いたします」
天使だ。
一目見ただけで確信できた。彼女たちの身には聖紋が浮かんでいたし、背には一対の羽毛の翼が生えていたからだ。
全員、見目麗しい女性。
長命のせいかみんな若く見える。物腰は柔らかく、敵意がないのは明らかだ。
纏っているのは白と紅の独特な装束。
神に仕えるための衣装ではあるのだけれど、ファンタジー世界のそれとは明らかに違う。シルヴィアにとっては慣れ親しんだ──巫女装束。
そんな天使が、軽く数十人。
『これは、戦いになったら私でもひとたまりもないわね』
下着状態を維持したままヴァッフェが嘆息。
ここにいる天使全員が神聖魔法を高レベルで操るのだとすれば、ヴァッフェのような魔族には死地そのものだろう。
こうやってシルヴィアに同行できた以上は特に問題視されていないということだろうけれど。
軽く視線を下に向けていると、天使の一人がくすりと笑って、
「《どうぞ、楽になさってください》」
「お気遣いいただき申し訳──え?」
あまりにも何気ない様子だったので、つい、当たり前のように反応してしまった。
今のは、この世界の言葉じゃない。
隣にいるアンジェも目を丸くしている。
「今のは、神聖語……?」
「驚くことはございません。我々は神の言葉を守り、伝えているだけのこと。あなた方とて同じことをしていらっしゃるでしょう?」
「それは……その通りです。ですが、人間の神聖魔法は時と共に力を」
「ええ。口伝には限界がありますものね。だからこそ、我々は普段から日常的に神の言葉を用いております」
代表なのだろうか。
天使の面々の中心に立って話す女性はどこか懐かしい黒髪黒目をしていた。それでいて肌は白く、背には翼があるのでこれでもかと神々しい。
「私は楓と申します。以後お見知り置きくださいませ」
「ありがとうございます。わたしはシルヴィア・トーと申します」
「聖女見習いのアンジェです。どうかよろしくお願いいたします」
「シルヴィア様とアンジェ様ですね。……では、立ち話もなんですからこちらへどうぞ」
招かれた先にあったのはひときわ大きな建物。
厚い窓ガラスが当たり前のように使われ、その奥にはフローリングの床が見える。
リビングに置かれたテーブルは天板との間に毛布を挟み込んでおり──シルヴィアは思わず「ええ……?」と心の中で呟いてしまった。
イメージしていた天使の住処と違うというか、妙に親しみがあるというか。
◇ ◇ ◇
「家の中では履物を脱いでくださいませ。代わりにこちらをどうぞ」
玄関で靴を脱いでスリッパに履き替える。
外は石造りだったのに内側は壁紙貼りの(前世における)現代的な日本家屋。
「飲み物はどういたしますか? 緑茶に紅茶、コーヒーにオレンジジュースもありますが」
「コーヒーまであるんですね……?」
「では、シルヴィア様と私の分はアイスコーヒーにいたしましょう」
楓は
アンジェの分は湯気の立つ緑茶だ。
お茶請けにはクッキーが出てくる。
「……もうなにが起こっても驚きませんからね」
甘いのが好きなシルヴィアだけれどコーヒーは甘くしない派。味がまろやかになるのでコーヒーフレッシュだけは淹れてぐるぐるとかき混ぜる。
「いえ、あの、その前に……今、発声なしに神聖魔法を使われませんでしたか……⁉」
「聖紋を持つ者なら訓練次第でできるようになりますよ。もし、人のままで在りたいのでしたらオススメはしませんけれど」
「っ」
何気ない言葉に、緑茶をすすろうとしていたアンジェが硬直。
──思ったよりも話が早かった。
隠す気もないのだろう。平然としている楓を見つめながらシルヴィアは尋ねた。
「聖紋を持つ者が神聖魔法を使いすぎると人ではなくなっていく……と、いうことでしょうか?」
「より詳しくお答えするのであれば、我々天使に近づいていきます。聖紋の機能を制限して人であり続けられるようにすることは可能ですが、人の限界を超えた力を引き出し続ければ制限──リミッターは外れていきます」
「……なんだか、カエデ様の話しぶりはシルヴィア様を彷彿とさせるものがありますね」
「それは、シルヴィア様が知識をお持ちだからでしょう」
本当にさらっとすごいことを言うなこの人⁉
アンジェは湯呑みを両手で包み込んだまま、僅かに揺らぐ水面に目を落として。
「私は、シルヴィア様が天使との混血なのではないかと疑っていました」
「シルヴィア様の特別性は血ではなく知識です。我々のように天使から生まれたが故に天使に近づいているのではなく、異界に関する深い知識が神に認められ、力を与えられているのです」
「異界。それが、神のおわす領域なのでしょうか」
尋ねながら、視線はシルヴィアへと向けられた。
──どうやら隠しきれそうにない。
シルヴィアはゆっくりと首を振って答えた。
「わたしもそこまでは知りません。けれど、おそらくは違うと思っています」
「そうですね。我々天使も神の出自について詳細な知識を持ち合わせてはおりません。わかるのはただ、異界の知識が神聖魔法を操るうえで助けになるということ」
「神様はその異界においても神格として崇められる存在──と考えるほうがわたしとしてはしっくりきます」
「確かに。その考え方には私も賛同いたします」
知っていることを全て使って話そうとするとどうしてもアンジェが置いてけぼりになってしまう。
聖女見習いの少女は湯呑みから手を離し、胸の前でぎゅっと握った。
「シルヴィア様。……あなたは、いったい何者なのですか?」
「単なる平民出身の戦略家です。ただ、わたしには別の世界で生きた別の自分──『前世』の記憶があるだけで」