わたしの百合ハーレムは神様に望まれているらしい 作:緑茶わいん
弓の女傑イザベル・イストは生ける伝説として国の歴史に名を刻んだ。
三十代で愛弓を娘に譲ってからもその腕前は衰えることはなく、彼女に憧れた多くの少女が弓使いを志し──結果、騎士団の飛び道具能力は大きく向上。
親しい友人の多くが上位種、あるいは人から上位種になった者が占める中、人の身のまま戦い続けたこと。
出身が男爵令嬢と決して高位ではなかったこともまた、彼女が愛され、尊敬される理由となった。
年老いてからも運動を欠かさず、健康を心がけていた彼女だが、さすがに七十を過ぎると腰痛を理由に動き回ることが難しくなり──。
八十歳のある日、英雄の命の灯火が尽きようとしていると、国の内外に広く報せが届けられた。
集まった人間は、百以上。
娘、孫、ひ孫はもちろん、友人や後輩、弟子も多くいた。
看取ろうという者だけでこの数だ。イザベルの死を悼み、花や手紙を送ってきた者はもっと、それこそ数え切れないほど多かった。
ベッドの上に横たわったイザベルは「なんだか申し訳ないくらいです」と苦笑。
「みなさん忙しいでしょうに。こんなに集まってもらって」
「なにを言っているのですか、おばあさま」
イザベルの長女からエルフの弓を受け継ぎ、名手として名を馳せる孫娘が、数十年の時を経てもなお美しい姿を保った弓を祖母の手に握らせる。
「お返しいたします。これは、おばあさまの弓です。どうか、最後まで最強の弓使いとして、気高くあってください」
「ありがとう。……この弓を使い続けてくれて。この弓を、ずっと守ってくれて」
「消耗してきたら都度、リゼット様にお願いして、直していただきました。素材にはエルフの国の木を」
「そう。……あの木も、そんなに大きくなったのね」
エルフの国との友好の証、その一つとして、何本かの苗木がこの国に持ち込まれ、霊木として大事に育てられた。
天使の祈りを受け、神聖な魔力を注がれた木はすくすくと育ち、今ではその枝を弓の補修素材として使えるほどになっている。
「ああ、懐かしい」
皺だらけになった指が、愛おしげに弓を撫でて。
「これでもう、思い残すことはありません」
「まだ、そんなこと言わないでよイズ」
「そうそう。……まったくもう、間に合わなかったらどうしようかと思ったよ」
「クレールが突然『あれを買っていこう』『これを買っていこう』などと言いだすからでしょう。弱った胃に放り込んだら毒ですのに」
満足そうに微笑んだまま、瞳を閉じようとしたところで、イザベルは「ああ」ともう一度、深い息を吐き出した。
「まさか、みなさんで来てくれるなんて」
「なに言ってるの。来るに決まってるよ」
シルヴィア。クレール。エリザベート。リゼットやアンジェ、プルプル、レーナまで。
みんな、何十年も経ったというのにほとんど変わっていない。あの頃を思い起こさせる姿が、イザベルの表情を昔に戻した。
「ありがとうございます。本当にありがとうございます。……大好きな人たちに見送ってもらえて、私は本当に幸せ者です」
死の淵に瀕した者に最も毒なのは『諦め』と『満足』だ。
死にたくないという気持ちを失えば、命の火はあっという間に弱まっていく。それでも、国を変えた英雄たちの訪れを、最後の再会を、みな拒むはずはなく。
ただ瞼を開けているだけ、口を動かすだけで疲弊するほど消耗したイザベルは、最後の言葉を紡いでいく。
「大好きです。どうか、これからも幸せに。……人のまま死にたいという私の我が儘を聞いてくださって、ありがとうございました」
「ねえ、イズ」
ベッドサイドに寄り添ったシルヴィアが優しい笑顔で語りかける。
「わたしこそありがとう。イズが人として頑張ってくれたから。『上位種なら強くて当然だ』っていう人たちのやっかみを遠ざけてくれたから、みんな、新しいやり方に早く馴染めたんだと思う。本当に、今までありがとう」
エリザベートが親分肌を吹かせた笑顔で腰に手を当て、
「まったく、あなたは本当に我が儘なんですから。我が儘で、頑固で、いいところを持っていく。そういう子ですわ、昔から」
クレールもまた、目を細めて、
「頑張り過ぎなんだよ、イザベルは。もっと自分のやりたいことやればよかったのに」
「だからね、イズ。わたしは最後に一つだけ、望みを託したんだ」
「……望み、ですか?」
「うん」
シルヴィアの白くすべすべの指が、イザベルの手、そしてその下にある彼女の愛弓を優しく撫でる。
『一弓入魂』。
幼かったあの日に刻んだ『神の文字』は、何度か刻み直しを経たものの、ほとんどあの頃のままに残っている。
「あの時は勢いで恥ずかしいこと書いちゃったって思ったけど。今は、この弓がイズに新しい命をくれないかなって思ってる」
入魂とは魂を込めることなのだと説明するシルヴィア。
今更肉体を若返らせることは難しい。そしてそれはイザベルの望みに反する。彼女はあくまでも人として逝かなくてはならない。
なら、逝った後、別の形で余生を過ごすのは問題ないんじゃないか?
「向こうの世界にはね。『付喪神』っていう概念があるの。物に生命と魂が宿った存在。神、って言われてるけど、もう少し身近な──精霊とか。あのうさぎたちに近いような感じかな」
物に、魂が宿れば。
「その弓はイズの分身。そこにわたしの──わたしたちの祈りも込めるよ」
銀色の優しい輝きが、弓ごとイザベルを包んで。
「もう一回。自由に遊ぼう、イズ?」
生命を失った肉体から魂が漏れ出ていこうとするのを、その光が、そして弓の持つ力が引き留める。
引き留められた魂は代わりにゆっくりと、弓の中へと吸い込まれていって。
輝き。
なにもない空間に浮かび上がった弓を握るように、指が、手が、腕が形成されていく。しなやかで、丈夫で、弓の女傑の全盛期を思わせるような、それ。
シルヴィアは瞳に浮かんだ涙を指で拭うと「良かった。成功だね」と笑った。
「おめでとう、イズ。正真正銘、血筋にも『恩恵』にも関係ない上位種昇格だよ」
藍色の髪と瞳を持った娘は、若々しい声で「まさか」と呟き、
「こんなことができるなんて。……私はまだ、シルヴィアさんたちを甘く見ていたんですね」
「ごめんね、我が儘言って」
「ですが、わたくしたちがタダでイズを逝かせるわけがないでしょう? これくらいは笑って許して欲しいものですわ」
「そうそう。ちゃんとイズは満足して逝った。これからは第二の人生ってことで」
魂を弓に移したイザベルは、いわば本体の作り出した分身として以前とそっくりな姿を形成した。
本体が壊れれば消えてしまうし、分身体に大きなダメージを受けてもしばらくは再形成できなくなってしまうものの、人間のような寿命には縛られない。
本体と分身が一緒にある必要もないはず。
一緒にいればイザベルの力で今まで以上に強力な矢を放ったりはできるだろうけれど。
「これでまた一緒にいられるね、イズ?」
「一人だけ抜け駆けは許しませんわよ」
「まだ行ってないところとかあるんだから。世界を全部見終わるまでは付き合ってもらうよ」
「……ふふっ。もう、みなさんは仕方ないですね」
くすくすと笑った彼女はもう、死期を悟り、すべてを諦めた老婆ではなかった。
彼女はベッドに横たわったままの自分自身の瞳をそっと閉じてやると「ありがとう」と囁いて。
「みなさん。もう一度、私を仲間に入れてくれますか?」
「なにを言っているんですの」
「そうだよ」
「イズがわたしたちの仲間じゃなかったことなんて、一回もないんだから」
弓の女傑は、こうして『新たなる上位種』として再誕し、また新しい伝説を作った。
そしてこれからも、彼女の成した偉業は増えていくことだろう。
「こうなったらお供します。どこまでも。……この新しい命が尽きるまで!」