わたしの百合ハーレムは神様に望まれているらしい 作:緑茶わいん
「無理を言ってしまい申し訳ありません」
数日振りに訪れた王族寮。
室内にはほんのりと花のような香りが漂っている。
中年メイドの淹れてくれた紅茶と併せてとても落ち着ける香りなのに、ハーフエルフの高貴な少女はその端正な顔立ちを曇らせていた。
夕食の後、さっそく少しやってみようとこうして移動してきたのだけれど。
「わたくしは人付き合いに慣れておりません。新しいお友達につい舞い上がって、こんなところまで連れてきてしまって──。シルヴィア様の事情も考えるべきでした」
「そ、そんなことは」
これに慌てたのはシルヴィアである。
誘われた後「いいのかな?」「大丈夫なのかな?」「迷惑じゃないかな?」と考えていたのが顔に出てしまったのではないか。
立ち上がり手を振って弁解する。
「決して迷惑などではありません。ただ、申し訳なかっただけで」
「本当、ですか?」
紫色の瞳は涙で濡れるとさらに神秘的な雰囲気が増す。
見つめられた男の多くは「指で涙をぬぐって口づけをしたい」などと思うことだろう。
見惚れそうになりながらも「もちろんです」と頷いて、
「わたしのほうこそ、目下の者とのお付き合いでリゼット様が困るのではないかと」
礼儀作法の練習が一回で終わるわけがない。
お茶会程度ならともかく、定期的に長時間となると他の用事にも差し支える。
「わたくしの予定はお気になさらず。……正直、時間を持て余しているのです」
「あ……」
苦笑を浮かべて首を振る様子に彼女の境遇を思い出す。
「貴族学校はわたくしの庭。一般生徒の何倍もの時をここで過ごしてきました。もはや『受けたことのない授業』などありませんし、教師の中にはかつて学友だった方もいます」
「……リゼット様は、止まった時の中に囚われていらっしゃるのですね」
「人間の国は、長命な者にとって住みづらいところなのでしょうね」
閉ざされたカーテン──その奥にある夜空に目を向けた少女はぽつりと、
「お母様が連れていってくださればよかったのに」
儚げで悲しげな雰囲気に思わず手を伸ばしてしまう。
けれど、テーブルを隔てた相手には届かない。視線を戻したリゼットにじっと見つめられて、
「リゼット様。ぜひ、わたしに礼儀作法を教えてください」
ぴろん。
「はい、わたくしで良ければ喜んで」
正直、お手本としてリゼットは最上級の人物だった。
優雅で、落ち着きがあって、美しく気品に溢れている。会話をしながらその所作に気を配るだけでもどれだけ参考になるかわからない。
そんな少女が歩き方やお辞儀の仕方をひとつひとつやってみせてくれる。
スカートは翻さないように。「ながら」で動かないように、それでいて細切れではなく「流れ」で見せられるように。指先一つ、足の僅かなズレにも気を配る。
「あの。もう一度、今度は対面でなく隣で観察させていただいてもよろしいでしょうか?」
なんていうお願いにもリゼットは「もちろんです」と応じてくれた。
「わたくしも他人に教えるのは慣れていないので、不自由もあると思うのですが……」
「そんな。お手本を見せていただけるだけで全然違います」
感謝をこめて答えると、見守っていた中年メイドがふっと微笑んで、
「リゼット様も昔はとても苦労されておりました。レッスンが辛いと泣かれたことも一度や二度ではありませんでしたね」
「シビル。そんなことシルヴィア様に教えなくても……」
「良いではありませんか。年寄りは昔話が好きなのです。……いかがでしょう? 昔のお嬢様に比べれば、シルヴィア様はとてもよくいらっしゃるのでは?」
「そうね。確かにその通りだわ」
小さい子と比べられたらそれはそうだと思うのだけれど。
「シルヴィア様は基礎ができています。……いえ、大事な心構えと言うべきでしょうか」
「心構え?」
「はい。細かな所作で見栄えが変わること。反復練習、手本に倣うことで上達すること。その事実を理解ではなく体感していらっしゃるように見えます」
「騎士学校に通っていらっしゃったおかげなのでしょうか」
「そうですね。きっと、そうだと思います」
前世の経験のほうが濃いかもしれないけれど、騎士学校での出来事も無駄ではなかった。
微笑んだリゼットは「そうだ」と頷いて、
「次は鏡に向かって練習してみましょうか。わたくしが修正箇所を指示すればぐっと良くなるかと」
「が、頑張ります」
頑張りますけど、それはちょっと恥ずかしいような。
口には出せないまま鏡に向かったシルヴィアは、身分の高い美少女に密着され手足を指で導かれるという、願ってもなかなかできないようなひとときを過ごした。
それから定期的に続けられた夜の練習によってシルヴィアの礼儀作法は大きく向上し、おまけにリゼットの好感度もさらに上がることになる。
◇ ◇ ◇
「昨夜はリゼット様を独占していたそうね、シルヴィア?」
「っ。カトレア様、どこでそれを?」
「どこも何も、食堂から連れ立って寮へ戻れば目撃者なんていくらでもいるわ」
翌日、教室にてカトレアから声をかけられた。
恋に恋する伯爵令嬢様は逆に怖いくらいの上機嫌で、
「上出来よ。その調子でリゼット様を引き付けなさい」
「惹きつけるってわたしは別に」
「違うわ。クロヴィス殿下から引き離せって言っているの」
友達付き合いを優先すればその分、男子と話す時間が減る。
「でもそれ、わたしが殿下から恨まれませんか?」
「そんなの私の知ったことじゃないわ」
カトレアのこういう正直すぎるところはある意味美徳な気がする。
そういう意味ではダミアンと似たところがあるような。
「それより、今日はあなたのお手並みを拝見させてもらうわよ」
「は、はい」
それよりって、そっちから話を振ってきたくせに。
新たな話題につられて教室内を見れば他の生徒たちもどこか浮ついた雰囲気がある。
授業の参加者は全員一年生。
「戦略家志望の優等生は魔法も優等生なのかしら?」
からかうような言葉には苦笑しか返せない。
「わたしは魔法の経験が全くありませんので……」
結論から言うと、返答は謙遜でもなんでもなかった。
教師や他生徒の見守る中、進み出たシルヴィアは魔法を評価してもらうどころか発動さえできず。
嘲笑や落胆の声が上がる中、真っ赤になることしかできなかった。
◇ ◇ ◇
「皆さんも知っての通り、魔力は誰にでも備わっています。魔力量や才能に差はあれど、訓練すれば魔法、あるいは魔道具を扱うことは可能です」
時は少し遡り。
壇上に立った教師が一年生たちを前に淡々と告げて。
「では、魔法を扱うために必要な手順はなんでしょうか。──カトレア・カステルさん」
「はい。体内魔力の操作とイメージです」
「正解です」
カトレアが得意げにシルヴィアを見ながら腰を下ろす。
別に隣に座ってくれなくてもいいのに。
「各家庭で魔法の訓練は行っているでしょうが、もし、これまで上手くいっていなくても焦る必要はありません。成長につれて魔法の感覚は掴みやすくなります」
ここで教師は傍らに立つ一人の少女を紹介した。
ドレス風にデザインされた黒の制服。華奢な身体と長い耳を持つ彼女は、シルヴィアが昨夜触れ合った相手に他ならない。
「本日はリゼット・プレヴェール様にも教師役を務めていただきます。皆さん、失礼のないように」
「よろしくお願いいたします。困ったことがあればなんでも聞いてください」
「リゼット様は高い魔力を持ち、卓越した魔法の使い手でもあります。皆さんのお手本として申し分ないでしょう」
進み出たリゼットが実際に魔法を披露してくれる。
持ち上げられた手のひらにリンゴ大の氷が生まれたかと思うと、炎がそれを蒸発させる。さっと振るわれた腕が緩やかな風を起こして生徒たちの髪を揺らした。
エルフは魔法を得意とすることで有名だ。
半分とはいえエルフの血を引くリゼットにもその才能が引き継がれているのだろう。
「では、実際に魔法を使ってみましょう」
教室の前側に集まり、教師の手ほどきをうけながら魔法行使に挑戦する。
実家で予習と称して訓練を受けてきた一般生徒たちはこれに難なく成功。彼らの手のひらにはサイズこそまちまちながらしっかりと氷の塊が生み出される。
(炎や風は周りに被害を生みやすいため訓練では氷をイメージさせることが多い)
頑張って氷を生み出すくらいなら殴ったほうが早いけれど。
騎士も上級学校で魔法を習う。攻撃のバリエーションが増えるし行軍の役にも立つからだ。
あとは生粋の貴族──エリザベートやクレールなどは帰省時にある程度習っているかもしれない。逆に言うとシルヴィアはまったくの素人である。
なにも出てこない手のひらを見つめた後、気まずさから隅っこのほうへこっそり移動して。
「シルヴィア様、またお会いしましたね」
「リゼット様」
格上の友人にだめな所を見られるのはどうしてこうも恥ずかしいのか。
今すぐどこかに逃げ出したい、あるいは誤魔化すために子供みたいな癇癪を起こしたい。
なけなしのプライドにどちらも邪魔されて、結局曖昧な笑みを浮かべる。
「やっぱりうまくいかないみたいです」
「魔道具の扱いには不自由していらっしゃらないのですよね?」
「はい。騎士学校でもよく使っていました」
魔力自体は備わっている。指先に魔力を流す感覚もわかる。となると問題はイメージか。
魔法を使う光景なんてゲームでさんざん見たのだけれど。
「仕方ありません」
リゼットは紫の瞳に慈愛を浮かべて微笑んだ。
「人には向き不向きがあります。シルヴィア様は魔法の扱いが苦手だというだけのこと」
「でも、このままだとわたしだけ目立って」
「では、一人ずつ現状の腕前を披露してもらいましょうか」
魔法防御の施された的が用意され、それに攻撃する練習。
名前を呼ばれた生徒がみんなの前に出ておのおの魔法を行使していく。
護身のためにもある程度、攻撃魔法が使えたほうがいいとのことなのだけれど。
「次はシルヴィア・トー女男爵」
「うう」
この場で「ノー」と言うのとどちらがいいか。
しぶしぶ進み出たシルヴィアは形だけはと手を伸ばし、よくある光の衝撃波を思い浮かべる。
魔道具を使う際の感覚に従って魔力も操作してみるけれど──。
「上手くいかないようですね」
「……はい」
手のひらからはやはりなにも出なかった。
肩を落とし手を下ろしたところでくすくすという笑い声。
「平民上がりじゃ仕方ないか」
「しかも騎士学校の出ですものね」
「魔法の扱いなんて学ぶ暇もなかったんだろ」
生徒たちの間に立つ知人──カトレアもどこか失望の表情。
子分としては不十分といったところか。勝手な言い分だけれど、逆の立場なら同じことを思ったかもしれない。
何より、どうせなら賞賛されたかった。
初めてですごい魔法を使うとかやっぱり憧れる。
けれど、現実はうまく行かなくて。
「シルヴィア様が魔法を使えないのは当然でしょう」
生徒たちの間に戻ろうとしたところで、肩に柔らかな手が置かれた。
「先生。先生もそうお思いでは?」
「ええ、そうですね」
真摯な表情のリゼットに教師が頷く。
指導役の二人に落胆の色は欠片もない。むしろ、彼女たちが抱いているのは……期待?
「シルヴィア・トー女男爵は特殊な境遇です。魔法が使えないのはその影響でしょう」
「特殊? 平民だから訓練が足りないだけでは?」
「いいえ。シルヴィア様にはきちんと魔法が使えます」
リゼットがシルヴィアの耳に顔を近づけ、そっと囁いてくれる。
「さあ。あなたの『得意な魔法』をお見せください」
「……あ」
少女の言わんとしていることはすぐにわかった。
手のひらをもう一度持ち上げて的に向かう。
これから使う魔法は物理的ダメージを排除できるため、あまり意味はないけれど。
紡ぐのは神だけが用いる特別な言葉。
発音を聞き取られないように小声で。
「《聖なる光よ》」
直後、銀色の光が的を直撃した。
神秘的な輝きが陽光と交ざりあって複雑な色合いを作り出す。教室内が静まり返り、感嘆の吐息まで聞こえた。
「お見事です、シルヴィア様」
「お疲れ様でした、シルヴィア女男爵。やはり『神に愛されし者』は魔法の力に嫌われるようですね」
『魔法』と『神聖魔法』はまったくの別物である。
魔法は魔力操作とイメージによって魔力を変質させ望みの事象を起こす術。
神聖魔法は神の言葉を紡ぐことで聖なる力を導く術。
魔法と神聖魔法の両方を使える者はほとんどいない。
いても両方とも中途半端になるのが普通で、このことから『神の寵愛は魔法の力を退ける』とされている。
つまり、シルヴィアが魔法を使えないのは神聖魔法を使えるせいだ。
「神聖魔法は敬虔な信徒が修行の末に会得するもの。貴族学校の生徒が扱うことはごく稀です。ですが、このような事例があることは心に留めておいてください」
生徒たちは静かにその言葉を受け止め──シルヴィアの耳にいくつかの効果音が響いた。
上昇音だけではない。むしろ不快に感じた者もいたけれど、注目の中でなにもできない悔しさはシルヴィアの胸からすっきりと消え去った。
そんな中、カトレア・カステル伯爵令嬢は「納得いかない」という風にシルヴィアをじっと睨みつけていた。