生温い風が頬を撫でる。瞼を開ければ月光が照らす中に美しく整えられた薔薇園が、先に目を向ければ中央に白く意匠を凝らした円卓を挟んでティーチェアが対面に並べられていた。甘く高貴な香りが辺りを優しく包み込む。
均一に整えられた色彩は暖色系を主体とし、差し色に黄色が使用されており自己主張の激しい、と言うよりも自分以外の生物は取るに足らない存在だと主張する彼女らしい配色だった。
「先生。少なくとも最低限のマナーは知っている様ですね。」
ティーチェアの上座。空間の中で赤い糸が解れるかのようにベアトリーチェが現れる。私は目を細めて言った。
「ホストが遅れてくるのはどーなのさ。」
ゲストがホストより先に席に着くのはマナー違反だが、そもそもホストは席に着いてゲストを迎え入れるべきでは?
「秋の夜は永いのですから問題無いでしょう?そも、貴方と私の時間の価値は違うのですから私に合わせるべきは先生ではないでしょうか。まあそれは宜しい、お座りなさい、先生。」
ベアトリーチェに促されてから席に着く。彼女の言う通りの永い夜が始まりそうだ。
「さて、私の生命を救ってくれた事に対しては礼を言います。よくやりました。しかしながら貴方は私を救うべきでは無かった。私が、何をして来たのかを知っている筈です。愚かもの。何故、異空間に干渉してまで助けてしまったのか。」
「生徒に生命の尊さを教えたいと思ってね。」
ベアトリーチェは眼を細めr・・・どれが眼?
「面白くもない嘘は辞めなさい。私は明確にあなた方の敵だった。助けられたとはいえ此れは別問題。私はこれからもそう有り続けるでしょう。先生も判っている筈。だからこそ今後の憂いを取り除かないのは不合理です。先生、貴方は幼く未熟で拙いが、生徒達の味方です。だから、何故?」
まあ、雰囲気から察するに、不快そうに言った。
彼女はゴルゴンダ&デカルコマニー曰く舞台装置であった。グレーゾーンを攻めるゲマトリアの中でも異端で明確な悪であり、討滅すべき敵だった。彼女の性格も災いしておおよその人間がその手段に否を唱え、不快感を得たであろう事は想像に難くない。
だから私は彼女を生かした。ゴルゴンダ&デカルコマニーの言葉でようやく自分の有り様を実感したのだ。
このキヴォトスで、否。自身が父母より生命を与えられてから、これ程の侮辱を受けた事は初めてであった。あの時、正に『運命(物語)』が『私に従え』と言ったのだ。
この私を。一人の人間を尊ぶ事なく、物語の、既定路線の一部で在れと、運命は私を蔑んだ。故に私は運命を否定した。別世界から許可無く拉致っておきながら従えなどと。くたばれ。家で無意味なゲームでも演っていろ。
そんな、感情的な発露が私に行動させた。
「僕はあの時、とても酷い侮辱を受けた。環状の電車は止まらない。終わっても、始まりに戻るだけ。宇宙が三次元のドーナツ型なら運命は繰り返す。指し示す時間が一方通行で無い時点で凡ゆる物に価値が無い。何度でもやり直せてしまう。そんなの、生命への侮辱だ。やり直せる選択に意味など無い。ベアトの言動と思想には心底うんざりしてるけど『ゔぁにたす・・・なんとか』って言葉には少し、感銘を受けたよ。理性を無くして色彩に全部売り渡したのは流石に失笑ものだったけど。」
ベアトリーチェが若干キレながら目の前の血・・・ワイン?を飲み込む。アツコの?
「感銘を受けたなら覚えておきなさい。それと、全部売り渡すと言うのは建前です。」
「こうして、立派な薔薇庭園まで見せられたらね。僕自身、ロンダリングされた違法素材を買ってるからある程度は想像出来るよ。」
「えぇ、、、。」
彼女は悪で有っただろうか?
私はそうは思わなかった。手法としては社会常識に照らし合わせて悪であると断ずるが、そうしなければ達成できない目標があり、その悪徳を飲み込んでそうしようと自身が決めたのであればその決定は尊いものであると考える。
誰もが憚るような汚濁を飲み込むのにどれ程の覚悟が必要なのか。それは、本人にしか解らない。(皮肉)
人生の中で何かを成そうと言うのであれば失敗は前提となる。
失敗した人間を責めるのは必然、何も成し得ない人間だ。私はそんな小矮で卑怯な人間には成りたく無かった。
生徒達の選択を尊ぶ様に、彼女の選択を尊びたい。
そもそも善悪は社会的なシステムから生み出された産物であって、理性的で無いベアトリーチェに理解出来なくて当然である。(罵倒)
ゲヘナのテロリスト共と変わんねぇから。(ゲヘナdis)
「あと、困難がないと人は成長しないからね。アリウス生徒達だけじゃ無くて、子供は皆成長するべきだと思う。キヴォトスにはマトモな大人がいないから倫理観が育たない。だからこそキヴォトスがこんな有り様で、外の世界から僕なんて異物が招待される。聖徒達の困難として、貴女が必要だ。」
「・・・貴方の思惑は理解出来ました。しかし、あなた方が二度勝利する事は無いでしょう。」
「僕の聖徒達は負けないさ。それに、貴女の信念には感謝もしてる。先の事件は砂漠の砂の一粒を見出したとも取れる。つまりは、それを可能な領域まで引き下げた。神秘世界に於いて重要な奇跡で、貴女の偉業だ。」
自分の末路を知れた。生徒達の未来や岐路を知れた。語り部たるシロコに出会えたからこそ取れる手段が出来た。
連邦生徒会の秘密金庫を襲撃した件とか。
と言うか、シロコテラーとの会合よりもプレナパテスになっても先生として働く自分にショックを受けた。
プラナ。死に体に鞭を打つな。(号泣)
「崇高を目指す者として、当然の結果です。失敗で有ろうとも結果さえ伴えばその行程は如何でも良い。先生、私には答えが必要なのです。
誰にでも、必要な筈です。見えない何かを肯定するには冷徹な判断と冷静な思考が求められる事を学びました。
魂は儀式の対価となりますが、その魂を誰にも知覚出来ない。ロイヤルブラッドがその青さを証明するのに自覚は必要無い。なれば、その貴さを証明しているのはなんなのでしょうか。
私は、知らねばなりません。何を犠牲にしても。」
私には彼女が、急る様に見えた。
「菜根譚曰く、人能く菜根を咬みえば、則ち百事なすべし。」
「・・・それは?」
「困難を良く噛み砕いていけば、大凡の事は解決する。
よく咬みうるのは、ものの真の味わいを味わいうる人物である。
苦難を噛み砕けばあらゆる事が達成出来る。」
「そうですか・・・少し時間が必要です。先生、ワイングラスを。付き合いなさい。」
ベアトリーチェがグラスにワインを注ぐ。手渡されたグラスを月に透かして観ると深みのある朱色が月光を遮った。グラスを廻して鼻を近付ける。
うーん。お花畑。
学園都市では、手に入らない種類のお酒だ。違法に売買されているのは不良向けの為にチューハイや安い蒸留酒が多い。こんな高価な物は客層が違う。・・・特別に仕入れたのだろうか。自分では買えないのが悔やまれる。
こんな所で敗北感を与えてくるなよぉ。
月光に照らされた薔薇園で二人が菜根を噛み締める。夜はモノを考えるには良い時間だった。
シロコテラー
・この世界の先生、やっと会えた。ん…時間も巻き戻った?
プレナパテス
・こんな子供が、何故?いや、子供と青年の魂が重なって見える。彼等は『同じ場所、同じ時間に存在している!』
ちび先生
・プレナパテスって時間外労働なのだろうか?