【タクティカル肝試し】旧八咫ノ川禁域実況配信!   作:はまっち

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【タクティカル肝試し】旧八咫ノ川禁域実況配信! #3

 夜闇が焼ける。眩く鋭く、怒号と銃声が獣の絶叫に混じる。 

 オクタン価の高い燃料が燃える音。パチパチと、タコ足に括り付けられた毛布からノミやシラミが炙られていく嫌な臭い。

 脳が丸ごと失われたかのように、まどろみの如き思考のしびれ。薄曇りの黒と赤い膜で覆われた視界。

 重油で覆われた海水をも思わせる手足の不随を、パンと腿に迸った銃弾の強い衝撃がすっきり晴らす。

 

点呼(てんこ)ォ!! ────整列(せいれェつ)!!」

 

 直後、至近から迸った男の怒声が鼓膜を震わせた。

 内務班でいやというほど叩きこまれた文句。一刻一秒でも遅れたことがバレると体罰だけでは済まされない言の葉。

 咄嗟に足に力を籠め、ピンと背筋を伸ばして軍服の縫い目に拳を合わせ、一息もなく立ち上がる。

 

「……っ、(いち)────」

「貴様ァまだ寝ぼけているのか! 気絶する暇があるなら銃を持て!!」

 

 ぱっと視界が眩く光る。瓦礫の陰から飛び出し、燃え盛る炎が網膜を焼く。

 街路の途上。焼け焦げていく二つの輸送車。飛び散った片腕と小銃、下半身のない死体と頸だけが存在しない兵士たち。

 パン、と目の前に伏せる二等兵が小銃を撃ち放った刹那、ほんの数メートルも離れていない眼前を純白の牙が掠め、そうして茶褐色の軍服を鮮血で浸しながら骨とも肉ともつかない飛沫を撒き散らした。

 

 ぎろりと、爛々と輝く二つの瞳が男を射抜く。全長数メートルにも及ぶ、一般常識では通用しない巨体……肆號級界異“一口狼”。

 咄嗟に屈んだ男の姿を知ってか知らずか。未だその巨躯の真後ろから軽機関銃を放ち続ける一等兵たちへ向けて、一口狼は月面宙返り(ムーンサルト)と共に大空へと飛び上がった。

 一瞬上方向へとブレた曳光弾の線条を軽々躱し、その超重量をただの質量兵器として叩きつける。下半身を潰されて這う這うの体で這い出した上等兵を尻尾の一撃ではたき飛ばし、瓦礫の途上から手榴弾を投げようとした一等兵へと叩きつけ。

 瞬き。真上から降り注ぐ鉄帽(ヘルメット)を丸ごと鉄屑にするような剛腕の振り降ろしと共に、若い乙種合格の一等兵が血飛沫となってはじけ飛ぶ。

 

 凄惨極まりない──少なくとも80年前には存在しなかったはずのバケモノ退治を瞼の裏に焼きつけつつ、男は隣で銃剣を筒先にはめ込んでいる筋肉質の陸戦隊員に尋ねた。

「……すまん。何回死んだ?」

「二回だ。早くも痴呆か?」

 

 陸軍伍長、ヒ七一(なないち)

 名古屋出身。第26師団所属。──1944年8月18日頃、ルソン海峡にて戦死。

 

 記憶に齟齬はない。ここが日本であることも、溺死も圧死も効かないただの部品になってしまっていることも、自分たちが日本軍ではなく────ミワシ部隊・第八部隊に所属していることも。

 自分がほんの数十秒前、車列の横っ腹から突っ込んできた一口狼の巨体に吹き飛ばされ……そうして銃を構える暇すらなく、上半身からあの致死の牙の餌食になったことも。

 

「……いや。一回分はお前だろ」

 

 そう言って、真新しく“再生”を続けている太腿の銃創に手を触れる。

 そう言って、古びたアメリカ製自動拳銃を懐に収める筋肉質な男を恨みがましく見つめる。

 上半身を失い、鬱陶しくも呪具による再生を待つだけの下半身だけをどこか瓦礫の陰に引っ張り込んでくれたのはありがたいが──それにしても、気付けとばかりに拳銃で一度ショック死させるのは如何ともしがたい倫理観の欠如を感じてならない。

 

 恨みの籠った視線を受けた男は、ヒ七一伍長に向けて「知らんね」と肩をすくめた。

 

「流れ弾だろう。サイパンでもよくあった事だ」

「覚えておけよチャラン・カノア二等兵曹」

「陸さんは陰険で困るな。死ぬ事すら出来ないメリットを有効に使えよ」

 

 いけ好かない野郎だ。ヒ七一伍長は筋肉質の海軍陸戦隊員──チャラン・カノア二等兵曹のほうを一瞥すらくれることもなく、ここまで二度死んでいようとも全く手放していなかった自身の愛銃の槓桿を引く。

 カシャンと軽い金の音とともに薬莢が排出され、空になった薬室へ向けて前盒から取り出した黒い銃弾を一発ずつ押し込んでいく。

 

「……さて。敵は肆號級界異“一口狼”。車列先頭一号車側に3体、俺達を襲ってきた1体。対してこちらは二分隊総員12名中、ロクに動けるのは俺と貴様と……後はちょこちょこ。潰されては生き返りを繰り返すばかりだ」

 

 瓦礫の向こう、燃える装甲車の辺りでは今でも散発的な銃声と悲鳴が響く。絶対の再生を齎す呪具の力でただ十度や百度程度の死は問題にならないとはいえ、時間だけが無為に消費されていく現状は分隊の──そうして第八部隊の車列にとって不利となる。

 

「こっちの武器は……軽機が1丁と後は三八式歩兵銃殿ばかり。タ弾(ライフルグレネード)破甲爆雷(対戦車手榴弾)は僅少、銃剣軍刀と手榴弾も各々多少。合ってるか」

「ああ。後は俺のベ式機関短銃に貴様の九九式狙撃銃殿だけ……一分隊と三分隊はそれぞれ車列先頭、一号車の側に移動してこっちへの応援は無し。砲隊も向こうにかかりきりだろう」

 ヒ七一伍長は陸戦隊員の持つ古式の短機関銃(サブマシンガン)を一瞥し、「弾幕程度にはなるか」と首を振る。

 対してサイパンで使い潰された蘭印作戦以来の精鋭にして古参の陸戦隊員は、「時間稼ぎで十分だ」とばかりに正面で潰されていく歩兵たちを顎でしゃくった。

 ──暗に、兵卒の指揮を執り戦術的に撃破するだけである。と。

「……流石。大学出は違うな」

「僻みか、猟師見習い?」

「……三中隊の勾津に聞かせてやりたいくらいだ」

「十九年の補充兵を随分高く買ってるんだな。乙種か丙種、それかハタチ未満の若造を」

「……大方、もう死んでるさ。俺が海の底に沈んだように」

「違いない。養老院でも探してみりゃ生きてるかもな!!」

 

 ぱちんと膝を打って立ち上がると同時。チャラン・カノア二等兵曹はアメリカ製の自動拳銃を一発空へと放って走り出した。

 

「二分隊、弾薬を回収しつつ車列後方八号車方面に後退。被弾した五号車で防衛線を張る! 生き返ったヤツから3名更に後方へ移動し、擲弾筒と重機を装填。うち1名は擲弾筒抱えて六号車停車位置に再布陣し、距離120mでここ四号車を砲撃しろ!!」

 

 的確に下された命令に反応するかのごとく、腕や頭蓋の半分を失った歩兵が立ち上がって各々の小銃を手に瓦礫と苔だらけになった国道沿いの街区へと身を隠していく。

 そのうち3名を見咎めたチャラン・カノア二等兵曹は続けざまに指示を出し、日本兵たちが交代していく方とは逆側からサブマシンガンの銃撃を加えた。

 

「小山田二等兵、原田一等兵、那須二等兵! 後方行きの3名はお前らだ! 原田は擲弾筒係! 小山田ら3名はコヒマ軍曹或いは嘉数曹長からの指示を優先、指示なき場合は前述の指示通りに動け!」

 ぴくりと痒みを覚えたかのように筋肉質の男の方を見た一口狼は、軽機関銃を離さない日本兵の上半身を乱雑に放り投げてその前脚に力を籠める。

 

 ──刹那。

 

 轟音とともに街路の商店が瓦礫の山へと変わり果てるのと、戦車の最高速度にも匹敵するその疾駆を受けてチャラン・カノア二等兵曹が血飛沫になって轢死するのと。まさしく同時に、単独で災害にも匹敵する災禍が顕現した。

 

「アレが……一口狼か」

 一人の男が身を賭した死の隙に国道沿いの街区へと身を隠したヒ七一伍長は、勝ち誇ったように雄たけびを上げる一口狼を見つめる。

 銃弾を装填した九九式狙撃銃の、当時の日本軍には極めて珍しい狙撃眼鏡(スコープ)を撫で、目測で距離を測ってゼロインを調整する。

 本来ならば。普通の常識では。ここから一度銃撃しなければ、銃の癖を把握し着弾点と照準の調整しようもないが──

 

「距離よし、照準よし。風は無し……頼むぞ」

 

 ────戦後80年。それだけの時間、そうしてそれよりも前から共にあったこの愛銃の癖など、これほど長い間をかければどんな尋常小学校卒の若者でも把握する事は容易い。

 相も変わることがなく……そうして“自分自身(小銃)を最も完璧に扱い続けられる、ただの人型の生体部品”として作り替えてしまった菊の御紋を親指の腹で感じ取るのと同時。スコープの向こう側で小刻みな短機関銃の乱射が弾けた。

 続いて手榴弾の炸裂。黒い鉱石の破片が飛び散り、銃撃程度では掻痒にもならない重厚な毛皮からほんの僅かな血を流させる。

 絶叫する巨狼の真下で人肉が蠢き、短機関銃を握り締めた腕から徐々に筋骨隆々と言った肉体が形作られていく。

 

「ヒ七一伍長! あと10秒、頼んだぞ!」

 

 下顎と軟口蓋だけで血の混じった呼気とともに叫ぶ日本兵を、一口狼は不可思議なものを見る目で睥睨しながら再び爪で押しつぶし。そうしてかつては商店の一角だったのだろう苔むしたコンクリートの塊とともに辺りへ散らせる。

 もはや手首より先しかまともに人体と判別できるような箇所のない拳に握りしめられた拳銃が、パンと末期の硝煙を立ち上げた。

 

「……頼むつって、俺はただの狙撃手だぞ」

 

 小さくぼやき、後方に逃れた兵士たちを横目に。装甲車を盾としながら静かに押し黙って構えた小銃の筒先が、煌々と燃える炎に照らされる。

 だが。戦場はあくまで階級社会。メンコの数はどうであれ星の数が指示を定める世界。

 この場の最上級下士官が他でもない自分であることを、自らこそが極めてよく知っている。

 

「…………敵はこっちを皆殺しにした。そう思う。ならば……ほんの一瞬、緊張が切れる」

 

 スコープの奥で一口狼がその巨体を身動ぎさせる。手榴弾で吹き飛ばされた毛並みの一部を軽く爪で擦り、あたかも痒みか痛みでも覚えるかのように三足だけで瓦礫を眺める。

 まさしく度重なる銃撃と戦車の装甲にも匹敵する穢装ですら防げない爆弾。誰もが退避し、或いはその命を失うことで静寂を取り戻した赤々と燃ゆる廃墟の群れで──狼は、首と背を伸ばしてその大口を開けた。

 それは絶対強者の余裕か。或いはただの息継ぎか。

 

 いずれにせよ。

 

「────今」

 

 刹那。煌めく。赤熱する銃口。

 引き金を絞った瞬間。その意志に従うよう、タン、と音速を超えて銃弾が飛ぶ。

 狙いすまされた弾丸が的確に傷口を抉り、意識の外側から濃縮された黒不浄の銃弾が肉を刺す。

 

 困惑。咆哮。忿怒。体動。

 飛び跳ねる一瞬で瓦礫が粉微塵になり、平屋の商店と背の低いビルがその大黒柱を叩き折られる。

 大きく飛び退き、無様に転がる。轟音とともにさっきまで狙い構えていた塀が純白の毛並みと爪によってぶち壊され、一口狼という暴虐の化身が一息に十数メートルを疾駆したことが嫌と言うほど知らされる。

「……っ」

 狙撃手の位置がバレた。今はただ死んでいないだけで、二度の狙撃は通用しない。

 

 ──作戦通りだ。ヒ七一伍長は息を吸い上げ、麾下の分隊員たちに向けて一喝する。

 

「二分隊! 射撃始め!!」

 

 怒りに爛々と燃える瞳。一口狼がヒ七一伍長を睥睨し、その致命の牙で彼を噛み殺す瞬間。ここからおよそ60メートルほど離れた後方より、小銃による一斉射撃が集中する。

 パパパと一発ずつの音の波、タタタと連続した銃声。日本軍の残した栄誉ある三八式歩兵銃殿から、現代小銃をほんの僅かに超える威力(ストッピングパワー)の銃弾が雨霰とばかりに血塗れの巨躯へと殺到した。

 銃火を浴びた一口狼の毛皮が斑点のように赤く、そうして黒く染まり、現実すらも歪めるほどに強大な穢装に弾かれながらも衝撃と打撃を与える。

 その巨体からしては痒みとすらも思わない銃撃。──しかし、その数は脅威そのもの。

 一口狼はヒ七一伍長を食い殺すのをやめ、代わりに大きくコマのように回転しながら回避行動を。その余波とばかりに塀の残骸が憐れな伍長の首を圧し折り、鋼鉄のヘルメットを弾き飛ばしながら無残にも血飛沫を上げる頸椎だけを夜闇の冷気に宛がっていく。

 唸り声。強靭な身体のバネを駆動させた回避の後、もう一つ路地を蹴りつけて飛び上がり。その瞬間一口狼の真下を、宵闇を切り裂く銃弾の線条が通り過ぎる。

 飛び上がった空中から後方に陣取る歩兵たちを見下し、罅割れたアスファルトに着地すると同時。後ろ足へと力を入れ。

 

「交代だ! よくやった、ヒ七一伍長!」

 欠片すらも残らない死体から新たに肉体を形作ったチャラン・カノア二等兵曹が、手持ちの短機関銃を乱射しながら瓦礫の隙間を駆け回る。

 小銃(ライフル)よりもはるかに弱い短機関銃(サブマシンガン)の弾丸はともかく──遠投の姿勢を取った(オス)の手に握られたどうぐ(手榴弾)は、一口狼自身にとっても厄介な代物。一撃で穢装を切り裂き、自身から血を流させ得ることを、彼または彼女は身に染みて覚えている。

 歩兵たちに向かおうとしていた身体を無理矢理側面のチャラン・カノア二等兵曹へと向け、大きく揺らいだ躯体と共に跳んだ。

 

「二分隊、俺が指揮を引き継ぐ! 小銃持ちは装弾完了次第再度一斉射、軽機は小銃班一斉射終了次第翌次射! ……八幡上等兵、お前は軽機弾薬手として海野兵長を補助しろ! 小銃にはタ弾(ライフルグレネード)を装填、敵が足を止め次第、対戦車攻撃を行う!!」

 

 二等兵曹は瓦礫の陰に伏せ、一口狼が着地すると同時に飛散する数多の礫から身を守る。されども爪と剛腕が防ぐことなど能わないとばかりに地面を這い、彼の右半身をずたずたに切り裂いて鮮血に包まれた肝臓と肺腑を肋骨ごと露出させた。

 その瞬間。装填を終えた日本兵たちの一斉射撃が一口狼を背中から襲いかかる。

 運の悪い数発を穢装と毛皮とに防がれながらも、肉を──その奥の強靭な背骨をなぞる銃弾。狼と言う形態を保っている限りにおいて、どうしても肉の少なくなる背部から黒不浄弾が濃い穢れに染める。

 背骨を折るには至らず、肉を完全に穿つにも足りない……しかし穢装を以てもなお重篤な損傷足り得る痛覚の大元。一口狼は野生の本能で歯を食いしばり、歩兵たちを見とがめ、雄叫びと共に体勢を大きくのけぞらせて方向を変えた。

 

 無理矢理身体を捻り、重心が崩れたその一瞬の隙を逃すこともなく、一口狼の側面へと回り込んだヒ七一伍長は再度銃弾を放つ。狙うは狼の頭蓋骨……ひいては全ての頭蓋骨に共通する骨密度の薄い急所──こめかみ。

「……いい誘導だ。海軍じゃなきゃ、勢子(せこ)にもってこいだったんだが」

 嘆息。黒不浄弾が真っ直ぐに一口狼の頭蓋へと迫り────、

 

 タン。音を置き去りにした刹那、7.7mmのほんの小さな銃弾は、身体の捻りと合わせた牙によって嚙みちぎられる。

 ぬらぬらと唾液に染め上げられた口元から、致命だったはずの一撃が零れ落ちていく。

「……っそだろ」

 

 ヒ七一伍長の口から漏れ出す驚嘆。咄嗟に愛銃を掴んで硬いアスファルトの上を転がり、続く致死の衝撃に備えて身を強張らせる。

 一瞬。一秒。瓦礫の散乱する街路が吹き飛ばされることもなく。ほんの僅かな静寂がマタギ上がりの聴覚を刺す。

 ただのそれだけ。たった一手の違いで敵の出方が分からぬほど、ヒ七一伍長は娑婆の空気に浸されすぎた初年兵(新兵)なわけではない。

「…………っ、あの野郎!」

 銃床を肩に引き寄せ、スコープを覗く。質の悪いガラスの向こう側では、狙撃手など歯牙にもかけないとばかりに無視を決め込む巨体がある。たった一人の狙撃兵など、いつでも殺すことができると宣言するかのようにぬらりと穢れに塗れた牙を煌めかせる一口狼がいる。

 

 (やっこ)の狙いはただ一つ。後方で戦列を構える、わずか7名の……しかしこれまでで最も、死の危険を味合わせた、凡人たちでしかない歩兵たち。

 

「──突進来るぞ! 軽機、頭を抑えろ!」

 

 隠れ潜む狙撃手にあるまじき大声を張り上げて指揮を出すのが早いか。一口狼は弾幕の空隙を、わずか1秒足らずの槓桿(ボルトハンドル)操作の合間を縫って、後方60m先の防御陣地を狙って疾走する。

 一拍遅れて、一口狼の斜め前方から飛び込む軽機関銃(マシンガン)の突撃破砕射撃。狙いを曖昧にして命中精度を問わない連射を繰り返すことにより、如何なる吶喊をも打ち砕く最終防衛のための一斉掃射。

 漏斗型の消炎器(フラッシュハイダー)から秒間9発の勢いで飛翔する黒不浄弾をジグザグに走り回ることで軽々と回避していく巨狼に、装填を終えた歩兵小銃の防護射撃が飛んでいく。顔面と首周りの毛皮に加えて重厚な非実体の穢装を以て小銃弾を防ぎ切った一口狼は、まさしく暴虐の化身とばかりに彼らの盾とする装甲車へと飛び掛かった。

 

 爆炸。悲鳴、咆哮。

 銃を構えた日本兵の全身が突進とともに吹き飛び、銃剣を引き抜こうと腰へ手を回した日本兵の首から上が装甲車の鉄板に穿たれ弾け飛ぶ。辛うじて一発小銃を撃ちはなった兵士が叩き潰されて腕だけに成り代わり、背嚢の上に二脚で構えられた軽機関銃ごと二人の兵士が尻尾の一撃で吹き飛ばされる。肋骨も内臓も弾けた空虚な遺骸となって、茶褐色の軍服を奇妙な壁面スタンプアートに変えていく。

 ヒ七一伍長の手に保持された狙撃銃が、手汗か血かよくわからない液体によってぬるりと滑り落ちそうになる。

 

「……っ。こうなっちまいや、俺の銃ではどうしようも……」

「──ひるむな! 肉薄、対戦車戦闘へ続け!!」

 

 怒声、一喝。明確な死から復活したチャラン・カノア二等兵曹が短機関銃を手に、少しでも注意を引くための銃撃を放った。

 一口狼は何も変わらず銃撃を真っ向から無視し、未だにピクピクと再生を続ける日本兵の死体へ爪と尻尾による暴威を振りまいていく。

 

「ヒ七一! 注意を引けるか!」

 大声で叫んだ刹那、一口狼が腕の一撃で吹き飛ばした誰か日本兵の腕がチャラン・カノア二等兵曹の喉骨を軋ませる。回避どころか視認すらしていない相手からの余波だけで呼吸を失い息絶える兵士をスコープの奥で見つめながら、ヒ七一伍長は伏せ撃ちの姿勢で瓦礫の上に九九式狙撃銃を構えた。

 

「……なんで知ってんだかな。三中隊の勾津にしか見せた事ねえのに」

 

 無茶を言う。ただの狙撃兵に、今なお暴虐の限りを尽くす肆號級界異の注意を引けだのと。

 

 銃弾の威力は、誰が扱っても均一で平等だ。タイミングの妙で効果的な衝撃には出来るが、既に警戒され尽くした今現在では敢えて効果のあるものではない。

 なにより、既に、兵士の一番の友である銃弾は一口狼の驚異的な動体視力と穢装によって殆ど意味をなさない事がわかっている。

 

「……マタギに、二の矢をやれってか。いやそうなんだろうな」

 

 ヒ七一伍長は敢えて逆手に握りしめた槓桿を引き、薬室に含まされた一発に加えて五発の弾を装填する。

 日本軍の歩兵教典どころかマタギの技でもない、半ば裏技のような弾数増加の秘策。やらかした瞬間古参兵にぶんなぐられることは間違いなしの掟破り。

 銃床を肩に押し付けて衝撃を殺す姿勢を取り、小指だけを引き金に宛がう。

 

「距離よし、照準よし。風は無し……目標、ヤツの左目」

 

 誰に聞かせるでもなく呟き──そうして、引き金を絞ると同時に小銃の槓桿を引いた。

 撃発、発火、遊底の後退。反動をそのまま槓桿の前後運動に繋げ、薬莢が飛び出す刹那にボルトハンドルを回して再装填。それと合わせて小指に引っ掛けた引き金が引き絞られ、ほんの瞬き程度の合間すらなく二発目、三発目────単発が基本のボルトアクション式小銃では考えられない速射で以て、一直線に並んだ6発の黒不浄弾が続けざまに一口狼へと飛び出した。

 

 ────着弾。

 

 一発目が穢装とぶつかり、二発目と三発目が穢装を食い破り。四発目と五発目で毛と骨を穿ち──そうして。六発目。一点に着弾し続ける銃弾がついに一口狼の堅牢な存在強度をぶち破り、激痛に悶える絶叫と共に赤黒い血と白濁した硝子体を撒き散らす。

 

 まさしく神業。旧式の小銃で行うことが出来ないほどの超高精度連続射撃を容易く敢行して見せたヒ七一伍長の眼前で、死から蘇ったチャラン・カノア二等兵曹が大きな包みのような爆弾を放る。

 片目を失い激痛に呻く一口狼を更に追撃するは──使用者の被爆を受忍した、倫理的でもなんでもない対戦車手榴弾(ばくやく)

 自身の肉体ごと爆ぜ散る成形炸薬と科学に裏打ちされた噴流(メタルジェット)が一口狼の穢装を無為に帰し、そうして重厚な筋肉の鎧に風穴を開ける。

 

「今だ……! 火力集中、生き残ったやつから撃て!」

 

 投擲姿勢のまま地面に伏せることで爆風を躱した教本通りのチャラン・カノア二等兵曹は、無残に食い荒らされてもなお再生し銃を構える歩兵たちに向けて指揮を出す。

 下士官によって統制された射撃が血塗れの肉を穿ち、痛みに呻きながら反撃の牙を向けようとした横っ面を軽機関銃の連射が妨害。

 注意のそれた首の後ろ──うなじ辺りを抉るように九九式狙撃銃の銃弾が飛び、一口狼への威圧を行っていく。

 

「爪が来るぞ! 青木二等兵、山治一等兵、肉薄して攻撃! 他小銃班はその隙に装填終えろ!」

 

 振り上げた前脚を目敏く見つめた二等兵曹の言葉通り、小銃の代わりに銃剣と手榴弾を引き抜いた二人の日本兵が立ち上がる。上半身を血煙に変えられながらも手榴弾を叩きつけ、爆裂。その隙をカバーするように銃剣を取り付けた三八式歩兵銃(ライフル)が一閃。一口狼の脇を穿つように伸びる。

 後ろ足を引き寄せて簡易な突進を挟み、肉薄した歩兵を無理やり腹の下で擦り潰すかのごとく前進。続けざまにもう片方の前脚でストンプを繰り返そうとしたところ、装填を終えた歩兵たちの一斉射が一口狼の視界を覆っていく。

 

「これなら──八幡上等兵、タ弾発射用意! 軽機は残弾尽き次第斜め後方瓦礫の陰に後退!!」

 

 好機到来。二等兵曹の指揮に従い、タタタと軽機関銃が唸りを上げる。歩兵班へのヘイトを逸らし、高機動の回避運動を阻害するための連射。

「山治は小銃射撃に復帰! 村上兵長、交代で肉薄しろ!」

 体を捻って軽機関銃の銃撃を回避しようとする一口狼の足元で、再び手榴弾が炸裂。亀のような形の奇怪な地雷が吸着し、当たりどころがよければ戦車装甲をも破壊しうる爆轟に全身を焼かれながら鬼気迫る表情の日本兵が着剣突撃を仕掛ける。

 痛みに怯む隙もなく連携攻撃を仕掛ける祓魔師──いいや、亡霊たちの攻撃を前に、一口狼は鬱陶しげな雄叫びをあげ。万歳三唱(ウォークライ)とともに駆け寄ってくる日本兵をその顎で丸ごと噛み砕いた。

 ごしゃりと血肉を飛び散らせて上半身から上を空隙と変えた日本兵の肉を、一口狼は野生の習性で以て反芻、咀嚼する。

 

「……そうするよな」

 

 独りごちるヒ七一伍長のスコープの向こう。狙い通りとばかりに、大学出の分隊指揮官は小さく目配せして頷いた。

 

 一口狼は、一口狼という界異は。噛みつきこそが致死にして必殺の異常性。「噛み切り破壊したものを、如何なる呪法によっても再生できないようにする」という単純明快にして明瞭な呪い。境対課の形代ですらも無効化する、まさに四号級(災害と同程度)の面目躍如。

 だが狼の形を取るが故に、伸ばした首によって重心が前傾する。狼であるが故に短くバランスを取りづらく。そうして噛み千切った相手が口の中にある限り、咄嗟に動くことも出来なくなる。

 

「…………故に、必ず殺せるタイミングでないと、その牙で噛み切ろうとすることはあまりない。読みが当たったな、田舎猟師!!」

 

 わずか一瞬。咀嚼のために足を止めた一口狼へ向け。

 

 雄たけびと共に、軍刀を構えた筋骨隆々の兵士──チャラン・カノア二等兵曹が突進する。

 咄嗟に飛び退こうとした一口狼の後ろ脚を狙いすましたかの如く軍用手榴弾が転がり、炸裂。裂傷と爆風を撒き散らして、穢装と肉を抉る。

 痛みに呻く刹那力が入りきらなかった片脚が地面を叩き、同じく爆風を極至近距離で受け内臓と体表の皮膚を垂れ下がらせた亡霊の如き日本兵の黒い刀が振り降ろされる。

 一刀。濃密な死穢と共に、ゴホりと肺腑の奥底から絞り出すような言の葉が呪詛とばかりに零れた。

「食、らえ……っ゛、祓式綜合格闘術────」

 最後まで言わせることも無く、一口狼は傷ついた足を庇うようにバックステップ。その過程で剛毛の艷やかな前脚を日本兵にぶつけ、柔らかな人肉を以て艶めく血色の一部に変える。

 

「……読みを当てたのはお前の方だよ、ボンボン」

 ぽつりと呟き、決死の肉薄攻撃を無駄にせぬよう、たった一発弾を込める。

 真新しいその傷と、その奥に見える血肉。足を動かすためのアキレス腱。

 タン、と黒不浄弾が穢装丸ごと肉を抉り取った刹那、回避機動の軸足の一切から力を失った一口狼は、硬いアスファルトの上で足を滑らせたかのように無残にも横転した。

 

 かくて訪れる千載一遇の好機。たとえそれを下した指揮官が肉片になって死に絶えていようと、その命令が生きている限り、軍隊というものは機能する。

 銃弾を撃ち尽くして後退する軽機関銃(マシンガナー)と入れ替わるよう。小銃の銃口に榴弾を取り付け対戦車擲弾(ライフルグレネード)とした兵士が、無防備な一口狼のどでっ腹へ向けて重厚な戦車砲塔をも撃ち抜ける対戦車兵器を投射する。

 

 

 轟炸。霊的な穢装に対してユゴニオ弾性限界を超え、霊的メタルジェットが臓腑を穿つ。ミワシ部隊によって炸薬部分に近代化改修と霊的攻撃能力の付与を施された旧日本軍の肉薄対戦車兵器が、かつて米軍の戦車を襲った時そのままの衝撃力を以て炸裂する。

 飛び散る臓腑と穢れた毛皮、幾人分もの日本兵たちの死と血反吐の結実。

 凡愚に過ぎない80年前の死に損ないたちが、現代でも猛威を振るう四号級界異に対して行うことが出来た戦術的(タクティカル)な祓魔作戦。

 悲痛なほどの絶叫に、銃弾を装填し終えた歩兵たちはとどめを刺さんとばかりに幾つもの旧式の小銃を向ける。

 

 

 ──ふと。

 

 スコープを通して爆炎と血煙の広がる一口狼の周囲を凝視していたヒ七一伍長は、目の前でのたうち回る一口狼の叫びが、何か聞き覚えのある遠吠えのような気がした。

 

「っ、…………この遠吠えは……」

 

 かつて80年も昔。野山で野犬を狩っていたころ。幾度となく聞いたこの長く悲壮さすら感じられる雄叫び。

 その意味は今となってもなお、あくまで狩人であり獣ではなかったヒ七一伍長には到底わかりえないが────

 

「…………仲間を、助けを求めるつもりか!?」

 

 顔を上げた刹那。明るく戦場を照らしていた満月が翳る。

 咄嗟に銃を向けた先には、月影を落として漆黒に染まった巨大な……十数メートルはあろうかという、巨大な狼。

 まさしく群れのボスとでも言うべきであろう巨体が傷だらけの一口狼の盾となるように着地し、そうして飛来した銃弾を穢装と筋肉の鎧を以て完璧に防護する。

 眼の前に着地したときの衝撃波と瓦礫を受けて顔の半分を失いながらも、慌てふためく様子もなく再装填を始める対戦車兵。新たに現れた一口狼は彼をふんと一瞥すると、器用に振るった尻尾で大きく跳ね上げ、その下腿を一息に噛みちぎった。

 そうしてそのまま、小銃を構えたままの日本兵たちへと疾駆。単純な質量と速度による衝突でもって彼らを鮮血へと変えていき、少し離れたところで装填を終えた軽機関銃へ向けつい先ほど噛みちぎったばかりの片脚を吐き捨てた。

 

「新手か……っ! 退却、退却! 六号車方面へ向け遅滞戦闘を取る! 青木、下村、中島は修復され次第──」

 

 死の淵から蘇ったチャラン・カノア二等兵曹が、再度旧日本軍に伝授されてきた祓魔の剣術奥義を発動する。明瞭な指揮を下しつつ、軍刀を最上段に構えて走り出す。

 先程まさしく一蹴された日本兵たちの死体が徐々に修復されつつあるのを見とがめた一口狼は、吶喊してきた二等兵曹をまるで鞠で遊ぶかのように、爪の一撃で吹き飛ばした。

 決死の覚悟を”制約”とした祓魔奥義がたったの一撃で瓦解し、黒い鉱石で形作られた軍刀が大きくへし折れて日本兵の死体ごと八つに裂かれて弾け飛ぶ。

 アスファルトの上をゴム毬のように跳ね飛ばされつつ、最後の抵抗とばかりに短機関銃を乱射した男の首を、ひときわ巨大な一口狼の牙がぐしゃりと噛み砕いた。

 

「……嘉数曹長殿に報告だ。群れの長と思われる個体が出現、至急救援を……」

 

 ヒ七一伍長は、そのあまりに凄惨な光景を映し出すスコープから目を離す。匍匐姿勢のままずりずりと瓦礫のすき間を縫って後方へ逃れようと──した、その時だ。

 大柄な黒い一口狼が鼻を軽く啜ったかと思えば、瓦礫と化した街区の先……ヒ七一伍長を真っ直ぐ凝視する。そうして糸引く唾液の垂れるまま、にちゃりと血肉のこびりついた大口を開いて舌舐めずり。

 ──位置が、存在が、今生きていることがバレている。それをわかった瞬間、ぞわりと背筋を怖気が走り回る。幾度となく死んできた肉体が、新鮮な死の恐怖に怯えだす。

 

 一切の効果がないのだろう狙撃銃を体に引き寄せ、軽く震える指を弾薬盒へと這わせ。銃弾を包み紙から引き抜いて、装填。

 音を立てることすらも出来ない畏怖が戦場を塗り替え、水を打ったかのような静寂が血塗れの町並みを彩る────。その瞬間。

 

 ぶん、と、どこか近くでエンジンの音が響き渡る。古く馬力の低い軍用自動車のストロークの排気の音が轟き渡る。

 徐々に近づいてくる爆音に耳を傾け、牙をあらわにする一口狼。呆気にとられる日本兵。

 アスファルトをタイヤが切り裂いていく豪快な音と共に、この場この戦場において最もふさわしくない声がした。

 

 

 それは女の、甲高い、明星のような声色。何の呪いも恨みもこもっていない、ただ純粋に弾む声。

 格好をつけたような、つけてないような、どうとも取れず微妙極まりない笑い声。

 

 

「おらーっ! 複線ドリフト!!」

 

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