加州清光は行き着けるところまで走った。
防衛ラインは敵から標的を隠すために合成された、荒涼とした野原の風景で覆われている。
空間のねじれを感じ始めたあたりで加州清光は止まった。おそらくこれ以上進めば、来た道を戻される。跳躍経路はどこだろうか。敵の連合軍はここまで到達したとして、どこを狙って攻撃するのだろうか。
加州清光はあたりを見回した。
すると、腰のベルトに差していた三日月宗近の太刀が光を放った。同時に加州清光の目は輝いた。その光が収まると、加州清光の目は三日月宗近と同じ色になり、同じ三日月を浮かべていた。
野原の風景の奥に、時の政府らしき崩れかけた建造物の影と、空間がねじれていない通り道が見える。
「そのまま進め」
いきなり三日月宗近の太刀から声がした。
加州清光は驚いて口をあんぐりと開けた。
「なぜ驚く? 混に対峙したときと同じことだ」
「だって、刀剣男士としてのあんたは本丸にいるし……遠隔操作なんてできるの?」
「まぁ、色々あってな。多少は他の者と違うことができる」
「ずっりー! なんだよそれ」
と加州清光は文句を言った。
三日月宗近の太刀は楽しそうに笑った。
「ははは……この太刀が役に立つと言っただろう?」
時の政府の周囲は暗く深い淵のようになっていた。通り道は細い橋のようだ。人がやっと一人通れる程度の幅しかない。手すりもない。
加州清光は一瞬ひるんだが、まっすぐに目標である時の政府を見て走り出した。
渡り切ったとき、橋は音もなく消失した。
「上出来だ。あの橋から落ちれば二度と這い上がれぬ」
と三日月宗近の太刀は言った。
「やっぱり? そういうことだろうなと思った」
加州清光は少しばかりうんざりして言った。三日月宗近だけが知っていることが多すぎる。
時の政府は巨大な駅舎のようだった。赤いレンガの壁に白い窓枠が並んでいる。レンガの門構えのある入り口には扉がない。
時の政府は援軍を要請するほどに被害を受けているはずなのに、それらしい損耗のようすがまるでなかった。橋を渡る前に見た崩れてかけている外観は、どうやら偽装だったようだ。
建造物の周囲は無人だ。攻撃を加える時間遡行軍も検非違使もいない。防衛や警戒に当たる者もいない。
「なるほど、茶番ね……」
加州清光はそうつぶやくと、時の政府の入り口へ向かった。
一歩踏み入ると、そこにはクダ屋が待ち受けていた。
加州清光は腰の太刀に手を添えた。場合によっては三日月宗近の太刀を抜いて、このクダ屋と交戦することになる。
「奥に立ち入るというのか」
クダ屋は静かに尋ねてきた。戦意はまったくなさそうだ。
「そうだ。俺たちはこの八重垣の奥に用があるのだ」
三日月宗近の太刀がそう応えると、クダ屋は加州清光の目を見た。
「……目の共有を確認した。この個体を三日月宗近と同等と認める」
クダ屋はくるりと背を向けて言った。
「ついてこい。中央制御区へ案内する」
時の政府の内部は現世のオフィスビルのようだ。一切の装飾がない、無機質な廊下と壁が続いている。他の廊下と交差しても、誰ともすれ違わなかった。交差した廊下の奥にも人の気配がない。
「誰もいないの?」
加州清光が尋ねると三日月宗近の太刀は答えた。
「この区画は近づける者が限られている。別の区画では、政府によって顕現された者たちが働いているはずだ」
まもなく、加州清光たちは中央制御区の入り口に到達した。
クダ屋は加州清光に向き直ると、こう言った。
「この奥には俺を含め、誰も立ち入ることができない。それを許されているのは三日月宗近だけだ。お前は三日月宗近の目を共有し、その太刀を持っている。本部はお前を三日月宗近と認め、立ち入りを許可するだろう」
加州清光はクダ屋に「ありがと」と礼を言うと、緊張しながら奥へ進んだ。
中央制御区にはそもそも三日月宗近しか入れないので、監視カメラや警備機能はない。
「なんか、不用心な気もするけど」
と加州清光がぼやくと、三日月宗近の太刀は笑い声を立てた。
「まさか俺以外の者がこの太刀と目を持って訪れるなど、時の政府には思いも寄らなかったのだろう」
加州清光は三日月宗近の太刀の案内で記憶保管庫へ向かった。そこには膨大なデータが蓄積されている。
記憶保管庫に着くと、三日月宗近の太刀は加州清光に操作パネルの位置を教えた。そこに本丸に付与されている識別番号を入れると、関係するデータを見ることができる。
加州清光はパネルの初期画面に「設定」と表示されたフォルダを見つけた。なんとなく気になってそれを開いてみると、時間遡行軍や混のデザイン画らしきものと設計資料がモニターに表示された。
時間遡行軍それぞれの攻撃の強さや早さ、耐久などの数値が設定されている。混については数値がなく、挙動は固定されていた。「破壊条件は初期刀が三日月宗近の目を共有した状態で三日月宗近の太刀を振るうこと」との表示がある。
「やっぱり……そういうことだよね」
加州清光は重いため息をついた。予想はしていたが、はっきりと証左を見ると胸が重苦しい。
「……気づいていたか」
「うん。時間遡行軍も検非違使も、時の政府が仕立てた。俺たち刀剣男士をもとに」
「そうだ。だが俺たちからだけではない。歴史の中で逸話も存在も残らず忘れ去られてしまった刀たちが一番最初だ」
「……円環を作るための、装置として?」
三日月宗近の太刀は黙ったまま答えなかった。加州清光はそれを肯定だと受け止めた。
巴形薙刀や静形薙刀も特にこれといった逸話のない刀の集合体だ。一番最初の敵は、歴史の中で忘れ去られたこと自体を物語として時の政府に顕現され、そこから敵として加工されたのであろうことは容易に推測できた。
各防衛ラインは拮抗のイエローラインから不利のレッドラインを行ったり来たりしている。前回の大侵寇ではあっという間にグリーンになったのに、今回はまるで敵を押し返せていない。SNSでは他の本丸の審神者たちが休眠している本丸への参戦協力を求めているが、それによって事態が好転するきざしは見られなかった。
この本丸の審神者は防衛ラインには参戦せず、刀剣男士たちに本丸の警護を固めさせていた。
警護班は交替で休憩を取っている。
三日月宗近は休憩中も広間のモニターから防衛ラインの推移を見ていた。
蜻蛉切と乱藤四郎は防具を外して横になっていた。短時間で少しでも効率よく回復するためだ。一方、三日月宗近は防具をゆるめもせずに座っている。
「三日月さん、休んでおかなくていいの?」
乱藤四郎が心配して声をかけてきたが、三日月宗近は黙ってうなずいただけだった。
やがて三日月宗近は「執務室で主と話してくる」と言って立ち上がった。
執務室を訪れた三日月宗近は鞘に収まった加州清光の打刀を胸の高さに捧げ持った。
「次のことが起きる前に、加州をこの本丸に連れて帰りたい」
審神者は三日月宗近の手にある加州清光の打刀をじっと見つめた。
「………」
「俺たちは互いに刀を預け合った。この刀は俺たちをこの世につなぎ止める依り代であり、俺たちの物語を宿す依り代でもある。俺ならば、加州の行方を追うことができる」
審神者はうなずいた。
「分かった、任せる。加州はお前を信じると言っていたから」
審神者の態度はずいぶんと柔らかかった。三日月宗近と加州清光がそれぞれの刀を預け合っている。審神者はそれを協力の証だと受け止めた。
三日月宗近は加州清光に代わって近侍を務めている厚藤四郎に向かって言った。
「俺たちが戻るまで、主を、本丸を頼んだぞ」
厚藤四郎は緊張したようすでうなずいた。
蜻蛉切と乱藤四郎はそれぞれ他の警護班に編入されることになった。
三日月宗近は門前に出ると加州清光の打刀を抜いた。
「では、打って出るとするか」
打刀を虚空に向かって振ると、そこに椿寺に敵を誘い込んだときと同じように、大きな穴が現れた。穴のふちも中も銀色のもやのようだ。三日月宗近はその穴の中に身を滑り込ませた。
こうして三日月宗近が加州清光を追って時の政府本部へ向かった直後、全防衛ラインの戦況は拮抗から不利を示すレッドラインに変わった。
審神者は執務室のモニターで作戦フィールドの推移を見つめながら、三日月宗近が告げた「次のこと」とは何かについて考えていた。
いま考え得るのは混に相当する敵が現れることくらいだ。少なくとも、もうひとつの円環が発生する出来事が起きるのは間違いなかった。それまでに三日月宗近と加州清光が間に合うかどうかは運を天に任せるしかない。
審神者は資源確保のため遠征に出していた第二部隊以下に使いの鳩を出し、呼び戻した。三日月宗近と加州清光が戻ったときには全員でそろって話を聞きたかった。