蛍が外で自身の腕を見て力を感じていた。空気は焼け焦げた金属の匂いをまだ少し残していたが、青空は穏やかに広がっていた。
その中央で、蛍は静かに立っていた。風が金色の髪を揺らす。
彼女は自身の腕を見つめ、手のひらをゆっくりと開く。淡い光が指先に集まり、波紋のように広がった。
「……力が、殆ど戻ってきた。」
その声は確信と、ほんの少しの驚きが混じっていた。
テイワットに来てから、彼女の中で眠っていた何かが少しずつ目を覚ましている。
感じる——水、風、岩、雷、氷、草。
どれかひとつではなく、炎以外の元素が呼応しているような感覚。
「……あの時よりもずっと。」
蛍は青空に手を伸ばした。
あの旅の頃、兄と並んで歩いた時間。
あの頃の自分を、もう追い越してしまったのかもしれない。
「蛍。」
背後から声がした。振り向くと、玄鳥が立っていた。
焦げ跡の残る競技場に吹く風が二人の間を抜ける。
「玄鳥!」
蛍の表情が少し緩む。
彼女は小走りで駆け寄ると、少し照れくさそうに笑った。
「どうしたの? 元気そうだけど。」
「ううん。ちょっとね。」蛍は首を傾げながら、自分の胸のあたりを押さえた。
「このテイワットに来る前より……強くなってる気がするんだ。」
「そうなんだ。」玄鳥は少し目を細める。
「確かに……蛍から、色んな元素の気配を感じるよ。」
そう言って玄鳥は元素視覚を展開した。
視界に映る蛍の輪郭が淡く光を帯びる。
その体の奥で、七つの色が重なり合い、揺らめいていた。
それはまるで、テイワットそのものの縮図のようだった。
「……七元素が、同時に循環してる。普通じゃ考えられない。」
「やっぱり、変だよね。」蛍は少しだけ笑う。
けれどその笑顔の奥に、何か覚悟のようなものが宿っていた。
「でも、不思議と怖くはないの。むしろ——導かれてる気がするの。」
玄鳥はしばらく黙って蛍を見つめた。
風に揺れる髪、瞳に映る空、そしてその中にある力。
「……蛍。もしかしたらお前も“律者”に近づいてるのかもしれない。」
蛍は静かに頷いた。
「そうなの?」
「鍾離先生は、関わりが深い人物がなり得るって言ってたから。」
その言葉は穏やかだったが、確かな芯を感じた。
玄鳥は微笑み、空を見上げる。
その姿に、蛍は思わず見惚れていた。
戦いの中でも変わらずまっすぐで、どこか太陽のように眩しい。
玄鳥の立ち姿には、不思議と安心感があった。
「……やっぱり、玄鳥ってお兄ちゃんに似てるな。」
「え、そう?」
玄鳥はきょとんとした顔をする。
「うん。少しだけね。雰囲気とか……話す時の優しさとか。」
蛍は微笑んだ。
その笑顔はどこか懐かしさを帯びていて、玄鳥は思わず視線を逸らす。
照れ臭いのか、それとも胸の奥が熱くなったのか、自分でも分からなかった。
二人は聖火競技場の外を並んで歩く。
風が吹き抜け、瓦礫の隙間で草花が揺れていた。
「蛍は、お兄さんを見つけたらどうするの?」
玄鳥がふと尋ねる。
「……あっ、それ……考えてなかった。」
蛍は少し困ったように笑う。
「そういえば、お兄ちゃんを探す間にいろんなことがあったから……ずっと、“探す”ことしか頭になかったんだ。」
「まだ決まってないんだな。」
「うん。見つけたらどうするかなんて、考える余裕なかった。」
玄鳥は少しの間だけ黙ってから、穏やかに笑った。
「それなら、今はそれでいいじゃないか。」
「え?」
「焦らなくていいってことさ。」
玄鳥は蛍の両肩に手を置き、軽くポンと叩く。
「この戦いを終わらせてから、ゆっくり考えればいい。――だから、まずは勝とうぜ。蛍!」
蛍はその言葉に目を見開き、やがて小さく頷いた。
「……うん。」
玄鳥の笑顔につられて、蛍も笑みを返す。
その瞬間、二人の間の空気が少しだけ温かくなったような気がした。
マーヴィカ達が急ぎ足で近づいてくる。
その表情に、ただならぬ気配が宿っていた。
「玄鳥、旅人――聞いてくれ。アビスの軍勢が、夜神の国に侵入した。」
「えっ!?」蛍の顔が一瞬で強張る。
マーヴィカは続けた。「しかも、先鋒にはエイリアン兵と……イグニスがいたそうだ。」
場の空気が一気に重くなる。
玄鳥は息を呑み、それでもすぐに前を向いた。
「玄鳥、君には旅人と共に夜神の国へ向かってもらう。玲瓏と伏龍には、ゲートの監視を任せる。」
「了解。行こう、蛍。」
そう言うやいなや、玄鳥は駆け出した。
蛍もその背を追おうとした時、マーヴィカがそっと腕を掴む。
「旅人。……シロネンやシトラリから聞いた。“古名”ができたらしいな。」
「うん。イグニスを止めたら、ゆっくり話すよ。」
「――ああ、楽しみにしておこう。」
蛍は力強くうなずき、闇へと走り出す。
その背を、マーヴィカは見送った。
……………………………
二人は夜神の国に辿り着いた。
そこは常夜の霧に覆われ、空すら黒紫に沈む静寂の世界だった。
蛍は吐く息の白さに気づき、身を震わせる。
(……冷たい。以前来た時より、空気が重い。それに――身体が妙に鈍い……)
深呼吸をしても、肺の奥にまで湿った闇が入り込むようだった。
「大丈夫か?」
玄鳥の声が、低く響く。
蛍は小さく頷いた。「うん……行こう。」
二人は足音を潜めて進む。
しかし、すぐに空気がざらつき始めた。
瘴気のような気配が地面を這い、闇の奥から金属音が響く。
――アビスの軍勢と、サイバースペースのエイリアン兵達。
異形の兵達が黒い陣形を組み、中央にひときわ強い光を纏う男が立っていた。
「イグニス!」
蛍の叫びに、男はゆっくりと振り返る。
その瞳は、かつての彼とは違う、紅く歪んだ光を放っていた。
「おっと……もう来たのか。早いな。」
イグニスは唇の端を上げ、手にしたブレードを構える。
「くっ……この雰囲気……まさか、アビスか……!」
玄鳥の声が低く唸る。
「大正解だよ、玄鳥。どうやら“アビス”は俺達に力をくれたらしい。」
その瞬間、イグニスの周囲に黒い霧が渦を巻き、兵達が一斉に動き出す。
エイリアン兵達の鋼の脚音が響き、無数の光弾が夜を裂いた。
「くっ……囲まれた!」
「蛍、連携するぞ!」
「分かった!」
二人は同時に剣を構え、光と影が交錯する戦場へと飛び込んだ。
閃光が走り、エイリアン兵の装甲を断ち割るたび、火花が闇を照らす。
「へっ! 守ってるつもりか!? 舐めんなよッ!!」
イグニスの怒号が響いた瞬間、重力が歪むほどの勢いで突撃してくる。
玄鳥は咄嗟にイグニスの首根っこを掴み、衝突の勢いを殺した――が、その瞬間、イグニスの右腕の銃口が蛍を捉えていた。
「蛍、危な――!」
引き金の音が空気を裂く。
「かはっ……!」
蛍の身体が揺らぎ、光の粒子が散る。胸元に黒く禍々しい棘が突き刺さっていた。
その場に倒れ込む蛍の姿を見て、玄鳥の表情が凍りつく。
「蛍ッ!!!」
怒りのままに拳を握りしめ、イグニスの顔面に叩き込む。
鈍い衝撃音と共にイグニスの身体が数メートル吹き飛んだ。
玄鳥はすぐに蛍のもとへ駆け寄る。
「蛍、大丈夫か!? しっかりしろ!」
震える手で胸元の棘を抜き取る。触れた指先が、微かに焼けるように熱い。
「……これは……アビスの瘴気……? おかしい。蛍はアビスの影響を受けないはず……!」
玄鳥が呻くように呟くと、イグニスが血を吐きながら笑った。
「馬鹿が……ソイツは“アビスの力を誰にでも通す弾丸”だよ。
どんな清浄な存在でも、アビスの呪いからは逃れられねぇ。
これで……その女も終わりだなぁ……!!」
玄鳥の中で、何かが切れた。
怒りとも焦りともつかぬ熱が胸の奥から燃え上がる。
(クソッ……! このままじゃ蛍が……!)
(……いや……俺にはまだ、“炎”がある……!)
蛍の身体から微かに光が漏れる。
それは赤と金の間に揺らめく炎元素――だが、以前よりも強く、荒々しい。
まるで蛍自身が、玄鳥の炎に共鳴しているかのように。
(蛍……お前の中の炎が……呼んでるのか……?)
玄鳥の瞳に紅い焔が宿る。
玄鳥は右手に炎を集めると、その焔を球状に圧縮し――まるで“命”のように両手で包み込んだ。
「蛍! 目を覚ませ!」
炎の粒子が宙に散り、周囲の闇を押し返す。
「お前には、まだ――やるべきことがあるだろ!」
「こんなところで、俺たちは負けられないんだ!!」
玄鳥はその火球を蛍の胸元へと押し当てた。
炎が淡く鼓動するように脈動し、蛍の体内に吸い込まれていく。
次の瞬間――蛍の胸元がまばゆく輝いた。
「……あっ……玄鳥……」
彼女の瞳に光が戻ると同時に、胸元のアビスの毒が蒸発するように消え去っていった。
そして、蛍の体がふわりと浮かぶように立ち上がる。
空から、一筋の光が降り注ぐ。
その光は蛍を包み、彼女の全身を“新たな姿”へと書き換えていった。
「クソッ……!まだ力を隠してたようだな……!」
イグニスが後退しながら唸る。だが、口元には歪んだ笑み。
「だがな! こっちにも“切り札”があるんだよ!!」
イグニスは腕の装置にアビスのコアを押し込み、空中の球体へとエネルギーを注入した。
轟音と共に黒い渦が裂け、そこから龍のような巨影が現れる。
「……あれは……グーシィ・トースに化けたアビス、"蝕まれし源焔の主”か。」
玄鳥は空を見上げ、そして蛍の方へ視線を戻す。
光が収まると、蛍はゆっくりと深呼吸をし、玄鳥を見据えた。
「玄鳥……ありがと。」
「蛍、無事だったんだな!」
玄鳥の声に蛍が微笑み、杖を召喚する。
杖の先端部が変形し、宙に散ったビットが集束。
「行くよ!」
ビットが閃光を放ちながら、周囲のエイリアン兵を一掃した。
イグニスは舌打ちしながら後退する。
「チッ……このままじゃ持たねぇ。いいぜ、せいぜい足掻いてみな!」
その言葉を残して、イグニスの姿は闇に溶けた。
蛍と玄鳥は、空に舞う巨龍――"蝕まれし源焔の主”を見上げる。
「蛍、ペースを合わせていこう。」
「うん。……面白そうな力もあるしね。」
蛍は指を鳴らした。
パチン、と乾いた音と共に、炎が描かれたカードとチェーンソーのカードが宙に舞う。
それを杖の側面部――スラッシュリーダーにスライドさせると、杖全体に赤い光が走った。
同時に蛍の服装とタトゥーの色が紅蓮へと変わり、左腕と胸部に赤鋼の鎧が形成される。
「そのチェーンソー……!」
玄鳥が驚きの声を上げる。
蛍は軽く笑みを浮かべた。
「どうやら、この“カード”の力を使えるみたい。」
(……七星召喚のカードよりもずっと小さいな……)玄鳥はそう心の中で呟いた。
空気が熱を帯び、二人の前に“源焔の主”が咆哮する。
「玄鳥、合わせて!」
蛍の声が戦場に響く。
左腕の鉤爪が大地に突き刺さり、瞬間――紫黒の毒が地面を走った。
大地が腐蝕し、気泡を吐きながらどろどろと沼を形成していく。
「毒沼か……面白ぇ!」
玄鳥は掌をかざし、周囲の炎を纏わせながら毒沼を吸い上げる。
毒と炎が混じり、紫炎の奔流となって渦を巻いた。
「毒沼は利用させてもらうぜッ!」
玄鳥はそれを一気に圧縮し、グーシィ・トースに向かって投げつける。
黒紫の爆炎が炸裂し、巨体の鱗が焼け爛れる。
「次は――こっち!」
蛍はカードデッキを展開し、指を弾いた。
銃が描かれたカードが光を放ちながらスラッシュリーダーへスライドされる。
瞬間、蛍の両腕と胸部アーマーが再構成され、滑らかな金属音と共に砲撃モードへと変化した。
両腕に展開された双銃が赤熱し、銃口が火花を散らす。
「――撃ち抜けぇ!!」
蛍が叫び、連射が空気を裂く。
弾丸は直線の火線を描きながらグーシィ・トースを穿ち、炸裂。
「まだ終わってないぞ!」
蛍は銃を投げ捨て、両腕の短銃を再展開。
火炎の羽根を散らしながら宙を舞い、回転しつつ連射を叩き込む。
「蛍!」
玄鳥はその隙を逃さず、手の炎を槍の形に変え、次々と投擲した。
炎槍が連続して爆ぜ、爆風と光が交錯する。
咆哮とともにグーシィ・トースがのたうち回り、腐食した鱗が剥がれ落ちていく。
だが次の瞬間、巨体が暴れ、左腕の大剣を振り下ろした。
「避けろッ!!」
玄鳥が叫ぶ。
衝撃波が地面を裂き、周囲の瓦礫を吹き飛ばした。
蛍は宙返りして衝撃波を避け、玄鳥は地を蹴って滑りながら間合いを詰める。
「一気に終わらせるぞ!」
「うん!」
蛍はエンジンが描かれたカードをスラッシュし、再び装甲が轟音と共に変化する。
腰部のツインブレードが唸りを上げ、全身の紋様が燃えるように輝いた。
一方、玄鳥は全身に光を集め、刀に転写するようにエネルギーを凝縮させる。
二人の気配が重なり、空間が一瞬、息を止めた。
「——トドメだッ!」
同時に踏み込み、クロス状の光が閃いた。
グーシィ・トースの巨体が断裂し、咆哮も残さず炎に呑まれていく。
黒い灰が舞い上がり、空を焦がすように消えた。
「……やった……」
蛍が息を吐き、杖を握る手をゆるめる。
「よし!」玄鳥が笑い、背を叩く。
だが、燃え尽きた戦場に静寂が訪れると、ふたりは同時に顔を見合わせた。
「倒したはいいけど……どうやって戻る?」
「こういう時は——あれを使うよ。」
玄鳥が口笛を吹く。
すると遠方の崩壊した岩山の向こうから、黒いエンジン音が響き始めた。
次の瞬間、漆黒のバイクが炎を噴きながら空を切り、ふたりの前に滑り込む。
「乗って!」
玄鳥が手を差し伸べ、蛍がその手を掴む。
バイクが唸りを上げ、アビスの燃え残りを跳ね飛ばすようにして加速した。
赤と白の残光が、焼け落ちた夜神の国の空を駆け抜けていった………
……………………………
玄鳥の背をしっかり掴み、夜の風を切って走る。
焦げた空気の匂いが次第に薄れ、やがて見慣れた光が目の前に広がった。
聖火競技場——私たちが出発した場所だ。
「旅人ーーーっ!」
駆け寄ってきたパイモンが勢いよく抱きついてきた。
小さな体の温かさに、戦いの緊張がふっとほどける。
思わず笑って、私も抱き返した。
「蛍、気分は大丈夫か?」
玄鳥の声は、いつもより柔らかかった。
その瞳には、確かな安堵の色があった。
「うん、平気。むしろ——ありがとう。」
そう言うと、胸の奥がじんわりと熱くなった。
あの時、玄鳥が託してくれた炎。
それがまだ私の中で、静かに燃えているのを感じる。
——この力を託してくれた彼に、応えるために。
私は、もう立ち止まらない。
……お兄ちゃん。
もう少しだけ、会うのが遅くなるかもしれないけど——
必ず、行くから。
その時は、笑って迎えてね。
夜空を見上げると、
灰色の雲の隙間から、一筋の星が流れていった。
やっぱり蛍は可愛いな。神。
次の連載
-
続編
-
リメイク