CクラスでもDクラスでもEクラスでも少年少女たちは頑張ります!! 作:酒匂馬酔木
私の大嫌いな子ひとりには、酷い目に遭ってもらいます。
2月、三連休の最終日、昼過ぎ。晴れてはいるがまだまだ肌寒い。
坂上に請われ、翔が三年間通って来た中学の体育館へ向かう翔と牧。翔は龍の刺子半纏、10万円。牧は虎のスカジャン、5万円。
道の反対側から顔がイカつく体躯のゴツい短髪男が肩で風切って歩いて来るのが見える。上下3千円もしないノーブランド激安ジャージを着ている。中卒でチンピラになったばっかのバカにしか見えねぇな、と思う翔。
接近する。ずんずん距離が縮まる。2メートル手前で立ち止まる。翔に気付き緊張しながらも嘗められまいと懸命にふたりへガンを飛ばす男。
身長は185センチといったところか、と見て取る翔。
「石崎じゃねぇか。」と牧が言う。「石崎ぃ? 誰だぁ? 牧ぃ。」と問う翔。
「石崎大地。アダケンの連中に目ぇ掛けられてメンバー候補扱いされてる奴です。」
アダケンとは足立喧嘩倶楽部──関東真喧嘩道衆が擁する下部組織のひとつだ。
「まぁまぁそこそこ強いですよ。」
「まぁまぁそこそこぉ? 道衆だからって上から過ぎんだろ、牧さんよぅ。折角あの龍園さんにお初にお目にかかれたってぇのによぅ、もうちょいマシな紹介をされたいもんだぜ。」石崎が牧をキッと睨みつける。無視して話を続ける牧。
「今は東体大でレスリングのコーチだったおっさんが私設でやってるクラブでだらだら子供たちと仲良くレスリングごっこやってるみたいですが、その前は中一から柔道やってましてね。都の新人戦81
「何でそんなに詳しく俺のこと知ってんだよ? ストーカーかよ?」牧が苦笑いしながら答える。「俺ぁ格闘ヲタクだからよぅ。柔道始めたばっかなのに凄ぇ強ぇ一年坊が居るっつーから、お前ぇの新人戦を観に行ったんたぜ。中一のレベルじゃねぇだろってくれぇの豪快な背負投げでオール一本勝ち。将来五輪メダリストになれんじゃねぇかと思ってたぜ。そん時ぶっちゃけお前ぇのファンになってたんだろぅなぁ、俺ぁ。っつーわけでお前ぇのこたぁ良ぉく知ってんし、気に掛けてたのよ。そしたらどんどんどんどん堕ちて行くじゃねぇか、哀しくなったぜ。それに道衆やってりゃ、柔道ヤメたあと喧嘩屋になっちまった喧嘩バカの喧嘩話ぁ自然と耳に入って来るんだよ。」
「で、行き場の無ぇ喧嘩バカを七三眼鏡が勧誘したってわけか。」「そうなんでしょうね。さっきも言いましたが、まぁまぁそこそこ強いです。悪くない人選だとは思いますけどね……。石崎ぃ、お前ぇ坂上って七三眼鏡に呼ばれたんだろ?」「ああ。」「やっぱそうか。じゃ、楽しく話でもしながら一緒に行こうぜ。断ったりはナシだぜ。お前ぇの数少ねぇファンの俺を無碍に扱うなよ?」「数少ねぇどころか、唯ひとりだぜ、そんなん。」三人連れ立って体育館へと歩く。
「……喧嘩バカって言われちまったけどなぁ、俺ぁ喧嘩が好きってわけじゃねぇ。そりゃ街でちょいとそれっぽい真似もしたけどよぅ。アダケンに入る気も無ぇし。俺ぁ喧嘩がやりてぇんじゃねぇ、柔道がやりてぇんだよ。行き場が無ぇってのは……まぁ今ぁその通りだけどよぅ、俺ぁ未だ終わっちゃいねぇんだよ。スカウトされたんだ。そこへ行けばまた柔道やれるんだ。」目をきらきらさせて語る石崎。そんな石崎に顔を顰める翔と牧。
「そういう勧誘の仕方かよ、七三眼鏡……ムカつくぜ。お前ぇもあんなクソ野郎に目ぇ付けられて災難だなぁ、石崎ぃ。」と翔。それを聞いて怪訝な表情になる石崎。
体育館の前に坂上が居る。顔色は悪い。高級スーツではなく、スポーツブランドのジャージ、ニットキャップ、ネックウォーマー。ボトムはフルレングス、サイドボタンフルオープンタイプのバスケパンツ。腹にブランケットを掛け、右脚を伸ばす形で車椅子に乗っている。
坂上の車椅子を押す介添人の男はウーブンのウィンドブレーカー上下。石崎よりずっと体躯がゴツい。身長は2メートル近い。
ボディーガードか。こいつは強ぇな。と即座に判断する翔。
ムカついて七三眼鏡を痛めつけようと思ったとしても、先ずこいつを無力化しなきゃいけねぇのか。メンド臭ぇな。
「坂上ぃ、俺ぁまた柔道やれるんだよなぁ?」不安そうな面持ちで問う石崎。温厚そうな表情と声色で答える坂上。
「勿論、約束した通り、やろうと思えば柔道を存分にやれますよ、石崎くん。ウチは柔道に注力してますからね、部費は潤沢、環境は万全、金鷲旗もインターハイも選手権も出放題です。」
だが、石崎への言葉はそれだけで終わらない。にやりと、温厚とは程遠い酷薄そうな笑みを浮かべて坂上が言う。
「ですがねぇ、柔道より楽しいことがウチで見付かるかも知れませんよ。例えば、龍園くんの兵隊として働くとか、ね。」
「あぁあん? おい、七三眼鏡ぇ!」翔が声を荒げる。「やっぱりか。手前ぇ、柔道やりてぇだけのおつむの弱ぇ男を騙くらかして、俺の兵隊にして扱使おうってぇのかよ?」「気に入りませんか?」
「ああ、気に入らねぇなぁ。俺ぁバカは酷ぇ目に遭って当然だと思ってるがなぁ、この手の純朴バカは嫌ぇじゃねぇ。素直に柔道だけやらせといてやれ。もしこいつを言葉ぁ弄して洗脳なんてしやがったら只じゃおかねぇ。」
「俺ぁ騙されてんのかよ?」牧が答える。「柔道部にゃ入れるだろうけどなぁ、その代わりに馬車馬みてぇに働かされんぞ。柔道なんてやってる暇も無ぇくれぇになぁ。」「マジか?」
苦笑する坂上。「いえいえ、私は誰も無理矢理に働かせたりなんてしませんよ。教師ですから生徒へ強いるとすれば最低限の学業、それだけです。まぁ、皆さん、ウチでの青春の送り方は自由ですよ。お好きにどうぞ。」
「青春だぁ? はッ! 良く言うぜ、七三眼鏡、このド外道がッ! 膝を踏み砕かれても反省が足りちゃいねぇ様だなぁ? 左膝も俺がぶっ壊してやっても良いんだぜぇ? それだけじゃねぇ。腎臓もぶん殴ってやんよ。」翔の恫喝を聞き流す坂上。坂上のボディーガードは無表情。動く気配はない。
涼しげな表情で坂上が言う。「では、行きましょうか。龍園くんを待ってる人たちが居ます。」
体育館の玄関。木製のシンプルな構造の下駄箱は固定されていない。上に手を掛けて引き倒せば、車椅子の坂上にはそれでダメージを食らわせることが出来る。翔と牧は周囲に在る何かしらをどうすれば暴力の道具や装置として使えるかを常に考える癖が身に染み込んでいる。が、170センチ程度の高さの下駄箱なんかじゃボディーガードには効かないだろう。二の手、三の手を考えてはみるが、確実に勝てるイメージまで繋がらない。
エントランススペースにひとつ観葉植物が植えられた鉢がある。そこそこ大きく育った
根は鉢の中に強く張っている様だ。これなら幹を引っ掴んで鉢を振り回せる、合格だな。これは使える。屈強な体躯の男相手でも背後からこの鉢で襲えば効きそうだ。が、今は未だ様子見だ。この先暴力沙汰になるか否かは坂上の行動と言動次第だ。
安全靴は脱がない。土足で体育館の廊下を歩く。T字になっている廊下を右へ。柔道場の前にスリッパを履き廊下にべたっと尻をつけて座る男がふたり居る。ひとりは坂上のボディーガードに匹敵する大きな体躯と黒い肌、サングラス──中学生には全く見えない、日本人にも見えない。もうひとりはきのこ頭の矮躯、銀縁眼鏡──七三眼鏡と同系統、インテリヤクザキャラだな、という印象を持つ翔と牧。
坂上がふたりを紹介する。「山田アルベルトくん、金田悟くんです。ふたりは大宮の
すると、暴力担当というワードに反応した石崎がいきなり座ったままのアルベルトに近付いて行き、中腰になり顔を寄せメンチを切る。「ヘイ! ファッコフファッキンディックヘッブラッサンダコッ! マザファッカ!」洋画を観て覚えた俗語を適当に並べて煽りをカマす。が、アルベルトは無反応だ。石崎のなんちゃって英語が全く伝わっていない様だ。
牧がにやにやしながら言う。「おいおい、石崎、英語文化圏だったらアルバートだろ。アルベルトってんならスペインかイタリアか、そこらへんかなぁ、知らんけど。だったらまぁブラックサンダーコックとかわかんねぇかもな。チョコ菓子だと思われてる可能性もあんな。取り敢えず試しにスペイン語で話し掛けてみろよ。」「スペイン語ぉ? 知んねぇよそんなん。スペイン語の単語で知ってんのは『スペイン』だけだぜ。」
金田が口を開く。「アルベルトくんは英語わかりませんよ。スペイン語もイタリア語も。日本語オンリーです。そんな見てくれですけども、和を愛する日本人ですよ、アルベルトくんは。」
「マジか。その風体で日本語しか喋れねぇとか残念過ぎんだろ。いや、それよりも、だ。お前ぇ何グラサンなんかでイキってんだぁ? こらぁ!」
アルベルトが無言でサングラスを外す。明るく淡い色、美しいターコイズブルーの瞳。「彼の遠い遠いご先祖さまにそういう瞳の色のコーカソイドが居たんでしょう。極々稀にそういう例がある様です。その所為で、彼の眼はぼくらと較べると日光にとても弱いんで日常的にサングラス、なんです。別にイキってるわけではないので勘弁してください。」と金田。
「牧ぃ、お前、あの山田アルベルトとかいうの、知ってっか?」和を愛する、という言葉に少しだけ心惹かれた翔の問い、それに牧が答える。「格闘ヲタクっつっても、俺がチェックしてる中坊は都内までですよ。大宮とかわかんないです。高校生以上なら全国見聞きしてんスけど。」
石崎が訊く。「そのガタイ、お前ぇ何かやってんだろ? 柔道やレスリングでお前ぇの名前は聞いたことがねぇから、空手か? キックか?」アルベルトはずっと無言。代わりに金田が答える。「街のジムでボクシングですね。でも小中の大会には出たことないんで、そっち方面じゃ全然有名じゃないですよ。知らなくて当然です。」
「おい、きのこ眼鏡ぇ。」翔が金田へ声を掛ける。「月々百万以上の金をせしめて、それをどうしてたんだ?」金田が答える。「賭場を開帳する費用や、金貸しの種銭とかですかね。廻銭はトイチで貸し付けてました。中高生や大学生相手ですから限度額も利益もショボいですが。」
「回収はどうしてたんだ?」「基本、アルベルトくんたち任せですけど。僕の親戚が個人で高利貸しやってましてね。回収が困難になった場合はそこの
「素直に答えるんだな。」と牧。「そりゃね。」金田が肩を竦める。「龍園さんに訊かれれば。一応リスペクトしてますんで、このくらいは答えますよ。」
「お前ぇ、俺を知ってんのか?」「ご自分が超有名人だってことご存知ない?」
「成程な。おい、七三眼鏡ぇ!」「何ですか?」「そこのふたりは俺の下に就くのを了承してんのか?」
「いえ。ですから、これから格付けをなさってください。伝説の龍園翔くんが目の前に居るんです。アルベルトくんも石崎くんもやる気ですよ。もし万が一龍園くんが敗ける様なことがあれば、私が作ろうとしている軍団の将校は龍園くんじゃなくなるかも知れませんね。一応先に言っておきますが、一対一の勝負です。刃物など人を容易に殺傷出来る危険な武器の使用は無し、相手を不具者にする程の攻撃も無しです。そうなりそうな時は私の後ろに控えてる体育の先生にストップをかけてもらいます。」
「……おいおい、石崎ぃ、やる気って……マジかよ? 絶対ぇ敵わねぇぞ。それに龍園さんは、お前ぇを兵隊にしねぇで柔道をやらせてぇと思ってんだぞ。なら格付けの意味は無ぇだろ。」
「それでもだよ、牧さん。俺ぁ柔道やりてぇけど、それだけじゃねぇ。柔道を通していつかは最強の漢になりてぇと思ってんだよ。この二年近く、誰とも柔道やっちゃいねぇけど、ひとりで修行は続けてたんだぜ。今、現在の俺のチカラを試してぇのさ。アダケンの連中からぁ龍園さんだけにゃ逆らうな、挑むなって言われて来たけどよぅ。一対一を武器無しの徒手空拳でやれるっつーならこの機会は逃せねぇだろ、格闘最強を目指す俺としちゃあな!」サムズアップするアルベルト。
「奮い立ってますね、石崎くん、良いカンジです。アルベルトくんも意気軒昂そうで何より。では思う存分やり合ってください。」坂上の言葉に合わせ、柔道場の引き戸を開ける体育教師。
柔道場へ入る一行。場外の一角、畳の上に正座する学ランを着た男、そして、畳の外、板場に立つセーターを着た少女が居る。カラダの線をくっきりとさせるミドルゲージニット。強調された胸の大きさとその形に目が釘付けになる石崎。「で、でけぇ……。Hカップ? エッチだなぁおい。それともIカップ? 愛? 愛しちゃっても良いですか? お姉さん。」そんな戯言を抜かす石崎へ向かってまたサムズアップするアルベルト。蛇蝎を見る目で石崎とアルベルトを一瞥し、ひとこと零す少女。「キモ。」そんな巨乳がどうのと言ったやり取りはガン無視する翔。翔は巨乳に何の興味も無い男なのだ。
「おいおい、七三眼鏡ぇ、不良の中坊だけじゃ飽き足らず遂にガチのヤクザまで呼んだのかよ?」と笑いながら言う翔。クククと笑うのは何とか自制する。
「ヤクザってのは俺のことか? 龍園。」と学ラン男。「ヤクザだろ?」「そりゃ俺の親父と兄貴ふたりの話だ。俺はヤクザじゃないし、ヤクザになる気も無い。」
坂上からスカウトの話が来た時は、家族全員が大喜びした。エリートとして世に出て、いずれはウチの組に美味しい思いをさせろ、と命じられた。が、三宅明人にその積りは全く無い。例え家族だろうと、ヤクザは社会のダニ、ゴキブリだ、と思っている。
「あん? おい、何抜かしてんだよ? 三宅ぇ、笑わせんな。そういう出自だから七三眼鏡にスカウトされたんだろぅが。ヤクザになる気が無ぇんじゃ七三眼鏡がお前ぇのスカウトを取り消しちまうが良いのかよ? だろ? 七三眼鏡ぇ。」
「そんなことはありません。何かしら見どころがあると判断したからこそのスカウトなわけですが、先程龍園くんへ言った通り、皆さん、ウチでの青春の送り方は自由です。より良く学生として成長出来るなら、スカウトする側の思惑は無視して結構ですよ。卒業後の進路も自由です。」
「あぁそうかよ。」と坂上へはあからさまに気の無い調子で応え、三宅へ言葉を継ぐ翔。
「で? そこに立ってる愛人顔の女は手前ぇの将来のバシタ候補かよ? 随分と巨乳ちゃんじゃねぇか、三宅ぇ、このおっぱい大好きマザコン野郎が。」三宅には幼少期から母が居ないことを知りながら、態とマザコンなどという言葉でデリカシー皆無の煽りを入れ、心の欠落を嘲笑う。我慢し切れずクククと笑う翔。
だが、マザコン煽りよりも少女への揶揄、その方が激しく気に障る三宅。
「彼女をバカにするなよ、龍園。そう言うお前が手を出して来た女たちは、全員貧乳なんだが? このロリコン野郎。」翔の目と眉が吊り上がる。「はっ! 死にてぇらしいな、三宅ぇ!」
嗚呼、思ってても誰も口にゃしねぇことを言っちまったな、こいつ。今まで龍園さんが喰い散らかした女たちの年齢は、10歳から上は三十路と幅広い。が、細くて薄べったい体躯の貧乳女ばかりで、ガタイの良い骨太女や肉がぷよぽよした太め女は皆無。バカでけぇ長身女も居ない。二十歳過ぎの女を除けば大概は、幼気な印象の美少女ばかりだ。迂遠な物言いだろうと、それを指摘すれば龍園さんは激怒する。況してや直截的にロリコンなどと……マジ死んだな、この三宅とか言うヤクザの息子、と肚の中で笑う牧。
すると、体育教師がそこへ割って入る。「男にとって、お乳は最重要事項。おっきかろうとぺったんこだろうとお乳はお乳である、それだけで完全なる正義。お乳の大きさや形、そしてお乳を愛する者への誹謗はこの私が許さないぞ!」真顔で言い放つ体育教師。
何言ってんだ? こいつ……この私が許さないぞ! だと?「ぎゃはは! おいおい、体育教師ぃ。」と、肚の中を隠せず爆笑する牧。こいつぁとんでもねぇ乳狂いの大馬鹿野郎だ。女ぁ乳よりもっと大事なことがあんだろうによぅ。見た目一発で強者と判る男がお乳お乳って……日本語しか話せないアルベルトより遥かに残念過ぎんだろ、と思う牧。
「何だ? 何がおかしい?」真剣に牧へ問う体育教師。何がおかしいか自分じゃ気付いてねぇ。こいつきっと、女の乳に関しては一家言どころか深い思索に拠る確個たる哲学があるんだろうなぁ……と考えたら益々笑えてくるぜ。「ぐぎゃひゃははは!」
憮然とした面持ちの体育教師の前で一頻り大笑いしたあと、まぁ良い、と心中をリセットする。体育教師が無言に徹するかと思ってたら絡んで来た。藪蛇の可能性を考えてこっちも黙っていたが、なら、ここは訊く一手だ。「あんた強ぇだろ? 何もんなんだ?」牧の問いに坂上が答える。
「彼は春からDクラス副担任の教師になるべく一ヶ月前にウチで採用された福谷恭司さん、自衛隊員です。」「レンジャーか?」「それどころか。彼は特殊作戦群ですよ。」
とんでもなく凶悪なワードが出て来たじゃねぇか! 身を引き締める翔と牧。
そりゃ確実に勝てるイメージがなかなか湧かないわけだ。背後からガジュマルの鉢なんぞで襲って頚椎や脊椎を折ろうとしても難しいだろうな、と福谷への評価をグッと上方修正する翔。
「何でそんなんが高校教師なんてやるんだよ?」「後輩の女自衛官にセクハラぁカマしたのがバレて
「セクハラ? そんなことは一切ないし馘首にもなっていない。今も特殊作戦群に籍を置いている。今年は坂上さんがスカウトに熱を上げた所為で例年よりずっとやんちゃな新入生が増えそうなんでね。その対策として請われて教師になったんだが、こっちとしては自衛隊のエリートになる能力を持った学生を見付けて、卒業後、自衛官になってもらう、それが一番の目的だ。で、見たところ、ここに居る男子全員その資質はありそうだ。」
「えっ? 僕もですか? 僕ぁ暴力担当じゃないんですが。」と金田。「坂上さん曰く、頭脳担当、だっけ? それはそれで需要があるんだよ。情報学校から情報科とかね。更に言うと、本当に優秀であれば、別班入り候補になり得る。まぁ勿論ある程度以上の暴力には慣れてもらうけどね。」「そうですか。まぁ自衛隊へスカウトされても受けませんけどね。暴力の訓練なんてごめんです。別班なんて人間を捨てた生き方をするのはもっとごめんです。」
「じゃあ、サイバー防衛隊とか宇宙作戦群とか、あと、防大へ行ってそこから幹部になるのはどうだい? それ以外に背広組って選択肢もあるよ。」「それなら考えないでもないですが……。やはりお断りします。僕は金を稼ぐことにしか興味はありません、今のところは。」
「そうか、残念だな。まぁ不正喫食や手当の不正受給が世間で問題になったし、そんな貧乏臭いイメージが一般的なんだろうなぁ。年収二千万を超える自衛官も居るんだけどねぇ。」と苦笑いする福谷。
「で、石崎くんは柔道を通じて強い男になりたいんだろ? なら、私が高専柔道と並行して日本拳法を部活でも授業でもがっつり教えるよ。ウチの高校はその両方ともかなりチカラを入れてるからね。」
「おぅ! 頼むぜセンセイ!」力強い調子で快諾する石崎。
良いじゃねぇか……卒業後、自衛隊で柔道やるのは石崎にとっちゃ最適だろ、五輪でメダリストになるまであるぜ。なら、高校三年間、多少兵隊として低賃金で働かされても石崎の人生的にゃじゅうぶんお釣りが来るかもな。と思う牧。
「金田くんも。自衛官にはならないとしても授業なら拒めないよ。キツいだろうけど頑張りなさい。」渋い表情で無言になる金田。
「さて、龍園くんと石崎くんも靴を脱いで畳に上がりなさい。で、誰から龍園くんへ挑むのかな?」
すると三宅が異を唱える。「俺は龍園とはやらない。例え二戦したあと龍園が疲れ果てていようと体が傷ついていようと、俺じゃまず敵わない。俺は、龍園が強い奴らに多少なりとも痛めつけられるかも知れないと聞いて、それを期待して見に来ただけの野次馬だ。」
「はッ! 手前ぇ、何を勘違いしてるか知んねぇが、俺を性倒錯者呼ばわりしたツケはきっちり払ってもらうぜ。俺とやる気が無えってんなら、無抵抗で二、三発……いや、四、五発殴らせろ。勿論キツめに、だ。さぁ歯ぁ喰い縛れ。」
そこへ石崎が待ったをかける。「いや、その前に俺とやってくれよ、龍園さん。」「しょうがねぇな……相手してやるか。石崎ぃ、お前ぇの柔道を見せてみろ。」
石崎が千五百円の激安スリップオンスニーカーを脱ぐ。翔が2万円近くしたメジャーなスポーツ用品メーカーの安全靴を脱ぎ、ロンTの上に羽織っていた刺子半纏を牧へ渡す。ふたりが畳に上がり中央で向かい合う。
三宅が少女の隣に立ち、にやにやと笑いながら「龍園、偶には苦戦してみせろ。いつも楽勝じゃ詰まらないだろ。」と言うが、翔はガン無視。
福谷が大きな声で開始を告げる。「では、始め!」
踵に重心を掛け腰立ちで右自然体をとる石崎。翔は両腕をだらりと下げてノーガード。
摺足でゆっくりと前に出る石崎。左手で袖を引き、右手で奥襟を取る──という基本的な柔道の組み合いの動きと見せ掛けて、一瞬でレスリングの動きへ変える。低い姿勢でスピードのギアを数段階上げ翔へいきなりの両足タックル──柔道では禁じ手だ。
石崎を含め、ここに居る男たちが何度も『柔道』というワードを口にして来た。相四つが基本であるスポーツとしての柔道を先ず意識せざるを得ない状況。それが故に、柔道から外れたこの反則技はシンプルだが効く──その筈だ、という石崎の思惑は外れる。石崎のその手管は翔の予想の内だ。
タックルを仕掛けようとする石崎に先んじて翔が前へ出る──ただ、前へ一歩進もうとするだけの普通の動き。そして膝を鋭角に曲げる。それが、石崎の顔面へのカウンターとなる。大してチカラを入れてない、素早くもない、そんな膝蹴りがクリティカルヒットする。失神して俯せに倒れ込む石崎。
「それまで!」と告げ、鼻血塗れでぐったりした石崎を畳の外へ運ぶ福谷。
何だ? そりゃあ……理解出来ねぇ。唖然とする牧。石崎が吸い込まれる様に龍園さんの膝に自ら打ち当たってった、としか見えなかった。無理矢理何とか解釈しようとするならば、龍園さんは、このタイミングでこの位置に石崎の顔が来る、と端っからわかってた……そうとしか考えらんねぇ。今までそんな龍園さんの不可思議喧嘩ムーヴを散々見て来たが、やっぱ目にする度に魂消ちまう。いや、マジ、予知能力者か何かかよ?
石崎を倒してそれで終わりではない。開始の合図を待たず、オープンフィンガーグローブを着けたアルベルトが直様翔へ猛然と襲い掛かる。
一応、ボクサーの動きではある──速い、力強い──が、洗練されてはいない、偶に暇を見て街のジムで練習してる15歳、その程度の動きだ、と見て取る牧。
ほぼ素質だけで拳を振り回すアルベルト。いきなりの大振り左フックと右アッパーは空を切る。次に繰り出した左ジャブ数発はパーリングされるが、そこから渾身の右ストレート。一番時間を費やして身に付けた動き。左足で強く踏み込み、右足で畳を蹴りつけながら右足首を捻る。腰を回転させる。これを喰らえばダウン必至。
しかし、その全ては、翔にとってテレフォンパンチの範疇に過ぎない。アルベルトの右腕が伸び切る寸前、ステップバックし、その手首を右手でふわっと掴む翔。外尺沢と内尺沢に翔の指二本が強く食い込む。その痛みで一瞬だけアルベルトの全身が固まる。
翔にはその一瞬だけでじゅうぶんだ。更に大きくステップバックしながらアルベルトの手首を反時計回りに外側へ捻り腕を引く──伸び切る腕。打ち下ろしのハンマーパンチの動きで左中指一本拳を前のめりになったアルベルトの右腕馴へ叩き込む。急所を突かれた激痛に耐え切れず吠えながら倒れるアルベルト。
「はい、そこまで!」終了を告げる福谷。金田はアルベルトが腕を殴られただけであっという間に完敗したことに、牧はまた見せられた不可思議喧嘩ムーヴに、ただ驚愕する。
このタイミングでこの位置に急所が来る、とわかっていた上で、高速ストレートの手首をスローな動きで掴みに行った……んだろう。そこが凄ぇんだが……何でそんなことが出来るのか、マジ理解出来ねぇ。
「やるねぇ、龍園くん。特殊作戦群へ来ないかい?」「耐拷問訓練なんてしたかぁねぇよ。それに、俺ぁ俺なりに進学先も就職先も決めてるからな。それよりも、石崎だけじゃなくこのアルベルトってヤツも鍛えてやってくれよ。」「ああ、了解した。ふたりとも卒業までには龍園くんと何とか勝負になるくらいには強くしよう。」
「さて、面接官としての龍園くんの仕事はまだ続きますよ。」と坂上。「次はヤクザ一家の末っ子ときのこ眼鏡を寝っ転がしゃ良いのかよ?」苦い表情になる三宅。青白い顔になる金田。
「いえ、違います。ウチは共学なんでね、龍園くんの軍団には女子生徒も必要でしょう。ほら、廊下を歩く足音が聞こえて来ました。好いタイミングでみんな来た様子です。面接して評価してください。」
柔道場の引き戸が開く。女兵士候補が五人入って来る。
翔が気付く。その中のひとり、ショートボブ女には会ったことがある──円な目、丸くて小さめの顔と鼻、短くて丸い顎。人中窩は短い、細い、深い。口角がキュッと上がった薄い唇。面影があるどころじゃない。顔立ちは全く変わってない。
が、以前と変わったところもある。左目に厨二臭い黒の眼帯をしている。身長は170センチ近くまで伸びている。翔との差は5センチくらい。
「手前ぇ、
「久しぶり、翔くん! 一緒に温泉宿に泊まったとき以来だね! 裸になってお付き合いしたあの夜を想い出しちゃうね!」「誤解を招く様な言い方すんな、裸の付き合いってガキん頃一回箱根の温泉に入ったってだけだろうがッ! それに、泊まった部屋は別々だったろ!」
「あんとき、結婚の約束もしたよね? 高校卒業したらあたしを娶ってよね。」「そんな約束ぁ断じてしてねぇ! って言うか、娶るとか気持ち悪ぃワードを俺に使うな! おい、七三眼鏡ぇ、チェンジだ、チェンジ。こいつとは関わり合いになりたかねぇ。」
「酷ぉい。翔くんへ捧げようと処女を守って来たのにさぁ。ほら、処女の匂いがするよ。」と、臍下三寸をぱんと掌で叩いて前へ腰を突き出す暖。「るせぇ! 手前ぇはもう喋んじゃねぇ!」
何だぁ? 龍園さんが圧されまくってんじゃねぇか。珍しい状況を面白がる牧。この女、幼馴染ってやつか? 龍園さん好みの細くて薄べったい体躯のド貧乳ではある。が、他が違う。特に、こういう可愛い系の顔は違う。ガキん頃の初恋相手ってこたぁねぇだろう。龍園さんの性的な趣味嗜好を決定付けたのは別の女だろうな。
「龍園くんはもう獺祭暖さんをご存知ですね。獺祭克子さんの推薦で、Cクラス入りが決まっています。学業にも武術にも秀でてますから、牧くん同様、下士官候補です。龍園くん、上手く彼女を使ってやってくださいね。」再度臍下三寸をぱんと掌で叩いて前へ腰を突き出して言う暖。「ここも使って良いよ。」無言で歯軋りをする翔。
「武術に秀でてる、だって? あんた、何やってんのさ?」暖の隣に立つショートウルフ少女が強い語気で問い詰める。
シモネタじゃなく、そこに反応するってことは、この女ぁ矜持を持つ程度にゃ武術か何かやってんだろうな、と思う牧。身長は160くらいか。打撃系ならもうちょい身長があっても良いな。
乳は……『のん』とかいう女よりは少しマシって程度だが、こいつも貧乳。顔は……見様によっちゃあまぁまぁ美人、と言えなくもない。ギリ、龍園さんが喰い散らかして来た女たちの系統ではあるとしても、粗野でキツそうな性格っぽいから龍園さんの女にゃ絶対ぇなれねぇな。目付きも悪い。ダメだな。
勝手に牧からそんな評価を下されているとは露ぞ知らぬショートウルフ少女。暖を鋭い目で睨み威嚇し続ける。
それを見て、しょうがないなぁ、というカンジで渋々答える暖。「う~ん……秀でてるかはわかんないけど、得意なのは杖術、棒術、薙刀術とか、そういう系かな。あと、鎖鎌も使えるよ。」
鎖鎌! マジもんの危ねぇヤツじゃねぇか! 真喧嘩道衆じゃトップクラスの俺でも、流石に鎖鎌相手に勝てる気はしねぇ。鎖鎌が強力だってぇのはファンタジーっつー奴ぁ大勢居るが、そりゃ武に長けてねぇ大昔の農民たちに限った話で、その使い方を突き詰めた現代武術じゃあとんでもなく恐ろしい殺人武器だ。そんなんを修めようと考える段階でもうアタマおかしい。他人の体を平気で無惨且つ盛大に破壊出来る精神性が無ぇと鎖鎌は扱えねぇ。たぶん殺法を伝える古武道系の流れ……ならば、徒手でもそれなりに強ぇんだろう。可愛い顔した女だと思って嘗めねぇ方が良いな。龍園さんへさっきみたいなテンションでウザ絡みして来ても文句は一切言わないでおこう。
そんなことを考える牧を他所に、坂上がショートウルフ少女を紹介する。「龍園くん、彼女は伊吹澪さん。川崎の大師河原中学空手部。昨年の全国中学生空手道選手権大会女子組手第三位です。」「武闘派ばっかじゃねぇか。俺ぁヤクザ軍団を作る気はねぇんだがな。」「次の方からは武闘派ではありませんから。」
坂上が紹介を続ける。「伊吹さんの隣が櫛田桔梗さん。」
「はじめまして。櫛田桔梗です。目黒の第十三中学です。みんなと仲良くなりたいなって思ってます。よろしくね。」愛らしい満面の笑顔。語尾にハートマークが付いてると思わせる様な口調で自己紹介する櫛田。
目黒か。やっとまともな地名が出て来たな。石崎が足立区、アルベルトと金田がさいたま市大宮区、伊吹が川崎市川崎区、そして俺と三宅が新宿、牧が道玄坂……程度に差はあれ、どこもガラが悪くてロクなもんじゃねぇ。七三眼鏡め、そんなとこからばっか人選しやがるからヤクザ軍団になっちまうんだろぅが。と嘆く翔。
そして早速、女を厳しく見定める牧のチェックが入る。
一見するとちょっとアレンジを加えたカンジのほんの僅かに内巻き掛かったミディアムボブだが、トップの前めの部分だけ他より伸ばしてカチューシャで抑えM字型に整えサイドと同じ長さで頬にかけている、という妙に凝ったアニメキャラ的な髪型。すんげぇ自分が可愛いと思えなければ維持出来ねぇ、カットやセットがかなり大変そうな髪型だ。
奇天烈系なのに常識的に思えてしまうフェミニンで小綺麗な髪型……その実情を知らない男にはウケが良いだろう。
張りのありそうな丸い乳はDカップかEカップか。これも男にウケる……龍園さんみたいな貧乳好き男以外なら、の話だが。
大きな目、そして形の良い各パーツが整った顔立ちは、男なら十中八九が『可愛い!』と心底感激するに違いねぇ、そんくらい高いレベルにある。この女に上目遣いで何かおねだりされたら、大概の男は全身全霊を懸けて願いを叶えようとするだろうな。
その乳と顔を見たアルベルトと失神から我に返った石崎が板場にへたり込みながら笑顔でサムズアップを交わし合う。だが……。
「龍園さん……。」「あぁ、わかってる。」櫛田の天真爛漫な表情の裏にある暗さ──薄汚い何かを鋭敏に感じ取る牧。人好きのする明るく朗らかで元気な笑顔──だがそれは、ただただ薄ら寒い──人を誑す為、計算高く周到に作られたアーティフィシャルなものとしか思えない。
理屈じゃねぇ、俺の魂が告げている、こいつは邪悪だ、と短時間で判断を下す牧。そんな女が、おともだちになりたいですぅ、とかサイコーに気持ち悪ぃぜ。
「おい、七三眼鏡、その女をスカウトした理由は何だ?。」
「櫛田さんには、そのルックスとコミュ力で大勢に取り入り心酔させる能力があります。工作員に最適でしょう。」そんな工作員などという如何わし気な紹介のされ方にぷんぷんッと膨れっ面になる櫛田。そんな表情もまた可愛い! と、またサムズアップを交わし合う石崎とアルベルト。
「そして昨年末、二年近く掛けて集めた大勢の、他人にバレたら普通には日常生活を送れなくなる様な真っ黒な秘密の数々を派手に公開して、彼女は学級崩壊を齎しました。」きょとんとする石崎とアルベルト。
「ちょっと、坂上先生、それって今、この場で言わなきゃダメなわけ?」眉間に皺を寄せ、険しい表情で問う櫛田。
「私は龍園くんの軍団を作る為に動いてますので、龍園くんに訊かれれば大抵のことは直ぐ答えます。それに、ウチの教育理念には個人情報保護なんて無いですよ。情報を入手する、それは生きる上で大事な能力で、その行使こそ保護されて然るべきです。情報を抜かれたくなければ、他人に『知りたい』と思わせない、それしかないでしょう。まぁ普通に生きてれば無理でしょうけどね。」
「あっ、そう。御高説どうも。」表情を歪め憎々しげに言葉を吐き捨てる櫛田。ぺっと唾も吐き捨てる櫛田。「クソが。死ねよ、腐れ七三眼鏡野郎。」垣間見せる邪悪。石崎とアルベルトのサムズアップがへにゃへにゃと萎える。
「で、学級崩壊の話の続きですが、それはもう言葉通りの崩壊。彼女以外、クラスの全生徒が登校しなくなりました。同学年の他クラスも大勢が登校を拒否しました。自殺騒ぎが幾つもありました。その内の数件は彼女が教唆した疑いが濃厚です。そんな悪行を為せる彼女はじゅうぶん龍園くん軍団へのスカウトに値します。」石崎とアルベルトはドン引きだ。
「第十三中学としては必死に頑張って警察沙汰にせず揉み消した積りの様ですが、人の口には戸が立てられないわけで、私たちが知ることとなりました。やんちゃな子たちに慣れたウチの教師陣の心胆を寒からしめる程の逸材。彼女は特別扱いでしてね、理事長が直々に私へスカウトを厳命しました。」
「その理事長って奴もなかなか狂ってんな。いや、公立高校だろ? 理事なんてもんが居んのかよ?」
「ウチに理事は居ませんよ。あの男をウチの高校の理事長だと勘違いする向きは多いですけどね。正しくは、独立行政法人国立普通科高等学校教育振興機構の理事ですね。ウチはその管轄下にある実験的な高校です。機構の理事長は絶対的な権力を持っていて、実験の方針や手法を思い付いてはいちいち教育現場に細かく口を出して来るんですよ。金を引っ張って来ることだけやってれば良いのに、全く以て煩わしい存在です。」
「そうかい。ま、そこらへんの話は後回しで良いや。で、櫛田、お前への口封じとか報復とか、誰もして来なかったのか?」「そこはほら、更なる情報収集と交渉で何とでも、ね。」
「何でそんな悪逆非道を働いた?」「行き掛かり上、自分を護る為にそうしなきゃってとこはあったけど、一番の理由は楽しいから、かな。自分にはこれだけのことが出来るチカラがあるんだ、って自己陶酔感もあったかも。」と、にっこり笑う櫛田。
「武闘派の次はサイコパスかよ。」人を誑す能力が高いのは勿論、最後は交渉を以て言葉で操るって考え方……悪くねぇ。だが、他人を死に追い遣って顧みないどころか愉悦を覚える精神。サイコで自己愛の強い性悪な女だ。そして、他人の秘密という重要なカードをバラ撒き捨てる様に切りまくっちまう考えなしの大バカでもある。こりゃ使い方がメンド臭ぇ。裏切ったり妙なことを仕出かしたりしねぇ様に監視を付けた上で、どう手綱を取るか、だな。と考える翔。
「次のふたりも工作員候補です。意志の強そうなクール系女子が神室真澄さん、ちょっと大人しめで優しそうな女子が山村美紀さん。ふたりは多摩ニュータウンの中学受験塾で知り合いました。程なくして、神室さんは山村さんの能力に気付きます。」「能力? 何だそりゃ?」
「ステルス能力です。」「ステルス人間だぁ? 超胡散臭ぇんだが。」
「漫画やアニメに出て来そうな程ではありませんが、彼女は他人から認識されずに動くのが可能です。まぁ悪く言えば、影が薄い、印象が弱い、存在感が無い。留意されない、記憶されない。それも常軌を逸したレベルで。」
翔が山村に視線を向ける。目を閉じ俯き、気恥ずかしそうな様子になる山村。神室の陰に隠れ、立ったまま身を縮こまらせる。その所為で益々影が薄くなる。
「しかしそれは、櫛田さんと完全に真逆の方向ですが、工作員として実に素晴らしい長所でもあります。」「で、それがどうクール系女子の神室さんとやらと繋がってくんだ?」
「彼女たちふたりはその能力を活用して、コンビニ旗艦店で日々万引きを繰り返す様になります。神室さんが詳細に計画立案、必要になればアドリヴで陽動とトラブルへの対処。山村さんが実行。フランチャイズ店で万引きしなかったのは、彼女たちなりのモラル故なんでしょう。」
クレプトマニアがモラルとか一聴すると笑えてくるんだが、まぁ俺も、ハードドラッグの使用と売買、振り切れた暴力の行使、あと、ボケ老人や女子供を喰いもんにしたり……そこらへんは配下の連中にゃ厳しく禁じてっからなぁ……まぁ女の場合、本人が納得尽なら話は別なんだが。だから、精神を病んだ依存症の女たちにもそれなりに何かしらの線引きがあるってぇのは理解出来なくもねぇ。
「サイコパスの次はメンヘラの犯罪者かよ。ってか、手前ぇ何でそんなこと知ってんだよ?」
「天才の犯罪を看破する天才がこの世には居るのですよ。私はそんな人とコネがありましてね、まぁ結構な額を払って天才不良中学生とか様々な情報を買ってるわけです。偶然店で居合わせたその人が山村さんの芸術的な万引きに気付きましてね。面白い天才少女ふたり組が居ると知らされて、モグリの探偵を雇ってふたりの出逢いまで遡って色々調べさせました。」
「犯罪を看破する天才……そんな奴が居るのかよ。面白ぇ。そいつの名前と連絡先を教えろよ、七三眼鏡。」「龍園くんはもう進学先と就職先を決めてるんでしょう? まぁそれがどこかは予想が付きますけどね。そんな退屈な人生設計はヤメて、高校卒業後、裏社会で伸し上がって行く気になったのなら、喜んでお教えしますよ。」
七三眼鏡がこの俺に一番期待してるのはそれか。こいつはヤクザの組長の息子で、二次団体の客分……イマドキ客分なんて言葉は滅多に聞かねぇが、教師と表向き誰からも盃を受けてねぇ立場のヤクザ、二足の草鞋を履いてるのは爺ぃとおおおばちゃんの拷問で一昨晩判っている。俺が裏社会で伸し上がった後に七三眼鏡がどうしてぇのかは未だ解んねぇが、こいつの本質が真っ当な教育者とは程遠い何かなのは確かだ。
坂上の話は続く。「その後の神室さんと山村さんですが、受験に合格して町田女子学院中等部へ入学したふたりは、更なるスリルを求めてハードルを上げ、外資系スーパーへ手を伸ばします。神室さんが計画を詰め、万引き対策のしっかりした会員制の店で万引きに及んだ数は、推定ですが三百回近く。大容量の商品が殆どの品揃えの店で、全く見咎められずに難易度の高い犯行を繰り返せるんですからねぇ、驚きですよ。万引き対策担当が現場で見ても、カメラの録画を観ても、山村さんを怪しいと思うどころか全く印象に残らず、その所為で犯行に気付きもしません。鞄や紙袋を検められたこともありません。彼女という存在そのものがスルーされてしまうんです。どうです? その能力がどれ程のものか、龍園くんにもわかるでしょう?」
「まぁな。いや、もうそんなんじゅうぶん漫画やアニメのレベルだろ。」
「一本売りのスパークリングワインとかもあるから、そういうのだけを狙えば、言う程難易度が高いわけじゃない。」神室がボソッと言う。
「謙遜すんな。お前らがとんでもなく有能なのは認める。俺が良いカンジに使ってやる。やり甲斐を感じるくらいには報酬も与える。だが、お前らは危うい。今後、破滅願望が強いと判ったら即刻馘首だ。櫛田も、だ。三人ともそれで良いな?」
櫛田がまたぺっと床に唾を吐き捨てる。「あんたはあたしたちにやり甲斐のある仕事をさせられるほど有能だってぇの? 腐れ七三眼鏡野郎からはそう聞いてるけど、あたしは未だ信じちゃいないから。」その言葉に伊吹が頷く。
神室がダルそうに言う。「私は坂上から万引きの証拠を握ってるって脅されて町女の高等部進学を諦めて此処に来たけど、本当にイヤなことは、命じられても絶対にしない、高額の報酬を提示されてもやらない。その所為で、あなたから馘首にされたり退学になったりしても構わない。でも自暴自棄になってるわけじゃない。破滅願望ってのが私にあるかどうかはわからないけど、もしあったとしても、そんなの忘れさせてみせなさいよ。これからの三年間、今までよりずっと充実した生き方が出来るのなら、私たちはあなたに付いて行く。」
山村は俯いたまま無言。垂れ目に涙を溜めている。
「成程な。牧ぃ、お前はどう思う?」
「みんな使えますね。是非とも俺らの側に加わって欲しいです。櫛田を除いて、ですが。」「何でだよ? あぁん!」櫛田が叫ぶ。
「お前ぇが邪悪だからだよ! のんちゃん、あんたはどう思う?」櫛田の相手をするのがメンド臭くなった牧が暖へ丸投げする。「えっ? あたし? あたしは翔くんに処女を捧げることしかアタマにないんだけど?」
「いや、だ、か、ら、手前ぇはもう喋るな!」そう叫ぶ翔を無視して言葉を継ぐ暖。「まぁ櫛田って子は、女としちゃ翔くんの眼中にはないでしょ。だから、軍団の一員になるとかならないとかどうでも良いよ。」
眼中にない、という言葉に反応してまたぺっと唾を吐き捨て怒り狂う櫛田。「こっちもそいつぁ男として眼中にねぇよ! てか、超絶可愛いあたしに惚れない男は男としての本能を損なってて価値がねぇから全員死ねよ!」石崎もアルベルトもドン引きだ。
「五月蝿ぇよ! お前らもう黙れ! おい七三眼鏡。出て来た連中のキャラが濃過ぎてすっかり忘れちまってたが、三宅のバシタは何もんなんだ? 巨乳以外に何か特別な能力があんのか?」
坂上が答える。「いえ、特別な能力は何も。ですが、長谷部波瑠加さんは三宅明人くんの幼馴染なので、暴力を忌避しません。その点は軍団への親和性がありますね。自ら暴力を振るったりはしませんが。そして、実に友達思いです。軍団の後方兵科に相応しい人材です。」
巨乳のバシタ呼ばわりに対し厳しく文句を言おうと口を開く三宅。「おい、龍園、お前いい加減に……。」そこへ突然鳴り響く、廊下をどたばた走る重そうな足音。
開いたままの引き戸から、デカいゴリラが飛び込んで来る。
「おいこら龍園! やっと逢えたぜ! 今からお前ぇの
三宅がうんざりした表情で言う。「宝泉じゃねぇか。龍園。こいつはずっとお前をぶっ倒そうと探してたんだとさ。それで何度か俺に絡んで来て随分とウザい思いをさせられた。良い機会だ、龍園。このゴリラをテイムしてやれよ。」
翔は小5でガキ同士の抗争に飽きて、その後ずっと年上相手に命を賭けた喧嘩を繰り返し、中一から半グレ活動に勤しんで来た。中学の番長風情とは生息域が完全に変わった。翔と宝泉、同じ新宿の不良少年ふたりであるが、対峙することすらなかった。宝泉が授業中の翔へタイマンを張りに来たこともあったが、小物だと思い翔は無視した。その度に教師が警察を呼んで、宝泉は生安の少年育成課に連行されて行った。
幾度も喧嘩を売ろうとしたが果たせなかった──そして今、遂に、漸く相見えた──伝説の喧嘩師を目の前にする喜悦を噛み締める宝泉。
「七三眼鏡ぇ、このゴリラを呼んだのは手前ぇか?」
「宝泉和臣くんは、来年のスカウト候補としてリストアップされています。なので、一応お声掛けしました。どうします? 龍園くん。」
宝泉が叫ぶ。「どうしますもクソもねぇ! 今からお前ぇは死ぬんだよ! 黙って俺様に殺されろや!」拳を大きく振り被って翔へ突進する宝泉。その腹部へ神速の前蹴りがカウンターで入る──それを繰り出したのは福谷だ。宝泉が板場まで吹き飛ぶ。
「畳に上がるなら靴を脱ぎなさい。」宝泉へ自省を促す福谷。ぐぬぬ……と腹を押さえる宝泉。「……て、手前ぇも殺す。龍園の次にな。」
「どうやらゴリラにゃお仕置きの必要がありそうだなぁ。おい、俺が持って来いつったの、今あんのか? 七三眼鏡。」
「えぇ、ありますよ。武器の使用は無しと言いましたが、切ったり刺したりの類じゃなければまぁ良しとしましょう。」
福谷がスポーツバッグからスポーツチャンバラのエアーソフト剣を二本取り出し、ボンベでガスを注入する。長さ1メートルの長剣だ。
「ゴリラ、それでやんぞ。一本手に取れ。俺と手前ぇとじゃ、お月さんとスッポンゴリラくれぇ格の差があるってぇことを教えてやる。授業料は大負けに負けて十万で良いぜ。」
「そんな金払うわきゃねぇだろ! つーか何だそりゃ? 空気の入った柔らけぇゴムだろ? そんな間怠っこしいもん使ってられっかよ! お前ぇはこの俺様の鋼の拳で打っ飛ばす! ワンパンで瞬殺してやんよ!」
「じゃ、俺ぁ二刀流だな。それで良いか? 七三眼鏡。」エアーソフト剣を両手に持つ翔。「宝泉くんからクレームが無いならOKでしょう。それに本音を言えば、彼は私のスカウト対象じゃありませんからどうなろうと構いませんよ。とは言っても先に告げたルールは守ってくださいね。」「不具者にはしねえってルールな。わかってるよ。ちゃんとそのルールの範囲内で調教すっから安心して見てろ。」
通常スポーツチャンバラでは安全性を考慮し、頭部と顔面を保護する面を着け、エアーソフト剣内の空気を八割から九割程度にする。が、宝泉に面は無く、翔のエアーソフト剣はガスでぱんぱんになっている。その危険性が如何程のものか知らない宝泉。
嗚呼、こいつぁモノホンのバカだな。宝泉を見下す牧。剣道三倍段って言葉を知らねぇのかよ? て言うか、龍園さんが剣を持ったら三倍どころの騒ぎじゃねぇ。ゴムだろうととんでもなく凶悪な武器になる。そんなことも想像出来ねぇ様じゃ、こいつぁ喧嘩屋としちゃ三流以下だ。さぁ、これからサイコーに面白ぇ蹂躙劇が始まるぜ。マジで楽しみな展開になって来たな。
福谷から言われた通り履いていたバッシュを素直に脱ぐ宝泉に向かって「さて、やる前にひとつ訊きてぇんだが……。」と翔が挑発モードに入る。
「ゴリラ、お前名前何つった? ゴリラ過ぎて、人間様みてぇな名前を聞かされても憶えらんねぇよ。
「そんな名前の人間居るかよッ! クソがッ! あの世へ逝きやがれ龍園!」再度拳を大きく振り被って翔へ突進し、思い切り腕をぶん回す宝泉。
おいおい、テレフォンパンチにも程があんだろ。宝泉を鼻で笑う牧。こいつぁ技倆なんて何も無く、ただ恵体という素質だけで喧嘩に勝って来た、そんな厨二の勘違いクソバカ小僧だな。アルベルトが達人に思えて来るぜ。
豪腕に因る右ストレート一閃。だが、翔の動体視力は人の領域を遥かに超える。ステップバックしながら、高速で空間を切り裂く右拳の甲を左の剣で打ち、右の剣で前へ出た左足の甲を打つ──それも容易く。「ぐっ!」宝泉が呻く。体が固まるほどの痛みが走る。骨へのダメージは皆無だ。が、皮と肉がとんでもなく痛い。打たれた二箇所の表皮が真っ赤になる。薄っすらと細かく血が滲む。痛みが治まらない。
「今のはほんの挨拶だぜ。どうだ? 手前ぇが嘗め腐ってた柔らけぇゴムの味は。」
こりゃ格闘漫画の
「さぁ、これからが本番だ。ガスをフル充填させたエアーソフト剣は、俺が使えば打ち方次第で木刀なんかよりずっと始末が悪ぃ武器になるんだぜ。気が狂いそうになるくれぇ痛ぇが、骨折はしねぇし脳が大きく揺れて失神することもねぇから仕合が延々続く。永遠にも思える様な地獄を見せてやる。」
このゴム剣を顔面に、特に眼や瞼の上あたりへ喰らったらマズい! そう判断する宝泉。顎を引き、脇を締め、腕を上げ、甲が龍園へ向く様に両拳を額に付け、顔面をしっかりとブロックする。顔面以外なら何発か打たれても良い、我慢する。そのまま龍園へ向かって強引に出てって、無理矢理抱きついて倒す。それで勝てる! パワーなら俺様の方が圧倒的に上だぜ! そう考える宝泉。
だが、宝泉より先に翔が動く。左の剣で額上部から頭頂部に掛けて打ち下ろし、右の剣で鳩尾を突く。一瞬で二撃。猛烈な痛みに「ぐあっ!」と短く叫ぶが、そのあとはもう息が止まる。腕が下がり、力なく後ろへよろめく。
突き……かよ! 突きは全く予想してなかった……先っ穂が柔らけぇゴム棒なんかの突きがここまで効くとも予想してなかった。頭を打たれるのはまだ何とかなったが、鳩尾はダメだ……息が出来ねぇ! こいつぁマズい! 焦る宝泉。
が、今更焦って何とか打開策を講じようと思っても、もう遅い。
よたよたふらついて脚が開いた股間を強く打ち上げる金的攻撃が入る。そしてガラ空きになった顔面、人中と鼻尖への突き。金的と人中ほどではないが、鼻尖も人体の急所で打たれればキツい。翔が間髪入れず、喉の廉泉を突き、鼻全体を打つ。二度の鼻への攻撃で勢い良く鼻血が吹き出る。鼻呼吸が出来なくなるが宝泉とってはそれよりも睾丸と喉、ふたつの急所へのダメージの方が深刻だ。
宝泉が声も出せずに苦悶し強く目を閉じたのを見て、音もなく摺足で宝泉の左側に回り込む翔。左の剣で両目を横打ちする。最も警戒していた筈の目への攻撃を簡単に許す宝泉。瞼が腫れ上がり、眼球へ強烈なダメージが入る。右の剣で左の外耳へ打ち下ろし。耳の付け根が裂ける。激痛で、反射的に前屈みになり両目と左耳を手で押さえようと腕を上げる。その所為で脇が少し開く。
背後へ回り込み、重要な急所である脇の下、極泉を両方同時に突き上げる。腋窩神経が麻痺し、感電した様に体が固まり痙攣する宝泉。肩と腕が動かなくなる。
続けて腎臓ふたつを同時に突く。宝泉が人生で初めて味わう烈しい衝撃。
グワーッ! 心の中だけでの絶叫。やーらーれーたー!
宝泉はただ膝から崩れ落ちるしかない、無抵抗に攻撃を喰らい続けるしかない。
亀の様に体が丸まった宝泉の尾骶と後電光を突く。そのふたつもまた急所だ。完全に体が動かなくなる。
そこからは牧が予想した通り、ただただ蹂躙が続くだけの展開となる。
頭、首、肩、腕、背中、脇腹……数十発に及ぶ鞭打。それを受けた全ての箇所から血が滲み出る。シャツが血に染まる。
絶叫したくても出来ない。声が出ない。目を開けられない。何も見えない。体も両腕もまともに動かない。
翔が宝泉を蹴り転がし仰向けにする。両膝を踏み砕く。ひゅうぅ~っと喉を鳴らし肺の中の空気を全て吐き出す宝泉。何も出来ず大の字になるだけだ。
「おいゴリラ、情けを掛けて鼓膜は破らずにおいてやったんだ。聞こえてんだろ? 良いか? ここまでの授業料が十万だ。ペリカじゃねぇぞ、円だ。今直ぐ払え。払わなきゃ授業は続く。延長料金は更に十万だ。頭と顔と胸と腹と脚をゲーセンの和太鼓みてぇに数百発打ちまくる。」
十万円という大金を平素から持ち歩いているわけではない宝泉。今直ぐ払えと言われても払えるわけがない。例え持っていて払う気になったとしても、声が出せずその意志を伝えられない。いや、それ以前に激痛と酸素不足で意識が混濁して何を言われてるのか理解出来ない。
「払わねぇ様だな。じゃあ続行だ。あとで二十万払えよ。先ず顔からだ。不細工なゴリラ顔を整形してやる。」またしても始まる容赦ない鞭打の雨霰。宝泉は腕が上がらないのでガード出来ない。あっという間に顔中内出血で腫れ上がる。唇が何箇所も切れる。鼻がぺしゃんこに潰れる。
面の皮が厚い人外ゴリラと周囲から思われている宝泉であっても、それは飽くまで比喩的な意味であって、当然、顔の皮膚は体に比べれば薄い。連打を受ければ表皮は剥がれてめくれていく。めくれた表皮の下の真皮へ更なる鞭打が続く。額を含め顔全体が細かい血の泡をぶくぶく吹き出す。
その凄惨な光景を見て悲鳴を上げる神室と山村──だが、サイコパスの櫛田は蔑む様に右の口角を上げて笑うだけで叫んだりしない。暴力だらけの環境の中で生き延びて来た伊吹は目を細めるだけで無言。暴力を見慣れている長谷部は口をへの字に曲げて不快を表しながらも言葉を呑み込む。暖に至っては楽しそうに満面の笑みを浮かべながら「翔くん、カッコ良い~。」などと能天気に賛辞を送っている。
坂上も笑っている。牧も笑っている。三宅も笑っている。石崎とアルベルトはドン引きだ。血の気を失った顔で金田が恐る恐る言う。「もうそこらへんで……。福谷先生、止めなくて良いんですか?」
「私は、坂上さんにスカウトされたきみたちが酷い怪我を負わない様にしてくれと頼まれただけでね、そのゴリノスケくんとかいう子は知らないよ。」と冷たい目で塩対応する福谷。全く頼りにならない大人たちに絶望する金田。
顔面に続いて予告通り頭と胸と腹と脚を乱れ打ちする翔。「はっはぁ! 一億年早かったなぁ、ゴリラ! 人間様に歯向かうなら、せめて原人くれぇまで進化してからにしろぃ!」
「龍園さん、類人猿は何億年経っても原人にゃ進化しませんよ。」と笑いながら言う牧。「なわきゃねぇだろ! 気合いと根性だ! 元気がありゃ何でも出来るって昔の偉い人も言ってたろ!」「そんなんで進化しちまったら地球が猿の惑星になっちまうでしょうが。つーか、もうそいつ元気なんてないでしょ。」
そこへ坂上がにやにや笑いながら言葉を挟む。「進化論云々は私にはわかりませんけども、元気がないどころかほぼライフゼロの宝泉くんが周りの何人かをドン引きさせてるのはわかります。」ドン引きは過激な暴力を振るう翔とそれを黙認する大人たちの所為ではなく、宝泉の所為であるかの様な物言い。それを聞いて、ドン引きしていた生徒たちが更にドン引く。
「恐れをなした子たちからスカウトを断られても困ります。どうです? 龍園くん。お仕置きはあと十発くらいにしといたら如何です?」
「ああ、そうだな。そうしとこうか。」そしてまた、ボロクズになった宝泉への無慈悲な打擲が続いて行く。打っ叩く毎に大きな声でカウントしていく翔。「……七、八、九、十! 二十万も払うんだ、オマケしてやるぜッ、十一!」
腰を入れたフルスイングの十一発目は金的に入る。が、宝泉はぴくりとも動かない。「もしかしたら玉ぁひとつ潰れちまったかも知んねぇが、片方残ってりゃ、ルールの範囲内だな。目ン玉も潰れてねぇし、ちょいと入院すりゃ直ぐ全快だ。良かったなエテ公、俺が優しくってよぅ。」
「ゴリラからエテ公に格下げですか?」と大笑いする牧。「ああ、こいつは弱過ぎる。ゴリラ扱いは分不相応だろ。」
延々と続いた調教がやっと終わった。
しかし、宝泉がそれを知ったのは──見知らぬ天井の下、ベッドの上、両膝にギプス、顔も頭も体も包帯でぐるぐる巻きになっていると気付いてから──地獄の責め苦を味わった二日後のことであった。