同盟軍もそれに呼応して動きます。
そもそも王国軍と同盟軍を足しても帝国軍に数で届かないのです。指揮官の質でも勝っている訳ではありません。
連携が取れないにしても、動かなければ座して死を待つだけです。
王国軍残党の決死の突撃によって、前衛で指揮を執っていた帝国軍の将が戦死したのを、クロードは確認。
揉み潰され消滅しつつある王国軍残党を救出する余力は無いしその義理もない。
いやだねえ戦争は。
そううそぶきながら、飄々とクロードはフェイルノートに新しい矢を番える。
パルミラ人の血が混じったクロードは、浅黒い肌を持つ青年である。航空兵でありながら弓矢を用いる変わり種で、遊撃しながら狙った敵を確殺していくという戦闘で、敵を引っかき回すのを得意としている。
既に同盟軍の航空部隊は半壊。
地上部隊も、帝国の突撃で押しに押されて、損害は二割に達しようとしていた。
矢を放つ。
また、めぼしい敵を射落とす。
だが、敵は手数で反撃してくる。無数の航空兵に追いすがられながら、クロードは叫ぶ。
予定通りに動け、と。
同盟軍はきびすを返し、乱戦を脱し。下がりはじめた。下がった分だけ、帝国軍が押してくる。
そのまま、蹂躙を避けるように、ゆっくりグロンダーズの北へと下がりはじめるが。敵はそれを許してはくれない。一部の部隊が突出し、退路を脅かす動きを見せた。五百ほどだが、いずれも森の中を猿のように素早く動いている。多分特別に訓練された精鋭だろう。流石に舌を巻く。
それに、航空部隊の損耗が激しい今、クロードにも余裕が無い。
そも、大修道院にいるあの人は、この戦いが起きていることを知っているかどうか。
森の中に主戦場が移り、戦いが鈍化し始める。
大軍を展開しやすい平原と違い、森の中ではどうしても乱戦になる。そうなってくると、大軍を生かせる状況を作りづらくなる。
その中で、あの五百。
恐らくは、平原から森の中へ戦場を移そうという動きを阻止しようと動いている部隊は厄介だ。
流石にエーデルガルト。
事前に策を準備させると、厄介だなと、クロードは笑う。
そして、何本か矢が、騎乗している飛竜に突き刺さるのを見て、本気での逃走にとりかかった。
さて、どこまで敵を深追いさせられるか。
敵の浸透速度が遅くなっている。航空部隊も、流石に地上部隊を離れ過ぎたと悟ったか、下がろうとする。
其所にフェイルノートから一矢。
流石に魔弓と呼ばれるだけはある。
放たれた矢は、一撃でペガサスの首から上と、騎士の上半身を消し飛ばしていた。敵がむきになって反撃してくるのを、更に下がる。
少しでも飛行部隊を引きつけないと。
そう思っていた所だが。
どうやら敵に後退の指示が出たらしい。頭に血が上っている敵もそれで、一目散に下がりはじめた。
深追いは此処までか。流石にエーデルガルトの育てた将兵だと苦笑しつつ、そのまま、手を振る。
同時に、後方で雄叫びが上がった。
森の中で乱戦をしていた帝国軍が混乱する中、叫び声はその退路を塞ぐようにして動き始める。
あれがとっておきの遊撃兵力。
帝国軍航空部隊は、その部隊を叩きに移動するが。その隙に、クロードは退路に回ろうとしている帝国軍部隊五百ほどに、残存戦力全てを叩き付けていた。
流石に兵力差が大きい。
退路に回ろうとしていた敵を、一気に蹂躙する同盟軍。
かなり損害は大きいが、今の隙に乱戦を脱し、更に敵本隊を混乱させる事も出来た。そして、である。
敵航空部隊は無視。
一気に、傷ついた飛竜を急かして、火が消えつつある丘へと、クロードは突貫する。
凄まじい光景だ。
黒焦げになった無数の死体。人体の原型を留めていないものも珍しく無い。あれだけの炎だ。
突破出来るのは、もうあらゆる意味で人間を止めてしまっているディミトリくらいだろう。
ふと北を見ると、ほんのわずかに生き延びた王国軍残党が、かろうじて撤退を始めているのが見えた。
あの状況でも、ギルベルトは生き延びたらしい。
流石は歴戦の老将。
死に際を探していただろうに。それでも、戦いそのものでは、大きな存在感を発揮してくるか。
味方の同盟軍機動部隊は、今後の事を考えて、可能な限り温存しなければならない。部隊を任せた将には、この状況になったら同盟領に一目散に逃げ帰れと指示を出してある。
騎乗している飛竜が辛そうに声を上げた。
ペガサスより速度は劣る反面、頑強な飛竜であるが。
今日は既に十本以上も矢を受けている。
クロードの技術でも、三倍差の航空兵力とまともにやりあったら、こうならざるを得なかった。
敵将も無能では無かったし、これからやるべき事も命がけだ。
だが、エーデルガルトに勝たせるわけにはいかない。
このフォドラをこれから動かすのは、エーデルガルドでは無い。政戦両方の鬼才であるあの灰色の悪魔。軍神ベレスだ。
或いはエーデルガルトにベレスが協力する事態だったら。
此処で、帝国に勝って貰っても良かった。
だが、五年前の大修道院での出来事以来、エーデルガルドはディミトリほどでは無いが、精神の均衡を崩している。
確かにカリスマは得ているが。
もしもエーデルガルトが勝ったとしても。統一帝国は恐らく長続きしない。パルミラはどうにか出来るかもしれないが、それ以上の国力を持つダグザの再侵攻を防ぎきれないだろう。
何よりあの灰色の悪魔を敵にしている時点で。
その排除にどれだけの兵力と人材を消耗するか分からない。時間だって、どれだけ掛かる事か。
戦略も戦術も暴力的な戦闘能力でひっくり返すあの灰色の悪魔と二回対戦したクロードは。
二度と絶対に戦いたくないとも思っていたし。
事実、フォドラの背後で蠢いている連中なんて、あの灰色の悪魔の前には子ネズミも同然にひねり潰されてしまうだろうとも結論していた。
丘を抜ける。
ハリネズミのように矢を受けて、それでもなお動いているディミトリが見えた。
エーデルガルトは既に完全に攻勢に出ていて、ディミトリを一方的に嬲っている。
そうなるだろうな。
最初から分かりきっていた。個人としての実力はそう大差がないのだ。英雄の武器持ちという条件も同じ。それならば、準備をしていた方が勝つに決まっている。精神論で勝ち負けは揺るがない。
どう動くか分かっている以上、どれだけの武勇を持っていようが、戦闘では勝てないのである。
エーデルガルトがディミトリを、自分をエサに引っ張り出すのは目に見えていた。そしてこの戦いになった時点でのディミトリの状態も。
或いは、ディミトリに寄り添ってくれる人がいて。
壊れてしまった心が元に戻るまで、根気よく接してくれる者がいたならば。
こんな結果を迎えずに済んだかも知れない。
だが今のディミトリは、クロードから見ても手負いの凶獣に過ぎず。
その手にもしフォドラが渡れば。
恐らくは近隣諸国による蹂躙よりも、更に酷い事になるだろう。
もしも、ではあるが。
あの灰色の悪魔が。ディミトリの側にいてくれれば。話は違っていたのかも知れないが。しかしそれは言っても仕方が無い事。
フォドラは詰んでいた。
学生時代の頃から、数々の逸話を残していたあの師は。
或いは、詰んだフォドラを打ち砕き、灰の中から再生させるために訪れた、文字通りの破壊神であったのかも知れない。
破壊と再生の両面を持つのが破壊神というものだ。
既に、フェイルノートに矢は番えてある。
気付くのは、エーデルガルトが早い。
飛び退きながら、アイムールで矢を叩き落とす態勢に入る。
だが、既に狙いは定まっていた。
放つ。
狙いは、ディミトリとエーデルガルトの間の地面。
一撃で人間を吹き飛ばす威力が出る矢だ。直撃すれば、凄まじい爆裂を引き起こすのは自明の理。
同時に、離脱。
逃がすかと、帝国軍の兵士達が、無数の矢を射掛けてきて。
その幾らかはクロードが騎乗している飛竜に突き刺さり。三本はクロード自身に突き刺さっていた。
鈍痛を感じつつも、振り返る。
今の爆裂で、エーデルガルトには完全な予測不能な事態が生じた。この好機を、獣と化したディミトリが見逃す筈が無いだろう。
それでいい。
クロードは、自身も炎の中に。戦場の東を覆う炎の中に突貫。活路は此処しかない。既に炎は弱まり始めており、上昇気流で翻弄されるが、耐えてくれと飛竜に言い聞かせながら飛ぶ。
炎を抜けた時。
北の戦況が見える。
当初の想定通り、深追いを避けた帝国軍本隊が、同盟軍の動きを見ながら、平原に布陣し直している。
クロードにも気付いたようだが、一騎だけ。それも遠い。航空部隊が一応二十騎ほど此方に備えるが、もはや戦うつもりはない。
そのまま、グロンダーズの東に突っ切る。
そして、攪乱のために動き。
更には離脱した五十名ほどの部隊。
旗を使ったり、ドラを使ったりして、十倍ほどの兵力に見せていた遊撃戦力と合流を果たしていた。
クロードが降り立つと。すぐに手当が行われるが。クロードは不要と言い。
戦場の結末を分析せよと説明。更には、主力の損害についても算出するように、すぐに指示を出していた。
想定外のクロードの一撃で、体勢を崩したエーデルガルトが見たのは。文字通り英雄の遺産アラドヴァルに残る全ての力をつぎ込み、突貫してくるディミトリの姿だった。
三十を超える矢を受け。
その内一本は首に突き刺さってすらいる。
常人だったらとっくに動けない。
それを此処まで戦った時点で大したものだが。もはや人語を忘れるほどに凶暴化しつつ戦っている有様は、哀れですらあった。
強烈な一撃を、弾き返す。
此処でもあくまでも、エーデルガルトは冷静だった。
旧師と別れる時、決めたのだ。
血の道を歩むと。
例え負けたとしても、フォドラの仕組みは一度壊さなければならないと。
紋章本位の制度。更にセイロス教団による裏側からの各国への介入。この二つを終わらせない限り、フォドラに未来は無いし。
何より犠牲者を幾らでも産み出す。
エーデルガルト自身だってそうだ。
兄弟は十人以上いたが、全員が人体実験の材料にされ。一種の強化人間にするための苗床にされた。
エーデルガルト自身も、本来は此処までの能力は持っておらず、皇位継承権だって持ってはいなかった。
鼠共をのさばらせる程に弱体化した帝国の体制が。この非人道的な行為を引き起こしたのである。
更には、ディミトリは知らないようだが。
ダスカーの惨劇も鼠共の仕業である。
正確には、腐敗した王国の内紛に鼠共が乗じた、というのが正しいのだが。
当時幼い子供だったエーデルガルトが、あのような残忍な所行を、主導できる筈がない。
一度冷静さを失うと、人間というのはとことん墜ちる。
だから、師がいなくなった時点で。
エーデルガルトは、最後の最後まで人を捨てようと決めたのだ。
ディミトリが、最後の。
渾身の一撃を弾き返されても、なおも次を繰り出そうとするのを冷静に見据えつつ、当て身を浴びせ。
どうしても物理的に下がらざるを得ない状況を作る。
足場が崩れて踏ん張れないディミトリに、更に十を超える矢が突き刺さった。とどめとばかりに、アイムールで首を刈りに行く。
緩慢な動きでそれを防ぎに掛かったディミトリだが。
一撃は重く、容赦なく。
ディミトリは吹っ飛ばされて、戦場南の炎の壁の中に消えた。固唾を呑んでいる兵士達に、叫ぼうとする。
「まだよ! 敗残兵の捜索を急ぎなさい!」
ディミトリに叩き込んだ一撃には、確かな手応えがあった。致命傷だ。確実に殺した。
だが、何か胸騒ぎがする。
呼吸を整えながら、周囲を見回そうとした、その瞬間だった。
炎の中から躍り出てきた巨人が。
大斧をエーデルガルトに振り下ろしていた。
ドゥドゥーか。
恐らくは敗残兵を逃した後、自身は好機を探していたか、或いはエーデルガルト自身の居場所を探していたのかも知れない。
見れば、穏やかだったドゥドゥーの顔には無数の深い向かい傷がついている。
王国は五年前、大修道院陥落直後に腐敗が極限に達し、国が内部から瓦解した。勿論エーデルガルトとヒューベルトが前から手を回してもいたが、それでも、想定以上の凄まじい崩壊をした。
故にディミトリとその忠臣であるドゥドゥーは政変に巻き込まれ、人が変わるほどの凄まじい目にあった。
伝聞でしか聞いていないが。
あの心優しかった男がと。今のドゥドゥーを間近で見て、思わざるを得ない。
だが、無理をしていたのはドゥドゥーも同じか。
どうしても、渾身の一撃には、力がこもっていなかった。
押し返し、弾き返す。
そして、戦場の習いと、首を叩き落とそうとした瞬間。
力ない、だが確実な衝撃が。
背中に走っていた。
振り返る。
どうやら、炎の中倒れているディミトリが、最後の力を振るって、アラドヴァルを投擲し。
それが、背中から脇を切り裂き、掠めていたらしい。
少しずれていたら、死んでいたかも知れない。
最後の力であっても、これだけの威力か。
昔のディミトリを思い出す。
普通の投擲槍が、攻城兵器なみの破壊力を産み出すことから。まるで手やりが英雄の遺産のようだと、引きつった笑いを浮かべながら周囲の生徒が噂していたものだ。エーデルガルトの剛力ですら、ディミトリの腕力の前には霞むほどだった。
ドゥドゥーが数本の矢を浴びつつも、走る。
そして、ディミトリを抱えると、そのまま炎の中へ消えていった。
慌てて矢を番える兵士達に、戻って来たヒューベルトが不要、と静かな声で告げる。皆が黙り込む中、膝を突くエーデルガルトに、ヒューベルトが医療の魔道を使える魔道部隊の兵士を連れて、話しかけてきた。
「傷の様子は如何ですか、陛下」
「……深手ではあるけれども、死ぬほどでもないわ」
「お流石にございます。 すぐに手当を」
「はっ! 失礼いたします!」
手慣れた様子で、兵士達がエーデルガルトの鎧を脱がせ、傷を露わにすると。回復の魔道を使い始める。
淡い光が傷を治していくが。
これには強烈な痛みも伴う。
「これだけ備えていたのに、それでもこれほどの一撃をもらうことになりましたか」
「想定の三枚上を行かれたのだし仕方が無いわ」
「三枚上、ですか」
「最初のクロードによる奇襲、更にドゥドゥーの強襲、最後はディミトリによる想像以上の抵抗。 どうにかしのげただけでも僥倖という所ね」
痛みは凄まじいが。
決めているのだ。
この程度の痛みなど、どうとも思わないと。
人間を止め。この腐ったフォドラを一度焼き尽くし、再建すると。そのためには、あの師のように。
破壊神にでもならなければいけない。
応急処置が終わった頃。
戦場の炎も収まりつつあった。
広大なグロンダーズ平原に散った斥候が、状況を伝えてくる。参謀達がその情報を整理し。そして半刻ほどで結果が出た。
既に夕刻。
早朝に戦闘が開始されたのに。
長い一日になったものだ。
既に鎧を着け直し、椅子に座って状況を聞いていたエーデルガルトだが。状況を大まかにまとめたヒューベルトが来ると。周囲にいた参謀達が、露骨に怯える。まあ、仕方が無いだろう。
ヒューベルト自身は、ずっとディミトリだけではなく。敵の主力級の武人のエサとして動き続けていたエーデルガルトに代わって、戦場を指揮していたのだから。冷酷に王国軍残党を叩き潰し、同盟の機動軍に簡単には立ち直れない打撃を与え、逃げ遅れた敵兵を容赦なくすり潰したその手腕は、怖れられて当然である。
だが、そのヒューベルトと考えた、あらゆる不安要素を排除する作戦であっても。
これだけの被害は避けられなかった。
実の所、紙一重だったかも知れない。
最初から死神騎士の部隊を投入するべきだったか。
そして、良かったとも思う。
もしも旧師がこの戦場に現れていたら。
エーデルガルトは無事では済まなかっただろう。今回の結果でも、無事だったとは言い難いが。それどころではない手傷を受けていたはずだ。帝国軍そのものが、半壊していたかも知れない。
「味方の最終的な損害は」
「航空兵49、騎馬31、歩兵1900という所でしょう。 これに決死隊の被害およそ500が加わります」
「それほどに……」
「敵の抵抗が想定以上だったと言う事です。 特に戦場北部の乱戦での被害が大きく、将軍が何名か戦死しております」
名前を挙げられた中には、大修道院で机を並べて学んだ生徒もいた。騎士道物語が好きな下級貴族出身の将軍で。今だけしか出来ないからと、王国出身の高名な騎士に話を聞いたり。ギルベルトと話した事を喜んでいたりしたっけ。抜擢する事には懸念の声もあったのだが、エーデルガルトは能力を見て抜擢し。本人も、各地での転戦で抜擢に応えた成果を上げてきていた。
失ったか。
五年で多くの部下を失ってきた。
また一人、有能な部下を失った。
今回は大規模な戦闘になったのだから仕方が無い。最後に、満足する事が出来ただろうか、あの男は。
「敵の損害は」
「王国軍残党には致命傷を与えました。 戦場を離脱できた兵は300に達しません」
「同盟は」
「3000前後を討ち取っております。 機動軍は簡単に再建する事は出来ないでしょう」
そうか。ならば完勝とはいかないにしても、辛勝という所だろう。
ディミトリは死んだ。
それは確定事項だ。
クロードは生き延びた。だが、同盟にもはや帝国に抵抗する戦力は残っていない。パルミラに対応してフォドラの首飾りに回している兵力を動かせばまだ分からないが。それでも厳しいだろう。
一度、南のメリセウス要塞に引き上げる。全軍の一割以上を失ったと言うことは、その三倍以上の重傷者が出ていると言う事だ。すぐに動かす事は出来ない。しばらくは、兵力の再編成が必要になってくる。
更に、細かい情報が入ってくる。
斥候が、逃げ延びるギルベルトを確認。
その側には、ディミトリの亡骸を抱えたドゥドゥーも確認された。
二人は国境付近でディミトリを埋葬すると。
ドゥドゥーは一人闇の中に消え。
ギルベルトは、生き延びた兵士達に、大修道院に向かうように指示すると。ディミトリの簡素な墓の前で自害して果てたそうである。
死に場所を探していた老将は。
王国の終わりに殉じた、という事である。
なお、墓は荒らさないように指示はしてある。
ギルベルトが自害することは想定できていた。だから、その死を見届けた場合、ディミトリの墓の隣に墓を作ってやるようにと、最初に指示は出しておいたのだ。斥候は全てを見届けた後、そうしたようだ。
それでいい。
勿論勇戦した老将に敬意を払ったというのもあるが。
それ以上に、旧王国の人間達の敵意を買わないための行動である。後は、結果だけをまだ抵抗している王国に流してやれば良い。
問題はドゥドゥーで、恐らくはディミトリの意思を継ぎ、エーデルガルトの首を狙って動いてくるだろう。
油断して暗殺される事態は避けなければならない。
同盟の方は斥候が追っても中々実態が掴めなかったが。
三日ほど後に、大まかな情報が掴めた。
クロードは無事に同盟の機動部隊と合流し、同盟へ撤退を開始。その数はおよそ4000強。戦死した3000に加え、その後離脱したり脱落した兵もいたのだろう。むしろ半数が残っただけでも、クロードの手腕が分かる。
ただ、クロードが乗っていた飛竜は命を落としたようで。違う飛竜に乗っていると言う事だった。
確かクロードが乗っていた飛竜は、かなり特別に訓練をした、同盟の至宝とも呼ばれている強力な個体だった筈。
それを失ったのは、クロードにとって決して浅い傷ではないだろう。
また機動軍は、各地に配置する防衛部隊とはそも編成も異なる。
その壊滅は、同盟の軍勢が今後速やかに展開出来なくなることも意味していた。
そして、もう一つ。
良くない情報が入っている。
この機にと、大修道院にいる旧師が、積極的に兵を集めているというのだ。既に幾つかの王国の貴族が支援をしていることは知っていた。今後は同盟もそれに荷担する可能性が小さくはない。
報告を聞きながら、傷の状態を確認。
魔道によって毎日治療させてはいるが。
ディミトリの憎悪が呪いになっているかのように治りが遅い。
恐縮している医療魔道の使い手を責めることはしない。
ディミトリの凄まじい気迫は、間近で戦ったエーデルガルトが一番よく分かっているし。最後の怨念が籠もった一撃だって、身に浴びて良く知っている。
それに、だ。
エーデルガルトは、変わってしまった髪の色を見る。
今は灰色のエーデルガルトの髪だが。
昔は違う色だった。
あの非道な地下の人体実験が無ければ、このような色になる事はなかった。調査の結果分かっているが、どうもリシテアも同じように人体実験をされた形跡があると言う。髪の色もエーデルガルトと共通している。
そしてこの人間の領域を超えている力。
代償がない筈もなく。
いずれ、エーデルガルトは若くして命を落とすのかも知れない。
どの道、あまり残された時間は多くは無いだろう。
戦闘終了から一週間。
更に良くない知らせが入る。
帝国の属国であり。南西の海上に浮かぶ小国、ブリギットが謀反を起こしたというのである。
現地に駐留していた戦力は、奇襲を受けて抵抗し得ず撤退。
ヒューベルトがすぐに話し合いをすべく来た。
メリセウス要塞の執務室で、疲れた顔の将軍達と共に、今後の事を軽く話す。
「もう一度、総力を挙げて大修道院を攻めるべきでありましょう」
そう進言したのは、五年前のクーデターで主力を担った一人。軍務卿ベルグリーズ伯である。
ダグザとの戦役でも一番手柄を挙げた猛将は、年老いてもなおも現役。
現在でも、軍司令官としての責務を果たしてくれている。なお息子が今旧師の下にいて、つまり大修道院にいるのだが。それを意に介している様子は無い。対立した以上、もはや殺す事は仕方が無いと割切っているのだろう。
「今は国内の立て直しに徹するべきです。 現状王国は半壊、同盟も今回で再侵攻できる戦力を失いました。 もしもこの機にセイロス教会の残党が攻め寄せてくるにしても、一旦メリセウス要塞を抜く必要がございまする。 時間は充分に稼ぐことが可能でありましょう」
そう意見を出したのは、まだ若い将軍である。今回のグロンダーズ会戦で兄を失っているが。
それでなお、復讐戦を言い出さない公私の割り切りは流石である。
大まかに意見は二つに割れたが。
判断は、エーデルガルトが下した。
「現在は戦力の立て直しを急務とする。 メリセウス要塞に元々いた五千を据え置き、死神騎士を指揮官として備えに残す」
「大修道院を攻め落とす好機であるかと存じますが」
「いいえ、大修道院を簡単に攻め落とすことはできないわ」
まだ食い下がる軍務卿に、エーデルガルトは断言。理由は当然。旧師がいるからだ。
元々堅牢な大修道院。更に増えつつある兵力。セイロス教団の残党の集結。元々フォドラ最強を謳われたセイロス教団の精鋭達がその中核になっている事に加え、同年代の有望な学生は悉く旧師の元に集っている。
その中には侮れない実力を持つ者が大勢いて。
しかもその悉くが、旧師の指導で実力を十全に引き出されているのだ。
五年前。
奇襲に近い状態であったにも関わらず、大修道院の陥落には大きな犠牲を払った。
今回大修道院の防御の総指揮は旧師が取る事疑いなく。
グロンダーズにつぎ込んだ兵力を全て叩き込んだとしても、勝てる可能性は決して高くない。
もし此処で大敗を喫することがあったら。
帝国は揺らぐことになる。
その危険を指摘すると、ベルグリーズ伯は無念そうに呻き、同意した。
「かの者……灰色の悪魔の話は此方でも聞いておりまする。 何でも、髪の色が途中で変わったという事ですが……」
「……」
学生だった頃。
世界の裏側で蠢いている者達、アガルタの民の邪悪なる魔道によって、旧師は一度だけ死の危険に瀕した。
その時何があったかは分からない。
分かっているのは、おぞましい邪法によって闇の世界に放逐された旧師が。圧倒的な力を持って戻って来たという事。
ただでさえ手がつけられないほど強かったのに。
髪の色がその時変わってからは、もはや旧師の戦闘能力は、神々の領域に片足を突っ込んだ。
「確かに鷲獅子戦での暴れぶりを思い出す限り、油断できる相手ではありませんな」
「そういうことよ」
「……分かりました。 今回の損害、更にはブリギットの裏切りによる被害を回復するために、即座に軍の再編成に移りまする」
ベルグリーズ伯が納得したところで、会議は終わる。
そしてエーデルガルトは、軍の主力を各地に一旦戻し。自身は帝都アンヴァルにまで後退した。
此処で傷を癒やしつつ。
王国と、同盟にとどめを刺し。
更には、どうにかして旧師を討ち取る算段をたてなければならない。
アガルタの民は使い物にならない。
既に連中の提案で、何度か旧師に暗殺者を送り込んでいるのだが、その全てが返り討ちにあっている。
アガルタ自慢の強化人間やよく分からない技術で作られたいにしえの兵器も含めて、である。
所詮は世の混乱に乗じて動くだけの鼠。
強力な技術を持っていても、それを使いこなせなければ意味などない。
連中は陰謀は得意だ。陰湿な宮廷闘争も得意だ。だが、それ以外は何もできない。平和には害を為し、戦乱を混乱させ、そして己の恨みを第一にして全てをかき乱す。ただそれだけに特化し。それしか出来ない連中だ。その頭目たる「叔父」もろとも、論ずるに値しない。己の欲が第一だから、仮に天下を取ったとしても、短時間で全てを台無しにする。それが目に見えている、ただの小物の集団だ。人間の技術力が、人間そのものを進歩させるわけでは無い。それを目に見える形で示す、愚かな俗物の集団である。
嘆息すると、傷の痛みに眉をひそめながらも。
エーデルガルトは、次にどう動くべきか。敵がどう動くのか。そう玉座にて考え続けていた。
次の相手は確実に旧師だ。
あの戦闘力をどう押さえ込むか。どれだけの損害を出せば、旧師を討ち取れるのか。仮に討ち取る事が出来たとして、その後はどうか。フォドラ全土をまとめるほどの兵力は残るのか。人材は確保出来るのか。
周囲には、気付くと誰もいない。
地下牢につながれ、鼠の声に怯えながら生きていた幼い頃の事を思い出す。旧師が味方でいてくれればよかったのに。
ふと、エーデルガルトは目を擦る。
痛みからでは無く、哀しみから落涙していた。
誰にも、見せる事は出来ない姿だった。