しかし歴史の特異点たる「せんせい」はこの戦闘に関与していません。歴史が動くのは此処からです。
そして戦争が終わった後は。
勇者達の物語は終わり。
ふつうの人間達の物語が始まるのです。
周囲は地獄だった。
ギルベルトの死を看取り。そして闇に潜ったドゥドゥーは、単身闇の中を歩いていた。
主君にどうしてやれば良かったのか、結局ドゥドゥーには分からなかった。元々ダスカーの民は少数民族で、その優れた武勇を買われて傭兵になる事もあったが。ドゥドゥー自身は無学だった。
あの大修道院での一年は、夢のように思えてくる。
学問は楽しかった。
だが同時に、何とも汚い世界だなと思った。
要塞の中で作られた士官学校にて、三国、いやセイロス教団も含めると四つの勢力が、暗闘を繰り返す。
フォドラの縮図そのものだった。
元々主君ディミトリが精神を病んでいる事は分かっていた。
あんな目に。ダスカーの惨劇と呼ばれているらしいが、家族も兄弟も友も失ったのだというのであれば当然だろう。
嫌疑を掛けられ、同じ目にあったドゥドゥーだからこそ。その哀しみは良く理解出来る。
だが、同じになってはいけないとも思った。
剣になり盾になろうとは思った。
しかし、それだけではいけないとも思っていた。
同じ人間は二人必要だろうか。そうとは思えない。
思考を同じにする必要があるだろうか。そうとも思えない。
だから、自分に出来る事を、始める事にした。しかし、出来る事はあまり多くは無かった。周囲の目も、ダスカー人と言う事で、とても冷たかった。それでも、やれることを、少しずつやるしかなかった。
少しでも気晴らしになればと、ドゥドゥーは主君の気晴らしになる事を始めた。
草花を育て。
美味しいものを作る。
そして自分を鍛え、主君の盾になる。
だが、その全てが無駄だった。
ディミトリは何も見ていなかった。どれだけ美しく花が咲いても、美しいと言う事はあっても、何とも思っていなかった。花は手を掛ければ掛ける程美しくなる。事実ドゥドゥーが温室で育てた花は、多くの生徒達を感歎させた。だが、一番喜んでほしかったディミトリは、花など見ていなかった。
見ていたのは、血に濡れた過去の光景だけ。
どれだけ美味しいものを作っても、いつも反応は同じだった。ドゥドゥーの作る料理の評判は生徒達にはとても良かった。だが主君は、うまいなと、笑顔でいつも同じ事しか言わなかった。失敗したときも、それはまったく同じだった。うまいな。そう味付けがあからさまにおかしいときにも、笑顔で口にした。
その理由をドゥドゥーは知っていた。
なぜなら、主君は精神を病んだ時に、味覚も病んでいたからだ。
だから、どれだけまずいものを出されても、平然と食べていた。
同級生達はそれを知っていた。
悉く王国出身の生徒達は、あのベレス師の学級に引き抜かれていったが。引き抜かれるとき、皆ディミトリに哀れみの目を向けていた。全員知っていたのだろう。ディミトリが病んでいて、はつらつとした姿は作り物に過ぎないことを。秘めている狂気が、いつ周囲を焼き尽くしてもおかしくないことを。
事実、それを糾弾しながら、ベレスの下へ去った者もいた。
失った一族の教えをそれでも守った。
いつの間にか、出来る奴は悉くいなくなり。ディミトリを守るのがドゥドゥーだけになって、その意思は更に強くなった。
だが。強くあれ。美しさを愛でよ。腹が膨れれば誰でも心が穏やかになる。
その全てを守っても。ディミトリはどうにもならなかった。
思うに、ディミトリが生きてきた世界。あの腐りきったフォドラの社会の中では、ダスカーの素朴な民が救われる行為程度では、どうにもならない程の精神の負荷が掛かり続けるのだ。
ドゥドゥーに対して、信頼をしてくれたディミトリではあった。それについては、間違いの無い事実だ。
五年前、大修道院が陥落してから。
精神の病が再発し、ずっと厳しい表情しかしなかったディミトリだが。それでもドゥドゥーには心を許してくれたし。無意味な殺戮は控えるようにと言う諌言をすれば、ある程度は聞いてはくれた。ギルベルトもある程度は信頼していた様子だ。背中を任せたのだから。
だが、救う事は出来なかった。
それだけが、心残りだった。
今するべき事は、主君の敵討ちだろうか。
だが、ディミトリは死んだ後、どうしてかとても安らかな表情をしていた。恐らくだけれども、やっと狂気の束縛から解放されたのだろう。
だったら、その狂気を引き継ぐべきではない。ドゥドゥーはそう結論する。
野獣だった主君が、やっと人間に戻る事が出来たのだ。
自分がそれに続いて野獣に戻ってしまってどうするというのか。
グロンダーズに到着する。
意外にも、辺りは静かになっている。
獣が死体を食い荒らしているかと思ったのだが、そんな事もない。むしろ、丁寧に死体は埋葬されて。墓が一箇所に作られ。多数の無惨な死体を、陣営問わずに荼毘に付し、処置した形跡があった。
帝国の医療魔道部隊だろうか。
鎮魂の歌を歌っているのが見える。
近付いていくと、一人が此方に気付く。敗残兵と思われたのだろうか。一礼され。そして警告された。
「まだ敗残兵狩りは続いています。 すぐにこの場を離れた方が良いでしょう」
「……忠告感謝する」
「命を無駄にしてはなりませんよ」
帝国の連中は人間じゃあない。
奴らは全てを殺し尽くし奪い尽くした。
もっともおかしくなっていた時、主君はそんな風に吠えていた。だが、それは違う事をドゥドゥーは知っていた。
家族のために戦う者もいたし。
腐りきったフォドラをどうにかしたいと強い意思を持っている者もいた。
ドゥドゥーが丁寧に、時間を掛けて説得し。
そしてやっと少しずつ、ディミトリは壊れた精神を取り戻しつつあったのだが。それでも、エーデルガルトを見た瞬間、また野獣に戻ってしまった。
今するべきは何だ。
ギルベルトのように、主君に殉じて死ぬ事か。
敵討ちと称して、無差別に帝国兵を殺す事か。帝国兵の中には、さっき戦場の死者を弔っていたような者もいる。
何より人間だ。
それを無差別に殺すのでは。
もっともおかしくなっていた時の主君と同じでは無いか。
森に潜むと。
ダスカーにいた頃の知識を生かして、静かに過ごす。そして、少しずつ考える。
大修道院にいたとき、座学はあまり得意ではなかった。それでも、主君のために必死に読み書きを習った。
歴史も学んだ。
ダスカーにいたときには知らない事がたくさんあり。
フォドラがどれだけ大きな社会で。そして腐っているのかも、学んでいる内に理解する事が出来た。
ならば、今はどうすれば良いのだろう。
ふと、学生時代の事を思い出す。
ダスカー人と陰口をたたく者は幾らでもいたが。その度にディミトリがフォローをしてくれた。
その頃、一度だけ。
精神を病んでいて、実は周囲を何も見ていないディミトリが、口にしたことがある。
あれは確か、王国での小規模反乱があった時。
もうディミトリが学生をしていた頃には、王国はどうしようもない崩壊の危機に直面し。何度も小規模な反乱がおき野盗の横行が絶えなかったが。
その一つ。
学友の一人、シルヴァンの兄であるマイクランが、英雄の遺産を盗み出したときだったか。
ディミトリが、珍しく本音を口にしたと感じたときがあった。
このフォドラは変えなければならない、と。
森の中で、空を仰ぐ。
エーデルガルトもフォドラを変えようとした。
それに違いは無い筈だ。
しかしながら、結局の所その行為は、血まみれの車輪で周囲全てを挽き潰していく事に変わりは無かった。
全てはエーデルガルトのせいだと、一番壊れていた頃のディミトリは言っていたが。
今になれば、そう思わなければ、もはや主君は心を保てなかったのだろう。
少し休んでから、決める。
此処で状況を見ようと。
廃棄された炭焼き小屋を見つけたので、其所を根城にする。帝国軍も少なからぬ被害を受けた。
今は恐らく、再編成に躍起になっている筈。
そして、あの灰色の悪魔が動き出せば、形勢は一気に動く可能性が高い。
ならば、ドゥドゥーがするべき事は。
歴史の転換を見届けることだ。
結局の所、ディミトリもエーデルガルトも、クロードもそうだろう。この腐りきったフォドラを変えようとしていたはず。
その全てが、不幸なすれ違いの末に破綻した。
本来ならグロンダーズで殺し合う必要なんてなかったはずだ。
撃ち倒すべき敵は他にいたはずなのだから。
しばし、此処で身を休めよう。
そうドゥドゥーは決める。
そして、あの灰色の悪魔が動き出したとき。歴史の全てを見届けよう。そうも、決めていた。
ガルグ=マク大修道院に、グロンダーズ平原での戦いの結果が届いたのは、戦いが終わった一週間後であった。
ギルベルトの指示で修道院に向かった兵士達は一人も脱落せず、修道院に到着。そしてその中の一人が、全てを報告したのである。
現在大修道院の政務を司っているのは、大修道院が機能していた頃、セイロス教団の地位で言えば二位にいたセテスである。
経歴不詳のこの男は、どこから来たのか、何時からいるのか誰も知らない。
疲れ果てた兵士達を手当てさせるよう指示を出したセテスを横目に。
灰色の悪魔と呼ばれ。
物心つく頃から剣を握り。
最初に人を斬ったのは七つの時。
この大修道院に来て、自分を男手一つで育てた傭兵団隊長ジェラルドが、元々セイロス騎士団の歴代最強と言われた騎士団長だと知った者。
今、もっとも各国から警戒されている、単独軍隊とも呼ばれるベレスは、そうかとだけ呟いていた。
元々極めて寡黙なベレスだが、知識は恐ろしく豊富で、戦場でも圧倒的に強い。その反面殆ど感情らしいものを見せる事もなく、自分でも周囲の人間はどうしてこんなに笑ったり悲しんだりしているのだろうと不思議に昔から思っていた。
今ではある理由から自分には感情が無かったに等しい事を知っているが。
だからといって、どうとも思わない。
結局今も灰色の悪魔である事には変わりは無い。
決戦兵力であるベレスには、実の所五年分の記憶がない。
五年前に修道院の戦いで、最後の最後に崖から転落。
気がついたら、五年が経過していたのだ。
どうして生きているのかもよく分からないが。周囲があいつは人間では無い、破壊の神だと怖れるのも仕方が無いとは納得もしていた。
なお、五年で年は一切取っていない。
だから、周囲の生徒達が五年でぐっと背も伸びて大人になったのを見て。
何だか羨ましいとも思う事もあるのだった。
修復が進んでいる大修道院を、ベレスは黙々と歩く。
ディミトリは死んだ。
ギルベルトも。
ドゥドゥーは行方不明。恐らく死んではいないだろう。多分エーデルガルトを狙っているか、或いは。
もし、は歴史には禁物だが。
自分がグロンダーズにいたら、参加した勢力を勝たせられただろうか。
周囲の評価は知っている。五年前の教師時代に、ある事件を切っ掛けに潜在能力が全て引き出され、もはや人が及ぶ存在では無くなった事も理解はしている。
だが、勝てたというのは傲慢に過ぎる。
エーデルガルトは紋章至上主義を憎んでいた。
恐らくは、このフォドラの仕組みを作り、管理を続けて来た大司教レアも。
ディミトリは精神を病んでしまっており。いずれその精神は破綻していただろう事は疑いが無い。
クロードは飄々としていて、このフォドラの事を最優先で考えていただろうか。
どうにもそれら全てが怪しく思える。
ふと、気付く。
周囲に誰もいない。
そして、歩いて来る人影。
ディミトリだ。
無言で足を止める。ディミトリは、まるで手負いの獣のようになってしまったという噂を聞いていたが。
側に控えているギルベルト共々。
もはやこの世の住人では無い事は一目で分かったし。
それに怨念の類も感じられなかった。
戦場では、たまに凄まじい怨念を感じることはあった。魔道なんてものがあるように、この世には物理を超越した力が存在するのは事実だ。
「先生」
ディミトリが言う。
青年美を凝縮したような五年前の姿を思い出させる。そして、精神を病んでいるのを、必死に隠していた痛々しい姿も。
だが、今は。
全てから解放されたようだった。
「心配を掛けたと思う。 済まなかった。 王国出身の皆を、悪くしないでほしい」
「分かっている。 ディミトリ、貴方もようやく解放されたね」
「……ああ」
ディミトリの亡霊は静かに笑う。
ギルベルトが一礼すると、ディミトリを促した。
もう時間がないのだろう。
「エーデルガルトも、クロードも、思いは同じだと思う。 このフォドラはいずれ誰かが改革しなければならなかった。 俺はやり方を間違ってしまった。 エーデルガルトも同じだ。 クロードには恐らくその力がない。 先生、後は貴方次第だ。 フォドラを……頼めるだろうか」
「……血が流れるよ。 たくさんね」
「それでも、その血を無駄にしないでほしい」
「ああ、分かっている」
やがて、全てのしがらみから解き放たれたディミトリが、光になって消えていく。
ギルベルトも、全てを成し遂げた表情で、それに付き従った。
王国は、これで名実共に終わったな。
それを、ベレスは理解していた。
「どうした、ぼんやり突っ立って」
振り向くと、セテスがいた。呼びに来たと言うことは、何かがあったのだろう。
今まで三桁近くの暗殺者を返り討ちにしてきたベレスだ。こんな所で話し込むほど不用心でもない。
大修道院の中でも、完全に安全が確保出来ている場所は限られているのだ。
歩きながら、安全圏に移動し。
そして先の話をする。
大きな溜息をセテスはついていた。
この男が、普通の人間では無い事を、既にベレスは知っているが。だからこそ、なのであろう。
「私も長く色々なものを見聞きしてきたが、そのような事も希にはあった。 だが、人々が思うような天国に、ディミトリ王が行く事はかなわぬだろう」
「それは、仕方が無い事だ」
ディミトリは殺しすぎた。
凶獣と化してからのディミトリは、各地を放浪しながら、帝国兵の駐屯地を襲撃しては、片っ端から殺すという事を繰り返していたらしい。被害にあった帝国兵の中には、医療魔道専門の者や、軍で手伝いをしていただけの現地の住民も混じっていたそうだ。帝国軍は規律が厳しく、エーデルガルトが全権を掌握してからは略奪や虐殺とも無縁だったと聞いている。
腐敗した貴族よりも、帝国軍の進駐を喜ぶ民も少なくなかったそうだ。
そんな中、ディミトリがしてきた事は、ただの虐殺と変わりは無い。
最後の最後に、本人がそれに気付くことは出来たのは。
何より、エーデルガルトへの憎悪に捕らわれたまま、この世に留まったりしなかったのは。
幸運だったのかも知れない。
大修道院の中、警備も厳重な区画に入ると。
魔道も使いこなすベレスが防音の魔道を展開し。
更には周囲に衝立も作る。
何名かの幹部も集めて、軽く話をする。まず、セテスが軽く概要を話す。
「概ね今回行われたグロンダーズ平原会戦の結果が判明した。 参加兵力は三勢力あわせて35000弱。 ここ三百年で行われた会戦では最大規模のものだ」
「それで、結末は」
青ざめているのは、旧王国の出身者の内、大修道院に来てくれた騎士の中でまとめ役をしているイングリットだ。
生真面目な女性航空兵であり。ペガサスの扱いに関しては軍随一である。
セテスは彼女の境遇を知っているからだろうか。少し躊躇った後、全てを丁寧に話した。
「参加した兵力の内、帝国軍の損害だけでも2000を超えた。 王国軍の残党は事実上消滅。 参戦した6000弱の内、大修道院に辿りついた300程度以外は全てが命を落とした様子だ。 騎士ギルベルト、ディミトリ王もその中に含まれる。 忠勇なるドゥドゥーは、行方が知れない」
口を押さえたのは、同じ王国出身の魔道士であるアネットだ。
士官学校の生徒の一人で、王国で苦学しながら大修道院に来た。つまり魔道の学校を卒業してから大修道院に入学したと言う事で。大修道院が最高の学府である事も示している。
ギルベルトは、名前を変えていたが彼女の父親だ。
アネットの親友である医療魔道の専門魔道士、メルセデスが、なだめながら顔を覆った親友を連れて行く。
今後、こう言う光景を後何度見れば良いのだろう。
他にも王国出身の者達は、皆青ざめていた。
「同盟も被害は小さくない。 参戦した8000前後の兵力の内、最低でも3000を失った様子だ。 恐らく被害は4000近い。 特に航空兵力の損害は酷く、殆ど生存者はいないらしい」
「どの勢力も、参加した兵力は殆ど全滅状態ですね」
空気を読まぬ発言をしたのはベルナデッタである。
帝国の名門貴族の跡取りである彼女は、苛烈な「教育」によって人間不信になり。現在でも様々な事を器用にこなす一方で、人見知りでごく限られた相手にしか心を開こうとしない。
狙撃手としては恐らく今やフォドラ随一の名手なのだが。
その一方で、もっとも扱いが難しい人物でもあった。
「エーデルガルトさんの事です。 きっと決死隊を募って、敵を道連れに効率よくボンってやったんじゃないでしょうか」
「その通りだ。 戦いの最初に、ごく少数の決死隊ごと、王国軍の残党をまとめて焼き払ったと聞いている」
「……きっとその場にベルがいたら、焼き殺される中の一人だったと思います」
そうだろうな。人見知りで他人と関わりたがらないベルナデッタが、実は極めて優秀である事を知っているベレスは、口には出さないが同意していた。
丘に配置し、狙撃をさせればベルナデッタは最悪の脅威になる。学生時代から、ベルナデッタの針穴も通す狙撃は周囲で有名で、他にもいた狙撃手としての技能を学んでいた者からも頭一つ抜けていた。
模擬戦を行うときもベルナデッタの撃破スコアは群を抜いており。ベルナデッタを守りつつ、高所に置くだけで。敵がばたばたなぎ倒されるのを見る事が出来た。実戦でも、一度敵を殺してからは躊躇が無くなり、正確無比の狙撃は何度も敵将の額や心臓を射貫いたものだ。
その実力は、エーデルガルトだけではない。ディミトリもクロードも知っていた。
丘の上からベルナデッタの狙撃を自由に許したら、まともに進軍することも出来ず。特にアウトレンジから攻撃された魔道士や、逃げ場がない航空戦力はどれだけの被害を出したか分からない。
敵にしては真っ先に潰さなければならない相手で。
早い話が、撒き餌として最適だったはずだ。
ベルナデッタ自身、エーデルガルトと上手く行っていなかった。
非常に自他共に厳しいエーデルガルトは、ベルナデッタの境遇を知ってはいたが、特別扱いは絶対にしなかったし。
また能力を評価していた一方、どうやって戦場で活用するか何度もベレスは聞かれたものである。
最も危険で苛烈な戦場には、ベレスは自分を投入する。
それ以外では、基本的に誰も死なずに済むように、味方を投入し、最高効率で敵を倒す。
エーデルガルトも生徒の一人だった。
道を別ってしまったが。
しかしながら、彼女がベレスの教えを覚えていたのだとしたら。
きっとベルナデッタの発言は、事実になっていただろう。
セテスが咳払いすると。
皆が背を伸ばした。
セテスは人ならぬものだ。
大司教レアがセイロス教団の実権を握っていた頃は、静かにその補佐だけをしていたのだが。
今は自分が前面に立ち、指導者としての技量を見せている。
そしてその行動は、一つ一つ計算され尽くしていた。
蓄積した経験が違うのである。
「戦況の変化について、今後の事を話しておく。 現在帝国軍は、大きな損害を受けた兵の再編に入ったと聞いている。 更には裏切ったブリギットへの抑えの兵も差し向けている。 攻勢の好機だ」
「攻勢と言っても、此処にいる兵力だけでは……」
不安そうな声が上がるが。
ベレスがじっと周囲を見ると、皆が黙り込む。
軍神。
灰色の悪魔。
そう呼ばれる人物は、常勝無敗だった事を、この場の誰もが知っている。
自分を無敵だ等とベレスは思ってはいないが。
いずれにしても、単独軍隊としての力を生かすには、これからの局面をおいてはないだろう。
「現在、動かせる機動戦力は」
「およそ4000強。 王国軍の残党の中で、医療魔道で回復させたとしても、そのうち100名ほどは使い物にはもうならないだろう」
セテスの言葉はもっともだ。
苛烈な戦いを経験すると、兵の心には傷がつく。
大修道院での「実習」の中には実戦も多く。生徒の多くはその過程で賊や反乱分子を相手に殺しを経験。
人を手に掛けた者の中には、精神を病んだ者もいた。
これは仕方が無い事で。
ディミトリも、精神を病んでいたのは、結果として身近な者を多く失う現実を目の当たりにしたからである。
人間の精神というのは脆く。
ベレスのように淡々と人を斬ることが出来る者は滅多にいない。
灰色の悪魔と呼ばれるのも、容赦ない殺戮を平然と顔色一つ変える事なく出来るからであって。
それを強みにしているから、ベレスは更に怖れられるのだ。
「今後恐らく、王国内で転戦していた兵力や、同盟内での反帝国派から兵力が流れ込むとして、それを待っている訳にはいかないな」
「ああ。 帝国軍の再編成は迅速に済まされるはずだ。 エーデルガルトは有能だ。 そう時間は多くはくれないだろう」
「反帝国派の諸侯に書状を。 すぐにでも帝国に攻め入る」
「……分かった」
まずはメリセウス要塞を落とさなければならない。
帝国どころか、フォドラ屈指の要塞であり。現在は帝国の手に墜ちている王国の最大の要塞アリアンロッド、同盟の東端にありパルミラの軍を押さえ込んでいるフォドラの首飾りと並び称される三大要塞の一つ。
それを四千程度の雑多な兵力で落とさなければならない。
しかも機動軍とは編成が違う守備軍が置かれていた可能性が極めて高く、兵力はほぼ無傷のまま温存されているだろうし。
何より指揮官は相当な手練れを置いている事が確定である。
帝国最強の猛将と謳われるベルグリーズ伯が出てくるかも知れないし。
何度も学生時代に交戦した、謎の騎士。
通称死神騎士がいるかもしれない。
かの者は帝国軍に荷担しており、各地で絶大な戦果を上げていると聞いている。こう言うときの切り札として、王都を守るメリセウスに配置されていてもおかしくは無い。
かといってメリセウスを放置するのは、背後を襲ってくれと言うようなものであるし。
更に言えば抑えの兵を置いて帝都に進撃するような戦力など存在していない。
苛烈な戦いになる。
教え子達を見る。
この中の何人が生きて帰れるだろうか。
敵がわずかに作ってくれた隙。
それを逃すわけにはいかない。
すぐに出陣の準備が開始される。
父親の死を吹っ切ったアネットも、出撃すると意思を示していたし。昔は騎士道に憧れていた純朴な青年だったアッシュも、今は険しい表情で戦いの準備を進めていた。
ベルナデッタは人間不信が理由からか、帝国の知り合いの心配はしていないようだった。まあ無理もない。父親には虐待に近い扱いを受けていたし、今でも父親のことは大嫌いなようだから。
誰もがベルナデッタに愛情を向けなかった。
ベルナデッタがそんな状況で、愛情を周囲に返すだろうか。
軍が出撃したのは、それから間もなくのこと。
帝国領を一気に南下。途中にあった幾つかの防衛線を蹴散らして、メリセウスに到着したのはおよそ一月後。
後の時代に知られる。
帝国の終焉が、この時から始まった。