影法師 村上文彦   作:+は*

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犬神使い桐山沙穂の事件簿(弐)

 

 

 術師の仕事は魔物を倒すだけではない。

 

 素養ある者の育成、有名無実に等しいとはいえ規律を破った術師の拘束・懲罰、不完全な封印の補強、被害者の治療、文献や資料の整理等等。術師は異形への対抗力を持つ人材であり、同時に魔術という得意技能の保持者でもあるのだ。機械では代用できない作業がある以上、術師はそれらの作業に従事する必要がある。

 慢性的な術不足の一因は、そういう部分にもあるのだ。

 

「なんだこりゃ」

 

 犬上市駅前の三課事務局。

 影法師の異名をもって知られる村上文彦は、彼以外には処理しようのない幾つもの案件を片付けた後に一枚の書類を見つけた。既に支局長の判も押されたそれは、新人術師研修用の特別訓練を許可したものだった。

 書類自体は正式なもので、書式にもミスはない。特定個人を教授する特別訓練は頻繁に行われているし、三課でも推奨されている。文彦が声を発したのは、そこに書かれた内容を目にしたからだった。

 訓練対象として記入されたのは桐山沙穂であり、訓練の監督者は文彦その人だ。

 

「なんだこりゃ」

 

 もう一度、文彦は素っ頓狂な声を上げた。そんな間抜けな声を聞くのは珍しいのだろう、隣で端末を操作していた女性職員が件の書類を一瞥する。

 

「委員長の処遇は、保護観察だろ」

 

 数日前に支局の会議で決定した事項を確認し、文彦と職員は顔を合わせて頷いた。他の職員も二人の様子に気付いたのか、文彦のデスクに集まり始める。

 

「偽造か?」

「ジンライ君が持って来た申請書だろ、それ」

 

 書類を受理した男性職員が、安物の缶コーヒーを空にしながら答える。沙穂に仕えているとはいえ大狼ジンライの管理責任は文彦にあり、影法師の使い魔として活躍していたジンライはフリーパスで三課に立ち入ることができる。文彦の用件を伝えに訪れることも多く、男性職員は特に疑問を抱くこともなく書類を通したという。

 

「桐山さんの保護観察は村上君の担当だし、護身術を教える程度なら問題ないでしょ」

 

 含んだ笑みで「そろそろ決めたらどうだい」と呟く男性職員。

 その顔面に拳を叩きこむ文彦。

 鼻血と唾液を噴き出し仰向けに倒れる男性職員。

 

「ジンライからの連絡は受けてねえ」

 

 職員の半分、主に女性が息を呑む。

 

「……現地活動員から報告。桐山沙穂の居場所をロストしたそうです」

 

 辛うじて冷静に行動できた職員の一人が、それはもう済まなさそうに告げる。

 文彦はまったく表情を変えず立ち上がろうとスチール製の机に手を乗せ、加減を忘れた力で押し潰してしまう。

 どうしようもないほどの沈黙。

 スクラップと化したスチール机を見下ろし、それから文彦は初めて己が動揺しているのに気付いたのか顔をしかめた。

 

「でもほら、おれは委員長の保護者じゃねえし」

「護衛の責任者でしょ」

 

 残り半分、つまり男性職員のほとんどが総勢で突っ込む。

 市内某所で爆発が確認されたのは、その直後だった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 憑依という現象はそれほど珍しくはない。

 実体を形成するほどの力を持たない異形が行動するとき、彼らは宿主となる器物人物を支配する。その機構は解明されていないが、対処法は確立されて久しい。人体レベルでの憑依現象は、三課で定める初期訓練でも扱う程度の脅威なのだ。

 

『――しくじったか!』

 

 桐山沙穂の身体に融合を試みた異形は、憑依の途中で自身の失策を理解した。

 異形や魔力を引き付けやすい体質の沙穂は、護衛を連れている。影使いたる村上文彦が派遣した大狼ジンライは電撃を操るため、遠近を問わず沙穂の敵を討つことが可能。ジンライの実力を察知した異形は電撃を避けるべく沙穂の身体に潜り込もうとしたが、それは彼女を護衛する側にとっては予測の範疇だった。

 

 凛。

 

 鈴にも似た固く澄んだ音に、沙穂は意識を取り戻した。

 細胞の一つ一つに何かが染み込む不快感が、彼女の神経を極限までに増幅させる。感覚が押し寄せるというのに、脳から送られる信号は指一つさえ動かすことができなかった。自らの身に起こった事を認識するまで要したのは一秒にも満たぬほどの短いものだろうが、絶望を味わうには十分すぎる時間だった。

 自分が何物かに支配されることへの嫌悪感。

 政治力や経済力あるいは単純な暴力によって屈服するのではない、生命の本質を冒涜するような存在に支配されようとしているのだ。

 

 嫌だ。

 

 しばらく前にも抱いたことのある感覚が、沙穂の内側に生まれた。嫌悪感を凌駕する、生への欲求。それが異形に憑依され硬直していた身体を衝き動かす。

 

「五法封環!」

 

 無意識に沙穂は叫んだ。

 咽より出る単語に聞き覚えはなく、右手の指が描く複雑な動きにも記憶はない。しかし武闘家さえ驚くであろう完璧な呼気吸気の結果、身中に気が生じ極限まで練り上げられる。気合をもって発した言葉は意味を持ち、細胞の内部に染み込むのではないかと錯覚するほどだった異形を一気に追い出した。

 異形だけではない。

 練り上げた気もろとも放ったのだ、気は衝撃を生み出し爆発的な力が狭い室内を駆け巡る。暴風などという表現は足りぬ、文字通りの爆発が部屋の天井を吹き飛ばした。

 

 轟音。

 

 床に積もった埃が、無造作に置かれた禍々しい道具が、衝撃波に飲み込まれる。決して手抜き工事ではない建物の天井が屋根ごと吹き飛ぶというのは尋常なる破壊力ではない。道具も爆薬も用いず起したというのであれば、それは正しく魔術のみ為せる業だ。

 

『沙穂殿!』

 

 天井もろとも上空に吹き飛ばされたジンライが驚きの声を上げた。

 爆発の中心にいた沙穂は怪我も火傷も負っていなかったが、高校の制服は半ば炭と化していた。化繊の入った制服が崩れ落ちれば、光沢のない黒褐色の布地が露出する。

 

(違う、これは布じゃない)

 

 肌に密着するそれを、首から下の全身を覆うウェットスーツの如きそれを眺めながら沙穂は理解する。ストッキングの布地より薄い感触でありながら、それは爆発の一切の衝撃と熱を防いだのだ。身体のラインをくっきりとさせるそれは見方によってはとても卑猥だが、ジンライが駆け寄る前に沙穂の足下より無数の黒い帯布が沙穂の身体各所に巻き付いて即席の法衣を作り出す。

 布は、凝集した影だったのだ。

 沙穂は無意識の内にその事実を認識し、納得した。それが当たり前であるかのように受け止め、次に己がなすべきことを理解していた。

 

『沙穂殿、無事でありましたかっ』

「ジンライくん! 十一時の方向、仰角四十二度で暁星哮!」

 

 一瞬の指示。聞いたこともない単語を平然と沙穂は口にして、反射的にジンライ少年は雷の息を指示された方向に噴き出した。直線状に進む雷ではなく光弾に近しいそれは虚空を撃ち抜き、爆風と共に放り出され姿を消していた異形を直撃した。

 

 

 

 

 球状の雷撃は犬上市上空の広範囲を飲み込むように炸裂した。

 暁星哮。

 名をつけたのは大狼ジンライの支配者、影使い村上文彦だ。破裂するだけの雷撃にしては大げさな上に恥ずかしい名前だから、これを考えた文彦でさえ滅多に口にしない。ジンライもあまりかっこいい名前ではないと思っていたので口に出すことなく雷撃を使い分ける、そのため同業者でさえジンライの放つ雷の技に名があると知る者は少ないはずだ。

 

『沙穂殿?』

 

 ジンライの嗅覚は目の前にいる少女が桐山沙穂その人だと示している。汗の匂い血の匂い、それに女性独特の体臭。ホルモンバランスや体温の変化でさえ微妙に変わるそれらの匂いをジンライは嗅ぎ分けることが可能だ。体臭だけではない、異形の源となる瘴気もジンライは嗅覚として捉える。霊気が濃密に存在する犬上市にあってジンライは憑依された人間を確実に判別できる。

 その嗅覚は、沙穂が間違いなく本物だと告げていた。練り上げた気が彼女の身体を活性化させ乳質の匂いを汗に混じらせているが、それでも彼女は桐山沙穂本人だと言えた。僅か数時間前に彼女のベッドに潜り込み嗅ぎ取った匂いが残っているからだ。

 己の鼻が導いた仮説をジンライは結論としなかった。嗅覚では捉えきれない何かが沙穂の身に起きているのも感じているのだ。嗅覚を越える直感が、目の前の沙穂が尋常ではないと告げている。沙穂が暁星哮の名を知っているはずがない。何より彼女の身体を覆っている漆黒の衣は、影使いにしか生み出せない代物だ。

 

『――まさか、文彦様?』

 

 驚愕し、ついで仮説を脳裏に思い浮かべてうげぇと気持ち悪そうに顔をしかめる。

 

『あ、あのですねっ。ぼくは決して沙穂殿にセクハラし放題でついでに既成事実をでっち上げようとか、沙穂殿の救いようのないほどぺったんこな胸を揉みしだくことで僅かでも膨らませようとか、沙穂殿が後々文彦様と交わる時に苦しい思いをしないように隙あらば前と後ろの貫通式を済ませようだなんてこれっぽっちも』

「えい」

 

 狼狽して意味不明の言い訳を始めるジンライの眉間にコンクリートの塊を叩きつけて微笑む沙穂。

 

「最初に断っておくけど、あたしは文彦くんじゃない」

『はうあうあうあうあうっ』

「狙いどころは悪くなかったんだけどね」

 

 額を押さえて転げまわるジンライ。

 しばらくの間転げていたジンライが両手で額を押さえて恨めしそうに顔を上げれば、沙穂は悪戯っぽく微笑む。普段の沙穂には感じられない小悪魔的な陽気さと自信が、その表情から窺える。そのことがますますジンライを混乱させた。

 

「あたしはジンライくんの使い方を知っているし、文彦くんの術もある程度使える」

 

 いい加減事情を説明しないといけないと考えたのだろう、沙穂であって沙穂ではない娘は瓦礫の中から様々な封印を掘り出しながら説明を始める。手足の動かし方や仕草は沙穂のものと変わらない。異形が憑依すれば、その人の癖や言動も変わる事が多い。だが目の前の沙穂に関して言えば、人間を超越する鋭い感覚を持つジンライでも差異を見出せなかった。

 

『我が目には沙穂殿と全く同じにしか見えません』

「そりゃそうよ、あたしだって桐山沙穂だもの」

 

 と沙穂は偉そうに胸を張った。

 ジンライの困惑は頂点に達し、そのままひっくり返ってしまった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 現場に三課所属の術師や職員が駆けつけたのは、爆発から十分後のことだった。

 逃げ出した異形は一体のみ、それさえ既にジンライの雷で消滅したことも判明している。彼らの目的は破損された施設から各種封印を運び出すことと、現場に残っている沙穂から事情を聴く事だ。

 

「……あのー」

 

 三十代前半の男性職員が、おそるおそる声をかけた。破片は全て吹き飛び埃は消え、異形たちを封印した器物もまとめられている。

 

「これは」「どういうことだ」「はてさて」

 

 彼らの前にはジンライ少年がただ一人いた。猿ぐつわをかまされ服の上から亀甲紋様に縛られており、逆海老状態で床に転がされていた。

 

『もがー、もがー!』

 

 ジンライ少年は何かを必死に訴えていたのだが、異形が暴れている訳でもないので職員達は封印の回収を優先させることにした。

 

 

 

 

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